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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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110/159

第110話 海の底から(二)

星のような数の作品から、この作品を見つけてくださってありがとうございました(´;ω;`)ブワッ


海の中は、静かだった。


 あれほど轟いていた雷も、波も、風も、ここでは遠い。


 世界が水に包まれている。


 外には、海の精霊獣たちがいた。


 先ほどまで白い砂州を遠巻きに囲んでいたものたち。


 大きな魚のような影。


 長い尾を持つ影。


 背びれだけを出していたもの。


 水の下でぼうっと光っていたもの。


 それらが今は、月竹の周囲を一定の距離を保って泳いでいた。


 近づきすぎない。


 離れすぎもしない。


 まるで、海の底へ案内しているようだった。


「敵意は?」


 サトが聞いた。


 ツキハは表示を確認する。


「ありません。警戒と興味。あと……」


「あと?」


「少し、感謝に近い反応があります」


「感謝?」


「荒魂さまの雷で、海の流れが大きく変わりました。ザラスの黒い精霊流も弱まっています。海の精霊獣たちにとっても、あれは異物だったのかもしれません」


「なるほどな」


 サトは外の影を見た。


 巨大な影のひとつが、ゆっくりと月竹の横を通る。


 目があった気がした。


 まん丸い、光る目。


 神威が低く鳴いた。


「ぐる……」


「こら、にらむな。向こうは案内してくれてるかもしれないだろ」


「わぅ」


「適切です」


 ツキハが言った。


「神威、海中では不用意な威嚇は不適切です」


「きゅうん」


 神威は少しだけ耳を伏せた。


 その時、月竹の内部照明が一段落ちた。


『潜水モード、安定』


『外殻冷却開始』


『保護被膜、再展開中』


『一部故障区画、浸水。区画パージ済み。生存区域、メインエンジン、航行への影響軽微』


「若干不安なアナウンスでもあるが」


 サトは安堵した。


「まずはよかったな」


「はい」


 ツキハも、ようやく肩の力を少し抜いた。


 月竹は海の中をゆっくり進む。


 水の向こうで、朝の光が揺れている。


 その光の中に、白石島の影が遠く見えた。


 サトは、壁面の表示を操作した。


 いや、操作したというより、ピッケル越しに月竹へ簡単な指示を送った。


 まだ慣れない。


 反応も遅い。


 だが、映像は切り替わった。


 白石島の村が、遠くから映し出される。


 高倍率の映像は荒い。


 それでも、人々の動きは見えた。


 村人たちは、まだ避難場所に集まっている。


 壊れた家は、少なくとも目立たない。


 大きな火も出ていない。


 山には黒い煙が上がっている。


 だが、村そのものは残っていた。


 ミナセらしき姿が、村人たちの間を走っている。


 誰かに指示を出し、誰かを安心させている。


 白石島の光も、静かに戻っていた。


「大きな被害は、なさそうだ」


 サトが言った。


 ツキハは、長く息を吐いた。


「よかった……」


 その声は、本当に小さかった。


 泣きそうで、けれど泣いてはいなかった。


「でも、怖がらせました」


「ああ」


「謝らなければなりません」


「ああ。いつか、必ずな」


「はい」


 神威が、画面の村へ向かって小さく鳴いた。


「きゅうん」


 まるで、すまないと言っているようだった。


 サトは神威の頭を撫でる。


「お前も気にしてるのか」


「わぅ」


「じゃあ、次に来る時は、ちゃんと頭下げような」


「わぉん」


「だから胸を張るな」


 ツキハが、また少しだけ笑った。


 月竹は海の中を進む。


 白石島は遠ざかる。


 サトは、白石島へ向かってもう一度頭を下げた。


「ありがとうございました」


 ツキハも、静かに頭を下げる。


「ありがとうございました。和魂さま」


 神威も頭を下げた。


「わぅ」


 白石島で、ほんの少しだけ光が揺れた気がした。


 返事だったのか。


 ただ波に揺れただけなのか。


 サトには分からなかった。


 けれど、それでよかった。


『航路を設定してください』


 月竹の声が響いた。


 壁面に、海中の地形と進路が浮かぶ。


 サトは呟いた。


「いきなり世界の果てまで行くわけじゃないよな」


「月竹の状態では、長距離航行は困難です。まずは安全な沿岸まで移動し、補給と修復を行うべきです」


「適切な判断だ」


「はい」


 ツキハは、壁面に浮かぶ北東の光を見た。


「ひとつ、はっきりした光があります」


「北東か」


「はい」


「お前の姉か?」


「分かりません」


 ツキハは答えた。


 その声には、期待と恐れが混じっていた。


「ですが、北東へ向かった姉がいました」


「名前は?」


「エル姉さまです」


 ツキハの指が、壁面の光に触れる。


「雷網神と、空に残された古い網を調べていたはずです。記憶はまだ曖昧ですが……北東の光がエル姉さまの月竹である可能性はあります」


「雷網神か」


 サトは、さっきの雷を思い出した。


 神罰の叢雲。


 荒魂さまが海へ落とした、あの無数の雷。


「また雷かよ」


「同じものではありません。ですが、関連する精霊圏の反応はあるかもしれません」


「嬉しくないな」


「私も、少し怖いです」


 ツキハは小さく言った。


 それから、壁面の別の光へ視線を移す。


「南の光はどう思いますか?」


 ツキハが聞くと、サトの指が、ほんの少し止まった。


「ユメのことは気になる。けれど、助けを求めている感じではなかった」


 ツキハをお願い。


 確かに、彼女はそう言った。


 サトの夢の中で。


「はい。私も、気になります」


 ツキハは胸元の月片に触れた。


「ですが、今すぐ南へ向かうのは不適切です。月竹は損傷しています。反応も弱い。まずは、確実に追える光を確認すべきです」


「なら、まずは北東だ」


「はい」


「まぁ、まずは近くの陸だな。」


 サトは壁面の地形図を見た。


 白石島から離れた北方に、大きく曲がる海岸線がある。


 さらにその先、冷たい海に囲まれた大きな北の島。


「この北の島に、集落か観測院はないのか」


 ツキハが表示を拡大する。


「反応があります。小規模集落。精霊流は安定。旧世界施設反応も微弱ですが確認できます」


「じゃあ、まずそこだ。月竹を隠せる場所を探す。修理して、補給して、それから北東の光を追う」


「適切です」


「南は、月竹を直してからだな」


「はい。必ず」


 神威が短く鳴いた。


「わぉん」


「ところでサト」


ツキハが気まずそうにサトをみる。


「なんだツキハ」


「浸水区画になっている場所は末端に近い保護室という場所のようです」


それは、かつてサトがツキハを救出する際に強引にピッケルで開けた場所だった。


「……まぁなんだ。あのときはあれが最善だったというか。」


しどろもどろのサトをツキハがジト目で眺め、そして最後に少し笑った。


「ふふっ…そうですね。あのときはありがとうございました。適切でした」


「いや、すまん。本当に。落ち着いたら絶対修理するから」


「はい。適切です」



 月竹は、静かに進路を変えた。


 白石島を背に、海の底を滑るように進む。


 すぐに遠い大陸へ向かうわけではない。


 まずは、北の島へ。


 冷たい海の向こうにある、まだ知らない集落へ。


 朝の光が、水面の上で揺れていた。


 その向こうに、壊れた世界が広がっている。


 古い戦争の残りかす。


 沈黙した月竹。


 姉たちの手がかり。


 そして、北東の遠い大陸で光る、ひとつの強い反応。


 旅は、本当に始まってしまった。


    ◇


 白石島の村では、雷で仮死状態になった魚が、昼ごろから浜に大量に流れ着いた。


 最初に見つけたのは、避難していた子どもたちだった。


 次に気づいたのは、村人たちだった。


 そして、さらに早く気づいていたのは、海辺に戻ってきた精霊獣たちだった。


 浜には、銀色の魚。


 青い魚。


 長い魚。


 丸い魚。


 見たこともないほど大きな魚。


 少し光っている魚。


 食べられるのかどうか分からない魚。


 普段は見かけない荒れた沖の魚まで混じっている。


 とにかく魚が山ほど打ち上げられていた。


 村人たちは、しばらく呆然とした。


 それから、誰かが籠を持ってきた。


 誰かが網を持ってきた。


 誰かが塩を持ってきた。


 誰かが火を起こした。


 ミナセは頭を抱えた。


 だが、すぐに笑った。


「和魂さまの恵みです。無駄にしてはいけません」


 その一言で、村は一気に忙しくなった。


 避難していたはずの村人たちは、いつの間にか魚を運び、干し場を作り、鍋を出し、火を囲んでいた。


 海の精霊獣たちも、沖でゆっくりと泳いでいる。


 いくつかの大きな影は、まるで順番を待つように浜の外側を回っていた。


 白石島は、その日から数日、小さな祭りになった。


 二人と一匹は、そのことを知らない。

ようやく話がひと段落です。

次から数話ほど神威の閑話を挟みます。

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