第100話 白石島(三)
祝100話
ここまで読んでいただいた方ありがとうございます!
もう少し先に神威の閑話を挟む予定です。
白い道を渡る。
海は左右に分かれている。
けれど、完全に静かなわけではない。
波はすぐそばまで来ている。
時折、白い泡が砂州の端を舐めた。
遠くの沖には黒い影がある。
いくつも。
大きなものもいる。
だが、近づいてこない。
神威はサトの横を歩く。
胸元の芽が、淡く光っている。
「敵ではない」
精霊獣たちが寄ってこないよう信号を発しているのだろうか
ツキハは月片を両手で包むように持っていた。
白兎端末の耳は、砂州の下を向いたまま小刻みに震えている。
ミナセは先頭を歩き、白石の鈴を持っていた。
鈴は鳴らない。
それでも、歩くたびに潮の音が少しだけ遠ざかる気がした。
白石島へ着くと、そこには小さな社があった。
木造の古い社。
風と潮に晒され、ところどころ白くなっている。
その背後に、大きな白い石が立っていた。
人の背丈よりも高い。
丸みを帯び、月明かりを受けて柔らかく光っている。
石の表面には、波のような模様が浮かんでいた。
「和魂さま」
ミナセが祈る。
サトは膝をつく。
ツキハも、少し遅れて膝をついた。
神威はどうすればよいか分からない様子だったが、サトを見ると、白石の前でお座りをした。
その動作は、不思議なくらい自然だった。
神威の胸元の芽が、ふわりと光る。
小さな芽。
背中や肩から顔を出した芽。
内部に深く根を張った、細い精霊の根。
それらが、月明かりと潮の音に応えるように揺れた。
「白石に鎮まりし和魂さま。荒き海を和らげ、迷えるものを遠ざけ、傷ついたものを鎮める御方」
風が止んだ。
海の音が、遠くなる。
白石が、光った。
最初は、月明かりを返しただけに見えた。
だが違った。
白石の内側から、光が滲み出していた。
強い光ではない。
目を焼くようなものでもない。
けれど、サトは思わず息を止めた。
圧があった。
荒いものではない。
怒りでもない。
それでも、そこにあるものは、人間が軽々しく触れていいものではなかった。
静かな海の底に、巨大な潮の流れがあるような。
眠っている山の奥に、深い火があるような。
穏やかだからこそ、底が知れない。
「……これは」
ツキハの声が震えた。
白兎端末の耳が、ぴたりと動きを止める。
月片の光も、一瞬だけ揺らいだ。
「精霊反応、極めて大。ですが、侵食ではありません。敵意もありません。けれど……」
「けれど?」
「大きすぎます」
ツキハは、そう言った。
サトも同じだった。
神威も動かない。
怯えているのではない。
服従でもない。
ただ、その場にいるものを、全身で受け止めているように見えた。
ミナセは、言葉を失っていた。
彼女の手から、白石の鈴が落ちかける。
鳴らないはずの鈴が、かすかに震えた。
「和魂……さま」
ミナセは膝をついた。
祈りの姿勢ではない。
崩れるように膝をついた。
「本当に……」
その声は、かすれていた。
「本当に、お姿を……」
白石の光の中に、形が生まれる。
勾玉のような輪郭。
白い雫のような身体。
中心には、淡い翡翠色の核。
周囲を、潮と月光がゆっくり巡っている。
顔はない。
声もない。
けれど、そこにいるものが怒っていないことだけは分かった。
穏やかで、古く、優しい。
そして、圧倒的だった。
ミナセの目から、涙がこぼれた。
「父も、祖母も、ただ祈れと言いました。見返りを求めるなと。和魂さまは、海を鎮める御方だと」
彼女は深く頭を下げた。
「まさか、この目で……」
サトも頭を下げた。
胸が苦しくなるほどの気配だった。
怖いわけではない。
だが、軽く顔を上げられない。
ツキハもまた、月片を両手で包んだまま膝をついていた。
「サト」
ツキハが小さく言う。
「何だ」
「この存在は、私たちを拒んでいません」
「分かるのか」
「はい。ですが、許可を得たわけでもありません」
ツキハの声は、いつもより慎重だった。
「問いかけを待っています」
サトは喉を鳴らした。
ミナセが涙を拭い、震える声で祈りを続ける。
「白き道の下に、眠るものがあります」
海の音が、さらに遠くなる。
「それは、この者たちが探していたもの。」
ツキハの指が、月片を強く握る。
サトは思わず顔を上げかけた。
ミナセは白石へ深く頭を下げる。
「白き道の下に眠るものへ触れることを、お許しください」
声が震えていた。
「この島を乱さず、この村の祈りを傷つけず、御身が守られてきたものを、あるべき形へ戻すことを、お許しください」
和魂さまの光が、ゆっくり揺れた。
それは返事のようだった。
ツキハが息を呑んだ。
「サト」
「何だ」
「月竹の反応に、別の精霊流が重なっています」
「別の?」
「はい。月由来ではありません。海の精霊流に近いですが、荒くありません。柔らかく、丸い流れです」
ツキハは白石を見た。
「和魂さまの気配と、同じものです」
サトは白い砂州を見下ろした。
その下に、月竹が眠っている。
ただ埋もれていたのではない。
ただ隠されていたのでもない。
少なくとも、ここへ運ばれてから今まで、月竹はこの穏やかな精霊流に包まれていた。
「守ってくれていたのか」
サトは小さく言った。
和魂さまの光が、ほんの少し揺れた。
返事ではないかもしれない。
けれど、拒まれてはいなかった
◇
神威が、わぉん、と小さく鳴いた。
そして、ゆっくり立ち上がる。
「神威?」
サトが呼ぶ。
神威は、何かに呼ばれたように、和魂さまの光へ一歩近づいた。
「おい、神威……今は少し待て」
サトは思わず身を乗り出しかける。
だが、和魂さまの光に敵意はなかった。
神威も逃げようとしていない。
光が、神威の胸元の芽に触れた。
「わぉん……?」
神威が小さく鳴いた。
苦しそうではない。
驚いたような声だった。
胸元に、淡い文様が浮かぶ。
勾玉のような形。
白く、薄く、けれど確かにそこにある印。
それは金属に刻まれた傷ではなかった。
光が、神威の体に宿ったように見えた。
ツキハが震える声で言った。
「神威の精霊反応が増大しています」
「分かるのか」
「詳細は不明です。ですが、濁りはありません」
サトは神威を見た。
神威は自分の胸元を見ようとして、またうまく見えず、首を傾げていた。
和魂さまの光は、ただ静かに神威を包んでいた。
「……お前、また妙なものをもらったな」
「わぅ?」
和魂さまの光が、少しだけ揺れた。
笑ったように見えた。
そうして、光と共に和魂様の気配は薄れ、あたりに静寂が戻った。
◇
少ししてミナセは白石を見つめたまま、ゆっくり立ち上がった。
「私は村へ戻ります」
「え?」
サトは振り返る。
「和魂さまは許された。私は、それを村へ伝えなければなりません。白い道を壊しに来た者ではなく、和魂さまが守られていたものを元の持ち主に返すのだと。」
ミナセは神威の胸の印を見る。
「その機械狼が、証だ」
神威が、わぅ、と小さく鳴いた。
ミナセは静かに言った。
「ただし、忘れないでください。ここは村の祈りの場所です。あなたたちの目的が終わったあとも、和魂さまの島であり続けます」
「分かっています」
サトは深く頷いた。
「壊しません。乱しません。必要なことだけをします」
「であれば、あなたたちが成したいことを成しなさい」
ミナセは白石の鈴を持ち、来た道を戻っていく。
海は、静かだった。
白い道の左右で、波はただ低く揺れている。
サトはツキハを見た。
ツキハは月片を両手で包んでいる。
白兎端末の耳が、まっすぐ砂州の中央を指していた。
「ツキハ」
「はい」
「行けるか」
ツキハは月を見上げた。
そして、白い砂州を見た。
その下に、自分が地上へ来る時に乗っていた舟が眠っている。
月から落ちた少女の、月の舟。
「はい」
ツキハは答えた。
「行けます」
神威が、わぉん、と鳴いた。
胸元の勾玉が、淡く光った。
サトはピッケルを握る。
白い道の下から、月竹の音が聞こえる。
こん。
こん。
こん。
まるで、待っていたと言うように。
月明かりの下、三人は白い砂州へと向かった。
神威が少しでもかわいいと思ってもらえたら、評価やコメントをいただけると作者が喜びます。
神威もたぶん尻尾を振ります。




