戦後の宿
宿の部屋は、やけに普通だった。
木の床はきれいに磨かれていて、窓から入る光は柔らかい。外では人の足音や笑い声が、何もなかったみたいに流れている。
でもこの部屋だけは、時間が一段だけ遅れていた。
ベッドの上。
千乃が横たわっている。
包帯は腕、肩、腹のあたりまで巻かれていて、裂けた服は最低限だけ整えられていた。血の跡はもうほとんど拭われている。それでも、戦いが“なかったこと”になったわけじゃないと分かる形で、静かに残っている。
呼吸はある。
でも浅い。
目は閉じたまま、一度も動いていない。
真銀はその横に座ったまま、ずっと手を握っている。
離す理由が見つからないというより、離したらそこで終わる気がしている。
「……ここまで静かなの、逆にきついな」
ぽつりと落ちた声は、部屋の空気に吸われていく。
ララは窓際の椅子に座って、足をぶらぶらさせているけど、いつもの軽さはない。
「外、普通すぎるんだよね」
「さっきまで何だったのってくらい」
ライは壁にもたれて腕を組んでいる。
「戦いの後ってこんなもんだろ」
そう言いながらも、目は一度も千乃から離れていない。
アイシィはベッドのそばに立ったまま動かない。
千乃の呼吸、脈、顔色を見ている。
「……生きてはいる」
その言い方は、安心というより確認だった。
真銀がすぐに反応する。
「“生きてる”って、それ以上は?」
アイシィは少しだけ間を置く。
「今は、そこまでしか言えない」
真銀は舌打ちもしない。ただ、握る手に少し力が入る。
千乃の指は、かろうじて真銀の服を掴んだままだった。
弱い。だけど離さない程度には残っている。
ララが小さく呟く。
「ねえこれさ、普通に起きるの?」
ライが即答できないまま沈黙する。
その沈黙が答えみたいになってしまう。
真銀は視線を落としたまま言う。
「起きるかどうかじゃねぇ」
「起こす」
言葉は強いのに、声は少しだけ揺れていた。
外では普通の街の音が続いている。
誰かが笑っている。
誰かが歩いている。
この部屋だけが、時間から取り残されているみたいだった。
真銀は千乃の手を握り直す。
包帯越しじゃなく、確かにそこにある温度を確かめるみたいに。
「……お前さ」
小さく、ほとんど独り言。
「勝手に全部終わらせて、勝手に寝んなよ」
返事はない。
でも、指だけがほんの少しだけ動いた。
真銀の服を、ほんの一瞬だけ強く掴む。
ララが息を止める。
ライの目が細くなる。
アイシィが静かに言う。
「反応はある」
真銀はそれに何も返さない。
ただ、少しだけ息を吐いて、手を離さないまま千乃を見る。
ベッドの上の千乃は、まだ目を開けない。
でも、完全に遠くにもいない。
その境界の上で、ただ静かに眠っているだけだった。




