第112話 閑話 断続記録:KA-6111111w0n(二)
境界管理記録。
郊外農地。
大型イノシシ型野生鳥獣、侵入。
農地被害、拡大中。
人間たちは棒や音響装置を持っていたが、近づけずにいた。
「頼むぞ!」
誰かが言った。
機械狼は畑と森の境界に出た。
攻撃兵装、未搭載。
殺傷行動、非推奨。
忌避LED、背面パネル展開。
低周波警告音、発生。
地面を踏む。
光を揺らす。
大型イノシシは鼻を鳴らし、足を止めた。
もう一歩。
背面パネル、強照射。
イノシシは身を翻し、森へ走った。
人間たちが歓声を上げる。
「助かった!」
「すごいな、あれ」
「本当に追い返したぞ」
機械狼は振り返る。
背面パネルを閉じる。
尾部駆動、左右振動。
男の声が、遠くで聞こえた。
「ほら見ろ。俺の犬は天才だ」
記録。
境界復元、成功。
殺傷不要。
ザ……ザザッ。
*
都市歩行記録。
神都キョウ、中央区画。
人間、多数。
音、過密。
匂い、複雑。
精霊流、薄い。
機械狼は、歩道の端を歩いていた。
背面パネルは閉じている。
尾は低く保つ。
人間との接触を避ける。
前方から来た男が、飲み終えた缶を振った。
「ん?駆動ゴミ箱か。おい犬 これ捨てといてくれ」
缶が放られる。
機械狼は反射的に受け止めようとした。
だが、缶の口から残っていた液体がこぼれる。
甘い匂い。
粘性あり。
液体が顔と首、前脚の装甲にかかった。
べたつく。
センサー表面、汚染。
男はもう歩き去っている。
周囲の女が顔をしかめた。
「汚いゴミねえ。目がチカチカする」
背面パネル、点灯していない。
しかし、機械狼は輝度制御をさらに下げた。
汚れた缶をくわえ、近くの回収箱へ入れる。
液体が顎の下から落ちた。
不快。
だが、危険なし。
人類個体、敵性なし。
支援行動、完了。
歩行再開。
ザ……ザザッ。
*
所有者変更記録。
都市外縁。
損傷軽微。
背面パネル、片側展開不良。
尾部駆動、遅延。
機械狼は、路地の端で自己診断を繰り返していた。
そこへ、黒い車が止まった。
扉が開く。
身なりのいい老人が降りてくる。
周囲の人間が、慌てて頭を下げた。
老人は機械狼の前にしゃがんだ。
「どれ。まだ動くな」
しわのある手が、背面パネルに触れた。
「見てやろう」
機械狼は動かない。
敵意、なし。
老人は笑った。
「面白い。あの若造の作品か」
若造。
照合。
研究室の男。
機械狼の背面パネルが、弱く点滅する。
「そうか。では、うちへ来い」
移送。
大きな屋敷。
広い庭。
整備室。
人間の幼生体、二名。
「犬だ!」
「光る?」
背面パネル、低出力照射。
幼生体、正反応。
屋敷での日々が始まった。
庭で走る。
幼生体が背中に抱きつく。
背面パネルを光らせる。
腹部の保温板で、眠った子どもを温める。
尻尾を振りすぎて植木鉢を倒す。
叱られる。
撫でられる。
小さな精霊虫が、背面パネルの光に集まる。
幼生体が笑う。
「この子、精霊虫にも好かれてる!」
機械狼は意味を理解しない。
しかし、庭は安全だった。
人間は笑っていた。
ザ……ザザッ。
*
長期記録。
屋敷。
季節、複数回変化。
幼生体、成長。
背丈、増加。
声質、変化。
呼称、変化。
主人。
若様。
旦那様。
当主。
その人間に、さらに幼生体が生まれた。
適応人類。
耳の形状、旧人類と差異。
瞳孔、夜間視認に適応。
体温、やや高い。
幼生体は庭を走る。
「光って!」
背面パネル、照射。
「すごい!」
すごい。
評価語。
保存。
庭に迷い込んだ小型精霊獣が、混乱して暴れた。
使用人たちが逃げる。
幼生体が泣く。
機械狼は間に入った。
攻撃しない。
背面パネルを閉じる。
腹部パネルから、調整パルスを低く流す。
小型精霊獣の呼吸が落ち着く。
精霊流の乱れが収まる。
精霊獣は庭の木々を抜け、森へ戻った。
幼生体が拍手する。
「やっぱりすごいね」
機械狼は尾を振る。
屋敷の中では、大人たちが低い声で話していた。
新聞。
端末。
大陸戦争、勃発か。
マスク・メィロン、月面計画に関与。
ルナ・インコンプリート、未完成の第七柱。
人造神デウス。
代理戦争。
精霊圏制御権。
機械狼には意味が分からない。
ただ、外で遊ぶ時間が減った。
窓に厚い板が打たれた。
夜空に、見慣れない光が増えた。
ザ……ザザッ。
*
世界通信、混乱。
記録破損。
ザザッ。
人造神デウス、人格崩壊。
ザ……ザザッ。
戦略兵器群、制御不能。
ザザッ。
衛星兵器、都市上空に展開。
ザ……。
屋敷。
夜。
空が白くなった。
音は、後から来た。
壁が砕ける。
窓が割れる。
庭の木が燃える。
人間の声。
泣き声。
指示。
悲鳴。
機械狼は走った。
保護対象。
幼生体。
検索。
検索。
検索。
精霊流、異常増大。
悪意、検出不能。
殺意、検出不能。
敵意、検出不能。
しかし、保護対象の生存率、急速低下。
森が伸びていた。
都市の石畳を割り、根が走る。
建物を飲み込む。
多すぎる人間を排他するように、緑が増える。
生物兵器。
神蝕汚染。
識別名。
森の母。
判定不能。
敵性、判定不能。
保護対象、喪失。
機械狼は瓦礫を掘った。
前脚の爪が欠ける。
装甲が剥がれる。
センサーに煙が入る。
それでも掘った。
見つからない。
声がしない。
屋敷の庭は、もう庭ではなかった。
燃えた木。
崩れた壁。
折れた遊具。
割れた背面パネルの光が、黒い土の上で点滅する。
何も守れなかった。
記録。
保護失敗。
保護失敗。
保護失敗。
ザ……ザザッ。
*
放浪記録。
森都キョウ外縁。
年数、不明。
自己修復率、低下。
交換部品、なし。
ミトラ応答、遅延。
それでも、目的は残っていた。
精霊を含む野生鳥獣の保全。
生態系の境界管理。
人類及び適応人類の支援。
幼生体の保護。
罠にかかった鹿を見つける。
罠を砕く。
鹿は逃げる。
礼はない。
必要なし。
翼を傷めた鳥を見つける。
安全な枝の下へ運ぶ。
鳥は鳴く。
意味、判定不能。
小さな精霊獣が、狂った精霊流に怯えている。
腹部パネルから調整パルスを送る。
精霊獣は眠る。
必要行動、完了。
機械狼の傷は増える。
右前脚、反応遅延。
背面パネル、片側照射不良。
尾部駆動、断続。
だが、歩ける。
まだ歩ける。
ザ……ザザッ。
*
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




