常闇の箱庭大戦(ディストピア・ゲーム)8
白い世界に、静寂が戻っていた。
兵士たちは全員、戦闘不能。国王も、クォーツも、元之介も、ファンクルも、エリシアも、クローバーも、そしてガーデスも、そろって地面に倒れている。
さっきまで戦場を埋め尽くしていた怒号も、武器のぶつかる音も、もう聞こえない。
「……ふぅ。これで一件落着、かな?」
千乃は額に手を当て、周囲を見渡した。
真銀が剣を収める。
「全員、戦闘不能だ。もう動ける者はいない」
「ぷるっ!」
メルトも、いつものぷるぷるした姿に戻っていた。もっとも、身体の奥には吸収したダークマターがまだ残っているらしく、ときどき表面に黒い模様が浮かんでは消えている。
ララは千乃の足元で、満足げに胸を張った。
「主! 大勝利だね!」
「うん! みんなのおかげだよ!」
ルシアとルシファーも、互いに顔を見合わせて微笑んだ。
しかし。
千乃は倒れた敵たちを眺めたまま、ふと首を傾げた。
「…………あれ?」
「どうした、千乃?」
真銀が尋ねる。
「いや、勝ったのはいいんだけどさ」
千乃は国王を見て、クォーツを見て、元之介を見て、ファンクルを見た。最後に、少し離れた場所で倒れているエリシアへ視線を向ける。
「この人たち、どうするの?」
「……連れて帰る必要があるな」
「そうだよねぇ。でも、レーレから出したら、また何か始めそうじゃない?」
「否定できないな」
「でしょ?」
千乃は腕を組んだ。
その頭上で、ララの耳がぴょこんと立つ。
「じゃあ、どうするの?」
「うーん……」
千乃は数秒考えた。
そして、にっこり笑った。
「転移させよっか!」
「どこへ?」
真銀が尋ねる。
千乃の笑顔が、ほんの少しだけ深くなった。
「ユミナリア皇国」
その名前を聞いた瞬間、真銀の目がわずかに細くなる。
「……エリシアとパイライトの国か」
「そう! しかも、ただの場所じゃないよ?」
千乃はくるりと振り返った。
紅い瞳が、白い世界の奥まで見通すように輝く。
「私が以前、パイライトに監禁された場所。魔法が使えなくなる、あの地下牢!」
「……なるほど」
真銀は短く答えた。
ララは目を丸くする。
「えっ! 主が閉じ込められてたところ!?」
「そうだよ。懐かしいねぇ」
「懐かしがる場所じゃないよ!?」
「ララ、ツッコミが冴えてるね!」
「褒められても困るよぉ!」
ルシアは倒れているエリシアを見た。
「つまり、この人たちを自分たちの国の地下牢へ送り返すんだね?」
「そういうこと!」
ルシファーが静かに頷く。
「魔法を封じる牢獄なら、目覚めた後も容易には脱出できまい」
「うん。それに、ここは殺せない世界だけど、ずっと寝かせておくわけにもいかないしね」
千乃は両手をぱんっと合わせた。
「よし! じゃあ、最後のお仕事だ!」
その瞬間。
千乃の雰囲気が変わった。
さっきまでの明るい笑顔が、すっと消える。
紅い瞳に宿る光が鋭くなり、背後に巨大な黒い翼がゆっくりと広がった。足元には深紅の魔法陣が一つ、また一つと浮かび上がり、白い地面を覆っていく。
空気が震えた。
ララが、そっと真銀の隣へ移動する。
「……あ、これ」
「始まったな」
真銀は落ち着いた声で答えた。
「主の、超本気の詠唱だねぇ……」
アイシィが感心したように呟く。
千乃は右手を掲げた。
そして、天を仰ぎ、朗々と声を響かせた。
「――聞け、白き虚無を統べる境界の番人よ!」
ズゥゥゥンッ!!
足元の魔法陣が一斉に回転する。
「幾星霜の果てに閉ざされし、忘却の門よ! 今こそ我が名に応え、その封印を解き放て!」
白い世界の彼方に、巨大な黒い輪が浮かび上がった。
輪の内側には、深紅の紋様。外側には銀色の文字列。幾重もの魔法陣が互い違いに回転し、その中心に暗い空間が開いていく。
千乃の髪が魔力の風に揺れた。
「我が名は鬼月姫、千乃! 常闇の箱庭を統べ、終わりなき争いに幕を下ろす者!」
紅い光が、黒い翼の先端へ集束する。
「汝らが振るいし刃は、もはや届かず! 汝らが紡ぎし呪文は、もはや響かず! その傲慢なる力は、今ここにて沈黙する!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
魔法陣の中心から、巨大な鎖の幻影が伸びた。
一本、二本、三本。
それらは倒れた敵たちの身体へ触れることなく、その周囲を取り囲むように展開する。
千乃は、さらに右手を高く掲げた。
「閉ざされたる魔力の牢獄! 魔術を奪い、奇跡を封じ、脱出の道を拒みし絶対封域!」
彼女の足元に、見覚えのある紋様が浮かび上がった。
かつて、千乃自身が閉じ込められた地下牢。その壁に刻まれていた、魔法を封じるための術式。
だが、今は違う。
あのときは、千乃を閉じ込めるための檻だった。
今は、千乃が敵を送り届けるための門となる。
「ユミナリア皇国地下牢――かつて我を囚えし封魔の檻よ!」
千乃の声が、白い世界の隅々にまで響き渡る。
「その役目を果たす時は、今再び訪れたり!」
黒い輪の向こうに、石造りの地下牢が映し出された。
薄暗い通路。冷たい石壁。魔法を封じる術式が刻まれた牢の扉。
間違いない。
千乃が、かつて閉じ込められた場所だった。
ララが口をぽかんと開ける。
「主……詠唱、めちゃくちゃかっこいい……」
ルシアが目を輝かせた。
「すごい! 言葉の一つ一つに魔力が乗ってる!」
ルシファーも感心したように目を細める。
「単なる転移術ではない。転移先の封魔術式まで接続し、対象の魔力を封じる仕組みか」
「そういうこと!」
千乃は詠唱を止めずに答えた。
「ただ送り返すだけじゃ、つまらないでしょ?」
真銀が小さく息を吐く。
「……つまらない、で済ませていい術式の規模ではないが」
「真銀、聞こえてるよ!」
「聞こえるように言った」
「もう!」
千乃は一瞬だけ頬を膨らませた。
しかし、次の瞬間には再び表情を引き締める。
彼女は、倒れた敵たちへ向けて指先を伸ばした。
「さあ、罪を裁く審判の時は過ぎた。今、汝らに与えられるは、静寂と隔絶の檻!」
魔法陣が、ひときわ強く輝いた。
「時空の狭間よ、道を開け! 封魔の門よ、彼らを迎えよ!」
千乃は右手を握りしめる。
「――転移執行!」
ドォォォォォォォォォォンッ!!
黒い輪が、一気に巨大化した。
その内側から、深紅と銀の光が波紋のように広がる。
国王の身体が光に包まれ、次の瞬間、白い世界から消えた。
続いてクォーツ。
元之介。
ファンクル。
エリシア。
クローバー。
ガーデス。
そして、戦闘不能になっていた敵兵たちも、一人残らず転移していく。
誰一人として取り残されない。
誰一人として、転移の対象を逃れられない。
最後の兵士が光の向こうへ消えると、黒い輪はゆっくりと閉じ始めた。
千乃は、最後の一節を唱える。
「汝らの魔力は封じられ、汝らの刃は沈黙する。今後、己が罪と向き合うその時まで、封魔の牢獄にて静かに眠れ!」
パチンッ。
千乃が指を鳴らした。
黒い輪が消滅する。
深紅の魔法陣も、銀色の文字列も、跡形もなく消え去った。
白い世界には、再び静寂が訪れた。
「…………」
数秒間、誰も何も言わなかった。
最初に口を開いたのは、ララだった。
「主ぃぃぃぃ!! 今の詠唱、すっごくかっこよかった!!」
「えへへ、そう?」
「うん! 途中から何を言ってるのか分からなかったけど、すっごく強そうだった!!」
「そこは分かってほしかったな!?」
ルシアがくすくすと笑う。
「でも、本当に見事だったよ。転移先の術式まで利用するなんて」
「ありがとう! 前に閉じ込められたとき、あの地下牢の術式は覚えておいたんだ」
真銀が千乃の隣へ歩み寄る。
「……あの場所を、よく覚えていたな」
「忘れるわけないでしょ?」
千乃は笑顔のまま答えた。
「私を閉じ込めた場所だもん。今回は、閉じ込める側になっただけ!」
「そうか」
真銀はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、千乃の頭にそっと手を置く。
千乃は嬉しそうに目を細めた。
「えへへ」
その横で、メルトがぷるんと揺れた。
「ぷる?」
「うん。終わったよ、メルト」
「ぷるっ!」
ライが周囲を確認し、静かに頷く。
「誰もいないようだ。アイシィ、一応確認頼む。」
「敵性反応、消失。ライさんの言う通り、レーレ内に残っている敵はいません」
カミルも、満足げに頷く。
「主よ。見事な幕引きであった」
「みんなが協力してくれたからだよ!」
千乃は全員を見渡し、明るく笑った。
「みんな、本当にお疲れさま!」
そして、ふと思い出したように付け加える。
「……あ、でも」
真銀が眉を上げた。
「まだ何かあるのか?」
「地下牢に転移させたのはいいけど、目が覚めたらみんな、魔法が使えなくてびっくりするよね?」
「そうだろうな」
「ガーデスなんて、絶対叫ぶよね」
「……戦争、とか言い出しそうだな」
「だよねぇ!」
千乃は楽しそうに笑った。
「まあ、魔法が使えないなら、少なくともすぐに暴れることはできないし!」
ララがぴょんっと跳ねる。
「じゃあ、今度こそおやつ?」
「うん! おやつにしよう!」
「やったぁぁぁ!!」
白い世界に、明るい歓声が響いた。
こうして、常闇の箱庭大戦は終結した。
敵は全員、ユミナリア皇国の封魔地下牢へ転移。
魔法は封じられ、戦場からは完全に排除された。
そして、かつて自分が囚われた場所を、今度は敵たちの収容先に指定した鬼月姫・千乃は。
「さーて、おやつ! 何食べようかな!」
すっかりいつもの千乃に戻っていた。
その背後で、真銀が小さく呟く。
「……詠唱だけは、いつもの千乃ではなかったな」
「真銀、何か言った?」
「いや。何も」
「ほんと?」
「ああ」
千乃はじっと真銀を見つめたあと、にっこり笑った。
「じゃあ、帰ったら詠唱の感想を聞かせてね!」
「……分かった」
真銀は、ほんの少しだけ遠い目をした。
どうやら、戦いが終わっても。
鬼月姫の厨二病詠唱から逃れることは、できそうになかった。




