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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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122/159

第122話 ヒモの観測士(二)

翌日から、ツキハと神威は働き始めた。


 ツキハは観測院へ通った。


 エカシがため込んでいた観測記録を読み、雪の精霊流の変化を整理し、古い観測器を確認した。


 小さな針が震えるだけの簡易計。


 旧世界の電池が死にかけた気圧計。


 精霊流の乱れを記録する紙巻き式の機械。


 ツキハはそれらを一つずつ確認した。


「この配線はおそらく劣化しています」


「分かるのか」


「はい。劣化というより、半分ほど祈りで動いています」


「祈りで」


「不適切な運用です」


「昔から動いておるんだが気まぐれじゃ」


「なおさら不適切です。こちらお借りします。サトなら配線の修理が可能です。」


 エカシは少し困った顔をしたが、ツキハの指示にしたがった。


 神威は村の仕事を手伝った。


 最初は、村人たちも遠巻きに見ていた。


 大きな機械狼。


 背中に芽が生えている。


 鳴く。


 光る。


 雪の上でたまに滑る。


 警戒するなという方が難しい。


 だが、神威はすぐに村の子どもたちに囲まれた。


「狼さま、荷車引ける?」


「わぅ」


「すごい!」


「光って!」


「わぉん!」


「光るな!」


 遠くからサトが叫んだ。


 空き家の窓からだった。


 神威はしょんぼりと背面パネルを閉じる。


 子どもたちは笑った。


 その日から、神威の仕事は増えた。


 薪運び。


 雪かき。


 荷車の牽引。


 凍った井戸まわりの雪を踏み固める作業。


 夜の見回り。


 子どもたちの遊び相手。


 さらには、村の婆さんたちの前でおとなしく座り、暖房代わりになる仕事まであった。


「神威、普段の俺より働いてないか」


 寝床の上でサトが言う。


 ツキハは薬草を刻みながら頷いた。


「はい」


「そこは否定してほしかった」


「神威は村への貢献度が高いです」


「俺の貢献度は」


「現在は回復中です」


「便利な言い方だな」


 サトは毛布にくるまった。


 足は痛む。


 だが、少しずつ腫れは引いている。


 神威の調整パルスと、エカシの薬草と、ツキハの厳しい管理のおかげだ。


 ただし、歩こうとすると、ツキハの目が細くなる。


「少しだけ外に」


「不適切です」


「まだ言い終わってない」


「言い終わる前に不適切です」


「厳しい」


 神威まで前足で扉の前に座る。


「お前もか」


「わぅ」


「完全に見張りだな」


「適切です」


     ◇


 三日目には、村で噂が流れ始めた。


 最初にそれをサトへ伝えたのは、隣家の婆さんだった。


 腰は曲がっているが、目は妙に鋭い。


 毎朝、干し魚や漬物を持ってきてくれる。


 ありがたい人だ。


 ありがたい人なのだが、その日はにこにこしながら、とんでもないことを言った。


「あんた、いい身分だねえ」


「え?」


 サトは椀を持ったまま固まった。


 中には温かい粥が入っている。


「美人の娘さんが働いて、大きな狼殿が薪を運んで、あんたは部屋で寝てる」


「……確かに」


「いいんだよ。分かってる分かってる」


「たぶん分かってないです」


「男には、そういう時期もある」


「どういう時期ですか」


 婆さんは悪気なく笑った。


「村じゃ、あんたのことを、美人の娘さんに養われてる男だって言ってるよ」


 サトは椀を落としかけた。


「……ヒモ?」


「まあ、そう見えなくもないねえ」


「見えなくもないんですか」


「美人の娘さんが働いて、狼殿が荷物を運んで、あんたは部屋で寝てるからねえ」


「事情があるんです」


「分かってる分かってる」


「分かってないです」


 ちょうどそこへ、ツキハが帰ってきた。


 手には薬草の束と、観測院の記録紙。


 後ろには神威。


 神威の背には薪が山のように積まれている。


「ただいま戻りました」


「わぅ」


 婆さんはにこにこした。


「ほら、帰ってきた。働き者の奥さんと狼殿だ」


「奥さん!?」


 サトの声が裏返った。


 ツキハは首を傾げる。


「奥さん、とは私のことですか」


「いや、違う。違わないけど違う」


「不明瞭です」


「今は理解しなくていい」


 婆さんは笑いながら帰っていった。


 サトは頭を抱えた。


 ツキハは真面目な顔で問いかける。


「サト」


「なんだ」


「ヒモとは、適切な表現ですか?」


「不適切だ。かなり不適切だ」


「ですが、私はサトを養っています」


「今だけな」


「神威も養っています」


「神威はむしろ俺より稼ぎそうだからやめろ」


「わぅ?」


 神威が首を傾げる。


 背中の薪が少しずれた。


「ほら見ろ。すでに立派な稼ぎ頭だ」


「神威は優秀です」


「否定できないのがつらい」


 ツキハは少し考えた。


「では、サトは現在、療養中の観測士です」


「そう。それが正しい」


「ただし、外部からはヒモに見える可能性があります」


「そこを分析しなくていい」


「不適切な噂ですか」


「不適切だ」


「訂正しますか」


 サトはしばらく考えた。


 窓の外では、神威が薪を降ろしている。


 その周りに子どもたちが集まっていた。


 遠くでは、村人たちがツキハに手を振っている。


 村に来て数日。


 ツキハと神威は、もう村の一部のように働いている。


 サトだけが寝ている。


「……まあ、もう少し足が治ってからでいい」


「なぜですか」


「今、訂正しても説得力がない」


「適切な判断です」


「悲しい適切の使い方もあるんだな」


     ◇


 時間は、雪のように積もっていった。


 一日。


 三日。


 七日。


 十日。


 白尾村での暮らしは、静かだった。


 朝、ツキハは観測院へ行く。


 雪の精霊流の記録を取り、エカシの手伝いをする。


 神威は薪を運び、雪をかき、子どもたちと遊び、夜は空き家の戸口で丸くなる。


 サトは足を固定されたまま、家の中でできる仕事をした。


 ツキハが持ってきた村の観測器の部品を直す。


 壊れたランプを修理する。


 村の古い金具を磨く。


 神威の雪用足場補助を作る。


 それは、木の板と旧世界の金属片を組み合わせた、不格好なものだった。


 神威が履くと、最初は嫌そうに前足を上げた。


「わぅ……」


「嫌なのは分かる。でも沈みにくいだろ」


「きゅうん」


「慣れろ。北米に行く前の訓練だ」


 神威は不満そうに歩いた。


 一歩。


 二歩。


 三歩目で滑った。


 子どもたちが笑った。


 神威はしょんぼりした。


 だが、その後はすぐに慣れた。


 雪の上を、大きな体で軽く歩く。


 村人たちが感心した。


「狼殿、便利だなあ」


「一家に一匹ほしいねえ」


「それは無理です」


 サトは即答した。


 ツキハも頷く。


「神威は非売品です」


「わぉん」


 神威は得意げに尻尾を振った。


 背面パネルが開きかけた。


「光るな」


「きゅうん」


 村の子どもたちは、いつの間にかそのやり取りまで真似するようになっていた。


「光るなー」


「きゅう~ん」


「やめろ、神威が本気で落ち込む」


 サトが言うと、子どもたちはまた笑った。


 療養は、退屈ではなかった。


 ただ、申し訳なさは残った。


 ツキハが働く。


 神威が働く。


 サトは、できる範囲で手を動かしているとはいえ、やはり助けられている。


 それはありがたくて。


 同時に、少しだけ情けなかった。


     ◇


 二週間が過ぎた夜。


 雪は静かに降っていた。


 炉の火が小さく揺れている。


 神威は戸口の近くで丸くなり、背中の芽を淡く光らせていた。


 ツキハは観測院から借りた記録紙を整理している。


 サトは寝床に座り、右足を見た。


 腫れはかなり引いた。


 まだ痛むが、少しなら体重をかけられる。


 エカシには、あと数日は無茶をするなと言われている。


 当然、ツキハにも同じことを言われている。


「悪いな」


 サトは言った。


 ツキハが顔を上げる。


「何がですか」


「迷惑かけてる」


 ツキハは、少しだけ首を横に振った。


「迷惑ではありません」


「でも、働かせてる」


「私は、サトに何度も助けられました」


 ツキハは静かに言った。


「月から落ちて、何も分からなかった時。村で暮らし方を知らなかった時。旅の途中で、記憶が揺らいだ時。私は、何度も助けられました」


 ツキハは続ける。


「今は、私の番です」


 サトは黙った。


「私は、サトを助けたいです。支えたいです。これは、義務ではありません」


「じゃあ、何だ」


 ツキハは少し考えた。


「選択です」


 炉の火が、ぱちりと鳴った。


「私は、そうしたいと思いました」


 サトは、胸の奥が少し詰まるのを感じた。


 最初に会った頃のツキハなら、こんな言い方はしなかったかもしれない。


 適切か不適切か。


 任務か、観測か。


 そういう言葉の中にいた少女が、自分で選んだと言った。


「……そっか」


「はい」


「ありがとう」


「適切です」


「そこは、どういたしまして、とかじゃないのか」


「どういたしまして」


「今言うのか」


「遅かったですか」


「いや。いい」


 サトは笑った。


 神威が近づいてきた。


 サトの右足を見て、そっと横に伏せる。


 飛びつかない。


 押さない。


 ただ、そばにいる。


「神威もありがとな」


「わぉん」


「お前も、ずいぶん我慢を覚えたな」


「わぉん」


 神威の尾がゆっくり揺れる。


 その背の芽が、炉の火とは違う淡い光を返した。


 ツキハがそれを見る。


「神威の芽、また少し伸びています」


「そうなのか」


「はい。背中だけではありません。胸部にも腹部のパネル付近にも、細い根のような反応があります」


「整備の邪魔になるか?」


「不思議と、なっていません」


「なら、まあ、様子を見るしかないな」


 サトは神威の頭を撫でた。


 神威は少し不思議そうに首を傾げた。


 けれど、尾は嬉しそうに揺れていた。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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