第12話 侵食獣
「さて、出発するか」
「わぉん」
神威も元気よく返事をして立ち上がる。
行き先は、この村よりさらに北にある古い観測塔。
旧世界の端末が残っている可能性があり、精霊流の乱れも報告されている。しかも、侵食獣らしき影まで目撃されている。
「返事だけは本当にいいな」
神威は嬉しそうに尻尾を振った。
ぶん、と空気が鳴り、地面から砂塵が巻き上がる。
「尻尾も振りすぎるな」
「きゅうん」
「怒ってない。壊れるから言ってるんだ」
サトはため息をつき、ピッケルを肩に担いだ。
柄の部分には古い布が巻かれている。
先端の金属は何度も研ぎ直され、根元には細い接続針が収められている。必要に応じて遺物の端子へ差し込み、記録を読んだり、簡単な診断を行ったりできる。
サトはピッケルの留め具を確かめ、鞄の中に予備の工具と小型記録板を入れた。
「よし。行くぞ」
神威が前脚を一歩出す。
その動きは昨日よりずっと滑らかだった。
だが、完全ではない。
関節の奥で、ときおり小さく、ぎ、と音が鳴る。
サトはそれに気づいたが、何も言わなかった。
神威も、自分の脚がまだ万全ではないことを分かっている。
それでも、行く気でいる。
なら、サトもできるだけ直すだけだった。
北へ向かう道は、昨日の畑よりさらに奥へ続いている。
畑を抜け、低い草原を越え、やがて森の入口へ入る。
森の空気は冷たかった。
鳥の声が少ない。
サトは足を止めた。
「……静かすぎるな」
神威の耳にあたる金属部品が、ぴくりと動いた。
尻尾は振れていない。
背中のLEDも展開していない。
ただ、神威はじっと森の奥を見つめている。
サトは腰の小型記録板を起動した。
「普通の森は、もう少し騒がしい。怖がって逃げる獣もいれば、逆に寄ってくる小さな精霊もいる。でも、これは……」
サトはしゃがみ込み、地面の土に触れた。
黒ずんでいた。
燃えた跡ではない。
乾いているのに、腐った水を吸ったような色をしている。
指先に、嫌な冷たさが残った。
「神威、近づきすぎるな」
「……わぉん」
神威の返事は、いつもより低かった。
サトは鞄から細い金属棒を取り出し、黒ずんだ土に差し込んだ。
簡易測定器の結晶板が淡く光る。
数値は安定しない。
精霊流はある。
だが、流れていない。
まるで、何かに削られ、噛みちぎられたように途切れている。
「違うな」
サトは小さく呟いた。
「これは精霊獣の痕跡じゃない」
精霊獣なら、通った場所には何らかの調和が残る。
怒っていても、怯えていても、精霊獣は森の一部だ。足跡の周囲には草木の反応があり、小さな精霊流が寄り集まる。
だが、これは違う。
通った場所だけが、空白になっている。
森が、そこだけ忘れられたように。
「侵食反応……か?」
神威が低く唸った。
唸り声といっても、生き物のそれではない。
壊れた発声器から漏れる、低い電子音に近い音だった。
「まだ確定じゃない。観測塔まで行こう」
サトは立ち上がり、ピッケルを握り直した。
森を抜けると、古い観測塔が見えた。
旧世界の建造物らしく、表面は金属とも石ともつかない灰色の素材でできている。上部は大きく崩れ、そこから蔓や木の根が絡みついていた。
塔の周囲には、壊れた円形の装置がいくつも並んでいる。遠くに小屋のようなものもあるようだ。
アンテナ。
観測鏡。
空を読むための旧世界機械。
サトは塔を見上げた。
「空を観測する施設か。いや、精霊流の高層観測……?」
ピッケルの先端を、近くにあった端末の外装に当てる。
接続針を伸ばす。
端子を探る。
ひび割れた装甲の隙間に、針を差し込んだ。
柄の部分に、青白い文字が浮かぶ。
『外部観測点――損傷』
『高層精霊流観測――停止』
『月面連絡系――』
文字がそこで崩れた。
ノイズが走り、画面が白く乱れる。
「月面……?」
サトは眉をひそめた。
神威が塔の奥を見た。
その瞬間だった。
森の向こうで、枝が折れる音がした。
ばきり。
続いて、何か重いものが地面を踏む音。
神威がサトの前に出た。
「待て。まだ前に出るな」
サトは声を潜め、ピッケルを構えた。
茂みの奥に、青黒い光が見えた。
最初は、鹿に見えた。
長い脚。
細い胴。
枝分かれした角のようなもの。
だが、違った。
脚は四本ではなかった。五本ある。いや、奥からさらに一本、遅れて引きずられている。
角に見えたものは骨ではなく、黒い根のようなものだった。
顔のあるべき場所には、丸い観測レンズのような器官が埋まっている。
そのレンズが、ぎょろりと動いた。
サトを見る。
神威を見る。
そして、塔を見る。
「……侵食獣」
サトの喉が乾いた。
観測院の資料で見たことがある。
精霊獣とは違う。
獣とも違う。
自然に宿る精霊流を食い荒らし、生き物や機械や土地の記憶を巻き込みながら、歪んだ形を取るもの。
神蝕戦争の残り火。
生きた汚染。
侵食獣は全ての生き物に襲い掛かる。
サトは震えそうになる指を押さえ、小型記録板を起動した。
「体高、約一・七。生体反応あり。精霊流欠損反応あり。旧世界機械片との融合反応……あり」
観測レンズが、赤く光った。
その瞬間、ピッケルの画面に文字が走った。
『危険度推定:爪級』
『訂正:爪級上位』
『通称分類:裂爪級』
「裂爪級……」
サトは息を呑んだ。
爪級なら、訓練を受けた兵士が複数人で対処する相手だ。
爪級上位なら、撤退が原則。
少なくとも、サトと神威だけで戦う相手ではない。
「神威、下がるぞ」
「わぉん」
神威は下がらなかった。
前脚を低くし、サトを背に隠す。
「神威」
侵食獣が、一歩近づいた。
その足跡の周囲で、草が黒く縮れる。
神威の背中が開いた。
動物忌避用LED。
精霊信号の指向装置。
かつて獣や精霊獣を遠ざけるために作られた機能。
「待て、神威。それは――」
止めるより早く、神威は光を放った。
淡い青白い信号が、侵食獣へ向かって伸びる。
だが、侵食獣は逃げなかった。
むしろ、動きを止めた。
顔のレンズが、大きく開く。
体表の黒い根が、ざわざわと波打った。
嫌がっているのではない。
喜んでいる。
サトの背筋が凍った。
「神威、止めろ! それは餌になる!」
神威の光が途切れる。
次の瞬間、侵食獣が跳んだ。
速かった。
鹿のような姿からは想像できないほど、異様に低く、地面を這うように迫ってくる。
直後、侵食獣の黒い爪が、神威の胸部装甲を裂いた。
火花が散る。
「神威!」
「わぉん!」
神威は前脚で踏ん張り、侵食獣を押し返そうとした。
だが、重い。
神威の脚部補助パーツが嫌な音を立てる。
ぎぎ、と軋む。
まだ完全に直っていない右前脚に負荷がかかっている。
「無理するな!」
サトは起き上がり、ピッケルを握った。
戦って勝てる相手ではない。
なら、逃げ道を作るしかない。
塔の外壁。
崩れかけた支柱。
旧世界の防護扉。
サトは周囲を見回した。
観測塔の根元に、半分土に埋もれた保守入口があった。
扉は閉じている。だが、端末が残っている。
「あそこだ」
サトは走った。
侵食獣がそれに反応する。
だが、神威が割り込んだ。
尻尾が伸びる。
二股の先端が開き、短いプラズマ熱が走った。
侵食獣の黒い根が、一瞬だけ焼ける。
効いた。
いや、傷つけたというより、動きを鈍らせただけだ。
侵食獣が神威へ顔を向ける。
その隙に、サトは保守扉の端末へピッケルを突き立てた。
「起きろ……頼むから、起きろ!」
柄に文字が浮かぶ。
『保守区画』
『認証要求』
『権限――』
「そんなもの残ってるわけないだろ!」
サトは歯を食いしばり、ピッケルの接続方式を切り替えた。
父から教わった古い回避手順。
正規の扉として開けるのではない。
災害時の退避路として誤認させる。
「外部侵食反応あり。観測員退避。緊急開放」
端末が赤く点滅した。
『侵食反応検出』
『観測員退避を優先』
『開放』
重い音を立てて、扉が開き始めた。
「神威、こっちだ!」
神威は答えた。
だが、動きが遅い。
胸部装甲が裂け、右前脚の補助フレームが歪んでいる。
侵食獣が再び跳んだ。
「神威!」
「たのむぞ…一個しかないんだ。きいてくれよっ!そりゃ!」
サトはカバンから、小さなボールのようなものをとりだし、侵食獣に投げた。
その直後、
ーーキィィーーンーー
金属がぶつかるような大きな音が周囲に響き渡るとともに、侵食獣がわずかに怯んで距離をとった。
それは観測院謹製の対侵食獣用のグレネードであった。周囲数メートルに一定期間侵食獣が嫌うフィールドを展開する
めちゃくちゃ高価な上に、そこらへんに売っているものでもないため、家にあった虎の子の一個を護身用に持ってきたのである。しかし、それでも裂爪級の侵食獣には長くは持たないだろう。
サトは走った。
神威の尻尾を掴む。
二股の先端を、歪んだ脚部フレームへ向ける。
「出力、最小! 固定だけでいい!」
「わぉん!」
プラズマ熱が細く走る。
焦げた匂いがした。
金属が赤くなり、歪んだ補助フレームが無理やり固定される。
「これで三分はもつ! 三分だけだぞ!」
観測塔にはしれ!
「わぉん!」
ぽつぽつ読んでくれている人がいて嬉しい( ᐛ)
ボーイミッツガールするところまで毎日2話投稿でがんばります。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




