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奴隷商

 それから。


 数日後。


 星氷神城。


「お姉ちゃん!」


「なーに?」


 中庭で。


 クオンが千乃を呼ぶ。


「見て」


「ん?」


 クオンが。


 小さな花を。


 差し出した。


「これ」


「わぁ!」


 千乃が。


 嬉しそうに受け取る。


「ありがとう!」


「……うん」


 クオンの尻尾が。


 ふわっ。


 と揺れる。


「お姉ちゃんにあげる」


「大事にする!」


 そんな。


 穏やかな時間。


 だった。


 はずなのだが。


 城門の外から。


「おい!」


「ここが星氷神城か!」


「間違いない!」


 大声が響いた。


「……?」


 千乃が。


 振り返る。


 真銀も。


 すぐに立ち上がった。


「何だ?」


 城門を見る。


 そこには。


 数人の男たちがいた。


 身なりは。


 いかにも。


 怪しい。


 そして。


「クオンという子供を探している!」


「……」


 千乃の表情が。


 変わった。


「クオン?」


 クオンが。


 千乃の後ろへ。


 そっと隠れる。


「……お姉ちゃん」


「大丈夫」


 千乃が。


 クオンの前に立つ。


 男たちが。


 ずかずかと。


 城へ近づいてくる。


「その子だな?」


「……」


「我々は商人だ」


「商人?」


「そうだ」


 男が。


 嫌な笑みを浮かべる。


「その子を買い取ろう」


「……」


 空気が。


 止まった。


「……何?」


 千乃の声が。


 低くなる。


「だから、その子を我々に渡してほしい」


「断る」


 即答。


「金なら払う」


「断る」


「かなりの額だぞ?」


「断る」


「話くらい聞いても……」


「嫌」


 千乃が。


 クオンを振り返る。


「この子は物じゃない」


「……」


 クオンが。


 千乃の服を。


 ぎゅっ。


 と掴む。


「お姉ちゃん……」


「うん」


 千乃は。


 クオンの頭を。


 そっと撫でる。


「大丈夫」


 そして。


 男たちを見る。


「帰って」


「……」


「ここから先は」


 千乃が。


 笑顔で。


 拳を握った。


「一歩も入れさせないよ」


 真銀が。


 千乃の隣へ立つ。


「俺からも言っておく」


 静かな声。


「クオンさんに手を出すな」


 ララが。


 千乃の後ろから顔を出す。


「クオンは、ララたちの仲間!」


「……」


 ライも。


 静かに前へ出る。


「帰ったほうがいい」


 アイシィが。


「これ以上はおすすめしません」


 カミルも。


 無言で。


 男たちを見つめる。


 圧。


 圧。


 圧。


「……」


 男たちの顔が。


 少しずつ。


 引きつっていく。


「な、なんだ……こいつら……」


「だから言ったでしょ」


 千乃が。


 にっこり。


「帰ってって」


「……!」


 一人の男が。


 強気に。


 一歩踏み出した。


「我々は商売を……」


 その瞬間。


 千乃の足元で。


 バキッ。


 地面が。


 少しだけ。


 割れた。


「……」


 男。


「……」


 千乃。


「商売?」


「……はい」


「じゃあ」


 千乃が。


 にこっ。


 と笑う。


「今日の商談は」


 拳を。


 ぎゅっ。


「不成立!」


 ドゴォン!!


「うわあああああああ!?」


 男たちが。


 一斉に。


 吹っ飛んだ。


「撤退!」


「逃げろ!」


「こんなの聞いてないぞ!!」


 あっという間に。


 男たちは。


 城門の向こうへ。


 逃げていった。


「……」


 千乃は。


 しばらく。


 その方向を見る。


 そして。


 後ろを振り返った。


「クオン」


「……」


 クオンが。


 そっと顔を出す。


「もう大丈夫だよ」


「……うん」


 クオンが。


 千乃の隣へ。


 とことこ歩いてくる。


「……お姉ちゃん」


「ん?」


「僕……ここにいていい?」


「当たり前でしょ?」


 千乃が。


 笑う。


「ここがクオンの帰る場所だよ」


「……!」


 クオンの狐耳が。


 ぴんっ。


 尻尾が。


 ふわっ。


「……うん!」


 その様子を見て。


 真銀が。


 静かに頷いた。


「決まりだな」


「何が?」


「クオンを守る」


「うん!」


 ララが。


「守る!」


 ライも。


「当然だ」


 アイシィが。


「私も協力します」


 カミルが。


「この城にいる限り、誰にも渡さぬ」


「……」


 クオンが。


 みんなを見る。


 そして。


 千乃の手を。


 ぎゅっ。


 と握った。


「……お姉ちゃん」


「なーに?」


「ここが好き」


「……!」


 千乃が。


 ぱあっと笑った。


「私も!」


 こうして。


 クオンを狙った悪徳商人たちは。


 星氷神城から。


 見事に。


 追い返された。


 そして。


 クオンの居場所は。


 また一つ。


 確かなものになった。


 しかし。


 それで。


 終わりではなかった。


 数時間後。


 星氷神城の城門前。


「……」


 真銀が。


 遠くを見る。


「……また来たな」


「え?」


 千乃も。


 城門を見る。


 そこには。


 先ほどより。


 はるかに多い人数。


「……多くない?」


「多い」


 ライが。


 静かに答える。


「さっきの倍以上いる」


「何しに来たの?」


 千乃が。


 嫌な予感を覚える。


 すると。


 先頭の男が。


 大声で叫んだ。


「クオンを渡せ!」


「……」


 千乃の表情が。


 一瞬で。


 無になる。


「また?」


「はい!」


 男が叫ぶ。


「我々は本気だ!」


「帰って」


「そうはいかない!」


「帰って」


「狐人族は高額で取引される!」


「……」


 その言葉を聞いた瞬間。


 千乃の目が。


 すっと。


 冷たくなった。


「……取引?」


「そうだ!」


 男は。


 得意げに続ける。


「希少な種族だからな!」


「だから?」


「かなりの金になる!」


「……」


 千乃は。


 何も言わなかった。


 ただ。


 後ろにいるクオンを見る。


「……お姉ちゃん?」


「クオン」


 千乃が。


 手を伸ばす。


「こっちおいで」


「……うん」


 クオンが。


 近づく。


 千乃は。


 そのまま。


 クオンを。


 ひょい。


 と抱き上げた。


「……!」


 クオンが。


 少し驚く。


「お姉ちゃん?」


「今日はずっと抱っこ」


「……ずっと?」


「うん」


 千乃が。


 ぎゅっと。


 抱き直す。


「誰にも渡さない」


「……」


 クオンの狐耳が。


 ぴくっ。


 そして。


 千乃の肩へ。


 そっと。


 顔を寄せる。


「……うん」


 千乃は。


 そのまま。


 城門のほうを見る。


「ねえ」


「何だ?」


「クオンって」


 千乃が。


 静かに。


 尋ねる。


「人だよ?」


「……」


「売り物じゃない」


「……」


「珍しいから」


「……」


「高く売れるから」


 千乃の声が。


 少しずつ。


 低くなる。


「何?」


 男たちが。


 一歩。


 下がった。


「……」


 真銀が。


 千乃の横へ。


 静かに立つ。


「俺も聞きたい」


「……」


「ここまで言われても、まだ帰らないのか?」


「だ、だから!」


 男が。


 声を張る。


「我々には買い取る権利が!」


「ない」


 真銀が。


 即答した。


「そんな権利はない」


 ララが。


 頬を膨らませる。


「クオンをお金で売るなんて!」


「ひどい!」


 アイシィも。


 眉を寄せる。


「クオンは人ですよ」


 ライが。


 男たちを見る。


「そして」


「俺たちの仲間だ」


 カミルが。


 静かに。


「この城の住人でもあります」


「……」


 男たちが。


 次々と。


 顔を見合わせる。


 だが。


「……それでも!」


 先頭の男が叫ぶ。


「狐人族は高額取引されるんだ!」


「……」


 千乃が。


 クオンを抱いたまま。


 一歩。


 前へ出る。


 桃色のローブが。


 ふわっ。


 となびく。


「じゃあ」


 千乃が。


 笑った。


「商談しようか」


「……!」


 男の顔が。


 明るくなる。


「おお!」


「ただし」


 千乃が。


 拳を。


 ぎゅっ。


「商品はクオンじゃない」


「……?」


「あなたたち」


「……え?」


 千乃が。


 にっこり。


「全員まとめて」


「……」


「お帰りいただくための」


 足を。


 すっと。


 引く。


「特別料金です!」


「何だそれぇぇぇぇ!?」


 次の瞬間。


 ドゴォォォォォォォォン!!


「うわああああああああああ!?」


「飛んだ!?」


「またかよ!?」


 男たちが。


 一斉に。


 吹き飛んでいく。


 千乃は。


 クオンを抱いたまま。


 微動だにしない。


「……」


 クオンが。


 千乃の腕の中から。


 ちらっと外を見る。


「……お姉ちゃん」


「ん?」


「……すごい」


「でしょ?」


 千乃が。


 笑う。


「クオンは安心してていいからね」


「……うん」


 クオンの尻尾が。


 千乃の腕の中で。


 ふわっ。


 と揺れた。


 そして。


 城門の外では。


「撤退ぃぃぃぃ!!」


「無理だぁぁぁ!!」


「この城、戦力がおかしい!!」


 再び。


 悪徳商人たちが。


 逃げていった。


「……」


 真銀が。


 千乃を見る。


「そのまま抱っこするのか?」


「する!」


「即答だな」


「だって」


 千乃が。


 クオンを見る。


「また来るかもしれないし」


「……」


 クオンが。


 小さく。


「お姉ちゃん」


「なーに?」


「……このままでいい」


「うん!」


 千乃は。


 クオンを抱いたまま。


 城の中へ。


 歩いていった。


 桃色のローブが。


 ふわふわと。


 揺れていた。


 城の中へ。


 千乃は。


 クオンを抱いたまま。


 歩いていた。


「……」


 クオンは。


 千乃の肩に。


 頭を預けている。


 その後ろから。


 アイシィが。


 少し考えるように。


 口を開いた。


「千乃さん」


「ん?」


「先ほどの商人たちが言っていたことですが」


「うん」


「狐人族が高額で取引される理由には」


 アイシィが。


 クオンを見る。


「いくつかあります」


「いくつか?」


「はい」


 千乃が。


 首を傾げる。


「まず」


 アイシィが。


 指を一本立てる。


「非常に希少な種族であること」


「うん」


「次に」


 二本目。


「魔力への適性が高いこと」


「へえ」


「そして」


 アイシィが。


 少し言葉を選ぶ。


「……外見的な美しさも、大きな要因です」


「……」


 千乃が。


 クオンを見る。


「美しさ?」


「はい」


 アイシィは。


 頷く。


「狐人族は昔から、整った容姿を持つ者が多いと言われています」


「……」


「白や銀系の髪」


「……」


「特徴的な狐耳や尻尾」


「……」


「そして」


 クオンの顔を見る。


「独特の瞳」


「……」


「それらが珍しさと合わさり、昔から一部の市場で異常な価値をつけられてきました」


 千乃の顔から。


 笑顔が。


 消える。


「……つまり」


「はい」


「珍しい」


「はい」


「魔力適性が高い」


「はい」


「見た目も綺麗」


「……そういうことです」


「だから高く売れる」


「……一部の者たちは、そう考えています」


「……」


 千乃は。


 クオンを。


 ぎゅっと。


 抱き直した。


「……嫌い」


「千乃さん?」


「そういう考え方」


 千乃は。


 クオンの頭を。


 そっと撫でる。


「クオンはクオンだよ」


「……」


「珍しいから価値があるんじゃない」


 クオンの狐耳が。


 ぴくっ。


「クオンだから大事なの」


「……お姉ちゃん」


「ん?」


「……」


 クオンは。


 少しだけ。


 千乃の服を握る。


「……僕、変じゃない?」


「全然!」


 千乃が。


 即答する。


「狐耳かわいい!」


「……」


「尻尾もふわふわ!」


「……」


「それに」


 千乃が。


 笑う。


「クオンは優しい子でしょ?」


「……うん」


「だったら、それで十分!」


 クオンの尻尾が。


 ふわっ。


 と揺れた。


 その横で。


 ララが。


「クオンはクオン!」


「そう!」


 千乃が頷く。


「値段なんてつけられないよ!」


 ライも。


「その通りだ」


 真銀が。


「そもそも、人に値札をつけること自体がおかしい」


 カミルも。


「我々にとっては、仲間であることが全てです」


「……」


 クオンが。


 みんなを見る。


 そして。


 千乃を見る。


「……お姉ちゃん」


「なーに?」


「……ここにいていい?」


「もちろん!」


 千乃が。


 笑った。


「ずっといていいよ」


「……うん」


 クオンは。


 千乃の肩に。


 もう一度。


 そっと頭を預けた。


 その様子を見て。


 アイシィが。


 静かに付け加える。


「ただ」


「ん?」


「だからこそ、クオンが狙われる可能性は高いと思います」


「……」


 千乃の足が。


 止まった。


「……なるほど」


 千乃は。


 クオンを抱いたまま。


 くるり。


 と城門のほうを見る。


「じゃあ」


「……?」


 千乃が。


 にっこり笑う。


「もっと強く守らなきゃね」


 クオンの狐耳が。


 ぴんっ。


「……お姉ちゃん」


「ん?」


「……ありがとう」


「どういたしまして!」


 千乃は。


 クオンを抱いたまま。


 再び歩き出した。


 その腕は。


 さっきより。


 ほんの少しだけ。


 強く。


 クオンを守っていた。


 それから。


 星氷神城では。


 少しだけ。


 警戒が強くなった。


「……」


 クオンが。


 きょろきょろと周囲を見る。


 すると。


 ララが。


「クオン!」


「……?」


 ぴょんっ。


 クオンの隣へ跳んできた。


「どうしたの?」


「……別に」


「じゃあ一緒にいる!」


「……うん」


 ララが。


 クオンの隣にちょこんと座る。


 その反対側には。


「クオン」


「真銀さん?」


「何かあったら、すぐ呼べ」


「……うん」


 さらに。


「クオンさん」


「アイシィさん」


「私も近くにいますから」


「……ありがとう」


 そして。


「我もいる」


「カミルさん……」


「安心するといい」


「うん」


 クオンは。


 少しだけ目を伏せた。


「……みんな」


「ん?」


 千乃が振り返る。


「どうしたの?」


「……僕」


 クオンの狐耳が。


 ぴくっと動く。


「そんなに守られてるの?」


「うん」


 千乃は即答した。


「だってクオンは大事だから」


「……」


「それに」


 千乃は。


 クオンの頭へ手を置く。


「守るのは、一人じゃなくてもいいでしょ?」


「……」


 クオンが。


 小さく頷いた。


「……うん」


 その尻尾が。


 ふわっ。


 嬉しそうに揺れる。


「お」


 ララが目を輝かせた。


「尻尾動いた!」


「……」


 クオンが固まる。


「今、嬉しかった?」


「……」


「嬉しかったんだ!」


「……違う」


「動いてた!」


「違う……」


 千乃が笑う。


「かわいい」


「……!」


 クオンの耳が。


 ぴんっ。


「耳も動いた!」


「……」


「クオン、分かりやすいね」


「……お姉ちゃん」


「ん?」


「……言わないで」


「ふふっ」


 その様子を。


 少し離れた場所から。


 真銀が見ていた。


「……」


 すると。


 カイルが隣に立つ。


「いい光景だな」


「そうだな」


「俺もああいう弟が欲しい」


「お前、面倒見られるのか?」


「……」


「無理そうだな」


「なんで!?」


 その瞬間。


 城の外から。


 ガシャッ。


 小さな音がした。


「……!」


 クオンの耳が。


 一瞬で立ち上がる。


 表情が変わった。


「……誰かいる」


 真銀が振り返る。


「どこだ?」


「……城門の外」


 真銀は。


 すぐに気配を探る。


「……確かにいる」


 千乃が。


 クオンの前へ出る。


「大丈夫」


「……」


「私がいるから」


 クオンは。


 千乃の服の裾を。


 ぎゅっと握った。


「……うん」


 城門の向こう。


 そこにいたのは。


 一人の男。


 だが。


 その男は。


 城門を見るなり。


「……」


 何も言わず。


 その場から離れていった。


「逃げた?」


 カイルが言う。


「追う?」


 ライが静かに尋ねる。


「いや」


 真銀が首を横に振る。


「今は追わない」


「どうして?」


 千乃が聞く。


「クオンがここにいることを確認しただけかもしれない」


「……」


 千乃の表情が。


 少しだけ険しくなる。


「じゃあ」


 クオンを見る。


「やっぱり狙ってるんだ」


「……」


 クオンは。


 小さく頷いた。


「……たぶん」


 千乃は。


 クオンの手を握る。


「なら」


 その顔に。


 いつもの明るい笑顔が戻った。


「もっと堂々と守ろう」


「……堂々と?」


「うん」


 千乃は城を見上げる。


「ここがクオンの帰る場所だって」


「……」


「誰に見られても分かるくらいにね」


 クオンが。


 千乃を見る。


 そして。


「……ここ」


「うん」


「僕の……帰る場所?」


「そうだよ」


 千乃は笑った。


「今日からじゃなくて」


 クオンの頭を。


 ぽん、と撫でる。


「もう、ずっと」


「……」


 クオンの尻尾が。


 また。


 ふわっ。


「……また動いた!」


「ララさん!」


「逃げた!」


「待って!」


 クオンがララを追いかける。


「ふふっ」


 千乃が笑う。


 その隣で。


 真銀も小さく笑った。


「……いい顔するようになったな」


「うん」


 千乃は。


 走っていくクオンを見つめる。


「もう一人じゃないからね」


 その日。


 星氷神城には。


 一つの新しい決まりができた。


 クオンを守ること。


 そして。


 クオンが。


 ここを「帰る場所」だと思えるようにすること。


 それは。


 千乃たちにとって。


 とても簡単な約束だった。


 ただし。


「お姉ちゃん!」


「どうしたの?」


「ララさんが僕の尻尾を触ろうとする!」


「待ってララ!」


「ふわふわだから触りたい!」


「クオン、逃げて!」


「うん!」


 別の意味で。


 平和な日々は。


 まだまだ騒がしくなりそうだった。


 その夜。


 星氷神城は。


 静かだった。


 いつもの騒がしさもなく。


 城の中には。


 穏やかな夜が流れていた。


 そして。


 千乃の寝室。


「……すぅ……」


 千乃は眠っていた。


 その隣には。


「……」


 クオン。


 小さな身体を丸めて。


 静かに眠っている。


 白い狐耳も。


 ふわふわの尻尾も。


 今日はすっかり力が抜けていた。


「……お姉ちゃん……」


 寝言のように。


 小さな声が漏れる。


 千乃は眠ったまま。


「ん……」


 少しだけ。


 クオンのほうへ寄った。


 そして。


 朝。


 カーテンの隙間から。


 光が差し込む。


「……ん……」


 千乃が目を開ける。


「……朝?」


 まだ少し眠そうに。


 隣を見る。


「クオン、おはよ……」


「……」


 返事がない。


「……?」


 千乃が。


 もう一度見る。


「クオン?」


 そこには。


 誰もいなかった。


「……」


 千乃の眠気が。


 一瞬で消えた。


「……え?」


 布団をめくる。


 いない。


 ベッドの下を見る。


 いない。


 部屋を見回す。


 いない。


「クオン?」


 千乃が立ち上がる。


「クオン!」


 返事はない。


「……クオン?」


 扉を開ける。


 廊下にも。


 いない。


「クオン……?」


 千乃の声が。


 少しずつ震える。


 その瞬間。


 真銀が駆け込んできた。


「千乃!」


「真銀……!」


「どうした?」


「クオンが……」


 千乃が。


 部屋を指差す。


「いない」


「……」


 真銀の表情が変わった。


「昨日、一緒に寝ていたんだよな?」


「うん……」


「夜中に起きた気配は?」


「……分からない」


 真銀が。


 すぐに部屋を調べる。


 窓。


 扉。


 床。


 魔力の痕跡。


「……」


 真銀の目が鋭くなる。


「千乃」


「……何?」


「これは……」


 床に。


 小さな黒い跡。


 魔法陣の残滓。


「……転移魔法」


「……!」


 千乃の顔から。


 血の気が引いた。


「じゃあ……」


「ああ」


 真銀が頷く。


「連れ去られた可能性が高い」


「……」


 千乃が。


 ベッドを見る。


 ついさっきまで。


 クオンがいた場所。


「……一緒に寝てたのに」


 小さく。


 呟く。


「すぐ隣にいたのに……」


 千乃の手が。


 布団を握りしめる。


「なんで……」


 その声に。


 ララが駆け込んできた。


「主!」


「ララ……」


「クオンは?」


「……いない」


「……!」


 ララの耳が。


 ぴんっと立つ。


「探す!」


 ライも。


 すぐ後ろから入ってくる。


「何があった」


「クオンが消えた」


「……」


 ライの表情が変わる。


 アイシィ。


 カミル。


 カイル。


 次々と部屋へ集まってくる。


「クオンさんが?」


「いないの?」


「……連れ去られた可能性がある」


 真銀が答える。


 千乃は。


 黙っていた。


 そして。


 ゆっくり。


 拳を握る。


「……私」


「千乃?」


「昨日」


 声が。


 少し震えている。


「もっと強く守らなきゃって……言ったのに」


「……」


「守るって……約束したのに」


 真銀が。


 千乃の肩に手を置く。


「千乃」


「……」


「今は自分を責めるな」


「でも……」


「まだ何も終わってない」


 千乃が顔を上げる。


 真銀は。


 真っ直ぐ千乃を見る。


「クオンは必ず見つける」


「……」


「俺たち全員で」


 千乃の目に。


 強い光が戻る。


「……うん」


 千乃は。


 ぎゅっと拳を握った。


「絶対に見つける」


 ララも。


「絶対!」


 ライも。


「必ず連れ戻す」


 アイシィが。


「私も探します」


 カミルが。


「我も力を貸そう」


 カイルも。


「俺も行く」


 そして。


 千乃が。


 最後に呟く。


「クオン」


 昨日まで。


 隣で眠っていた。


 小さな狐人族。


「待ってて」


 千乃の目が。


 まっすぐ前を向く。


「お姉ちゃんが迎えに行くから」


 その頃。


 星氷神城から遠く離れた場所。


 暗い部屋の中。


「……」


 一人の人物が。


 静かに立っていた。


 その腕の中には。


「……」


 眠ったままの。


 白い狐耳。


 そして。


 ふわふわの白い尻尾。


 クオンがいた。


 クオンは。


 まだ目を覚ましていない。


「……これでいい」


 人物が。


 小さく呟く。


「ようやく手に入れた」


 そして。


 その手に。


 黒い結晶石が握られていた。


「狐人族の子供……」


 結晶石が。


 淡く光る。


「随分と高い価値がつきそうだ」

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