06 美羽の記憶
野霧湖は、想像していたより普通の観光地だった。
遊覧船。
土産物屋。
湖畔を歩く家族連れ。
写真を撮る観光客。
「もっとこう……」
鼎が湖を見る。
「いかにも何か出そうな感じかと思ってた」
「観光地に何を期待してんの」
美羽が呆れる。
一行は船着場へ向かった。
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「湖の主?」
船着場にいた男が笑った。
「ああ、昔からありますよ。でかい影を見たとか、湖の底に何かいるとか」
「最近も?」
凪が尋ねる。
「見たって人はいるみたいですけどね。魚じゃないかって話ですよ」
「そんな簡単な話じゃないよ」
横から声がした。
年配の女性だった。
「昔は霧の日に湖へ近付くなって言われたもんだ」
「どうしてですか?」
鼎が聞く。
「主に見つかったら、帰れなくなる」
女性は湖を見る。
「でもね。同じ湖でも、人によって見たものは違う」
「違う?」
「私の祖母がそう言ってたよ」
少し笑う。
「残った話が、全部だとは限らないよ」
鼎は父のノートを思い出した。
『伝承に食い違い』
五和が湖へ目を向ける。
「現場を見るぞ」
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湖畔を調べている間、美羽はいつもより口数が少なかった。
「美羽」
「何?」
「さっきから変じゃね?」
「別に」
「別にって顔じゃないだろ」
しばらく黙ったあと、美羽が足を止めた。
「……昔、ここに来たことあるんだ」
鼎も止まる。
「家族で?」
「うん。お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんと私」
六、七歳くらいだったという。
家族で遊覧船に乗り、そのあと湖畔を歩いていた。
「お兄ちゃん追いかけてたら、いつの間にか一人になってた」
「迷子?」
「多分」
美羽は湖を見る。
「近くに人はいたの。でも、誰も私に気付かなかった」
「気付かなかった?」
「泣いてたし、家族の名前も呼んだ。でも誰も振り向かなかった」
やがて霧が出た。
その中を、一人で歩いた。
「その時、湖に大きな影がいた」
美羽の声が小さくなる。
「何かは分からなかった。でも……こっちを見てる気がした」
「それから?」
「気付いたら家族に見つけてもらってた」
「どれくらい?」
「十分くらいだったって。でも私は、もっと長かった気がする」
美羽は少し笑った。
「子どもの頃の記憶だからね」
その笑顔は、どこか無理をしていた。
「大人になると、自分でも分からなくなるんだよ」
「何が?」
「あれが本当にあったのか。夢だったのか。怖かったから、勝手に作った記憶なのか」
鼎は少し考えた。
「答えが出るかは分かんないけどさ」
美羽を見る。
「今日は、自分の目で見ればいいんじゃないか」
美羽は一瞬黙ったあと、笑った。
「珍しくまともなこと言うね」
「珍しくは余計だ」
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遊覧船の出航まで、少し時間があった。
待合所の壁には、古い写真が何枚も飾られている。
その一枚に、鼎は目を止めた。
白黒の湖。
水面に伸びる、黒い影。
「こういうの見るとさ」
鼎が写真へ顔を近付ける。
「何十年も前に、誰かがここに立って、これ見たんだよな」
美羽が横を見る。
「急にどうしたの」
「いや。こういうの好きなんだよ」
鼎は窓の向こうの湖を見る。
「本とか写真だけじゃ分からないじゃん。風とか、匂いとか、音とか」
昔。
本当にここで何かを見た人がいた。
驚いた。
怖がった。
そして、それを誰かに話した。
「伝承って、怪物がいるとかいないとか、それだけじゃないと思うんだ」
鼎は少し笑う。
「俺は、その人たちが何を見たのか知りたい」
「……へえ」
「何だよ」
「ちゃんと調査員っぽいこと考えてたんだ」
「失礼だな」
一拍置いて。
「まあ、単純に興奮するってのもあるけど」
「台無し」
「終わったか」
背後から五和の声がした。
「五和さん、聞いてたんですか」
「出航するぞ」
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遊覧船が岸を離れた。
湖面を風が走る。
鼎は手すりから景色を眺めた。
「おお……」
「子どもか」
「現場は違うんだよ、現場は」
観光案内が流れる。
湖の深さ。
周囲の山。
そして。
『この付近には、古くから巨大な湖の主が棲むという伝説も残されています』
観光客から笑い声が起きる。
その時だった。
「静かにしろ」
五和の声。
湖面の一部だけが、不自然に動いた。
風とは違う。
細長い波が、水面を走っていく。
凪が双眼鏡を上げる。
「……分かりません」
それだけ言って記録帳を開いた。
鼎も水面を見る。
だが。
「ここ……」
隣で、美羽が呟いた。
顔から血の気が引いている。
「美羽?」
「ここだった」
湖を見たまま、美羽が言う。
「私が……あの影を見た場所」




