04 通過儀礼
鼎の番が来た。
扉の前へ立つ。
「千曲鼎」
凪が名前を呼ぶ。
「はい」
「あなたがアカライに入る理由は何ですか」
突然の問いだった。
鼎は少し考えた。
でも。
最初の答えは決まっていた。
「父を追うためです」
凪は鼎を見る。
「あなたの父親を?」
「はい」
「それだけですか」
鼎は答えようとして。
止まった。
父を見つけたい。
父が何を調べていたのか知りたい。
だから、ここへ来た。
それは嘘じゃない。
でも。
境界を知った。
五和と出会った。
今日一日。
自分の記憶を疑った。
時間を疑った。
道を疑った。
知らなかったものを、いくつも見た。
それでも。
自分が何を求めているのか。
全部を言葉にはできなかった。
「……分かりません」
凪は静かに頷いた。
「分かりました」
それ以上は聞かなかった。
「では、通過儀礼を始めます」
扉を示す。
「壁から手を離さず、出口まで歩いてください」
鼎は頷いた。
扉を開く。
一歩、踏み出す。
背後で扉が閉まった。
何も見えない。
右手を壁へ添える。
冷たい。
一歩。
また一歩。
歩く。
どれだけ進んだのか。
分からない。
――場所を信じるな。
五和の声が浮かぶ。
歩く。
――道が正しいとは限らない。
また一歩。
――時間を信じるな。
どれくらい経った。
考えるな。
歩く。
その時。
暗闇の中で。
何かが見えた。
白い服の子ども。
湖。
父の背中。
水面の奥で揺れる巨大な影。
道祖神。
橋。
トンネル。
境界。
今日までに見たものが、次々と浮かんでは消えていく。
父さん。
境界。
試験。
これは――
何だ。
何を見せられている。
何の意味がある。
その瞬間。
暗闇の向こうに。
誰かが立っているような気がした。
こちらを見ている。
鼎は振り返る。
何もいない。
それでも。
見られている気がする。
何かがいる?
境界の中なのか?
さっきの映像と関係がある?
父さんと――
鼎は止まった。
まただ。
見えたものへ。
意味をつけようとしている。
――意味を信じるな。
鼎は前を向いた。
分からない。
なら。
今は、それでいい。
壁の感触だけを確かめる。
一歩。
また一歩。
歩く。
どれほど進んだのか。
もう考えなかった。
やがて。
指先から壁の感触が消えた。
顔を上げる。
暗闇の向こうに、小さな光が見えた。
出口。
鼎は息を吐く。
ゆっくりと光へ近づいた。
扉に手を掛ける。
開く。
眩しい光が差し込んだ。
目を細める。
そこには、凪が立っていた。
凪は鼎を見つめる。
そして。
静かに言った。
「……意味を持ちましたね」
鼎は何も答えられなかった。
________
鼎が部屋を出ると、受験者たちは静かに待っていた。
誰もが通過儀礼を終えたばかりで、どこか言葉少なだった。
やがて凪が全員の前へ立つ。
「これで、試験は終了です」
その一言で。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
凪は受験者たちを見渡す。
「今回、皆さんにはこの町を歩いていただきました」
「境界だと思った場所を記録し、最後に通過儀礼を受けてもらいました」
一度、言葉を切る。
「私たちが見ていたのは、境界を見つけられるかどうかだけではありません」
鼎は凪を見る。
「分からないものを前にして、どう見るか」
「何を記録し、何を決めつけないか」
「それも含めて、試験です」
それだけだった。
凪は一枚の紙を手に取る。
「結果を通達します」
体育館が静かになる。
一人ずつ。
名前が読み上げられていく。
鼎は自分の鼓動が、やけに大きく聞こえた。
そして。
「千曲鼎」
「……はい」
思わず息を吐いた。
胸の奥で張り詰めていたものが、ようやくほどける。
続いて。
辰野。
美羽。
葵。
秋山。
そのほかにも、何人かの名前が呼ばれた。
最後の一人まで読み終え、凪が紙を閉じる。
「以上、名前を呼ばれた皆さんを合格とします」
小さな拍手が起こった。
「……よかったぁ」
辰野が胸を撫で下ろす。
「やったぁ……!」
美羽は隠す気もなく喜んでいる。
葵は静かに頷いた。
鼎も。
ようやく笑った。
終わった。
今度こそ。
本当に終わった。
________
「最後に、一つだけ」
凪が言った。
「外で行われる祭りは、地域の方々の協力で用意されたものです」
「今日は試験のことを忘れて、楽しんでください」
その言葉が終わるのを待っていたように。
ドォン――。
大きな音が響いた。
夜空に花火が開く。
「始まったみたいだな」
辰野が空を見上げた。
公民館の外では、提灯に明かりが灯り始めている。
子どもたちが走り回り。
屋台から香ばしい匂いが漂ってくる。
さっきまで試験をしていた場所とは思えなかった。
「なんか、お腹空いた」
美羽が屋台を見る。
葵が笑った。
「試験中はそんなこと言わなかったのに」
「だって必死だったもん」
「俺も腹減ったな」
辰野が言う。
「行く?」
「行こ行こ」
美羽が真っ先に歩き出した。
鼎もその後を追う。
少し前まで。
名前すら知らなかった人たちだった。
それが今は。
同じ屋台を覗き込んでいる。
射的では、辰野が景品を撃ち落とした。
「うそっ! また!?」
美羽が声を上げる。
「運も実力のうちだ」
辰野が得意げに景品を掲げる。
「それ、実力って言わないでしょ」
葵が呆れたように笑った。
「どっちでもいいだろ、取れたんだから」
鼎も笑う。
祭囃子。
笑い声。
屋台の明かり。
その少し向こう。
秋山だけが離れた場所に立っていた。
静かに祭りを眺めている。
花火が上がる。
一瞬。
その横顔が照らされた。
楽しそうでも。
つまらなそうでもない。
ただ。
少しだけ遠くにいるように見えた。
________
「俺、ちょっと夜風に当たってくる」
鼎は皆から離れた。
建物の階段脇へ腰を下ろす。
「……ふぅぅ」
全身から力が抜けた。
「疲れた……」
心地よい夜風が、火照った身体を冷ましていく。
夜空では花火。
遠くから祭囃子。
今日一日のことを思い返す。
朝までは。
試験が何なのかすら知らなかった。
境界を探して。
記憶を疑って。
時間を疑って。
道を疑って。
最後には、自分が見たものに意味をつけようとしていた。
何が正解だったのか。
結局、よく分からない。
でも。
朝の自分とは、少しだけ違う気がした。
「疲れたか」
聞き慣れた声がした。
顔を上げる。
五和だった。
手には缶コーヒーが二本。
一本を鼎へ差し出す。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
受け取る。
缶を見る。
「……ブラックですか」
「嫌いか?」
「いや、飲めますけど」
二人で缶を開ける。
プシュッ。
一口。
「……苦っ」
「無理するな」
五和が笑った。
「いや、大丈夫です」
「顔は大丈夫じゃない」
「飲めますって」
もう一口。
やっぱり苦い。
五和は何も言わず、コーヒーを飲む。
しばらく。
二人の間には祭囃子と花火の音だけが流れていた。
鼎が口を開く。
「何回帰ろうと思ったか分かりません」
「そうだろうな」
「五和さんは?」
「俺もだ」
鼎は横を見る。
「え?」
「初めて境界に入った日は、二度と行くもんかと思った」
「五和さんでも、そんなこと思うんですね」
「俺は怖がりだからな」
鼎は吹き出した。
「全然そうは見えません」
「見せないようにしてるだけだ」
五和も少しだけ笑った。
境界では見なかった顔だった。
また花火が上がる。
ドォン――。
鼎は夜空を見る。
父さんも。
ここにいた。
五和と一緒に。
まだ何も分かっていない。
父さんが何を調べていたのか。
なぜ消えたのか。
境界とは何なのか。
それでも。
ここへ来る前よりは。
ほんの少しだけ。
近づいた。
そんな気がした。
建物の中から声がする。
「五和さん」
「ああ」
五和が立ち上がった。
「じゃあ、またな。鼎」
「はい」
五和は建物へ向かう。
数歩進んで。
足を止めた。
振り返る。
夜空に。
大輪の花火が咲いた。
その光が、一瞬だけ二人を照らす。
五和は少しだけ口元を緩めた。
「――ようこそ、アカライへ」




