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名前を読んだ声

 ギルドは、いつも通り騒がしかった。


 依頼書の紙がめくれる音。

 酒場の笑い声。

 鎧がぶつかる乾いた音。


 その全部が、ある瞬間だけ止まる。


 入口の扉が開いた。


「……新人はここか」


 低い声。


 空気の温度が、少しだけ下がる。


 千羽千乃は振り返る。


 そして――止まった。


「……え」


 そこにいたのは、知らないはずの“知っている顔”だった。


 夜坂真銀よさか ましろ


 あの夕暮れ。

 突き飛ばした身体。

 倒れる自分を見て叫んでいた声。


 そのままの姿で、そこに立っていた。


「……なんで」


 千乃の声は、思ったより小さかった。


 真銀は数秒、彼女を見つめる。


 そして、静かに言う。


「……やっぱり、そうか」


「何が」


「お前、生きてると思ってなかった」


 その言葉に、ギルドの空気がざわつく。


「知り合いか?」

「いや、あの新人の過去?」

「え、何それ怖い」


 千乃は一歩後ろに下がる。


(いや待って、なんでここにいるの)


 心臓が少しだけ速くなる。


 でも、口は勝手に動いた。


「……人違いじゃない?」


「無理だろ」


 真銀は即答する。


「その顔は忘れない」


 短い沈黙。


 その一言だけで、全部が繋がってしまいそうになる。


 千乃は視線を逸らした。


「……あの時のことなら」


「覚えてる」


 遮られる。


「ありがとうって言っただろ」


「……」


 喉が詰まる。


(最悪だ……)


 思い出したくなかった記憶が、目の前に立っている。


 でも同時に。


 なぜか、少しだけ安心している自分もいた。


---


 真銀はギルド内を見渡す。


 そして千乃を見る。


「ここで何してる」


「……仕事」


「仕事?」


「うん」


 軽く言うしかない。


 説明できる内容ではない。


 ノートのこと。

 詠唱のこと。

 世界が勝手に壊れていくこと。


 全部、言えるわけがない。


 真銀は少しだけ目を細める。


「お前、昔からそういうとこあったよな」


「どういうとこ」


「危ないことを普通にやる」


「……それは否定できない」


 小さくため息。


 少しだけ空気が緩む。


---


 そのとき、受付の奥でギルド長が低く呟く。


「……例の“観測対象”に接触か」


 周囲の冒険者がざわつく。


「やばい組み合わせじゃないか?」

「あの真紅とあの男?」


 だが真銀は気にしていない。


 ただ千乃だけを見ている。


「お前、本当に無事なのか」


「見ての通り」


「そうか」


 短い間。


 それだけで終わる会話。


 でも、それで十分だった。


---


 千乃は息を吐く。


(なんでこんなタイミングなんだろ)


 でも、昔と違うのは一つだけ。


 彼はもう“遠い存在”じゃない。


 ここにいる。


 同じ世界で、同じ空気の中にいる。


 ただそれだけで、ノートのページが少しだけ温かく感じた。


---


 ギルドの喧騒は、すぐに戻る。


 でもその中心だけ、ほんの少しだけ歪んでいた。


 千羽千乃の“日常”と、夜坂真銀の“現実”が、同じ線の上に乗った瞬間だった。

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