終戦(?)
敵を全員転移させ、静寂を取り戻したレーレ。
そこには、何もなかった。
地面も、空も、遠くまで続く景色も、すべてが真っ白。影すらほとんど存在しない、果てのない虚無の世界だった。
「……よしっ! これで本当に終わり!」
千乃は両手をぱんっと合わせた。
ララが、ぴょこんと跳ねる。
「主、お疲れさまーっ!」
「ララもお疲れさま! みんなも、ありがとね!」
千乃は真銀、ライ、アイシィ、メルト、カミル、ルシア、ルシファーへ順番に笑顔を向けた。
そして、くるりと周囲を見渡す。
「さて、と……」
千乃の紅い瞳が、真っ白な地面を捉えた。
「そろそろ、レーレを閉じようか」
真銀が頷く。
「そうだな。外の世界に戻ろう」
「うん!」
千乃は一歩、前へ出た。
そして、そっと目を閉じる。
先ほどまで戦場を覆い尽くしていた巨大な魔力は、もう必要ない。今から行うのは攻撃でも、転移でもない。
自分が作り出した世界を、元の場所へ返すための術式だった。
「――白き虚無よ」
千乃の声が、静かなレーレに響く。
「汝が役目は、ここに終わる」
足元に、小さな紅い魔法陣が浮かび上がった。
それは戦闘中に展開したものとは違い、ゆっくりと回転する穏やかな光だった。
「常闇の箱庭。殺戮を拒み、破壊を拒み、すべての争いを閉ざした不死の世界……」
千乃は、ゆっくりと顔を上げた。
「今はもう、眠りにつく時」
パチンッ。
指を鳴らした。
その瞬間。
世界の隅で、何かが揺らいだ。
「……ん?」
ララが耳をぴんと立てる。
真っ白だった景色の彼方に、ほんのわずかな変化が生まれていた。
最初は、本当に小さなものだった。
白い空間の向こう側に、ぼんやりとした影が浮かぶ。
それは輪郭さえ曖昧で、何なのかも分からない。けれど、確かにそこには何かがあった。
やがて、その影が少しずつ濃くなっていく。
白の向こうに、薄い緑が滲んだ。
「……あっ!」
千乃が顔を輝かせた。
「見て! 戻ってきてる!」
緑色は、ゆっくりと広がっていった。
ぼんやりしていた影に輪郭が生まれ、地面の起伏が現れる。遠くの木々が、白い霧の向こうから姿を見せ始めた。
まだ色は薄い。
まるで、真っ白な紙に絵の具を一滴ずつ落としているようだった。
けれど、その一滴は確実に広がっていく。
淡い緑が草原を形作り、茶色が地面の色を取り戻す。遠くには灰色の岩肌が現れ、その上に青い空が、ゆっくりと滲み出した。
「わぁ……!」
ララが目を輝かせる。
「すごい! 景色が見えてきたよ、主!」
「うん! もうちょっと、もうちょっとだよ!」
千乃は嬉しそうに頷いた。
ライは周囲を見回し、静かに耳を動かした。
「元の地形が復元されていますね」
アイシィも空を見上げる。
カミルが目を細めた。
「世界が本来の姿を取り戻しているのだな」
「そういうこと!」
千乃は得意げに胸を張った。
「レーレは私が作った世界だからね。閉じるときも、ちゃんと元の景色に戻してあげるの!」
メルトが、ぷるんと揺れた。
「ぷるぷる!」
「うんうん、メルトも見ててね!」
その間にも、白い世界は少しずつ変化していた。
遠くの空に雲が浮かび上がる。
最初は輪郭だけだった雲に、薄い灰色の影がつき、やがて柔らかな白へと変わっていった。
草原には緑の濃淡が生まれ、地面に小さな石が現れる。風が吹き抜け、草の先がさらさらと揺れた。
白一色だった世界に、音までもが戻り始める。
風の音。
草の擦れる音。
遠くから聞こえる鳥の声。
それらは最初、ひどく小さかった。
けれど、次第にはっきりと聞こえるようになっていく。
「……なんだか、すごく不思議だな」
真銀が呟いた。
千乃は彼の隣へ寄り、同じ方向を眺めた。
「でしょ? 真っ白な世界が、じわじわ元に戻っていくの。私、これを見るの結構好きなんだよね」
「そうなのか」
「うん。何もないところから、景色が戻ってくる感じがさ。ちゃんと世界がそこにあったんだなぁって思えるから」
千乃は、目の前に広がっていく景色を見つめた。
さっきまで存在していたレーレは、戦いを終わらせるための箱庭だった。
殺すことも、壊すこともできない、白いだけの世界。
でも、今はもう違う。
色が戻り、風が戻り、音が戻る。
空っぽだった場所に、再び世界の息遣いが満ちていく。
ルシアが、そっと手を伸ばした。
「……わぁ。草まで戻ってきた」
足元に生まれた草が、風に揺れている。
ルシファーも周囲を見渡した。
「虚無が薄れ、元の世界と重なっているのか。見事なものだな」
「えへへ、でしょ!」
千乃は満面の笑みを浮かべた。
そのとき。
白い地面の一部が、ふっと透けた。
その下から、見覚えのある土の色が現れる。
続いて、岩。
草。
遠くにそびえる木々。
そして、彼方まで続く青空。
世界のあちこちで、白が少しずつほどけていく。
白い幕がゆっくりと引かれるように。
景色が、元の色を取り戻していった。
千乃は最後に、もう一度だけ右手を掲げた。
「――箱庭の門よ、閉じよ」
紅い魔法陣が、足元から静かに消えていく。
「虚無の帳よ、還れ」
空に残っていた白い輝きが、きらきらと小さな光の粒になった。
「そして、この世界に本来の色を」
千乃が手を下ろす。
その瞬間。
ブワァァァァァッ!!
最後に残っていた白が、風に吹かれた霧のように一気に晴れた。
青い空。
緑の草原。
茶色い大地。
遠くの山々。
すべてが、はっきりとした色を取り戻した。
レーレは、完全に閉じられた。
そこに立っていたのは、もう鬼月姫ではない。
いつもの千乃だった。
「…………」
千乃は、しばらく景色を眺めていた。
それから。
「……よしっ! 帰ってきたぁぁぁ!」
両手を大きく広げた。
「やっぱり色があるっていいねぇぇぇ!!」
ララが元気よく跳ねる。
「主ーっ! お外だぁぁぁ!」
「うん! お外だよーっ!」
メルトも、ぷるぷると弾む。
アイシィは空を見上げ、気持ちよさそうに翼を広げた。
「やっぱり青空っていいですねぇ」
ライが静かに頷く。
「異常なし。周囲の景色も、元に戻っている」
カミルは悠然と首をもたげた。
「見事な術であった、千乃よ」
「ありがとう、カミル!」
千乃は笑顔で答え、最後に真銀を振り返った。
「真銀!」
「なんだ?」
「終わったね!」
「ああ。終わったな」
真銀が手を差し出す。
千乃はその手を取った。
二人の指が、自然に絡む。
千乃は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、帰ろっか!」
「そうだな」
色を取り戻した世界に、穏やかな風が吹き抜ける。
長い戦いは、ようやく終わった。
そして千乃たちは、再びいつもの世界へと歩き出した。




