こっそり=バレる
宿の食堂は、朝から賑わっていた。
焼きたてのパンの香りに、スープの湯気。
宿泊客たちが思い思いに朝食を楽しみ、穏やかな時間が流れている。
窓際の席では、千乃たちも朝食を囲んでいた。
……と言っても。
「はい、ゆっくり。」
真銀が車椅子を押しながら席まで運ぶ。
「ありがと。」
千乃は少し照れくさそうに笑った。
まだ長時間立つことはできない。
医師にも「無理は絶対にするな」と何度も念を押されている。
だから今日は大人しく車椅子だ。
「いただきまーす!」
ララは目を輝かせながらパンを手に取る。
「おい、口いっぱいに入れるな。」
「まだ入れてないもん!」
「今から入れようとしてただろ。」
「……ばれた。」
ライは呆れたように息をつき、アイシィは小さく笑う。
「今日も元気だな。」
「えへへ!」
そんなやり取りを見ながら、千乃も少しだけ笑顔になる。
やっぱり、この空気は落ち着く。
ふと向かいを見ると、真銀がパンをちぎって口へ運んでいた。
その顔を見て、千乃は眉をひそめる。
(……まだクマある。)
昨日よりはまし。
でも、目の下にはうっすらと疲れが残っている。
こないだから、ほとんど休んでいないのだ。
(……少しだけ。)
誰にも気付かれないように。
千乃はそっと右手を膝の上で重ねる。
真紅の魔力を、ごく小さく練り上げる。
誰にも見えないくらい、小さく。
「――癒光。」
声にもならないほど小さな囁き。
指先から真紅の光が細い糸のように伸び、真銀へと溶け込んでいく。
次の瞬間。
真銀の肩から力が抜けた。
「……?」
一度まばたきをする。
身体が、妙に軽い。
目の奥の重さが、すっと消えていく。
「……なんだ?」
違和感に眉をひそめ、真銀は自分の手を見つめる。
疲れが抜けていく。
徹夜明けの重さまで、まるで最初からなかったみたいに。
「お前。」
真銀がゆっくり顔を上げる。
「今、何した?」
「へっ?」
千乃の肩がぴくっと震えた。
「な、何も?」
「いや、何かしただろ。」
真銀の目が細くなる。
「急に身体が軽くなった。」
「気のせいじゃない?」
「気のせいでクマまで消えるか。」
「えっ。」
千乃が思わず目を丸くする。
ララも真銀の顔を覗き込み、
「あ、本当だ。」
と声を上げた。
「クマなくなってる!」
そのまま何気なく続ける。
「それ、癒光?」
部屋の空気が止まった。
千乃は固まる。
「あ……。」
しまった。
顔にそう書いてある。
真銀はゆっくり千乃を見る。
「……癒光?」
ライも少し目を見開く。
「まさか。」
アイシィも驚いたように千乃を見る。
真銀は額に手を当て、大きくため息をついた。
「おいおい……。」
「それ、超上級魔法の中でも上級のやつじゃねぇかっ!」
食堂中に響くほどの声ではない。
でも、十分すぎるくらい驚いていた。
千乃は肩をすくめる。
「……ちょっとだけだったし。」
「ちょっとの問題じゃねぇ!」
「こないだ倒れたばっかりなんだぞ!」
「でも、真銀ずっと寝てなかったし……。」
「だからって!」
真銀は思わず立ち上がる。
「自分がその状態で使う魔法じゃねぇだろ!」
「う……。」
千乃は小さくなる。
ララは苦笑い。
「怒られてる。」
ライは腕を組みながら頷いた。
「当然だな。」
アイシィも困ったように笑う。
「千乃らしいけど。」
「らしい、で済ませるな!」
真銀が即座にツッコむ。
その勢いに、ララは思わず吹き出した。
「でもさ。」
ララはにこっと笑う。
「真銀、さっきより顔色すっごくいいよ?」
「……。」
真銀は言葉に詰まる。
否定できない。
身体は驚くほど軽い。
疲れも、重さも、すっかり消えている。
だからこそ、余計に複雑だった。
「……次からは。」
真銀はもう一度ため息をつき、千乃の前にしゃがみ込む。
目線を合わせる。
「俺に使う前に、自分の身体を治せ。」
千乃は少し困ったように笑って、
「……うん。」
と、小さく返事をした。
その返事が、本当に分かっているのかは怪しかったけれど。
真銀はそれ以上何も言わず、車椅子のブレーキを確認すると、苦笑しながら頭を軽く撫でた。
「……ほんと、お前ってやつは。」
その言葉に、千乃は少しだけ照れくさそうに笑った。




