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月から落ちた少女と、神に愛された機械狼  作者: 玄達瀬


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第109話 海の底から(一)

第38話 海の底から


 雷が、海を裂いた。


 一本ではない。


 二本でもない。


 空そのものが砕けたような雷光が、幾重にも重なり、黒い戦艦へ降り注いだ。


 ザラスの砲身が赤黒く光る。


 何かを撃ち返そうとしたのか。


 それとも、ただ古い命令に従って主砲を再起動しようとしただけなのか。


 サトには分からなかった。


 分かったのは、間に合わなかったということだけだ。


 神罰の叢雲。


 その名を思い出した直後、無数の雷が戦艦の上に落ちた。


 黒い船体が白く染まる。


 錆びた装甲が弾け飛ぶ。


 折れた塔のような構造物が砕け、海へ崩れ落ちる。


 赤黒く脈打っていた炉心の光が、激しく明滅した。


 次の瞬間、ザラスの周囲の海面が盛り上がった。


 海が、戦艦を持ち上げたように見えた。


 いや、違う。


 持ち上げたのではない。


 締め上げている。


 荒魂さまの怒りに呼応するように、波が黒い船体へ巻きついていた。


 雷。


 波。


 風。


 海鳴り。


 すべてが、ひとつの意思を持ったようにザラスへ向かっていく。


 月竹の中にも、その轟音は届いた。


 壁が震える。


 床がきしむ。


 赤い警告表示が何度も明滅する。


『警告。外部エーテル濃度、急上昇』


『警告。衝撃波到達予測』


『警告。保護姿勢を推奨』


「神威!」


「わぉん!」


 神威がサトとツキハの前に体を入れた。


 サトはツキハの肩を抱くように支える。


 ツキハは壁面の表示を見つめていた。


 そこには、ザラスの輪郭があった。


 黒い戦艦。


 神蝕戦争の残骸。


 古い命令に縛られ、月から来たものを敵とみなした狂機。


 その輪郭が、雷のたびに崩れていく。


『対象炉心反応、低下』


『主砲反応、不安定』


『外装破損率、急増』


 ザラスの砲身が、わずかに持ち上がった。


 最後の一撃を撃とうとしているように見えた。


 だが、その砲身に、ひときわ太い雷が落ちた。


 白い閃光。


 遅れて、黒い破片が海へ飛び散る。


 砲身が折れた。


 ザラスの巨体が、大きく傾く。


 海がうねった。


 傾いた戦艦の側面から、黒い煙のような精霊流が噴き出す。


 それは空へ逃げようとした。


 だが、荒魂さまの周囲に集まった雷が、それを許さなかった。


 雷光が黒い煙を焼き、海風がそれを散らし、波が船体ごと飲み込んでいく。


 サトは息を忘れて見ていた。


 これは戦闘ではない。


 討伐でもない。


 罰だ。


 海を荒らしたもの。


 島を脅かしたもの。


 祈りの場所を傷つけようとしたもの。


 神が怒っている。


 神鳴。


 やがて、雷の密度が少しずつ落ちていく。


 ザラスは、もう海面に浮かんでいなかった。


 黒い船体の半分以上が水の下に沈んでいる。


 折れた砲身だけが、しばらく海面から突き出していた。


 それも、波に押されるように傾き、ゆっくりと沈んでいく。


『対象、海中へ沈降』


 月竹の声が響いた。


『主砲反応、停止』


『炉心反応、微弱』


『自律修復反応、不明』


 ツキハが、かすかに息を吐いた。


『判定。ZARATH《ザラス》、事実上の沈黙を確認』


「沈黙……」


 サトは呟いた。


「壊れたのか」


「完全破壊ではありません」


 ツキハが言った。


 声はまだ少し震えていた。


「炉心反応が、わずかに残っています。自動修復機能があれば、長い時間をかけて再起動する可能性もあります」


「また動くのか」


「分かりません。海の底で精霊獣たちに削り取られるかもしれません。荒魂さまの雷で、内部機構の多くが焼けている可能性もあります」


「どっちだと思う」


 ツキハは少しだけ黙った。


「分かりません」


「なら、今は生き残った方を喜ぶか」


 サトは言った。


 ツキハは、小さく頷いた。


「……はい」


 神威が、まだ唸っていた。


 胸元の勾玉の印が、淡く光っている。


 サトはその頭を軽く叩いた。


「もう大丈夫だ。たぶん」


「ぐるる……」


「たぶんだ」


「きゅうん」


 神威は不満そうに鳴いたが、ようやく体の力を抜いた。


  外の映像では、荒魂さまがまだ海の上にいた。


 黒と紅の色を帯びた巨きな姿。


 海も空も、その周囲だけまだ荒れている。


 だが、少しずつ変わっていった。


 紅が薄れる。


 黒がほどける。


 荒れた波が、少しずつ低くなる。


 雲の裂け目から、朝の光が差し込む。


 怒りの色が抜けていく。


 やがて、荒魂さまの姿は、白く穏やかな光へ戻っていった。


 和魂さま。


 その名の通りの、柔らかな光だった。


 サトは、胸の奥に残っていた息を吐いた。


「……怒ったらおっかない、どころじゃないな」


 ツキハは白石島の方を見つめていた。


「ですが、守ってくださいました」


「ああ」


 和魂さまの光が、こちらを見た気がした。


 穏やかな目。


 怒りを終えた神の目。


 サトは思わず頭を下げた。


 ツキハも、静かに頭を下げる。


 神威も、少し遅れて頭を下げた。


「わぅ」


 その時、月竹の警告がまた響いた。


『警告。外部エーテル乱流、継続中』


『警告。船体損傷部位への負荷増大』


『推奨。潜水可能海域まで移動後、一時潜航。外殻冷却および保護被膜の再展開を行ってください』


「潜れるところまで、あとどれくらいだ」


『完全潜水可能海域まで、〇・四キロメートル』


「近い。行こう」


 サトはツキハを見た。


「安全な場所まで動かそう。ここにいたら、また何が起きるか分からない」


「はい」


 ツキハは壁面へ向き直る。


「月竹。潜水可能海域まで移動。到達後、潜水モードに移行してください」


『承認』


 月竹は、ゆっくりと沖へ進んだ。


 白石島が遠ざかる。


 白い砂州が細くなる。


 村の灯りが小さくなる。


 それでも、サトは目を離せなかった。


 自分たちが来たことで、島を巻き込んだ。


 月竹を起こしたことで、旧世界の戦争の亡霊を呼び寄せた。


 もちろん、サトはツキハに言った。


 悪いのはお前じゃない。


 古い命令を残して沈んだ昔の連中だ、と。


 それは本心だった。


 だが、それでも。


 怖がらせた。


 眠っていた村を叩き起こした。


 白石島の祈りの場所に、雷と戦争を持ち込んでしまった。


 その事実は、消えない。


 ツキハも同じことを考えているのだろう。


 彼女は外部映像の中の村を見ていた。


 小さな手が、胸元の月片に触れている。


「サト」


「なんだ」


「私は、白石島の人々に、迷惑をかけました」


「ああ」


 サトは否定しなかった。


 ツキハが少しだけ目を伏せる。


「ですが、今は戻れません」


「ああ」


「戻れば、また何かを引き寄せるかもしれません」


「そうだな」


 サトは頷いた。


「だから、今は離れる。あとで謝りに戻ろう」


「……はい」


「その時は、土産もいるな」


「土産」


「手ぶらで謝りに行くよりはいい」


「適切ですか?」


「たぶん」


「たぶんですか」


「俺もこういうのは得意じゃない」


 ツキハは少しだけ笑った。


 その笑みは弱かったが、確かに笑みだった。


 神威が、二人の間に鼻先を突っ込んだ。


「わぅ」


「お前も謝るんだぞ」


「わぉん?」


「胸張るところじゃない」


「きゅうん」


 月竹が低く震えた。


『完全潜水可能海域に到達』


『潜水モードへ移行します』


 白い壁面が青く染まった。


 外部映像の海面が、ゆっくりと近づく。


 月竹の船体が沈み始めた。


 ざぶん、と音がした。


 いや、月竹の中にいるサトたちには、本当の音は届いていないのかもしれない。


 それでも、海へ入る感覚はあった。


 白い船体が、水の中へ沈む。


 朝の光が、海面で揺れる。


 それが上へ遠ざかっていく。


 青。


 淡い青。


 深い青。


 月竹の周囲を、泡が流れていく。


 神威が目を丸くした。


「わぅ……!」


「お前、海の中は初めてか」


「わぉん」


「俺もだ」


 サトは壁面の映像に見入った。

神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。



神威もたぶん尻尾を振ります。

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