↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Marbling 現実と伝承が交わる、その先へ。【改訂版】  作者: 赤足


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/7

02 アカライ

待ち合わせ場所へ向かうと、一台の軽自動車が路肩に停まっていた。


運転席の窓がゆっくりと下がる。


「乗れ」


いつも通りの短い一言。


鼎は軽く頭を下げ、助手席へ乗り込んだ。


ドアが閉まる音と同時に、車は静かに走り出す。


住宅街を抜け、大通りへ出る。


しばらくは、どちらも何も話さなかった。


エアコンの風だけが静かに流れている。


助手席から横顔を盗み見る。


五和は前だけを見ていた。


湖では勢いのまま「あんた」なんて呼んでいたけど。


考えてみれば、父さんと同じくらいの歳だ。


父さんの調査仲間だったことも知った。


いつまでもあの調子というのも、さすがにまずい。


鼎は膝の上で手を組み直した。


「……今日は、どこへ行くんですか」


五和はすぐには答えなかった。


信号を一つ越え、市街地を抜ける。


車は次第に山道へ入り、窓の外を緑が流れ始めた。


「アカライ」


短く返ってきた言葉に、鼎は首を傾げる。


「アカライ……?」


「組織の名前だ」


聞いたことがない。


少なくとも、民俗学を学ぶ中でも耳にした覚えはなかった。


「何の組織なんです?」


「境界を調べている」


思わず五和を見る。


「そんな組織があるんですか」


「ああ」


知らなかった。


境界というものが存在することすら、つい数日前まで知らなかったのだ。


その境界を調べている人間たちがいる。


それだけでも十分だった。


でも。


一つ、気になることがあった。


「……父さんも?」


少しだけ間が空く。


「あいつも、アカライだった」


胸の奥がざわついた。


父さんが。


「五和さんと一緒に?」


「ああ」


「境界を調べてたんですか」


「そうだ」


窓の外へ目を向ける。


流れていく木々。


父さんが調べていた伝承。


残されたノート。


境界。


今まで、ばらばらだったものが少しだけ繋がった気がした。


父さんは一人で追い続けていたわけじゃない。


その場所が。


今も残っている。


「そこに行けば」


五和が僅かに視線を動かす。


「父さんが何を調べてたのか、分かりますか」


「分からない」


即答だった。


「……そこは分からないんですね」


「保証はできない」


五和は前を見たまま続ける。


「君の父親が最後に何を追っていたのか。アカライにもすべて残っているわけじゃない」


期待しかけたものが、少しだけ萎む。


けれど。


それでも。


今までとは違う。


父さんと同じものを見ていた人間がいる。


父さんが調べていた世界がある。


そこへ行けば。


少なくとも、今より先へ進めるかもしれない。


「俺も……そこに入れるんですか」


「誰でも入れるわけじゃない」


「じゃあ、どうすれば?」


「試験がある」


思わず五和を見る。


「試験?」


「ああ」


「何の試験ですか」


「境界に関わる資格があるかを見る」


「……資格」


少し考える。


「俺、一度入ってますけど」


「入っただけだ」


「ですよね」


あっさり否定された。


五和はそれ以上、何も言わない。


いつものことだ。


受けろとも。


やめろとも言わない。


選ぶのは自分。


湖でもそうだった。


――来るかどうかは、お前が決めればいい。


父さんがいた場所。


父さんが見ていた世界。


そこへ続く道が、目の前にある。


「……受けます」


五和は前を向いたままだった。


「そうか」


「それだけですか?」


「他に何がいる」


「いや……もうちょっとこう」


少しくらい反応があってもいい気がする。


だが。


五和は何事もなかったように山道を走り続けている。


「ちなみに」


「何だ」


「落ちたら?」


「何も変わらん」


「怖いこと言わないでくださいよ」


「事実だ」


それだけだった。


鼎はシートへ背中を預ける。


試験がどんなものなのか。


アカライが、どんな場所なのか。


まだ何も分からない。


それでも。


父さんを追うなら。


行くしかない。


________


車はさらに山を登る。


十分ほど走った頃だった。


小さな集落が見えてくる。


その奥で車がゆっくり止まった。


鼎は顔を上げる。


目の前にあったのは。


『○○地区公民館』


白い看板。


少し色褪せた外壁。


夏祭りの提灯が軒先へしまわれている。


「……ここですか」


「ああ」


鼎は看板と五和を見比べた。


「組織……ですよね?」


「そうだ」


「公民館ですけど」


「公民館だからだ」


そう言って五和は先に歩き出してしまう。


鼎は慌てて後を追った。


五和は何事もないように靴を脱ぎ、公民館へ入っていく。


鼎も後を追った。


玄関には地域の掲示板が並んでいる。


夏祭りの案内。


健康診断。


防災訓練。


その中に、一枚だけ少し色褪せた盆踊り大会のポスターが貼られていた。


今年の日付を書き直した紙が、その上から丁寧に貼られている。


館内には、畳と木材の匂いが残っていた。


廊下を進む。


和室では老人たちが囲碁盤を囲んでいる。


「いやいや、そこへ打ったら負けじゃ」


「まだ終わっとらんよ」


「欲張ると碁は負ける」


笑い声が広がる。


調理室からは味噌汁の香り。


「もう少しお湯沸かしといて」


「お客さん増えるかもしれんしねぇ」


エプロン姿のおばあちゃんたちが、何やら準備をしている。


その横を、小学生くらいの男の子が走り抜けた。


「こらー! 廊下は走らない!」


すぐに笑い声が返ってくる。


鼎は五和を見る。


「……ここ、本当にアカライなんですか」


「ああ」


「どう見ても普通の公民館ですけど」


「そうだな」


「そうだな、じゃなくて」


五和はそのまま歩いていく。


父が所属していた組織。


境界を調べている人間たち。


もう少し、こう。


普通ではない場所を想像していた。


少なくとも、囲碁を打つ老人や、味噌汁を作っているおばあちゃんがいる場所ではない。


五和は廊下の突き当たりまで歩き、一枚の扉を開けた。


体育館だった。


途端に空気が変わる。


さっきまで聞こえていた笑い声が、扉一枚隔てただけで遠くなる。


整然と並べられたパイプ椅子。


そこに十数人ほどの男女が座っていた。


若い者もいる。


中年の男女。


白髪交じりの男性。


杖を椅子へ立て掛けた老人までいた。


服装にも統一感がない。


スーツ。


作業着。


動きやすそうな私服。


鼎は周囲を見回した。


(……この人たちも?)


前方に立っていた青年が顔を上げた。


二十代後半ほどだろうか。


整えられた黒髪。


涼しげな目元。


青年は鼎ではなく、五和を見た。


「……五和さん」


静かな声だった。


「話は聞いています」


五和が短く頷く。


「結果としては、無事だった」


青年は首を横へ振った。


「それは結果論です」


空気が張り詰める。


「境界は運ではありません」


一拍置く。


「知識です」


誰も口を挟まない。


「何も知らない一般人を、境界へ連れて行くべきではありませんでした」


五和は黙って聞いていた。


「……その通りだ」


「言い訳はありますか」


「ない」


「責任は」


「俺が負う」


青年は静かに息を吐いた。


「あなたが責任を負えば済む話ではありません」


鼎は耐えきれず、一歩前へ出た。


「……俺が」


視線が集まる。


「俺が行くって決めたんです」


青年が初めて鼎を見る。


怒っているわけではない。


ただ、真っ直ぐだった。


「あなたは知らなかった」


鼎は言葉に詰まる。


「境界が何なのか。何が起こるのか。何も知らなかった」


確かにそうだった。


五和に何度説明を求めても、結局ほとんど分からないまま入った。


「だから、五和さんは止めるべきだった」


反論できなかった。


その時だった。


「――そのへんにしておきなさい」


穏やかな声が、廊下から聞こえた。


振り返る。


さっきまで和室で囲碁を打っていた老人が立っていた。


老人はゆっくり体育館へ入ってくる。


先ほどまで笑っていた姿と、何も変わらない。


違うのは。


この場にいる全員が、その老人へ意識を向けたことだった。


青年が一歩下がる。


五和も軽く頭を下げた。


「すみません」


老人は苦笑する。


「謝るのは後でもできます」


そして鼎を見る。


「初めまして」


穏やかに笑った。


「私は、この場を預かっている者です」


肩書きは名乗らない。


威厳を見せつけることもしない。


それでも。


誰も、この老人を軽く扱ってはいなかった。


「立ったままでは疲れるでしょう。どうぞ」


近くの椅子を示され、鼎は腰を下ろした。


老人も向かいへ座る。


周囲の者たちも、静かに席へ戻った。


「では」


老人が口を開く。


「境界で、何を見ましたか」


鼎は小さく息を吸った。


「……正直、うまく説明できません」


「構いません」


「思い出せることを、そのまま話してください」


鼎は記憶を辿る。


「最初は、普通の山でした」


「でも途中から……何か違う気がして」


「違う?」


「音です」


鳥の声。


風。


自分の足音。


「近くから聞こえたと思ったら、急に遠くなって。風も吹いてたのに、突然全部止まったみたいになって」


老人は黙って聞いている。


「同じ山のはずなのに、知らない場所へ来たみたいでした」


その時。


調理室にいたおばあちゃんが、湯呑みを載せた盆を持って入ってきた。


「お話の途中、ごめんなさいねぇ」


一人ひとりへお茶を配っていく。


「ありがとう」


老人が礼を言う。


「今日は暑いですからねぇ」


おばあちゃんは笑って、体育館を出ていった。


鼎だけが、その背中を目で追う。


さっきまで調理室にいた人だ。


誰も紹介しない。


誰も気にしていない。


「続きを」


「あ、はい」


鼎は老人へ向き直った。


「……子どもを見ました」


空気が変わった。


青年の視線が動く。


奥に座っていた女性が手帳を開いた。


「七歳くらいです。白い服を着てて……ずっと笑ってました」


老人が尋ねる。


「話しましたか」


「はい」


鼎は少し迷ってから答えた。


「俺を見て、『今日は違う人』って」


女性のペンが動く。


「それから……前に父さんが来たって」


今度は、五和が僅かに顔を上げた。


「父親だと、その子が言ったのですか?」


「名前は知りませんでした。でも、前に来たのは俺の父さんだって」


鼎は、あの子どもの言葉を思い出す。


「何かを探してたって言ってました」


「何を?」


「分かりません」


老人は何も言わない。


「あと……また来るって言ったけど」


一度、言葉が止まる。


「帰れなかったって」


体育館が静まり返った。


鼎は老人を見る。


「……あの子のこと、知ってるんですか」


老人は少し考え、答えた。


「分かりません」


「え?」


「似た記録がないかは調べられます。ですが、今のお話だけで何だったのかを決めることはできません」


老人は湯呑みを手に取った。


「私たちは境界を調べています」


「でも、全部分かってるわけじゃない?」


「ええ」


老人は微笑んだ。


「分からないから、調べているのです」


鼎は周囲を見る。


若者もいる。


老人もいる。


スーツ姿。


作業着。


さっきまで囲碁を打っていた人。


お茶を淹れていた人。


どこまでがアカライなのか。


まだ鼎には分からない。


老人は静かに続けた。


「境界は、どこか遠い場所にだけあるものではありません」


「人が暮らしている、その隣にあります」


鼎は公民館の外から聞こえてくる笑い声に耳を向けた。


さっきまで。


この場所とアカライが、まるで結びつかなかった。


でも。


少しだけ分かった気がした。


「さて」


老人が湯呑みを置く。


「アカライについては、今はこのくらいにしておきましょう」


そして、体育館を見渡した。


「これより、試験について説明します」


________


老人は受験者たちを見回し、小さく頷く。


「では、ここから先は試験を担当する者へ任せます」


一人の青年へ視線を向けた。


「凪」


「はい」


前へ出たのは、先ほど五和を厳しく咎めていた青年だった。


「説明は任せました。よろしく」


老人は受験者たちへ軽く会釈する。


「私は元の場所へ戻ります」


少しだけ笑った。


「囲碁の勝負を途中にしていますので」


体育館に小さな笑いが漏れた。


老人はそのまま外へ出ていく。


扉が閉まって間もなく、廊下の向こうから声が聞こえた。


「お、戻ってきた」


「続きをやりましょう」


「今度は負けませんぞ」


穏やかな笑い声が遠ざかっていく。


青年は受験者たちへ向き直った。


「改めて」


感情の読めない目が、一同を見渡す。


「天草凪。今回の入会試験を担当する」


短い自己紹介だった。


凪は足元の箱を開け、紙を配り始める。


鼎の手元にも一枚渡された。


町の地図だった。


道と川。


神社。


橋。


古いトンネル。


道祖神。


住宅地。


最低限の情報だけが記されている。


全員へ行き渡ったところで、凪が口を開いた。


「試験は一つ」


地図を手に取る。


「この町を歩く」


それだけ言って、一拍置いた。


「境界だと思った場所を記録しろ」


「日没までに戻れ」


終わった。


誰も動かない。


やがて一人の男性が手を挙げた。


「……以上ですか」


「ああ」


「境界って、何を基準に判断すればいいんですか」


凪が男性を見る。


「どう思う」


「……分からないから聞いてるんです」


「だから試験だ」


今度は別の受験者が尋ねた。


「正解はあるんですか」


凪は少しだけ間を置く。


「答えるつもりはない」


小さなざわめきが起きた。


鼎は地図へ目を落とす。


町を歩いて。


境界だと思った場所を探す。


それだけ。


(いや、分かるか)


境界を見たのは、一度だけだ。


しかもあの時は、五和がいた。


一人で探せと言われても、何を見ればいいのか分からない。


凪がもう一枚の紙を配る。


報告書だった。


日時。


場所。


観測したこと。


備考。


書かれているのは、それだけ。


「一つだけ」


凪の声に、全員が顔を上げる。


「異変を見つけようとするな」


鼎は眉を寄せた。


境界を探せと言っておいて。


異変を探すな。


(……どういうことだよ)


凪は説明しない。


それ以上、何も言わなかった。


「以上だ」


壇上を降りる。


受験者たちは互いに顔を見合わせた。


「……終わり?」


誰かが呟いた。


鼎は地図を見る。


その時。


山で五和に言われた言葉が、ふと頭をよぎった。


――場所を信じるな。


――時間を信じるな。


――記憶を信じるな。


そして。


――意味を信じるな。


「……いや」


分からん。


結局、何をすればいいのかは分からない。


地図を折り畳み、立ち上がる。


体育館の扉を開けた。


外には、蝉が鳴く夏の町が広がっている。


子どもたちの笑い声。


風に揺れる木々。


どこからどう見ても、ごく普通の町だった。


――この町の、どこが境界なのか。


答えはまだ、何一つ見えていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。