第105話 月竹の記憶(三)
「俺は月の舟なんて直したことないぞ」
「ですが、壊れたものを壊れたまま使う判断はできます」
「褒めてるのか、それ」
「かなり褒めています」
サトは頭をかいた。
神威が、わぉん、と鳴いた。
まるで、いいからやれと言っているようだった。
『整備管理者、サト。登録開始』
月竹の光が、サトの腰のピッケルへ向いた。
『接続可能端末を検索』
ピッケルが、かすかに震えた。
父から受け継いだ一点物。
掘る。
繋ぐ。
直す。
解析する。
何度も改造し、何度も壊れかけ、何度もサトの手で直されてきた道具。
その古い柄に、白い光が絡みついた。
『端末発見』
ピッケルの側面に、小さな文字列が浮かぶ。
『P.I.C.K-E.L. / Portable Interface / Circuit Key - Excavation Linker Mfr. TESTAMENT,ALPHABET』
「……なんだ、その名前」
サトが眉をひそめた。
「サトのピッケルの正式名称では?」
「俺はそんな名前を付けた覚えはない」
「では、お父さまが?」
サトは黙った。
父なら、やりかねない。
変なところで格好をつける人だった。
『改造の形跡あり』
「あるな」
『非推奨端末。旧式。互換性不足。演算性能不足。月竹機能の八〇%以上は使用不能』
「言うなあ、この舟」
『インストールしますか?』
サトはピッケルを見た。
古い。
旧式。
互換性不足。
演算性能不足。
全部その通りだ。
だが、これで十分だった。
少なくとも、これまではそうだった。
「八〇%使えなくても、二〇%使えるなら十分だ」
サトは言った。
「インストールしろ。月竹への接続も承認する」
『承認確認。インストール開始』
ピッケルが低く唸った。
柄の内部で、細い光が走る。
神威が興味津々で鼻を近づけた。
「噛むなよ」
「わぉん」
「今のは怪しい返事だぞ」
ピッケルの先端から、小さなホログラムが浮かび上がった。
今までの粗い地形図とは違う。
海岸線。
島。
月竹との相対位置。
そして、遠くに散らばる淡い光点。
「表示できてる……」
サトは思わず息を漏らした。
『GNSSを用いた位置情報表示、限定可。月竹との相対位置表示、可。他月竹反応表示、限定可』
「GNSS?」
「旧世界の衛星測位システムです。まだ一部が生きているのかもしれません」
「空にまだ、そんなものが残ってるのか」
「はい。ただし、信頼性は不明です」
月竹の表示は続いた。
『ピッケルを用いた大陸間リモート操作、不可』
「そこまでは期待してない」
『遠距離リモート操作、不可』
「分かってる」
『中距離リモート操作、不可』
「しつこいな」
『短距離リモート操作、条件付き可』
サトは目を細めた。
「条件付きでも、使えるのか」
『月竹内におけるアーカイブ情報の開示、可。セキュリティレベル三以下の構造物信号処理、不可。セキュリティレベル二以下の構造物信号処理、不可。セキュリティレベル一以下の構造物信号処理、可』
「つまり、簡単なところだけ触れると」
『肯定』
「十分だ」
サトはピッケルを握り直した。
重さは変わらない。
だが、少しだけ違って感じた。
父から受け継いだ道具に、月の舟の光が宿った。
古い地上の道具と、月の技術が、ぎこちなく繋がった。
完璧ではない。
むしろ、欠けているところだらけだ。
だが、それでいい。
サトたちは、いつもそうしてきた。
壊れたものを、壊れたまま使う。
足りないものを、足りないなりに繋ぐ。
神威が、ピッケルを見て尾を振った。
「きゅうん」
「お前も登録したいのか」
「わぉん」
『未確認機械獣。登録しますか?』
月竹が淡々と言った。
神威の耳が跳ねた。
サトは思わず笑った。
「こいつは機械獣じゃない。神威だ」
『名称、神威。登録候補』
「登録していいか?」
サトが聞くと、神威は胸を張った。
「わぉん!」
『神威。補助機体として仮登録』
神威のLEDが、なぜか誇らしげに光った。
「補助機体だってよ」
「適切な分類でしょうか」
「本人は満足そうだ」
「では、適切です」
ツキハが微笑んだ。
その笑みは、まだ少し疲れていた。
記憶の補正は始まったばかりだ。
完全には戻らない。
プロテクトされた領域もある。
それでも、ツキハの中には、確かに戻ったものがあった。
姉たち。
七台の月竹。
遠い南の大陸で、こちらに呼びかけたユメ。
サトはホログラムで複数の光点を見た。
今すぐ行ける場所ではない。
だが、目印はできた。
この先の旅は、ただ地図のない旅ではなくなった。
「今日はここで休もう」
サトは言った。
「補給も、今後の計画も考えないといけない。神威の状態も、もう少し見たい。だが、今から全部やるには遅すぎる」
「現在時刻、深夜に該当します」
月竹が言った。
「月竹にも言われたぞ」
「……適切です」
ツキハは素直にうなずいた。
その素直さが、逆に疲れを物語っていた。
神威も、大きな欠伸のような音を出した。
「わふ……」
「お前も寝ろ。今日はよく動いた」
月竹の奥に、簡易休息区画が開いた。
白い床が柔らかく沈み、壁面から薄い布のようなものが出てくる。
神威は最初、その布を警戒して鼻でつついた。
だが、温かいと分かると、すぐ丸くなった。
「切り替えが早いな」
「神威は適応能力が高いです」
「ただ眠いだけだろ」
ツキハは神威の隣に腰を下ろした。
サトは入口に近い位置に座った。
ピッケルを手元に置く。
ホログラムはもう消えている。
だが、手の中には、まだ月竹の白い光の感触が残っていた。
ツキハは、壁にもたれて目を閉じた。
「サト」
「なんだ」
ツキハは目を開けた。
サトを見ている。
「一緒に、来てくれますか」
サトは、少しだけ間を置いた。
断る理由はいくつもあった。
遠すぎる。
危なすぎる。
自分はただの観測士だ。
月の姉探しなど、本来なら背負える話ではない。
だが、ここまで来た。
神威を拾った。
ツキハを助けた。
月竹を見つけた。
今さら、ここで降りるという選択肢は、サトの中になかった。
「行く」
短く答えた。
ツキハの目が、わずかに揺れた。
「それは、決定事項ですか」
「決定だ」
「決定」
「お前ひとりじゃ危なっかしい。神威も放っておかない。俺も、見たいものが増えた」
「見たいものですか」
「七台の月竹。お前の姉たち。月の技術。旧世界の戦争の残りかす。あと、こいつがどこまで変な犬になるか」
「わぉん」
寝ていたはずの神威が、胸を張った。
「起きてたのか」
「きゅうん」
ツキハは、静かに笑った。
「ありがとうございます」
「礼は、見つかってからでいい」
「はい」
月竹の光が、ゆっくりと弱くなる。
休息区画が、夜の色に沈んでいく。
外では、波が静かに砂州を撫でていた。
白石島の神は、まだ眠っているように見えた。
海も、空も、月も、穏やかだった。
だからサトは、その夜だけは思った。
明日から、本当に旅が始まるのだと。
ツキハの姉たちを探す旅。
月竹を巡る旅。
神威がまた壊れて、また直されて、また少し変わっていく旅。
壊れた世界の中で、まだ残っているものを探す旅。
ようやく、ここまで来た。
そう思いながら、サトは目を閉じた。
月竹の壁が、微かに脈打つ。
遠く、遠く。
海の向こうに散らばる四つの光が、眠るように瞬いていた。
そして、二つの月竹は、沈黙したままだった。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




