不死の世界《空っぽのディストピア》
アストラル・レルムでシロと別れた千乃とカミルは、そのまま外界へ戻ってきた。
星氷神城へ帰るつもりだったのだが、外界へ戻った瞬間、千乃は目の前に広がっていた光景を見て、思わず足を止めた。
大量の兵士がいる。
魔法が飛び交い、剣がぶつかり、あちこちで怒号が響いている。
そして、その中心には、なぜか妙に見覚えのある四人がいた。
「子供を返せー!!」
「クオンくんとレオンくんとシオンちゃんを返してよー!!」
「俺様の要求を聞けぇぇぇぇぇ!!」
「子供を返してくださぁぁぁぁい!!」
ヴァルディア王国国王。
クォーツ・ポピー。
ルーゲル・シュストー元之介。
ファンクル・アーシュル。
四人が、それぞれ好き勝手に叫びながら暴れている。
「…………」
千乃は無言でその光景を見つめ、隣にいるカミルもまた、何とも言えない表情で戦場を眺めていた。
その間にも兵士たちは押し寄せ、魔法が飛び、剣が振るわれている。
「待って待って待って。なんで?」
「知らぬ」
「なんで子供を返せって言ってるの?」
「我にも理解できぬ」
千乃はもう一度、戦場を見渡した。
王国兵士が魔法を放ち、誰かが剣を振り、クォーツ・ポピーが何かを叫びながら走り回り、元之介が大声で騒ぎ、ファンクルが蝶の群れとなって飛び回っている。
そして、また聞こえてくる。
「子供を返せー!!」
「だから私の子たちなんだけど!?」
千乃が思わず叫び返す。
「クオンもレオンもシオンも、私と真銀の子だよ!?」
「関係ない!」
ヴァルディア王国国王が叫び返した。
「我々は返してもらうぞ!」
「何を!?」
「子供を!」
「だから誰の!?」
「お前の!」
「私のじゃん!!」
完全に話が噛み合っていない。その横からクォーツ・ポピーが勢いよく飛び出してきた。
「とにかく返してー!」
「だから返すも何も、私の子供なの!」
千乃が頭を抱えた、そのときだった。
戦場の反対側から、別の声が響く。
「真銀様は私のものですよ!!」
「…………」
千乃の動きが止まった。
ゆっくりと声のした方向へ顔を向ける。
(え、なんで生きてるの? 私、殺したよね?)
そこにはエリシアが立っていて、その視線は真銀へ向けられていた。
「真銀様は私のものですよ!!」
「いや、俺は千乃の夫なんだが」
真銀が淡々と返す。
「そんなの関係ないです!!」
「関係あるだろ」
「ありません!!」
千乃の目が、すっと細くなる。
「……なるほど」
そのとき、戦場の別の場所から大きな声が響いた。
「もっとやれぇぇぇぇ!! 戦争だ! 戦争だぁぁぁ!!」
ガーデス・テントウまで調子に乗り、戦場をさらに広げようとしている。
「なんか、テントウムシの野郎まで調子に乗ってるし……」
千乃は呆れたように呟いた。
その周囲では、すでに戦闘が激しくなっていた。
ヴァルディア王国の兵士たちが一斉に押し寄せ、魔法が飛び交い、剣がぶつかる。
ララは白いふわふわの姿で駆け回り、ライは銀青色の狼の姿で敵を翻弄し、アイシィは氷竜の姿で戦場を飛び回っている。
メルトも子供たちを守るように身体をむにゅううううううんと広げていた。
「主!」
ララが叫ぶ。
「これ、どうするの!?」
「とりあえず……みんな、子供たちをお願い!」
「了解!」
ララが駆け出し、ライも続く。アイシィも周囲を警戒しながら戦場を駆ける。
「お母さん!」
レオンが叫んだ。
「大丈夫だから!」
千乃が笑う。
「柚乃のところに行ってて!」
「でも!」
「大丈夫。お母さん、すぐ戻るから」
メルトが三人を守りながら移動し、クオン、レオン、シオンは柚乃のもとへ預けられることになった。
「柚乃、お願い!」
「任せて!」
千乃の双子の妹、柚乃が三人を受け取る。
「お姉ちゃん、気をつけてね!」
「うん!」
そのすぐ横では、カイルが声を上げていた。
「俺は!?」
千乃が振り返る。
「俺はどうすればいい!?」
「カイルはお留守番!」
「なんでぇぇぇっっ!?」
カイルが膝から崩れ落ちる。
「びょえええええええええええっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!」
「うるさい!」
千乃が即座に突っ込んだ。
「だって俺も戦えるのにぃぃぃぃぃ!!」
「今回は駄目!」
「そんなぁぁぁぁぁぁ!!」
「柚乃と子ども達をよろしくね。——勇者カイル」
「重大任務だぁぁぁぁぁっっっっ!! 任せろぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっ!」
カイルの叫び声を背に、千乃は戦場へ向き直った。
ララ、ライ、アイシィ、真銀、メルト、カミル、そして千乃。従魔はそれぞれ本来の姿で戦場に立っている。真銀は刀を手に千乃の隣へ並び、カミルも静かに敵を見据えていた。
「千乃」
「うん」
「……やるのか?」
千乃は戦場を見渡した。
兵士たち。
エリシア。
クォーツ・ポピー。
元之介。
ファンクル。
ヴァルディア王国国王。
そして、未だに戦場を煽り続けているガーデス。
「うん」
千乃が小さく頷く。
その瞬間だった。
敵の攻撃が、千乃へ向かって飛んできた。
「千乃!」
真銀が動く。
しかし、千乃は避けなかった。
「大丈夫」
攻撃が千乃へ直撃する。
身体が大きく吹き飛び、そのまま遠くへ転がっていった。
「主!!」
「千乃!」
ララと真銀が叫ぶ。
けれど。
しばらくして、千乃はゆっくりと立ち上がった。
俯いたまま、髪が風に揺れている。
「…………」
やがて、千乃の口元がわずかに上がった。
「……ふふ」
小さな笑い声が漏れる。
「ふふふふっ……」
そして、千乃はゆっくりと顔を上げた。
いつもの金色と桃色の瞳は、そこにはなかった。
両目が、深い紅に染まっている。
メタルピンクだった髪は白く変わり、腰よりも長く伸びていた。
白と黒の着物には紅の差し色が入り、背中には黒い翼が広がる。
額から角が二本伸び、真銀から贈られた髪飾りは着物の内側に収められていた。
「……あははははっ!」
千乃の笑い声が戦場へ響く。
その姿を見た真銀が息を呑んだ。
「千乃……」
鬼月姫。
千乃は、ゆっくりと前へ歩き出した。
そして、両手を広げる。
紅い瞳が、静かに細められた。
「さあ……始めましょうか」
その声音は、いつもの千乃とは明らかに違っていた。
戦場を覆っていた喧騒さえも、どこか遠く感じられる。
鬼月姫は、ゆっくりと片手を掲げた。
「境界を隔てし白き虚無よ。」
「現世の理を捨て、すべての終焉を拒みなさい」
紅い光が、指先に集まる。
「命を奪う刃も、世界を砕く力も、ここでは意味を持たず。」
「生と死の境を閉ざし、破壊という概念すら呑み込む空白の門を開け」
千乃の周囲に、淡い白い光が漂い始める。
「何者も死へ辿り着けず」
「何者も世界を壊せない。」
「残されるのは、ただ一つ。」
「己が立ち続けるための力のみ」
白い光が、ゆっくりと千乃の周囲を巡る。
「虚ろなる白よ。すべてを染め、すべてを覆い、すべてを無へと還しなさい」
千乃が、ゆっくりと右手を前へ伸ばした。
「今こそ開け。殺戮を拒みし白き境界。」
「破壊を拒みし白紙の世界」
紅い瞳が、まっすぐ敵を見据える。
「我が名は鬼月姫。此処に、終わらぬ世界を創る」
そして。
「――レーレ」
詠唱が終わった。
千乃は、静かに右手を下ろす。
そして、指先を軽く鳴らした。
パチン。
その瞬間だった。
千乃の足元に、ごく小さな白い染みが生まれた。
まるで白い絵の具を一滴、地面へ垂らしたようだった。
白は、すぐには広がらない。
ほんの少しずつ、千乃の足元から周囲へ滲んでいく。最初は靴元を覆う程度だった白が、やがて円を描くように少しずつ範囲を広げ、地面の色を静かに塗り替えていった。
誰も動けなかった。
兵士たちも、真銀たちも、その光景をただ見つめている。
白は、さらに少しだけ広がった。
そしてその瞬間。
まるで張り詰めていた何かが一気に弾け飛んだかのように、白が爆発的に広がった。
ブワァァァァァッ!!
千乃を中心として、白い世界が一気に駆け抜ける。
地面を。
空を。
遠くに見えていた景色を。
戦場そのものを。
まるで巨大な白い絵の具を世界へぶちまけたかのように、すべてが一瞬で白へ染まっていく。
兵士たちの姿も、剣も、魔法も、城も、空も、そのすべてが白の中へ呑み込まれていった。
そして、ほんの一瞬のうちに。
そこにはもう、戦場は存在しなかった。
地面もない。
空もない。
遠くまで続いていた景色もない。
ただ、どこまでも続く真っ白な世界だけが広がっている。
鬼月姫は、その中央に静かに立っていた。
周囲を見渡した千乃は、ふと、ある既視感に目を見開く。
(……あれ?)
上下も、地面も、空もない、どこまでも白い世界。
激しい衝撃のあとに広がった、この奇妙な静寂の空間。
(これ……やっぱり、私が転生直後に目覚めた、あそこの空間じゃん……!推測はあたっていた!)
すべての因果が頭の中でカチリと繋がった。
ニヤァ、と心底楽しそうに口元を歪める。
「ようこそ」
紅く、瞳孔が縦に伸びた瞳が、ゆっくりと敵を見渡す。
「鬼月姫の導く、不死の世界《空っぽのディストピア》、レーレへ。」
「 ここではあなた達のだぁい好きな「殺し」も「破壊」もできないの。」
「 つまり———どれだけ戦闘不能にできるかが鍵よ。 」
「あなた達にそんな器用なことができるのかな? 」
敵が絶望に飲まれるのとは逆に、千乃——否、鬼月姫は心底楽しそうに口元を歪めるのだった。




