第124話 雪原の双子(二)
奥から、エカシが歩いてきた。
手には古い記録束を抱えている。
「会ったか」
「今の二人は?」
「雹都雪幌都でも腕利きの双子の傭兵だ。レラとノチウ。ウパシユプケ族の戦士だ」
「巡回任務と言っていました」
「ああ。村の周りを見てもらっておる」
「巡回?」
サトは聞き返した。
エカシは記録束を卓の上に置いた。
「数か月前に、大きな侵食獣が出た話はしたな」
「はい」
「考えたくはないが、また来るかもしれん」
炉の火が、ぱちりと鳴った。
ツキハが月片に手を添える。
「侵食残滓ですか」
「観測院の道具では、そこまで分からん」
エカシは少し苦い顔をした。
「この村の観測院は小さい。わしも観測院長とは名ばかりでな。雪の跡と風の匂いなら読めるが、深い精霊流の乱れまでは追いきれん」
「だから雪幌都へ」
「うむ。雪幌都とは密に連絡を取り合っておる。白尾村は小さいが、北の森と旧地下交通網の境目にある。何か起きた時、ここが最初に揺れることもある」
「境目」
サトはその言葉を覚えておくことにした。
境目には、物が溜まる。
精霊流も。
古い機械の残響も。
人の噂も。
そして、侵食の影も。
「さて」
エカシはサトを見た。
「だいぶ動けるようになったようだな」
「まだ監視付きですが」
「適切です」
ツキハが即答した。
「わぉん」
神威も頷く。
「味方が厳しい」
「良いことだ」
エカシは低く笑った。
「来てくれ。見てほしい遺物がある」
「遺物ですか」
「村の北側で拾ったものだ。数か月前の侵食獣騒ぎのあと、雪の下から出てきた。壊れているのか、眠っているのか、わしには分からん」
「危険物の可能性は」
「ある。だから奥に隔離してある」
サトは杖を握り直した。
久しぶりに、体の奥で観測士の感覚が動いた。
ただ寝ているだけの時間は、終わりに近づいている。
足はまだ万全ではない。
だが、目は動く。
手も動く。
頭も動く。
「はい。行こう。ツキハ、神威」
「はい」
「わぉん」
サトたちは、エカシに続いて観測院の奥へ向かった。
◇
その遺物は、旧世界の小型観測端末に似ていた。
手のひらより少し大きい。
外装は黒く焼け、角は欠けている。
だが、内部の基板らしきものは生きているようだった。
問題は、そこに白い霜のような結晶が張りついていることだった。
ただの氷ではない。
精霊流が固まったものだ。
雪の結晶にも見える。
古い回路の上に、冬が根を張っているようにも見える。
「これは……」
ツキハが月片をかざした。
「記録媒体が含まれています。ですが、それだけではありません。大きな機械の一部のようですが、凍結して精霊流の流出を限定的に保っています」
「雪国仕様か」
「近いです」
サトは工具を取り出した。
「開けられるか?」
「乱暴に開けると、記録が砕けます」
「じゃあ、砕かないように開ける」
「適切です」
「久しぶりに聞いたな、その適切」
「サトがようやく適切な作業をしています」
「ひどい」
神威が横で工具箱を押さえた。
サトは寝床で直していた観測器の部品を応用し、端末の外装を少しずつ開けた。
黒く焼けた外装。
凍った記録層。
半分切れた導線。
古い端子。
それらを一つずつ確認する。
エカシは黙って見ていた。
ツキハは月片で反応を測る。
神威は白い調整パルスを、ごく弱く照射した。
強すぎれば霜が崩れる。
弱すぎれば何も変わらない。
「神威、もう少し低く」
「わぅ」
「そこ。止めて」
「わぉん」
白い光が、端末の霜を淡く照らした。
凍った記録層の一部が、ほんの少しだけ透ける。
サトは息を止める。
そこに、古い文字が浮かんだ。
『北部排水連絡坑』
「俺が落ちた場所か」
サトは眉を寄せた。
さらに、その下に別の断片。
『白尾境界管理補助機』
『冬期封鎖記録』
『異常侵食反応』
文字はそこで途切れている。
エカシの顔が険しくなった。
「境界管理補助機……」
「知ってるんですか」
「この村には昔から伝わっている。北の森の奥には、白尾さまの眷属とは別に、旧世界の守り手がいたとな」
「旧世界の守り手」
ツキハが静かに言った。
「機霊化した旧設備、または境界管理機の可能性があります」
サトは端末を見た。
白い霜。
途切れた記録。
異常侵食反応。
そして、白尾村。
「これは、もう少し詳しく見た方がいいな」
「頼めるか」
「もちろんです」
サトはそう言ってから、少しだけ笑った。
「ようやく、観測士らしい仕事ができそうです」
エカシは頷いた。
「期待しておる」
◇
その日の夕方。
サトは空き家に戻り、炉の近くに座っていた。
観測院で写してきた記録の断片を、古い紙に書き出している。
『北部排水連絡坑』
『白尾境界管理補助機』
『冬期封鎖記録』
『異常侵食反応』
まだ、意味は繋がらない。
だが、断片は断片のままでも価値がある。
拾って、並べて、比べる。
それが観測士の仕事だ。
「今日は少し、ヒモを挽回できただろうか」
サトが呟くと、ツキハが顔を上げた。
「遺物の記録層を保護しながら開いた判断は適切でした」
「つまり?」
「観測士としての仕事は、できていました」
「おお」
「ただし、ヒモの噂が解消されたかは未確認です」
「…はい」
神威が横で短く鳴いた。
「わぅ」
「お前はもう村の稼ぎ頭だからな。俺より発言力がある」
「わぉん」
神威が誇らしそうに胸を張った。
背面パネルが開きかける。
「光るな」
「きゅうん」
いつものように、しょんぼり閉じた。
炉の火がはぜる。
外では雪が静かに降っている。
村の方から、子どもたちの声が少しだけ聞こえた。
神威を呼ぶ声だ。
神威の耳がぴくりと動く。
「行ってきてもいいぞ」
「わぅ?」
「今日はもう大丈夫だ。転ばない。たぶん」
「たぶんは不適切です」
ツキハが言った。
「じゃあ、転ばないよう努力する」
「努力は不十分です」
「今日は厳しいな」
「通常です」
神威は少し迷っていたが、子どもたちの声がもう一度聞こえると、立ち上がった。
「短時間なら適切です」
ツキハが言う。
「わぉん」
神威は嬉しそうに尾を振った。
背面パネルが開きかける。
「光るな」
「きゅうん」
しょんぼり閉じたまま、神威は外へ出ていった。
扉が閉まる。
室内が少し静かになった。
サトは夕食の鍋を混ぜながら、遺物の記録を思い出す。
白尾境界管理補助機。
冬期封鎖。
異常侵食反応。
そして、北部排水連絡坑。
考え込んでいると、入口の方で小さな声がした。
「こん」
サトは顔を上げる。
ツキハも月片へ手を伸ばした。
「こん」
もう一度。
今度ははっきり聞こえた。
サトはちらりと入口の方を見る。
戸口の隙間。
そこに、白い子狐がいた。
雪のように白い毛。
尻尾の先が淡く光っている。
地下でサトたちを導いた、あの耳の先が銀色の子狐とは兄弟だろうか。
子狐は、静かに座っていた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
「珍しいお客さんだな」
サトはゆっくり言った。
「その節は世話になった」
「こん」
子狐は短く鳴いた。
その声に合わせるように、外の雪が少しだけ強くなった。
ツキハは目を閉じ、精霊流を読む。
「この精霊獣、呼んでいるのかもしれません」
ツキハが目を開けて振り向く。
その先で、サトは白い子狐にきりたんぽを差し出していた。
「食うか?」
白い子狐は、しばらくサトを見た。
それから、ぱくりとかじった。
「こん!」
「腹減ってたのか?」
ツキハは一度うなずきかけた。
「それは、そう……」
だが、すぐに首を横に振る。
「……ではありません。この子狐は、何かお願いしたいことがあるようです」
子狐は立ち上がった。
戸口の外へ一歩出る。
そして、振り返った。
案内している。
サトには、そう見えた。
外から神威の声がした。
「わぉん!」
呼ばれたわけではない。
だが、何かを察したらしい。
雪の中から、神威が駆け戻ってくる音がした。
子狐はそれを待っているようだった。
白い尾を、静かに揺らしている。
サトはツキハを見る。
ツキハは月片を握り、頷いた。
「慎重に、です」
「もちろん」
「サトのもちろんは、信用度が低いです」
「そこはもう少し信じてくれ」
戸口の外で、子狐がもう一度鳴いた。
「こん」
白尾村の夜。
サトは杖を握り直した。
「分かった。落ちない道で頼む」
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




