どこだ?!ここ!!
ユミナリア皇国、封魔地下牢。
冷たい石壁に囲まれた牢獄には、静寂が満ちていた。
魔法を封じる術式が刻まれた壁。頑丈な鉄格子。外へ続く通路には見張りの足音が響き、地下牢に収容された者たちは、まだ誰一人として目を覚ましていなかった。
……少なくとも、最初のうちは。
「…………ん」
ぴくり、とガーデス・テントウの指が動いた。
「んん……? お、俺は……」
ゆっくりと目を開ける。
目の前にあるのは、見覚えのない石造りの天井だった。
「…………」
数秒間、沈黙。
そして。
「ここどこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
地下牢全体を揺るがす絶叫が響き渡った。
「戦場は!? 敵は!? 俺のダークマターはどこだぁぁぁぁぁ!!」
ガーデスは勢いよく起き上がり、両手を突き出した。
「出てこいダークマター!! 俺様の力を見せてやる!!」
…………。
「…………あれ?」
何も起きない。
もう一度、両手を振る。
「ダークマター!!」
何も起きない。
「ダークマターぁぁぁぁぁ!!」
やっぱり何も起きない。
ガーデスの顔から、みるみる血の気が引いていった。
「う、嘘だろ……? 俺の完全制御が……俺の最強の力が……!」
彼は壁へ駆け寄り、術式を見つけた。
その瞬間、全てを察した。
「封魔の術式ぃぃぃぃぃぃ!!? ふざけんなぁぁぁぁぁ!! 誰だこんなもん設置したのはぁぁぁ!!」
「朝からうるさいぞ、テントウ」
隣の牢から、低い声がした。
「…………あ?」
ガーデスが振り向く。
そこには、同じく目を覚ましたクローバー・チーフがいた。
彼は髪を整え、服についた埃を払いながら、妙に堂々と立ち上がった。
「ふっ……なるほど。俺の偉大さを恐れた連中が、俺を特別な牢獄へ閉じ込めたというわけか」
「はぁぁぁ!? 何言ってんだお前!?」
「俺ほどの男を普通の牢に入れられるはずがないからな」
「いや、普通に牢獄だろうがぁぁぁ!!」
クローバーは鉄格子に手をかけ、余裕たっぷりに笑った。
「まあいい。看守! 俺をここから出せ!」
返事はない。
「聞こえなかったのか? 俺を出せと言っている!」
やはり返事はない。
「……ふむ。ならば、こうするまでだ」
クローバーは鉄格子の向こうへ手を伸ばした。
「《プランダー》!」
沈黙。
魔力は、まったく反応しなかった。
「…………」
クローバーの笑顔が固まった。
「……あれ?」
もう一度。
「《プランダー》!!」
何も起きない。
「俺の能力がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
今度はクローバーが叫んだ。
「なんでだ!? なぜ俺の能力が使えない!? 俺は欲しいものを手に入れる男だぞ!!」
「今は何も手に入ってねぇだろぉぉぉ!!」
「黙れ、テントウ!!」
「お前が黙れぇぇぇぇ!!」
地下牢に、二人分の絶叫が反響した。
その騒ぎを聞きつけ、通路の向こうで看守が足を止めた。
「……また何か始まったのか?」
心底面倒そうな声だった。
一方、さらに別の牢では。
「…………うーん」
ファンクル・アーシュルが、のんびりと目を覚ました。
彼女はしばらく天井を眺め、それからゆっくりと上半身を起こした。
「……あらぁ。ここ、どこかしらぁ」
周囲を見回す。
石壁。鉄格子。封魔の術式。
「あらあらぁ……牢屋なのねぇ」
特に慌てる様子もなく、彼女は膝の上に手を置いた。
「困ったわねぇ」
少し考えてから、首を傾げる。
「……まあ、仕方ないわねぇ」
それだけだった。
隣の牢からガーデスの叫びが響く。
「俺をここから出せぇぇぇぇぇ!!」
「元気ねぇ」
ファンクルは、ふわりと微笑んだ。
さらにその隣。
「…………」
ルーゲル・シュストー元之介も、目を覚ましていた。
彼は無言で起き上がり、周囲を確認する。
魔法は使えない。ダークマターも感じられない。見知らぬ地下牢。頑丈な鉄格子。
状況を把握した瞬間、眉間に皺が寄った。
「……くそっ。俺が、こんなところで……」
拳を握る。
「この俺が、負けたっていうのか……?」
「負けたんだよぉぉぉぉ!!」
隣からガーデスの声が飛んできた。
「うるせぇ!! 分かってるわ!!」
「じゃあ静かにしろぉぉぉ!!」
「お前が先に叫んだんだろうがぁぁぁ!!」
元之介も結局、叫んだ。
地下牢は、もはや朝から騒音の見本市だった。
ただ一つ。
クォーツ・ポピーの牢だけは、静かだった。
彼女はまだ眠っていた。
すやすやと、実に気持ちよさそうに。
周囲でどれほど叫び声が響こうとも、まるで聞こえていないかのように、ぴくりとも動かない。
「おい! ポピー! 起きろぉぉぉ!!」
ガーデスが叫ぶ。
「……すぅ」
「寝てる場合かぁぁぁ!!」
返事はない。
クローバーも鉄格子越しに覗き込んだ。
「おい、クォーツ! 起きろ! 俺たちが閉じ込められているんだぞ!」
「……すやぁ」
「なんでそんなに熟睡できるんだぁぁぁ!!」
ポピーは起きない。
この地下牢で、彼女だけが平和だった。
そして。
この騒動から、いち早く抜け出していた者が一人。
エリシアである。
彼女は目覚めたあと、自分がユミナリア皇国の地下牢にいることを確認すると、しばらく黙っていた。
「…………」
それから、壁の術式を眺める。
「魔法は封じられている……。でも、ここは私の国ですし」
皇女である。
当然ながら、地下牢の構造も、看守の配置も、脱出に必要な手続きも、彼女にはある程度の心当たりがあった。
そして何より。
「……看守。皇女エリシア・ユミナリアです。ここから出してください」
通路の向こうから、慌てた足音が近づいてくる。
「で、殿下!? なぜこちらに!?」
「いろいろありまして……」
「すぐにお出しします!」
鍵が開く。
鉄格子が開く。
エリシアは何事もなかったかのように牢から出た。
もちろん、魔法は使っていない。
ただ、皇女としての身分と、皇国の人間であるという立場を使っただけだった。
「ありがとうございます」
「はっ! 殿下、お怪我はございませんか!?」
「大丈夫です。少し疲れただけですので」
エリシアは微笑み、服を整えた。
そして、背後から聞こえる絶叫にちらりと目を向ける。
「俺を出せぇぇぇぇぇ!!」
「俺の能力を返せぇぇぇぇぇ!!」
「うるせぇぇぇぇぇ!!」
「お前がうるさいんだよぉぉぉ!!」
「…………」
エリシアは、そっと視線を戻した。
「……皆さん、お元気そうですね」
看守は、何とも言えない表情をした。
「殿下。あの者たちは、どういたしましょう」
「そうですね……」
エリシアは少し考えた。
それから、静かに告げる。
「ひとまず、そのままでお願いします」
「よろしいのですか?」
「はい。今、顔を合わせる気分ではありませんので」
彼女はそれ以上何も言わず、地下牢を後にした。
皇女は、自由になった。
ガーデスは叫んでいる。
クローバーも叫んでいる。
元之介も叫んでいる。
ファンクルはのんびり座っている。
ポピーは、まだ寝ている。
そして看守たちは、朝から頭を抱えていた。
「…………」
その頃、地下牢の奥から。
「戦争ぉぉぉぉぉ!!」
ガーデスの寝言ではない、本気の叫びが響き渡った。
「ここは牢屋だぁぁぁぁ!!」
看守の怒鳴り声が、すぐさま返ってくる。
ユミナリア皇国の朝は、今日も騒がしかった。




