07 共鳴
「美羽?」
返事がない。
美羽は湖を見つめたまま、頭を押さえた。
「……っ」
「大丈夫か?」
「思い出そうとしてるんじゃない……」
苦しそうに息を吐く。
「勝手に……浮かんでくる……」
鼎が近付こうとする。
五和が先に美羽の前へしゃがんだ。
「無理に思い出すな」
その時。
湖を渡っていた風が止まった。
凪が顔を上げる。
「……霧が出ます」
白い霧が、水面を這うように近付いてくる。
鼎の頭に、父のノートが浮かんだ。
『霧は隠すためではない。』
そして。
『境界は晴れる。』
意味は、まだ分からない。
遊覧船は、そのまま霧の中へ入っていった。
________
白い霧が船を包んでいた。
岸は見えない。
山も見えない。
聞こえるのは、船のエンジン音だけ。
「幻想的だね」
「写真撮ろうよ」
観光客たちは、いつもと変わらない。
だが。
船長が首を傾げた。
「おかしいな……」
「何がですか?」
鼎が尋ねる。
「そろそろ抜ける頃なんだけどな」
霧は変わらない。
風もない。
景色もない。
凪が記録帳へ時間を書き込んだ。
その時。
――ちゃぷん。
船のすぐ近くで、水音がした。
鼎が湖面を見る。
何もない。
もう一度。
――ちゃぷん。
黒いものが、船の真下を通った。
「……っ!」
長い。
魚には見えなかった。
どこからどこまでが身体なのかも分からない。
ただ巨大な影だけが、音もなく船の下を横切っていく。
「五和さん」
「ああ」
五和も見ている。
「お前も見たか」
凪のペンが動く。
『黒色影、一瞬確認』
『形状、不明』
『観測者二名以上』
「やっぱり……」
美羽が呟いた。
「あの時も、いた」
だが周囲の観光客は、誰も騒いでいない。
湖を覗く者すらいなかった。
同じ船に乗っているのに。
鼎はもう一度、湖面へ目を向ける。
「覗き込むな」
五和だった。
「観測と近付くことは違う」
鼎は手すりから身体を離した。
その横で。
美羽が小さく震えた。
「……見られてる」
「何に?」
「分からない」
湖面を見つめる。
「でも……いる」
________
黒い影が、再び現れた。
今度は船の横。
水面のすぐ下を、並ぶように泳いでいる。
美羽が胸元を押さえる。
「お父さん……」
「美羽?」
「お母さんと……この船に……」
途切れた言葉。
白い霧。
幼い自分。
父と母の声。
兄の背中。
そこまで浮かび。
記憶が途切れる。
「思い出したのか?」
「少し……」
美羽は頭を押さえた。
「でも、そこからが……ない」
五和が美羽と黒い影を交互に見る。
「……共鳴している」
「共鳴?」
「境界と交わった者は」
五和が答える。
「再びその境界へ近付くと、響き合うことがある」
鼎は美羽を見る。
記憶が戻るたび。
黒い影も近付いている。
どちらが先なのかは分からない。
ただ。
二つが無関係には見えなかった。
「美羽」
鼎は隣へ膝をつく。
「俺の声、聞こえるか?」
小さく頷く。
「聞こえる……」
「無理に思い出さなくていい」
「でも……向こうから来るの」
「記憶が?」
美羽は首を振った。
「違う」
湖を見る。
「呼ばれてる」
黒い影が近付く。
水面が、ゆっくりと盛り上がった。
美羽が頭を抱える。
「……っ!」
「美羽!」
鼎が手を伸ばす。
五和がその腕を掴んだ。
「触るな」
「でも!」
「今は共鳴が強すぎる」
鼎の手が止まる。
何をすればいいのか分からない。
それでも。
「美羽!」
鼎は声を張った。
「俺はここにいる!」
美羽の呼吸が止まる。
そして。
閉じていた記憶が、弾けた。




