第123話 雪原の双子(一)
三週間目の終わり。
サトはようやく、観測院まで歩く許可を得た。
ただし、条件付きだった。
杖を使うこと。
走らないこと。
雪の深い場所へ入らないこと。
神威かツキハのどちらか、できれば両方が付き添うこと。
そして、痛みが出たらすぐに戻ること。
「条件が多すぎないか」
「適切です」
ツキハは即答した。
「エカシの診断でも、歩行は短時間に限定すべきとされています」
「わぉん」
神威も横で頷くように鳴いた。
サトは杖をつきながら、雪道をゆっくり進む。
右足にはまだ少し痛みが残っていた。
鋭い痛みではない。
だが、油断すると足首の奥で鈍く響く。
神威はサトのすぐ横を歩いている。
以前なら嬉しくて先へ飛び出しただろうが、今は歩幅を合わせていた。
ときどきサトの足元を見る。
転びそうになる前に、体を寄せる。
そういうことが、ずいぶん自然にできるようになっていた。
「お前、本当に賢くなったな」
「わぉん」
神威の背面パネルが少し開きかけた。
「光るな」
「きゅうん」
「そこはまだ訓練中か」
「訓練継続が必要です」
ツキハが真面目に言った。
白尾村の観測院は、今日も雪に埋もれるように建っていた。
丸太組みの低い建物。
屋根には厚い雪。
入口の横には、『白尾村観測院』と『村長宅』の木札。
サトはその木札を見て、少し懐かしい気持ちになった。
この村に来て、もう三週間近い。
短いようで、長かった。
遭難し、寝込み、働くツキハと神威を眺め、ヒモ扱いされ、何度も否定し、そのたびに村人に笑われた。
今では、村の子どもたちにまで言われる。
ヒモ観測士。
絶対に定着してはいけない言葉だった。
「今日こそ観測士としての威厳を取り戻す」
「威厳」
ツキハが小さく繰り返した。
「何か問題あるか」
「観測対象として興味深いです」
「その言い方は、あるってことだな」
「わぅ」
神威が短く鳴いた。
慰めているのか、同意しているのかは分からなかった。
観測院の扉を開けると、炉の火の匂いがした。
薬草の匂い。
古い紙の匂い。
乾いた木の匂い。
久しぶりの観測院の匂いだ。
サトは少しだけ背筋を伸ばした。
寝床の上で部品を直すのとは違う。
ここには地図があり、記録があり、観測器があり、村の外へ向いた情報が集まっている。
自分はやはり、こういう場所が好きなのだと思った。
奥へ進もうとした時だった。
観測院の奥から、二人の女が出てきた。
すれ違いざまに、目が合う。
サトは思わず足を止めた。
特徴的な耳だった。
青い虎耳。
一人は、身の丈ほどもある大きな剣を背負っている。
分厚い雪原用の外套の上からでも分かる、鍛えられた体。
大きな剣の根元には、旧世界の装填機構に似た筒が三つ並んでいた。
剣というより、爆発を背負っているような武器だ。
もう一人は、静かだった。
同じ青い虎耳。
同じように太い尾。
だが、動きが小さい。
腰にあるのは銃だろうか。
小型のエーテルブラスターに見える。
細いカートリッジが、色ごとに分けられている。
雪を読む目。
風を聞く耳。
そんな印象を受けた。
「青い……虎耳……まさか、ユプケ族」
龍都カツザンで出会ったカバネを思い出した。
赤い虎耳。
護衛としての鋭い身のこなし。
あの強い目。
すると、剣を背負った女がぱっと振り返った。
「へぇ!」
声が明るい。
行動も速い。
振り向いたと思った次の瞬間には、サトの前にいた。
速い。
サトが反応するより早く、女はサトの杖と足元を見ていた。
「ユプケ族を知ってるのか。足をやってるわりに、目はいいな」
「龍都カツザンで、カバネという人に会いました」
「カバネ?」
女は目を丸くした。
それから、にっと笑う。
「ああ、あの堅物か。ちっちぇころに会ったことがある。あいつと会ったなら、ユプケ族の印象がだいぶ硬くなったんじゃないか?」
「優秀な護衛でした」
「ほら硬い」
女は楽しそうに笑った。
明るい。
距離が近い。
しかも、動きに無駄がない。
サトがほんの少し体勢を崩しかけると、ツキハと神威が同時に寄った。
女はそれを見て、さらに笑う。
「おお、守りが厚いな。噂のヒモ観測士ってのは本当らしい」
「その噂は訂正したいです」
「いい反応だ」
女は自分の胸を軽く叩いた。
「私らはウパシユプケだ。ユプケ族の親戚みたいなもんだな。雪原育ちの枝筋ってところか」
「ウパシユプケ」
「雪の強き者、みたいな意味だってさ。まあ、うちの年寄りがそう言ってた」
ツキハがその言葉を小さく繰り返した。
「雪の強き者」
「そうそう。雪原ではけっこう強いぞ、私ら」
「レラ。任務中」
その横で、もう一人の女が口を開いた。
静かな声だった。
だが、よく通る。
レラと呼ばれた女は、少しだけ肩をすくめた。
「おっと。巡回任務の途中なんだ。悪いな。また会ったら酒でも飲もう」
「しばらくは酒は控えないと怒られそうですが」
サトが杖を見せると、レラは笑った。
「なら、粥でもいいさ」
「それは…弱そうですね」
「ヒモ観測士にはちょうどいいだろ」
「まず、その呼び方をやめるところからお願いします」
レラは声を立てて笑った。
「私はレラ。姉の方。走る、斬る、吹っ飛ばすが得意」
「吹っ飛ばす」
「そう」
レラは背中の剛剣を親指で示した。
「先端で爆発を起こせる。カートリッジは三発まで。雪の下に隠れたやつを起こすには便利だぞ」
「起こす、の意味が物騒ですね」
「大丈夫だ。村の中では使わない。たぶん」
「たぶんは不適切です」
ツキハが静かに言った。
レラの青い虎耳がぴくりと動く。
「おっ。噂の月衣の娘さんだな。綺麗だなあ。本当に雪が積もらないんだ」
「はい。月衣には自浄機能があります」
「いいなそれ。雪原だと最高じゃないか」
「ただし、防寒性能は限定的です」
「惜しいな」
「レラ。話が長い」
もう一人の女が、もう一度言った。
レラは手を上げた。
「分かってる分かってる。こっちはノチウ。妹の方だ」
ノチウは小さく頭を下げた。
「雹都雪幌都から来ました」
「サトです。こちらはツキハと神威」
「知っています」
「え」
ノチウはサトの足元を見た。
「右足をかばっている。杖に体重を逃がしている。歩幅が狭い。半月前の負傷。まだ完全には戻っていない」
「見ただけで分かるんですか」
「歩き方と、杖の角度です」
ノチウは淡々と言った。
「あと、村で有名です」
「そっちか」
「ヒモの観測士さん」
「あぁ。今度ゆっくり、そのヒモのところを否定させてくれ」
「興味があります」
ノチウは静かに言った。
その視線が、サトからツキハへ移る。
「あなたにも興味があります」
「私に、ですか」
「外から来たのに、外気の乱れをほとんど持ち込んでいない。」
「はい。月衣は汚れや水分を表面でほどきます。ただし、私自身の体温保持能力を大きく上げるものではありません」
「なるほど」
ノチウは少しだけ考えた。
「観測と実体がずれている」
「近い表現です」
「分かった。今度またゆっくり」
「はい」
ツキハは小さく頷いた。
「私も、あなたの観測方法に興味があります」
「星、雪、風向き、足跡を少し」
「適切です」
ノチウはほんの少しだけ目を細めた。
笑った、のかもしれない。
レラが扉へ向かう。
「じゃあな、サト。ツキハ。機械狼の神威」
「わぉん」
神威が返事をした。
レラは立ち止まり、神威の尻尾を見た。
「お前、いい尾だな」
「わぅ」
「でも太さなら私の勝ちだ」
レラの太い尾が、自慢げに揺れた。
神威は自分の尻尾をちらりと見た。
少しだけ悔しそうに見えた。
「尾で張り合うな」
「きゅうん」
ノチウが扉を開ける。
冷たい雪風が一瞬だけ入り込んだ。
「レラ。巡回」
「分かってるって」
双子は観測院を出ていった。
雪の中へ歩き出した二人の背は、すぐに白い風の向こうへ薄れていく。
剛剣を背負った明るい姉。
小型エーテルブラスターを腰に下げた静かな妹。
どちらも、ただ者ではない。
「……濃いな」
サトは小さく言った。
「はい。情報量が多いです」
ツキハも頷いた。
「わぅ」
神威も同意するように鳴いた。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




