第108話 荒ぶる海神(三)
「プロテクトを」
ツキハが言った。
『承認。オートプロテクト準備』
神威が、月竹の前方へ駆け出そうとした。
「神威!」
「わぉん!」
「行くな!」
サトが首元をつかむ。
神威はそれでも前へ出ようとした。
胸元の勾玉の印が強く光る。
何かを守ろうとしている。
自分の体で受け止められるはずもないものを、それでも前へ出て止めようとしている。
「馬鹿、やめろ!」
「わぉん!」
「お前が壊れたら、誰がツキハの横にいるんだ!」
神威の動きが止まった。
その一瞬後。
第四射が放たれた。
黒い光が迫る。
『オートプロテクト発動』
白い膜が展開される。
衝突。
轟音。
今度は、音が消えなかった。
月竹全体が激しく揺れた。
床に膝をつきそうになるツキハを、サトが支える。
神威が踏ん張り、二人の前に体を入れた。
ぱりん。
嫌な音が、今までよりも大きく響いた。
『第四次防御成功。プロテクト再展開。中破損。三〇%出力低下』
赤い警告が壁面を走る。
『警告。同規模攻撃に対する完全プロテクトは、困難です。避難を推奨』
白い操縦室が、赤く染まった。
ツキハの手が震えている。
サトは歯を食いしばった。
「くそっ……」
避難できるなら、とっくにしている。
逃げられるなら、とっくに逃げている。
だが、月竹は遅い。
転移は壊れている。
飛ぶには出力が足りない。
防御はもう無理。
ザラスは次を撃つ。
どうする。
どうすればいい。
サトは壁面の表示を睨んだ。
現在位置。
海岸。
深度。
月竹の状態。
外殻保護機能。
耐真空被膜、限定展開可。
耐熱被膜、限定展開可。
耐浸水被膜、一部区画ERROR。
その表示が、頭の中で引っかかった。
「……浸水被膜」
サトは呟いた。
ツキハが振り返る。
「サト?」
「月竹は、海の下に沈んでいた」
「はい」
「だったら」
サトはツキハを見た。
「ツキハ。月竹は潜れるか」
ツキハの目が、大きく見開かれた。
一瞬、時間が止まったようだった。
そして、ツキハは壁面へ向き直る。
「月竹。潜水モードに移行可能ですか!」
『確認』
短い沈黙。
その間にも、ザラスの砲身は次の光を集め始めている。
『潜水モード、条件付きで可能』
「やった!」
サトが叫んだ。
しかし、月竹の声は続いた。
『警告。一部故障区画に浸水可能性あり。完全潜水可能な海域まで、あと一・五キロメートル沖へ進む必要があります』
壁面に地形図が浮かぶ。
現在位置から、さらに沖へ。
そこに、深い青で示された海域があった。
一・五キロ。
近いようで、遠い。
今の月竹には、あまりにも遠い。
「急いでください。潜水可能海域につき次第、潜水」
『承認』
月竹が再び進み始める。
ザラスも、それを追う。
赤黒い砲身が、ゆっくりとこちらへ向く。
『警告。第五射、発射予兆』
「まだか!」
『完全潜水可能海域まで、一・三キロメートル』
「遠い!」
神威が唸る。
胸元の勾玉印が強く光る。
その光は、月竹の白い壁に反射し、波のように広がった。
だが、ザラスは止まらない。
古い命令に縛られた戦艦は、海の上で赤黒く脈打っている。
次の一撃が来れば、防げるか分からない。
サトはピッケルを握った。
何かできないか。
接続されたばかりの月竹の情報が、ピッケルのホログラムに流れている。
だが、短距離リモート操作は条件付き。
戦艦への干渉など、できるはずもない。
神威の信号も届かない。
月竹の防御も限界。
あと一・二キロ。
まだ遠い。
その時だった。
白石島から、光が浮かび上がった。
サトは息を呑んだ。
白い石の島。
その中心から、淡い光が立ち上がっている。
夜に見た和魂さまの光だ。
だが、今は朝だ。
月は薄れ、太陽が昇りかけている。
それでも、その光は海の上ではっきりと見えた。
白く。
穏やかで。
やわらかな光。
「和魂さま……」
ツキハが呟いた。
光は、ゆっくりと形を持った。
巨きなもの。
白石島そのものが目を覚ましたような、白い精霊の姿。
サトは、目が合った気がした。
穏やかで、優しく、温かい目だった。
その目が、月竹を見た。
ツキハを見た。
神威を見た。
そして、白石島の村を見た。
最後に、海の上の黒い戦艦を見た。
和魂さまの動きが止まった。
次の瞬間、白い巨体がゆっくりと身をひるがえした。
それは振り返る、というより、海そのものの向きが変わるような動きだった。
穏やかな白が、内側から濁っていく。
紅。
黒。
月明かりを食ったような、怒りの色。
空が変わった。
晴れていたはずの朝の空に、雲が集まる。
遠くから、低い音が近づいてくる。
波が盛り上がる。
風が変わる。
海の精霊獣たちが、一斉に深い場所へ潜った。
サトの背筋に、冷たいものが走った。
美しい。
だが、それ以上に恐ろしい。
ミナセの言葉が蘇る。
――怒ったらおっかない。
「あれが……」
ツキハの声が、わずかに震えた。
「伝承にあった、荒魂<<アラミタマ>>さま」
月竹の警告が響いた。
『警告。支援高密度精霊個体より、エーテル変換による大規模攻撃前兆を確認』
壁面の数値が跳ね上がる。
『推定威力、超越粒子砲級』
「超越粒子砲級って何だ」
「旧世界の戦略兵器級です」
「神様が怒ると、そうなるのかよ」
サトは、乾いた声で言った。
ザラスの砲身が、荒魂さまへ向いた。
月竹ではない。
白石島へ。
荒魂さまへ。
赤黒い光が、砲口に集まる。
だが、荒魂さまは動じなかった。
空が割れるような音がした。
雲が渦を巻く。
雷が一本、海へ落ちた。
それだけでは終わらない。
二本。
三本。
幾重もの雷が、空の中でうねる。
交わり、群がり、ひとつの雲のようになっていく。
サトは、その光景に覚えがあった。
昔、西はずれの村のじいさんから聞いた話。
堕ちた神が地上で荒れ狂い、人も獣も、草木さえも焼いた話。
最後には、人々の祈りを受けた守り神が、その堕ちた神を鎮めたのだという。
その時の空は、きっとこんな色だったのだろう。
天を割るほどの轟音。
幾重もの雷がうねり、交わり、群がっていく。
雲ではない。
雷そのものが、雲のように集まっていた。
そうだ。
あの昔話の名は、確か――
「神罰の叢雲」
サトが呟いた。
その瞬間、荒魂さまが咆哮した。
声ではない。
海が鳴った。
空が鳴った。
島が鳴った。
そして、無数の雷が、黒い戦艦へ向かって一斉に落ちた。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




