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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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121/159

第121話 ヒモの観測士(一)

白尾村の観測院は、小さかった。


 龍都カツザンの観測院を思い出すと、同じ名前で呼んでいいのか迷うくらいだ。


 大きな石造りの建物ではない。


 雪を避けるために低く造られた、太い丸太組みの家。


 屋根には厚く雪が積もり、軒先には氷柱が下がっている。


 入口の横には、小さな木札が掛けられていた。


『白尾村観測院』


 その下に、もう一枚。


『村長宅』


「兼用か」


 サトが暮らしていた森都キョウの西のはずれの村を思い出す。


 思えば遠くまできたものだ。


 サトが言うと、先を歩く老人が振り返った。


「小さな村だからな。村長も、観測院長も、祠守りも、だいたい同じ者がやる」


「忙しくないですか」


「暇な村ほど、役目は重なる」


 老人は短く笑った。


「わしはエカシ。この白尾村の村長で、観測院長だ」


「サトです。こっちはツキハ。こいつが神威」


「わぉん」


 神威が短く鳴いた。


 エカシは神威を見て、しばらく黙った。


「……本当に鳴くのだな」


「鳴きます」


「しかも、返事をする」


「します」


「光る」


「嬉しいと」


「変わった狼殿だ」


「よく言われます」


 神威は少し誇らしそうに胸を張った。


 背面パネルがほんの少し開きかける。


「光るな」


「きゅうん」


 しょんぼり閉じた。


 エカシはさらに目を細めた。


「……賢いのか、素直なのか、よく分からんな」


「そこが神威です」


 ツキハが言った。


 エカシは少しだけ頷いた。


「なるほど。それにしても”カムイ”か。良い名じゃな」


 その言葉はこの地方で古い神様を意味していた。


  ◇


 観測院の中は、外から見た印象よりも暖かかった。


 中央に大きな石組みの炉があり、赤く薪が燃えている。


 壁には古い地図と、手書きの観測記録が何枚も貼られていた。


 棚には薬草を乾かした束。


 小瓶。


 古い観測器。


 針の折れた方位盤。


 精霊流を測るための簡易計。


 修理途中らしい旧世界の小型端末。


 そして、入口近くには白い狐の木彫りが置かれていた。


 尾の先だけ、銀色に塗られている。


 サトはそれを見た。


 地下で会った子狐を思い出す。


 雪の上を沈まずに歩き、崩れやすい場所で尾を振っていた白い子狐。


「まずは足を見せなさい」


 エカシが言った。


「あ、はい」


 サトは炉の近くに座らされた。


 正確には、座ろうとして右足に痛みが走り、ツキハと神威に左右から支えられ、半分運ばれるようにして座らされた。


「……そこまで重傷じゃない」


「歩行継続は不適切です」


「わぅ」


「二対一か」


 サトは諦めた。


 エカシはサトの足を見た。


 巻いていた布と古い配線をほどく。


 サトが地下で応急固定した足首は、かなり腫れていた。


 紫色になっている部分もある。


 ツキハの目が細くなる。


「悪化しています」


「そりゃ、まあ、歩いたしな」


「不適切です」


「分かってる」


 エカシは足首を軽く触った。


 サトは息を詰める。


「折れてはいないな」


「本当ですか」


「だが、骨に細い傷は入っている。強い捻挫もある。人はこれを重症と呼ぶ。しばらく歩くな」


「………しばらくとは」


「数日ではない」


「ですよね」


「二、三週間。無理をするならもっと長い」


 サトは天井を見た。


 雪の重みで低く見える梁。


 炉の火。


 薬草の匂い。


 そして、右足。


「足止めか」


「命があるだけよかったと思いなさい」


 エカシは手際よく薬草をすり潰し、布に塗った。


「この村には大したものはない。だが、骨と腫れを見るくらいはできる。雪国では、足をやる者が多いのでな」


「お世話になります」


「世話はする。だが、ただで寝かせておくほど余裕もない」


 エカシはサトを見る。


「働ける者は働く。働けぬ者は、治ってから返せ」


「もちろんです」


 サトが頷く前に、ツキハが口を開いた。


「私が働きます」


 サトは彼女を見た。


「ツキハ?」


「サトは歩行継続が不適切です。私は観測と解析、記録整理、簡易修理、薬草の分類ができます」


 ツキハは真面目な顔で言った。


「神威は運搬、雪かき、護衛、子守り、荷運び、暖房補助ができます」


「わぉん」


「神威の仕事がけっこう多い」


「神威は優秀です」


「それは否定しないけど」


 エカシはしばらく二人と一匹を見ていた。


 それから、低く笑った。


「なら、ちょうどいい。観測院の記録がたまっている。見て欲しい古い観測器もいくつかある。薪も足りん。村の雪かきもある」


「適切です」


 ツキハは即答した。


「あと、空き家が一つある」


「空き家?」


「南側の外れだ。持ち主は去年、雪幌都の親族を頼って出ていった。屋根は生きている。炉も使える。隙間風はあるが、寝られないほどではない」


「貸していただけるんですか」


「管理の手間もあるでな。タダとはいかぬが、格安で融通しよう」


「助かります」


 サトは頭を下げた。


「ただし、屋根の雪下ろしは自分たちでやること」


「了解で…」


「サトは指示を出してください」


 ツキハが遮った。


「神威がやります」


「わぅ?」


「おい。神威が今、自分の仕事の増加に気づいたぞ」


「適切な配分です」


 エカシはまた少し笑った。


     ◇


 空き家は、思っていたよりも悪くなかった。


 村の南側。


 小さな斜面の下にある、丸太組みの家。


 入口は低く、屋根は雪を落としやすい急な角度になっている。


 中には土間と小さな炉。


 板敷きの寝床。


 壁際の棚。


 古い毛布。


 木の椀と鍋。


 窓は小さいが、雪の反射で室内は思ったより明るい。


 隙間風は確かにあった。


 だが、神威が炉の近くに座ると、背面パネルの奥でLEDウォーマーが低く起動し、かなりましになった。


「お前、すっかり暖房器具だな」


「わぉん」


「褒めてる。たぶん」


「適切な評価です」


 ツキハは荷物を整理しながら言った。


 サトは寝床に座らされていた。


 いや、座らされていたというより、ほぼ寝かされていた。


 エカシに足を固定し直され、歩くなと言われ、ツキハにも歩くなと言われ、神威にも前足で軽く押し戻された。


 信用がない。


 当然だが。


「サト。痛みは」


「痛い」


「正直です」


「嘘をついても怒るだろ」


「はい」


 ツキハは神威を見た。


「神威。調整パルスを低出力でお願いします」


「わぅ」


 神威がサトの近くへ寄る。


 胸部のパネルが静かに開いた。


 内部に白い光が灯る。


 これまで救護の時に何度か見た、神威の調整パルスだ。


 白い脈動が、ゆっくりサトの右足へ照射される。


 熱ではない。


 強い光でもない。


 だが、足首の奥にあった鋭い痛みが、少しだけ薄くなった。


 痛みそのものが消えるわけではない。


 ただ、ぎゅっと握りつぶされていた部分が、少しほどけるような感覚があった。


「おぉ……意外にいいもんだなこれ。確かに痛みが少しひく。どういう原理だ」


 サトは足を見ながら言った。


 ツキハは真面目に答える。


「神威の調整パルスは、損傷部位周辺の精霊流と微細な神経反応を一時的に整えている可能性があります」


「可能性」


「詳細な原理は不明です」


「不明なのか」


「はい。神威の自己改変領域が関与しています。元の仕様だけでは説明がつきません」


「つまり、神威がなんかすごい」


「おおむね適切です」


「わぉん」


 神威が胸を張った。


 パルスが少し強くなる。


「強くするな。痛みが引く前にまぶしい」


「きゅうん」


 神威は慌てて出力を下げた。


「治療ではありません」


 ツキハが言った。


「痛みを少し散らしているだけです。歩いていいという意味ではありません」


「先回りされた」


「サトは、すぐ歩こうとします」


「信用がない」


「実績があります」


「反論できない」


 サトは寝床に沈んだ。


 炉の火がはぜる。


 外では雪が降っている。


 月竹を海に沈め、知らない土地に上がり、地下に落ち、足を痛め、白い子狐に導かれ、小さな村で寝かされている。


 なかなかひどい旅だ。


 だが、不思議と悪くなかった。


 ツキハがいる。


 神威がいる。


 火がある。


 飯の匂いもする。


 それだけで、かなりましだった。


     ◇

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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