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アストラル・レルムでの生活

 アストラル・レルム。


 アルテナの家。


 窓の外には、神々の世界とは思えないほど平和な景色が広がっていた。


 その家の中では。


「アルちゃん、今日どうするー?」


「ノアちゃんの家行く」


「私の家、隣だけどね!?」


「うん」


「徒歩三秒だよ!?」


「近いね」


「近すぎるよ!」


 エレノアが叫ぶ。


 その横で。


 グランが普通にお茶を飲んでいた。


「……」


「グラン」


「何だ、アル」


「なんでいるの?」


「遊びに来た」


「昨日も来たよね?」


「昨日も遊びに来た」


「一昨日も」


「一昨日も遊びに来た」


「……」


「何だ?」


「……ううん」


 そして。


 カミルは。


 窓際で。


 優雅に本を読んでいた。


 すっかり。


 神界の生活に馴染んでいる。


 いや。


 馴染みすぎていた。


「カミル」


「何だ」


「そこ、私の椅子」


「そうだったか」


「うん」


「ならば返そう」


「ありがとう」


 カミルは。


 普通に隣の椅子へ移動した。


 守護神。


 破壊神。


 恋愛神。


 神龍。


 そして。


 元・異世界転生者。


 なんだかよく分からない。


 けれど。


 生活は。


 思っていたより。


 普通だった。


---


 アルテナは。


 時々。


 下界を覗いていた。


 もちろん。


 自分から姿を見せることはない。


 ただ。


 遠くから。


 星氷神城。


 そして。


 城下町を。


 眺めるだけ。


「……」


 今日も。


 町は。


 賑やかだった。


 子供たちが走り回り。


 商人たちが叫び。


 誰かが。


 パンを落としていた。


「……」


 そして。


「おーい!!」


 聞き覚えのある声。


 アルテナは。


 思わず視線を向けた。


 そこには。


 金髪。


 青い瞳。


 白銀の鎧。


 無駄に風になびく髪。


 カイル。


 だった。


「見ろ!」


 カイルが。


 何故か。


 広場の中央で。


 胸を張っている。


「今日の俺は!」


「……」


「特別に格好いい!!」


 町の人たち。


「……」


 誰も。


 反応しない。


「おい!?」


 カイルが。


 周囲を見る。


「聞こえたか!?」


 そのとき。


 通り過ぎようとしていた男性が。


 ぽつり。


「……おまけ」


「…………」


 カイル。


 停止。


「……今」


 ゆっくり。


 振り返る。


「……何て言った?」


「いや」


 男性。


 顔面蒼白。


「何も……」


「今!」


 カイルが叫ぶ。


「おまけって言ったな!?」


「……」


「言ったな!?」


「……」


「言ったな!?」


「……言いました」


「びょえええええええええええええええっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!」


 大号泣。


 城下町。


 騒然。


「始まったぞ!!」


「泣き虫勇者だ!!」


「騒音勇者でもあるぞ!」


「今日はおまけ勇者も追加だ!」


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 カイルが。


 その場に崩れ落ちる。


「俺は!!」


「イケメンの!!」


「勇者なのにぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 周囲。


「……」


「……」


「……」


「……」


 そして。


 誰かが。


 叫んだ。


「誰か、千乃様呼んできて!」


「はやくはやく!!」


「……」


 数人が。


 走り出しかけた。


 そして。


 途中で。


 止まった。


「……」


「……」


「……そうだ」


 誰かが。


 小さく言った。


「……いないんだ」


 その言葉で。


 空気が。


 変わった。


「……」


 カイルの泣き声だけが。


 広場に響く。


「びょえええええええええええええええっっっっっっっっっっ!!」


 けれど。


 誰も。


 いつものように。


 千乃を呼びに行けなかった。


 すると。


 近くにいた小さな女の子が。


 母親の服を。


 きゅっと掴んだ。


「ママー」


「ん?」


「なんで千乃様いないの?」


「……」


 母親は。


 答えられなかった。


「……」


「千乃様」


 女の子は。


 空を見る。


「どこ行っちゃったの?」


「……」


「カイル様、泣いてるよ?」


「……そうね」


「千乃様」


「助けてくれないの?」


 母親は。


 少しだけ。


 目を伏せた。


「……」


「……千乃様は」


 そして。


「……今は、遠いところにいるの」


「……」


「なんで?」


「……」


 答えは。


 簡単だった。


 でも。


 口にするには。


 あまりにも。


 苦しかった。


「……私たちが」


 母親の声が。


 少しだけ。


 震える。


「……千乃様を」


「……悲しませちゃったから」


「……」


 女の子は。


 分からない。


「なんで?」


「……」


「千乃様、優しいのに?」


「……」


「悪いことしたの?」


 母親は。


 何も言えなかった。


 遠くでは。


 カイルが。


「俺はおまけじゃなぁぁぁぁぁぁぁい!!」


 と叫んでいる。


 いつもなら。


 誰かが笑って。


 誰かが。


「千乃様呼んできてー!」


 と叫んで。


 そして。


 千乃が。


 呆れながら。


 カイルを回収していた。


 ズルズルズルズル……。


「なんで毎回泣くの!?」


「おまけって言われたからだぁぁぁぁぁぁ!!」


「だからって町中で泣かないでよ!」


 そんな。


 いつもの光景。


 今は。


 なかった。


---


 アストラル・レルム。


 アルテナは。


 何も言わず。


 その光景を見ていた。


「……」


 後ろから。


 カミルが近づく。


「アル」


「……」


「見ていたのか」


「……うん」


「……」


「……」


 アルテナは。


 少しだけ。


 笑った。


「……カイル」


「うむ」


「……元気だね」


「大号泣しているが」


「元気だよ」


「……そうか」


「うん」


 カミルは。


 下界を見る。


「……」


 そして。


「行くか?」


 アルテナは。


 首を横に振った。


「……行かない」


「……」


「今行ったら」


 アルテナは。


 静かに言う。


「……また」


「みんな」


「私がいることに」


「慣れちゃうから」


「……」


「……」


「……それじゃ」


「だめな気がする」


 カミルは。


 何も言わなかった。


 アルテナは。


 もう一度。


 下界を見る。


 泣いているカイル。


 困っている町の人。


 そして。


 千乃を呼ぼうとして。


 呼べなかった人たち。


「……」


 アルテナは。


 小さく呟いた。


「……カイル」


「……」


「……泣きすぎ」


 下界。


「びょえええええええええええええええっっっっっっっっっっっっ!!!!」


「うるさっ!?」


 思わず。


 アルテナが突っ込んだ。


 エレノアが。


 後ろから顔を出す。


「アルちゃん」


「ん?」


「下界、相変わらず賑やかだね」


「……うん」


「カイルくん、元気そうじゃん」


「うん」


「びっくりするほど元気」


「泣いてるけどね」


「泣きながら元気」


「何それ」


「泣き元気?」


「新しい勇者シリーズ?」


「泣き元気勇者!」


「それはもう泣き虫勇者でいいよ」


「確かに!」


 グランが。


 少し離れた場所から。


「おい」


「ん?」


「カイルってやつ」


「うん」


「何であんなに泣いてる?」


「おまけって言われたから」


「……」


 グラン。


 沈黙。


「……それだけで?」


「うん」


「……」


「……」


「……変な勇者だな」


「うん」


「イケメンだけどね」


「そこは認めるんだ!?」


 アルテナは。


 小さく笑った。


 ほんの少しだけ。


 前みたいに。


 そして。


 下界の空を。


 見つめる。


「……」


 まだ。


 帰らない。


 今は。


 帰れない。


 けれど。


 完全に。


 嫌いになったわけじゃない。


 忘れたわけでもない。


 ただ。


 少しだけ。


 離れている。


 それだけ。


 下界は。


 今日も。


 相変わらず。


 賑やかだった。


 そして。


 カイルの泣き声だけは。


 アストラル・レルムまで。


 届きそうな勢いだった。


「びょえええええええええええええええええええええええええええっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!」


「……」


 アルテナ。


「……うるさいなぁ」


 カミル。


「うむ」


 エレノア。


「うるさいね☆」


 グラン。


「聞こえるぞ」


 全員。


「……」


 下界。


 星氷神城から。


 離れた神界。


 それでも。


 勇者の泣き声だけは。


 なぜか。


 届いていた。


 アストラル・レルム。


 今日のアルテナは。


 家の外にいた。


「よし……」


 巨大な白い翼を。


 ゆっくりと広げる。


「今日は」


 ぐっ。


 拳を握る。


「ちゃんと飛ぶ」


「アルちゃん、普通に飛べるよね?」


 隣から。


 エレノアが首を傾げた。


「うん」


「じゃあ何の練習?」


「……」


 アルテナは。


 少し考えた。


「……もっと速く飛ぶ練習」


「なるほど!」


 エレノアは納得した。


 少し離れた場所では。


 カミルが腕を組んでいる。


「我が見ていよう」


「カミル先生?」


「先生ではない」


「グラン先生?」


「俺も先生じゃねぇ」


「……」


 アルテナは。


 翼を広げた。


「じゃあ」


 深呼吸。


「いくよ」


「おう」


「頑張れー!」


 エレノアが。


 両手を振る。


 そして。


 アルテナは。


 地面を蹴った。


 バサァッ!!


「わっ」


 一気に。


 上昇。


「おおっ!」


 エレノアが。


 空を見る。


「アルちゃん速い!」


「うん!」


 アルテナは。


 空中で笑う。


 風を切る。


 翼を。


 大きく羽ばたかせる。


 バサァァァッ!!


「もっと!」


 さらに加速。


 シュンッ!


「速っ!?」


 エレノア。


 思わず。


 目を丸くする。


「え、速すぎない!?」


「守護神の本気だな」


 グランが。


 呟いた。


「……」


 カミルは。


 空を見上げる。


「……少し、力みすぎではないか?」


「え?」


 そのとき。


 空中。


「もう一回……!」


 アルテナが。


 翼を。


 強く。


 羽ばたかせた。


 バサァァァァッ!!


 すると。


「……あれ?」


 ふわっ。


 白い羽が。


 一枚。


 翼から抜けた。


「……」


 アルテナ。


 空中で。


 停止。


「……」


 羽。


 ふわふわ。


 くるくる。


 ゆっくり。


 落ちていく。


「……あ」


 エレノア。


「……羽?」


 グラン。


「抜けたな」


 カミル。


「……抜けたな」


 アルテナ。


「……」


 空中。


 完全停止。


「…………」


「アルちゃん?」


「……」


「……羽、抜けた?」


「……うん」


 そして。


 その羽は。


 アストラル・レルムの空から。


 ふわふわ。


 ふわふわ。


 ふわふわ。


 あり得ないほど。


 ゆっくりと。


 どこかへ。


 落ちていった。


---


 下界。


 星氷神城。


 真銀は。


 一人。


 城の廊下を歩いていた。


「……」


 最近。


 城は。


 妙に静かだった。


 いや。


 カイルが泣けば。


 全然静かではない。


「びょええええええええええええええええっっっ!!」


「……」


 遠くから。


 今日も。


 泣き声。


 真銀は。


 小さく息を吐いた。


「……元気だな」


 そして。


 歩く。


 そのとき。


「……?」


 何かが。


 視界に入った。


 白いもの。


 ふわ。


 ふわふわ。


「……?」


 真銀は。


 足を止めた。


 目の前。


 白い羽が。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 落ちてくる。


「……」


 真銀。


 完全停止。


「……え?」


 羽。


 ふわ。


 ふわ。


 真銀の。


 目の前。


 ふわふわーっ。


「……」


 真銀。


 反射的に。


 手を伸ばす。


 ぽすっ。


 手のひら。


 白い羽。


「…………」


「……」


 真銀は。


 羽を見る。


 そして。


 もう一度。


 見る。


「……」


 白い。


 羽。


「…………」


「……千乃」


 小さく。


 名前が。


 口から出た。


 もちろん。


 返事はない。


 ただ。


 手のひらの上で。


 白い羽が。


 ほんのり。


 星のような光を放った。


「……」


 真銀の。


 呼吸が。


 止まる。


「……これ」


 見間違えるはずがない。


 あの。


 巨大な白い翼。


 神となった。


 千乃。


 アルテナ・アストラル。


 その翼から。


 抜けた羽。


「……」


 真銀は。


 ぎゅっと。


 羽を握りそうになって。


「……」


 慌てて。


 力を緩めた。


「……悪い」


 誰に言うでもなく。


 呟く。


 そして。


 羽を。


 大切に。


 両手で包んだ。


「……」


 少しだけ。


 真銀の表情が。


 揺れた。


「……近くに」


「いるのか?」


 当然。


 返事はない。


 それでも。


 真銀は。


 窓の外を見る。


 青い空。


 星氷神城。


 そして。


 その遥か上。


 神々の世界。


「……」


「……千乃」


 もう一度。


 名前を呼ぶ。


---


 アストラル・レルム。


 空中。


 アルテナ。


「…………」


 翼を。


 見ている。


「……一枚」


「うん」


 エレノア。


「抜けたね」


「……」


 グラン。


「生え変わるんじゃねぇの?」


「……多分」


 カミル。


「羽も、普通の生き物と同じように抜けるのか?」


「……分かんない」


「……」


 アルテナは。


 ゆっくり。


 地上へ降りた。


「……」


 そして。


 急に。


 胸元を押さえる。


「……」


「アル?」


 カミルが。


 少しだけ。


 声を変えた。


「どうした」


「……」


「……なんか」


「?」


「……変」


「何がだ?」


「……」


 アルテナは。


 目を伏せる。


「……誰か」


「……」


「……私の名前」


「……呼んだ気がする」


 エレノアが。


 アルテナを見る。


「……」


 グランも。


 黙る。


 カミルだけが。


 静かに。


 空を見上げた。


「……」


「……真銀かもしれぬな」


「……」


 アルテナの。


 表情が。


 止まった。


「……」


「……」


「……そっか」


 それだけ。


 けれど。


 翼の抜けた場所が。


 少しだけ。


 疼く。


 それは。


 痛みではない。


 懐かしさ。


 あるいは。


 まだ。


 切れていない何か。


---


 下界。


 真銀は。


 自室に戻っていた。


 机の上。


 白い羽。


 小さな箱を用意して。


 その中へ。


 そっと。


 入れる。


「……」


 箱を閉じる。


 けれど。


 完全には。


 閉められなかった。


「……」


 真銀は。


 少しだけ。


 笑った。


「……また」


 羽を見る。


「……会えるかな」


 その言葉は。


 誰にも。


 届かなかった。


 けれど。


 神界。


 アストラル・レルム。


 アルテナの翼が。


 ふわり。


 揺れた。


「……」


 そして。


 アルテナは。


 空を見上げる。


「……」


「……真銀」


 小さな声。


 誰にも。


 聞こえない。


 ただ。


 風だけが。


 二つの世界の間を。


 静かに。


 通り抜けていった。


 数日後。


 星氷神城。


 朝。


 食堂にいたララが。


「……え?」


 と。


 小さく声を漏らした。


 テーブルの上に置かれた魔道具。


 映像を映し出すための小さな水晶。


 その表面が。


 赤く点滅していた。


「……ライ」


「何だ」


「これ、なんかすごいことになってる」


「?」


 ララが水晶を指差す。


「新しい映像が、広がってる」


 その言葉に。


 食堂にいた者たちの空気が変わった。


「……またか」


 真銀が。


 低い声で呟いた。


 前回。


 千乃が。


 真銀たちの悪口を言っている映像。


 それが。


 国中に広がった。


 そして。


 千乃は。


 どれだけ否定しても。


 信じてもらえなかった。


 結果。


 神界へ行った。


 アルテナ・アストラルとして。


 しばらく。


 下界を離れた。


 そして。


 カミルも。


 千乃を信じ。


 共に神界へ行った。


「……」


 真銀は。


 水晶を見る。


「見せて」


 ララが。


 魔力を流し込む。


 すると。


 水晶の上に。


 映像が浮かんだ。


「……」


 そこに映っていたのは。


 アルテナ。


 だった。


 白い翼。


 淡い光。


 メタルピンクの髪。


 そして。


 守護神。


 アルテナ・アストラル。


「……千乃」


 真銀の声が。


 小さくなる。


 映像の中のアルテナが。


 誰かと話していた。


 場所は。


 どこかの町。


 見覚えのない場所。


 アルテナは。


 笑っている。


 そして。


 口を開いた。


『下界の人たちなんて』


 食堂。


 空気が。


 凍った。


『本当に簡単だよね』


「……っ」


 ララの耳が。


 ぴくりと動いた。


『少し優しくしてあげれば』


『勝手に信じる』


 映像の中のアルテナは。


 笑っていた。


『守護神なんて』


『便利な肩書きだよ』


「……」


 真銀の。


 指先が。


 震えた。


『だって』


 アルテナは。


 楽しそうに。


 笑った。


『みんな』


『私を信じるんだから』


 そして。


 映像の中のアルテナは。


 翼を広げた。


『少しくらい』


『何をしても』


『守護神だからって』


『許してくれるでしょ?』


「……」


 映像が。


 途切れた。


 食堂。


 誰も。


 動けなかった。


「……」


 ララが。


 水晶を見つめている。


「……主」


 その声は。


 以前より。


 さらに。


 遠かった。


---


 同じ頃。


 城下町。


 新しい映像は。


 すでに。


 広がっていた。


「見たか?」


「見た……」


「守護神様が……」


「本当は」


「俺たちのこと」


「そう思ってたのか?」


 人々は。


 ざわめく。


「前の映像も」


「本当だったのか……?」


「……」


「千乃様」


「いや」


「もう千乃様なんて」


「呼べない」


 その言葉が。


 町に。


 広がっていく。


「……」


 中央広場。


 以前。


 千乃が。


 神界へ行く前。


 張り紙を残した場所。


 そこには。


 今も。


 彼女の言葉が残っていた。


 その前を通った人々は。


 新しい映像を見て。


 さらに。


 冷たい表情になる。


「……守護神だから」


「むやみに傷つけない?」


「口では何とでも言える」


「そうだな」


「……」


 誰かが。


 吐き捨てるように言った。


「結局」


「全部」


「嘘だったんじゃないのか?」


---


 星氷神城。


 真銀は。


 映像を。


 もう一度見ていた。


「……」


 何度見ても。


 千乃だった。


 顔も。


 声も。


 話し方も。


 動きも。


 全て。


 千乃。


 いや。


 神となった。


 アルテナ。


「……」


 真銀は。


 以前。


 自分の部屋に落ちてきた。


 白い羽を思い出す。


 あの羽。


 千乃の翼から。


 抜け落ちたもの。


 偶然。


 自分の目の前へ。


 落ちてきた。


 そして。


 千乃の声が。


 まだ。


 どこかで。


 聞こえる気がした。


『私じゃない』


『誰かが作ったんだよ』


『私、そんなこと言ってない』


「……」


 真銀は。


 拳を握った。


 けれど。


「……でも」


 言葉が。


 続かない。


「……」


 ララが。


 ぽつり。


「……主」


「……」


「……なんで」


 誰に。


 言っているのか。


 分からなかった。


---


 アストラル・レルム。


 アルテナの家。


「アルちゃーん!」


 エレノアが。


 勢いよく。


 家へ入ってきた。


「……ノアちゃん?」


「大変!」


「何?」


「また変な映像が下界で広がってる!」


「……」


 アルテナの。


 動きが止まった。


「……また?」


「うん」


「……」


「今回は」


 エレノアの表情が。


 珍しく。


 笑っていなかった。


「アルちゃんが」


「下界の人たちを」


「馬鹿にしてる映像」


「……」


 アルテナ。


 沈黙。


「……」


「……見せて」


「……うん」


 エレノアが。


 水晶を取り出す。


 映像。


 再生。


『下界の人たちなんて』


 アルテナの。


 目が。


 大きくなる。


『本当に簡単だよね』


「……」


『少し優しくしてあげれば』


『勝手に信じる』


「……」


『守護神なんて』


『便利な肩書きだよ』


 アルテナの。


 表情が。


 消えた。


『だって』


『みんな』


『私を信じるんだから』


「……」


 映像が。


 終わる。


 静寂。


「……」


 エレノア。


 グラン。


 カミル。


 誰も。


 すぐには。


 何も言わなかった。


 そして。


 最初に。


 口を開いたのは。


 グランだった。


「……くだらねぇ」


「……」


「アルが」


「こんなことを言うわけがねぇだろ」


 即答。


 カミルも。


 頷く。


「我も同意する」


「……」


「以前から」


 カミルは。


 静かに言う。


「我は」


「アルを見てきた」


「……」


「守護神となった後も」


「千乃だった頃も」


「……」


「アルが」


「弱い者を見下したことなど」


「一度もない」


 アルテナは。


 目を伏せる。


「……」


 エレノアが。


 隣に座った。


「アルちゃん」


「……」


「私も」


 エレノアは。


 真剣な目で。


 アルテナを見る。


「信じてるよ」


「……」


「だって」


「私は」


「アルちゃんを」


「転生させた女神だもん」


 アルテナの。


 目が。


 少しだけ揺れる。


「……」


「ノアちゃん」


「うん」


「……」


 エレノアは。


 アルテナの肩に。


 そっと手を置いた。


「今回は」


「一人じゃないよ」


「……」


「前は」


「下界の人たちが」


「信じてくれなかった」


「……」


「でも」


「私たちは」


「最初から」


「一度も疑ってない」


 アルテナは。


 しばらく。


 何も言えなかった。


 そして。


「……ありがとう」


 小さく。


 そう言った。


---


 しかし。


 下界では。


 状況は。


 悪化していた。


 新しい映像を見た者たちは。


 前の映像まで。


 改めて。


 信じ始めていた。


「前の映像も」


「本当だったんだ」


「だから」


「神界へ逃げたんじゃないのか?」


「……」


「説明するのが」


「面倒になったから?」


「……」


 そして。


 千乃。


 アルテナへの。


 言葉は。


 さらに。


 冷たくなっていった。


 かつて。


 千乃を慕っていた人々まで。


 映像を見て。


 顔を曇らせる。


 誰も。


 まだ知らない。


 その映像を。


 誰が。


 作っているのか。


 なぜ。


 ここまで。


 千乃を。


 追い詰めようとしているのか。


---


 その頃。


 遠く。


 ルミナリア皇国。


 ある部屋。


 机の上に。


 魔道具。


 映像を映す水晶。


 その前に。


 一人の男が。


 座っていた。


 小柄。


 ふくよかな体格。


 そして。


 自分だけは。


 絶世の美男子だと。


 信じて疑わない。


 パイライト・ルミナリア。


「……」


 彼は。


 新しく広がっていく映像を見ていた。


 町。


 城。


 国。


 そして。


 千乃がいた場所。


 全て。


 少しずつ。


 彼女への信頼を失っていく。


「……」


 パイライトは。


 満足そうに。


 口元を歪めた。


「ふふ……」


 誰にも。


 聞こえない声。


「これで」


「少しずつ」


「千乃様は」


「居場所を失っていく」


 水晶には。


 アルテナの姿。


「皆が」


「千乃様を信じなくなれば」


 パイライトは。


 椅子にもたれかかる。


「そのうち」


「千乃様は」


「一人になる」


「……」


 そして。


「そうなれば」


 自信満々に。


「私が」


「迎えに行けばいい」


 数秒。


「ブヒッ」


「……」


 パイライト。


 止まる。


「……」


 周囲。


 沈黙。


 部屋の隅にいた。


 使用人。


「……」


 パイライト。


 ゆっくり。


 振り返る。


「……今」


「何か」


「聞いたか?」


「……」


「……いえ」


「……」


「本当に?」


「……」


「……」


 使用人。


 命がけの笑顔。


「……何も」


「聞いておりません」


「そうか」


 パイライトは。


 満足そうに頷いた。


「ならいい」


 そして。


 再び。


 水晶を見る。


「ふふ……」


 千乃を。


 苦しめるための。


 偽りの映像。


 第二弾。


 それは。


 確実に。


 下界を。


 さらに。


 悪い方向へ。


 進ませ始めていた。


 星霜王国。


 城下町。


 新しい映像が広がってから、数日が経っていた。


 町の空気は。


 以前よりも。


 さらに重かった。


「……見た?」


「ああ」


「守護神様が、あんなことを……」


「もう千乃様とは呼べないだろ」


 そんな言葉が。


 町のあちこちで。


 聞こえるようになっていた。


 広場に設置された魔道具の前にも。


 人々が集まっている。


 そこでは。


 問題の映像が。


 繰り返し流されていた。


『下界の人たちなんて』


 映像の中の。


 アルテナが笑う。


『本当に簡単だよね』


 人々は。


 暗い顔で。


 それを見つめていた。


「……」


 その人混みの中に。


 一人の小さな女の子がいた。


 母親の手を。


 ぎゅっと握っている。


 まだ。


 大人たちのように。


 何もかもを。


 複雑に考えられる年齢ではない。


 だからこそ。


 単純な疑問が。


 頭に浮かんだ。


「……ねぇ」


「ん?」


 母親が。


 娘を見る。


 女の子は。


 映像を指差した。


「千乃様って」


「今、神様の世界にいるんでしょう?」


「……そうね」


「じゃあ」


 女の子。


 首を傾げる。


「なんで」


「どこかの街にいる映像があるの?」


「……」


 母親。


 止まった。


「……え?」


「だって」


 女の子は。


 もう一度。


 映像を見る。


「この前ね」


「お兄ちゃんが」


「千乃様は神様の世界に行ったって言ってたよ?」


「うん……」


「カミル様も」


「一緒に行ったんでしょう?」


「……」


「じゃあ」


 女の子。


 不思議そうに。


「いつ」


「この街に行ったの?」


「……」


 母親。


 答えられない。


「……え?」


 近くにいた男性が。


 女の子を見る。


「……確かに」


 別の女性も。


 呟いた。


「千乃様は」


「ずっと」


「神界にいるんじゃ……」


「そうだよな?」


「え?」


「……」


 ざわ。


 ざわざわ。


 人々が。


 互いの顔を見る。


「待てよ」


「映像は」


「いつ撮られた?」


「……」


「神界へ行った後だよな?」


「いや」


「でも」


「……」


 誰も。


 答えられない。


 女の子は。


 さらに。


 首を傾げた。


「あとね」


「?」


「千乃様」


「神様になったんだよね?」


「……うん」


「じゃあ」


「神様の世界から」


「こっちに来るとき」


「誰にも気づかれないの?」


「……」


 母親。


 完全停止。


「……」


 周囲の大人たちも。


 黙った。


「だって」


 女の子は。


 当然のように続ける。


「千乃様って」


「羽、あるよね?」


「……」


「すっごく」


「大きい羽」


「……」


「街にいたら」


「みんな」


「気づくんじゃない?」


「…………」


 静寂。


「……」


 誰かが。


 小さく呟いた。


「……そういえば」


「何だ?」


「映像の背景」


「……」


「誰も」


「千乃様を見てない」


 全員。


 映像を見る。


 そこには。


 確かに。


 街らしき場所。


 人影。


 建物。


 そして。


 アルテナ。


 だが。


 妙だった。


「……」


「……」


 通行人が。


 アルテナの。


 すぐ横を通っている。


 それなのに。


 誰も。


 振り返らない。


「……おかしくないか?」


「……」


「守護神様だぞ?」


「翼まである」


「……」


「誰も」


「気づかない?」


 ざわ。


 ざわ。


 人々の。


 表情が。


 変わり始めた。


「……」


 女の子は。


 映像を。


 じっと見ている。


「……ねぇ」


「まだあるよ」


「?」


「千乃様って」


「神様の世界に行く前に」


「紙、置いていったよね?」


「……」


「守護神だから」


「人を」


「むやみに傷つけないって」


「……」


「それで」


 女の子。


 映像を見る。


『下界の人たちなんて』


『本当に簡単だよね』


「……」


「なんか」


「変だよ」


 その一言。


 子どもの。


 ただの疑問。


 けれど。


 その言葉が。


 広場の空気を。


 完全に変えた。


「……」


 母親が。


 ゆっくり。


 水晶を見る。


「……」


 今まで。


 信じていた。


 映像。


 それを。


 もう一度。


 最初から見る。


『守護神なんて』


『便利な肩書きだよ』


「……」


 声。


 顔。


 動き。


 確かに。


 千乃。


 アルテナ。


 にしか見えない。


 けれど。


「……」


 母親は。


 思い出していた。


 千乃が。


 広場に残した。


 張り紙。


 そして。


 その後。


 神界へ行ったこと。


 カミルまで。


 彼女を信じ。


 ついていったこと。


「……」


「……おかしい」


 誰かが。


 呟いた。


「……」


 そして。


 別の人間が。


「……待て」


「?」


「この映像」


「いつ撮影されたって」


「誰が言った?」


「……」


「……」


「……誰も」


「言ってない」


「……」


 静寂。


 女の子が。


 ぽつり。


「……じゃあ」


「これ」


「嘘なの?」


 その言葉に。


 誰も。


 すぐには答えられなかった。


---


 その頃。


 星氷神城。


 カイル。


「びょえええええええええええええええええっっっっっ!!」


「……」


 真銀。


「……何で泣いてる」


「おまけって」


「言われたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「いつものことだろ」


「メンタルが!!」


「弱ってるときに言われると!!」


「余計に!!」


「泣くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


「……」


 そのとき。


 城の扉が。


 勢いよく開いた。


「大変です!」


 兵士が。


 飛び込んできた。


「何だ?」


 真銀が。


 振り返る。


「城下町で!」


「新しい映像について!」


「疑問の声が上がっています!」


「……何?」


 真銀の。


 表情が変わった。


「誰が?」


「……子どもです」


「……」


「子ども?」


 カイル。


 泣きながら。


 止まる。


「……」


 兵士が。


 説明する。


「千乃様が」


「現在」


「神界にいるのなら」


「なぜ」


「下界の街で」


「映像が撮られているのか」


「と」


 真銀。


 完全停止。


「……」


 白い羽。


 真銀の部屋。


 あの日。


 確かに。


 千乃の翼から。


 抜けた羽が。


 目の前に。


 落ちてきた。


 千乃は。


 神界にいた。


 少なくとも。


 あのときは。


「……」


「……そうだ」


 真銀が。


 呟く。


「……何?」


 カイル。


「……俺」


 真銀。


 顔を上げる。


「……何を」


「信じてたんだ」


「……」


 その声には。


 自分自身への。


 怒りがあった。


---


 広場。


 女の子は。


 まだ。


 映像を見ていた。


「……」


 母親が。


 娘の手を握る。


「……」


 そして。


 小さく。


 呟く。


「……ごめんなさい」


「?」


「……千乃様」


 娘には。


 何の意味か。


 まだ。


 分からない。


 けれど。


 母親の目には。


 涙が浮かんでいた。


「……」


「私たち」


「ちゃんと」


「考えなかった」


 周囲の。


 人々も。


 少しずつ。


 顔を伏せていく。


 誰かが。


 映像を。


 もう一度。


 停止した。


「……調べよう」


 男性が言う。


「この映像が」


「本物なのか」


「……」


「誰が」


「作ったのか」


「……」


「そして」


 女の子。


 映像を。


 指差す。


「千乃様」


「本当に」


「悪いことしたのか」


「……」


 広場。


 誰も。


 反対しなかった。


 なぜなら。


 たった一人の子どもの。


 素朴な疑問が。


 大人たちが。


 誰一人として。


 考えようとしなかったことを。


 全部。


 突きつけてしまったからだった。


 そして。


 遠く。


 神界。


 アストラル・レルム。


 アルテナは。


 家の前で。


 翼を見上げていた。


「……」


 なぜか。


 ほんの少しだけ。


 胸の奥が。


 軽くなった気がした。


「……?」


「どうした?」


 カミルが。


 隣に来る。


「……ううん」


 アルテナは。


 空を見る。


「……なんか」


「……少しだけ」


 微笑んだ。


「……誰かが」


「気づいてくれた気がする」


 カミルは。


 何も言わない。


 ただ。


 静かに。


 その隣に立っていた。

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