奈落の底
依頼内容は、渓谷に現れた上位魔物の討伐。
いつもと変わらないはずだった。
少なくとも、出発した時は。
---
「真銀! 右!」
「ああ!」
真銀の剣が魔物を斬り裂く。
しかし、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……
大地が揺れる。
「地震!?」
千乃が足元を見る。
渓谷全体に、巨大な亀裂が走っていた。
「まずい!」
真銀が叫ぶ。
だが遅い。
最後の魔物が断末魔とともに、自らの魔力を暴走させた。
ドォォォン!!
爆発。
崖が崩れ始める。
「真銀!」
落ちてきた巨大な岩。
真銀は避けきれない。
その瞬間。
ドンッ!
「千乃!?」
千乃が真銀を思い切り突き飛ばした。
真銀は地面を転がり、安全な場所へ投げ出される。
代わりに。
千乃の足元が崩れた。
「しまっ……!」
支えを失う。
体が宙へ放り出された。
「千乃!!」
真銀が手を伸ばす。
あと少し。
本当に、あと少しだった。
指先が触れそうになって。
届かなかった。
「真銀!」
千乃は落ちながら笑った。
「ちゃんと生きて帰ってね!」
「馬鹿! そんなこと言ってる場合じゃ……!」
声は途中で途切れる。
奈落の闇が、千乃の姿を飲み込んだ。
「千乃ぉぉぉぉぉっ!!」
叫びだけが渓谷に響く。
---
三時間後。
救助隊を率いて捜索した。
だが。
奈落は深すぎた。
底が見えない。
魔力探知も届かない。
「これ以上は危険です!」
隊員が叫ぶ。
「離してください!」
真銀はなおも崖へ向かおうとする。
「まだ助けられる!」
「落ち着いてください!」
「まだ生きてるかもしれないんだ!」
必死に腕を振り払う。
しかし、数人がかりで止められた。
「……くそっ!」
拳が地面を叩く。
乾いた音だけが響いた。
---
夕方。
ギルドの扉が開く。
中にいた冒険者たちが振り向いた。
「あれ?」
「真銀だけ?」
受付嬢が笑顔で近づき。
すぐに表情を変えた。
「……千乃さんは?」
真銀は答えられない。
拳を握ったまま。
うつむいている。
「真銀さん……?」
「千乃が……。」
その一言で。
ギルド中の空気が凍りついた。
「奈落に……落ちた。」
沈黙。
誰一人、言葉を発せない。
「嘘……。」
受付嬢の手から書類が落ちる。
「救助は!?」
「探した。」
「でも……届かなかった。」
その言葉に、誰かが息をのんだ。
「そんな……。」
「Sランク冒険者が……。」
冒険者たちがざわめき始める。
「千乃ちゃんが?」
「冗談だろ……?」
「生きてるよな……?」
誰も答えられない。
---
ギルド長が静かに立ち上がる。
「総員、聞け。」
一瞬でざわめきが止む。
「これより緊急捜索隊を編成する。」
「奈落へ向かう。」
「生存の可能性が一%でもあるなら探す。」
全員が頷く。
「参加します!」
「俺も!」
「私も行かせてください!」
次々と声が上がる。
千乃は、それだけ多くの人に慕われていた。
---
真銀は何も言わなかった。
ただ、奈落の方角を見つめる。
(生きていてくれ。)
(頼む。)
(もう一度だけ……。)
その願いだけが、胸の中で何度も繰り返されていた。




