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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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115/159

第115話 北の海へ(一)

さぁ、新章行くで(´・ω・`)

海の中に、いたのは二日ほどだ。


 月竹は、海面近くを進むこともあれば、深く潜ることもあった。


 外から見つからないように。


 そして、月竹自身の損傷をこれ以上広げないように。


 航行速度は、思っていたよりもずっと遅かった。


 月竹は月から地上へ降りる舟であり、本来なら空を渡るものなのだろう。だが今の月竹は傷ついている。浸水区画は切り離され、外殻の保護被膜はまだ完全ではない。


 だから月竹は、海の底を滑るように進んだ。


 海流をうまく掴み北上していく。


 白い船体の周囲を、青い光が流れていく。


 海の中は静かだった。


 けれど、何もないわけではなかった。


 月竹の外部映像には、何度も魚の群れが映った。


 銀色の魚。


 青く光る魚。


 薄い羽のようなひれを広げて泳ぐ魚。


 体の半分が透けていて、骨の中に小さな星を閉じ込めたような魚。


 長い尾を持つものもいた。


 岩のように見える巨大な甲殻の精霊獣もいた。


 暗い海底に、ぼうっと灯る花畑のようなものが見えた時、サトは最初、それを植物だと思った。


 だが、近づくと花のひとつひとつが口を開けた。


 細い歯が並んでいた。


「……月竹。少しだけ離れよう」


『承認』


 月竹が静かに進路を変える。


 花畑のようなものは、追ってこなかった。


 ただ、海底でゆっくり揺れている。


「綺麗なものほど怖いな」


「地上でも、同じ傾向はあります」


 ツキハが言った。


「ただし、例外も多いです」


「例外?」


「サトが拾ってくれたものは、だいたい壊れていて、怖くはありませんでした」


「俺の拾うものに対する評価が低い」


「神威も含まれます」


「それは合ってる」


「わぉん?」


 神威が顔を上げた。


 月竹の壁面いっぱいに映る海中の景色を、神威はずっと見ている。


 最初こそ低く唸っていたが、今はもう慣れたらしい。大きな魚が通るたびに耳を立て、尻尾の先を小さく揺らしている。


 ただし、あまりに大きな影が近づいた時だけは別だった。


 海の暗い方から、黒い鯨の骨のようなものが現れた。


 骨だけに見える。


 けれど、骨ではない。


 肋骨のような白い筋の間に、青黒い光が流れている。目に当たる場所には何もないのに、見られていると分かる。


 神威が低く唸った。


「ぐるる……」


「威嚇するなよ」


 サトは神威の首元を押さえた。


「相手、月竹よりでかいぞ」


「きゅうん」


「不満そうにするな。大きさは大事だ」


 ツキハは外部反応を観測していた。


「敵意はありません。観察されています」


「こっちが?」


「はい。海のものではない異物。そう認識されているようです」


「そりゃそうか」


 黒い骨のような精霊獣は、しばらく月竹の横を泳いだ。


 水の流れが変わる。


 月竹の船体が、わずかに揺れた。


 サトは壁に手をついた。


 ツキハも同じように支えようとして、足元を少しふらつかせる。


 神威がすぐに体を寄せた。


 ツキハは神威の背に手を置く。


「ありがとうございます。」


「わぉん」


 神威の背中に生えた小さな芽が、暗い海の光を受けて、淡く揺れた。


 海の精霊獣たちは、それを見ると少しだけ距離を取った。


 怖がったわけではない。


 むしろ、敬意に近い反応だった。


 サトには詳しいことは分からない。


 だが、神威が以前よりも、ただの機械ではなくなっていることだけは分かった。


 その変化を喜んでいいのか。


 怖がるべきなのか。


 まだ、答えは出ない。


「……腹減ったな」


 サトは言った。


 答えの出ないことを考えるのをやめるためでもあった。


 ツキハが振り返る。


「空腹ですか」


「空腹だ」


「私も、該当する反応があります」


「じゃあ飯にするか」


 と、言ってみたものの、飯と呼べるものは少なかった。


 ドタバタとした出発だった。


 白石島ではゆっくり補給する余裕などなかったし、そもそも月竹に戻ってからは、ザラスに追われ、荒魂さまの雷に巻き込まれ、そのまま潜水した。


 旅の荷物はある。


 だが、食料は心細い。


 日持ちするパンは、もうかなり減っていた。龍都カツザンで買った干し肉も少し残っているが、神威の整備部品や資料の隙間に押し込んでいたせいで、袋の端が潰れている。


 月竹の保存庫も一応確認した。


 だが、月面用保存食は、いつのものだろう。


 見た目は白い固形物。


 匂いは、石。


 味は、たぶん虚無。


「月竹。これ、食えるのか」


『栄養摂取は可能です』


「味は?」


『栄養摂取は可能です』


「二回言ったな」


 サトは白い固形物を見つめた。


 ツキハも見つめた。


 神威も見つめた。


「……パンにしよう」


「適切です」


 結局、二人は硬くなったパンを少しずつかじった。


 神威は食べない。


 だが、なぜか横でじっと見ていた。


「お前、食べたいのか?」


「わぅ」


「食えないだろ」


「きゅうん」


「いや、かわいそうな顔をされても困る」


 サトはパンの端を神威の鼻先に近づけた。


 神威は匂いを嗅ぐような動作をしたあと、満足げに尻尾を振った。


「それでいいのか」


「神威にとっては、食事行動の観測で満足した可能性があります」


「犬っぽいのか、機械っぽいのか、よく分からないな」


「神威は神威です」


 ツキハは当然のように言った。


 サトは少しだけ笑った。


「ああ。そうだな」


 その日の夜、月竹はさらに北へ進んだ。


 海の中に夜があるのか、サトにはよく分からなかった。


 だが、外の青は少しずつ濃くなり、やがて黒に近づいた。


 月竹の内部照明も落ちる。


 壁面の地図だけが淡く光っていた。


 地球の地図。


 ツキハが月片をかざすと、月竹の壁に大きな球体が浮かんだ。


 旧世界の大陸線。


 今の海岸線。


 精霊流の濃淡。


 人造神の残響。


 そして、月竹が捉えた姉たちの光。


 サトは腕を組んで、それを見上げた。


「こうして見ると、世界って広いな」


「はい」


「俺たち、今までほんの少ししか歩いてないんだな」


「それでも、私にとっては、広い旅でした」


 ツキハは言った。


 その声が少し柔らかかったので、サトは彼女の顔を見た。


 ツキハは地図を見ている。


 けれど、見ているのは地図だけではないようだった。


「思い出したのか」


「少しだけ」


 ツキハは月片に触れた。


「姉たちのことを」


 地図の上に、六つの淡い光が浮かぶ。


 ひとつは遠い西。


 ひとつは南。


 ひとつは北東。


 ひとつはさらに南の大陸。


 ひとつは赤い大地の方。


 ひとつは、白い氷の果て。


「私には、姉が六人いました」


「六人」


「はい。正確には、ルナから地上へ送られた分霊です。ですが、私にとっては姉に該当します」


「該当、か」


 逆に考えると、ツキハもルナの分霊にあたるということなのだろうか。


 サトは少し考えたが結局質問はできなかった。


「不適切ですか?」


「いや。お前がそう思うなら、それでいい」


 ツキハは小さく頷いた。


「ミラ姉さまは、文明と言葉を観測する分霊でした。目的は、ユーラシア大陸の鉄地母《テラ・マグナ》との接触」


 淡い光が、大きな大陸の上で揺れる。


「文明と言葉……」


「はい。人が何を残し、何を忘れたのか。それを観測する役割です」


 ツキハは、次の光へ指を移した。


「ナラ姉さまは、生命の継承を観測する分霊でした。目的は、アフリカ大陸の生命王《アニマ・ムンドゥス》との接触」


 緑と金の精霊流の中に、別の光が沈むように瞬いた。


 ツキハは頷き、さらに地図をなぞった。


「セラ姉さまは、観測した可能性を形にする分霊。目的は、南米大陸の森骸母《セルヴァ・マーテル》との接触」


「可能性を、形に?」


「はい。記録だけではなく、選ばれなかった未来の痕跡を見る役割だったと思われます」


 ツキハの指が、赤い大地の方で止まる。


「ユメ姉さまは、夢と記憶を映す分霊です。目的は、オーストラリア大陸の夢時神《アルケラ・ドリーム》との接触」


「夢と記憶を映す……あいつらしいな」


「知っているのですか」


「夢で少しな」


 サトは、ユメの声を思い出した。


 ツキハをお願い。


 かわいらしい騎士さん。


 サトは少しだけ顔をしかめた。


「変な呼ばれ方をした」


「不適切な呼称でしたか」


「いや、訂正する前に逃げられた」


 ツキハは少しだけ瞬きをした。


 笑ったのかもしれない。


「そして、シオン姉さま」


 白い氷の果てに、冷たい光が灯る。


「記録を封印する分霊。目的は、南極の氷記神《クリオ・アーカイヴ》との接触」


「記録? 何の記録だ」


「分かりません」


 ツキハは正直に言った。


「ですが、おそらく重要です。ルナが知らなければならないこと。私が思い出さなければならないこと」


 ツキハが指を最後の場所へ動かす。


「最後がエル姉さまです。」


 北東の光が、ひときわ強く瞬いた。


 サトはその光を見た。

 

「エル姉様は、通信と機械網に同期する分霊でした。目的は、北米大陸の雷網神《ゼウス・グリッド》との接触」


「準備ができたら、そこへ行くんだな」


「はい。今、最も強く追える反応です」


 サトは黙って地図を見た。


 六つの光。


 そして、月。


 月の上には、さらに淡い光があった。


「で、その全員を送り出したのが、ルナか」


「はい」

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。


神威もたぶん尻尾を振ります。

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