旅の道
王都を出てから、数時間。
一行は街道を離れ、森へ続く道を進んでいた。
魔王城までは、まだ遠い。
地図を確認しながら、真銀が足を止める。
「今日はこの辺りで休もう」
「賛成!」
ララが真っ先に飛び跳ねた。
「ごはん!」
「お前はそればっかりだな」
ライが呆れる。
「だって旅の楽しみだもん!」
「はいはい」
アイシィも周囲を見渡す。
「この辺りなら、魔物の気配も少ないようです」
「じゃあ野営にするか」
真銀が荷物を下ろす。
ユラの声が響く。
「主、周辺の地形を確認しました。ここから少し離れた場所に小さな川があります。水の確保は可能です」
「助かる」
「いえ、制作者が主の旅を想定して作った機能ですから」
「……千乃が?」
真銀の手が止まった。
「はい」
ユラはいつものように淡々としている。
「制作者は、主が困らないように様々な機能を設定しています」
「……そうか」
真銀は自分の腕を見る。
そこにあるのは、千乃とお揃いのブレスレット。
かつては、二人で笑いながら身につけていたもの。
今は。
この小さなブレスレットだけが、千乃との繋がりを示している。
「……ユラ」
「はい、主」
「千乃は……」
言葉が止まる。
聞きたいことは、たくさんある。
でも。
何を聞けばいいのか分からなかった。
「……いや、なんでもない」
「そうですか」
ユラはそれ以上、何も聞かなかった。
その時。
「おーい!」
少し離れた場所からカイルの声がした。
「火を起こしたぞ!」
「お前、いつの間に」
「勇者だからな!」
「関係あるのか?」
「ある!」
自信満々だった。
ララが焚き火の前へ駆けていく。
「わーい!」
「火に近付きすぎるなよ」
ライが続く。
アイシィもその横に座った。
しばらくして。
小さな焚き火を囲み、六人は休息を取っていた。
「なあ」
カイルが口を開く。
「魔王城まで、あとどれくらいだ?」
「予定通りなら、数日です」
ユラが答える。
「数日か……」
カイルは腕を組む。
「なら、その間に魔王を倒す作戦でも――」
「まず千乃を取り戻す」
真銀が言った。
「……」
カイルが黙る。
「魔王を倒すことは必要だ。でも、それより先に千乃を救う」
「分かってる」
カイルは珍しく真面目な顔をした。
「鬼月姫……だったか」
「ああ」
「その鬼が、本当に千乃なんだな?」
「……まだ確証はない」
真銀は焚き火を見る。
「でも、俺はそう思ってる」
「根拠は?」
「……分からない」
真銀は小さく息を吐く。
「ただ、あの名前を聞いた時に……千乃だと思った」
ララが静かになる。
ライも何も言わない。
アイシィも真銀を見つめている。
「主」
ユラが声をかけた。
「なんだ?」
「制作者について、ひとつ報告があります」
「……?」
「先ほど、私の内部記録に微弱な反応がありました」
「反応?」
「はい」
ユラの声が、ほんの少しだけ揺れた。
「制作者に関連する記録です」
真銀の目が見開かれる。
「千乃の?」
「断定はできません」
ユラは続ける。
「ですが……」
少しの沈黙。
「制作者が、完全に消えてしまったとは考えにくいです」
「……!」
真銀は立ち上がった。
「本当か?」
「はい、主」
「それなら……」
拳を握る。
「やっぱり、千乃はまだいる」
その言葉に。
ララが笑った。
「いるよ!」
「ララ?」
「千乃は千乃だもん!」
小さな身体を揺らしながら、ララは言う。
「鬼になっても、鬼月姫になっても!」
「……」
「ララたちの主だよ!」
ライが静かに頷く。
「俺も同じ意見だ」
アイシィも続いた。
「私もです」
カイルは少しだけ笑う。
「……なら、話は簡単だな」
「?」
「取り戻せばいい」
真銀を見る。
「俺たちが魔王城まで行って、千乃を連れて帰る」
「……ああ」
真銀も頷いた。
「絶対に」
焚き火が揺れる。
夜の森は静かだった。
けれど。
そのさらに遠く。
魔王城では。
鬼月姫が窓の外を眺めていた。
「……」
理由は分からない。
ただ。
なぜか。
胸の奥が、ほんの少しだけざわついていた。
誰かが。
自分を呼んでいるような気がした。
「……?」
千乃は首を傾げる。
そして。
その感覚を忘れるように、静かに目を閉じた。
まだ。
二人の距離は遠い。
けれど。
確実に。
近づいていた。
魔王城を目指して、さらに森の奥へ。
一行は、険しい山道を進んでいた。
「……止まってください」
ユラの声が響く。
真銀が足を止める。
「どうした?」
「前方に、非常に強い魔力反応があります」
ライが耳を立てた。
「俺も感じる」
ララの表情から、いつもの明るさが消える。
「……これ、強い」
アイシィも小さく唸った。
「私たちと……同じくらい?」
「はい」
ユラが答える。
「推定、災害級です」
その瞬間。
ドォォォン!!
森の奥から巨大な魔物が姿を現した。
木々をなぎ倒しながら歩いてくる巨体。
その姿を見たカイルが、思わず息を呑む。
「……あれが災害級……?」
「違う」
真銀が魔物を見据える。
「これは……」
魔力の圧だけで、周囲の空気が重くなる。
ライが低く唸った。
「俺たちと同じ災害級だ」
「……!」
「しかも」
アイシィが続ける。
「私たちより、強いかもしれません」
魔物が吠える。
ビリビリと空気が震えた。
カイルが剣を構える。
「なら、勇者の出番だな!」
「待て、カイル!」
真銀が制止するより早く。
「うおおおおっ!!」
カイルが突っ込んだ。
剣を振り下ろす。
しかし。
ガキィン!!
「なっ!?」
魔物の身体に、傷ひとつつかない。
「嘘だろ!?」
直後。
魔物の腕が振り抜かれた。
ドゴォォン!!
「うわあああああっ!!」
カイルの身体が吹き飛ぶ。
木々を何本も巻き込みながら、遥か後方へ飛んでいった。
「カイル!!」
真銀が叫ぶ。
だが。
しばらくして、木の陰からカイルが立ち上がった。
「……ふう」
「大丈夫か!?」
「ああ。痛くない」
カイルは自分の身体を確認する。
「術者命代のおかげだな」
ユラが答える。
「はい。主たちへの攻撃による損傷は、術者命代によって制作者へ転送されます」
真銀の表情が険しくなる。
「……千乃に」
「はい」
その一言が、重く響いた。
目の前には、魔王よりも強い災害級魔物。
そして。
自分たちが傷つけば、その分だけ千乃が傷つく。
「……まずいな」
ライが構える。
「俺たちだけで倒すのは厳しい」
ララも身構えた。
「ララ、いくよ!」
アイシィも魔力を集中させる。
その時。
「……?」
真銀が顔を上げた。
森の向こう。
何かが近づいてくる。
ゆっくりと。
こちらへ歩いてくる。
白銀の髪。
頭には鬼の角。
そして、紅い瞳。
「……」
真銀の心臓が、大きく跳ねた。
「……千乃」
違う。
今は。
**鬼月姫。**
鬼月姫は、こちらを見る。
そして。
魔物を見る。
「……」
何も言わない。
魔物が鬼月姫へ向かって咆哮する。
鬼月姫は。
一歩だけ前へ出た。
「……邪魔」
拳を握る。
「え?」
カイルが声を漏らす。
次の瞬間。
ドゴォォォォン!!
たった一発。
それだけだった。
災害級の魔物が、地面を跳ねながら遥か彼方へ吹き飛んでいく。
「…………」
全員が固まった。
ララが目を丸くする。
「……一発」
ライも絶句する。
「魔王より強いって話だったが……」
アイシィが呟く。
「それを……一撃……」
鬼月姫は、倒れた魔物に興味を示すこともなく。
そのまま踵を返した。
「待って!」
真銀が叫ぶ。
鬼月姫の足が止まる。
「……」
ゆっくり振り返る。
紅い瞳が、真銀を捉えた。
真銀は一歩、前へ出る。
「千乃だろ?」
「……」
「俺だ。真銀だ」
鬼月姫は何も答えない。
「俺たちは、お前を――」
鬼月姫は再び背を向けた。
「待ってくれ!」
真銀が叫ぶ。
「千乃!」
その声にも。
鬼月姫は振り返らなかった。
そのまま、地面を蹴る。
身体がふわりと浮かぶ。
そして。
上空へ飛び上がろうとした。
「……!」
その瞬間。
何かが、鬼月姫の懐から落ちた。
小さな金属音。
カラン。
簪だった。
真銀が目を見開く。
「……それ」
鬼月姫の身体が止まった。
簪は地面へ向かって落ちていく。
あと少し。
地面に触れる。
その寸前。
鬼月姫が急降下した。
シュッ!
指先が簪を掴む。
「……」
鬼月姫は、しばらく簪を見つめた。
紅い瞳が、ほんの僅かに揺れる。
そして。
何も言わず。
大切そうに両手で包み込む。
そのまま。
自分の懐へ、そっとしまった。
「……」
真銀は動けなかった。
その簪は。
かつて真銀が千乃へ贈ったものだった。
「千乃……」
鬼月姫は、再び空へ飛び上がる。
今度こそ。
振り返らない。
森の上空へ消えていく。
真銀は、その姿を見つめ続けた。
「……覚えてる」
小さく呟く。
誰にも聞こえないほどの声。
「お前……まだ、覚えてるんだな」
ユラが静かに答える。
「主」
「……なんだ?」
「制作者は、簪を捨てませんでした」
真銀は拳を握る。
「ああ」
鬼月姫の姿は、もう見えない。
けれど。
その懐には。
今も。
**真銀から贈られた簪がある。**
魔王城。
鬼月姫が戻ってきた。
何事もなかったかのように、静かに廊下を歩いている。
その姿を、魔王が見つめていた。
「……鬼月姫」
「……」
千乃が足を止める。
「少し、こちらへ来い」
千乃は黙って魔王の前へ歩いていく。
魔王は千乃を上から下まで眺める。
そして。
「……?」
ふと、千乃の懐に目を止めた。
「それは何だ?」
「……」
千乃の手が、反射的に懐へ伸びる。
魔王は目を細めた。
「何か隠しているな」
「……何も」
「見せろ」
「……嫌」
即答だった。
魔王の眉が動く。
「……何?」
千乃自身も、自分がそう答えたことに少し驚いていた。
魔王が一歩近づく。
「その懐にあるものを出せ」
「……嫌」
「命令だ」
「……」
千乃は懐を両手で押さえた。
そこにあるのは。
先ほど森で落とした簪。
そして。
もう一つ。
腕に嵌められたブレスレット。
真銀とお揃いのもの。
魔王の視線が、今度は千乃の腕へ向いた。
「……それもか」
千乃の身体が強張る。
「その腕輪も、お前が以前から持っていたものだな」
「……」
「よこせ」
「嫌」
「鬼月姫」
魔王の声が低くなる。
「それらは、お前が千乃だった頃のものだろう」
その言葉。
千乃の瞳が僅かに揺れた。
「……」
「捨てろ」
「……嫌」
「なぜだ?」
千乃は答えない。
懐の簪を強く握る。
腕輪も、反対の手で覆う。
「それはもう必要ないものだ」
「……」
「お前は鬼月姫だ」
「……」
「千羽千乃ではない」
その瞬間。
千乃の魔力が、一気に膨れ上がった。
ドンッ!!
魔王城の床に亀裂が走る。
「……!」
魔王が目を見開く。
千乃は俯いたまま。
簪を握りしめる。
腕輪を守るように腕を抱く。
「……渡さない」
声が震えていた。
「これは……」
一瞬、言葉に詰まる。
「……これだけは」
千乃の瞳に、僅かに光が戻る。
「……取らないで」
魔王が手を伸ばす。
その瞬間。
千乃が後ろへ飛び退いた。
魔力が爆発する。
ドォォォン!!
魔王城の壁が震える。
「鬼月姫!」
魔王が叫ぶ。
だが。
千乃は構える。
今までにないほど、本気で。
まるで。
命を懸けてでも守るように。
簪を。
腕輪を。
そして。
そこに残された何かを。
「……渡さない」
もう一度。
今度は、はっきりと。
「絶対に」
魔王は黙った。
千乃の表情には、いつもの無機質さがない。
怒り。
恐怖。
そして。
それ以上に強い何か。
魔王は、しばらく千乃を見つめた。
「……そうか」
やがて手を下ろす。
「ならば、今はいい」
「……」
千乃は警戒を解かない。
魔王は踵を返す。
だが、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
「……面白い」
千乃は聞いていなかった。
ただ。
懐の簪をそっと撫でる。
そして腕輪を見つめる。
「……」
何のために大切なのか。
どうして守りたいのか。
自分でも分からない。
それでも。
**これは、絶対に渡してはいけない。**
そんな感覚だけが。
千乃の奥深くに、確かに残っていた。
翌朝。
真銀たちは再び魔王城を目指して歩いていた。
昨日の災害級魔物との遭遇から一夜。
森を抜け、今度は岩山の続く険しい道へ入っていた。
「……道、悪いな」
真銀が足元を見る。
大小の岩が転がり、ところどころ道そのものが崩れている。
「主、この先はさらに険しくなります」
ユラが地図を確認する。
「ですが、このまま進めば予定より半日ほど早く魔王城へ近づけます」
「なら、進もう」
「了解しました、主」
「えー……」
カイルが岩を見下ろす。
「勇者にこんな道を歩かせるのか?」
「嫌なら帰れば?」
ライが即答する。
「嫌とは言ってない!」
「なら歩け」
「はい……」
ララはというと。
「わーい! 山だー!」
ぴょんぴょんと岩の上を飛び移っている。
「ララ、落ちるなよ」
「大丈夫!」
「その言葉を言った直後に落ちる奴が多いんだよな……」
「落ちないもん!」
その瞬間。
ズルッ。
「わぁっ!」
ララの足が滑った。
しかし。
ひょい。
ライが首根っこを咥えて持ち上げた。
「ほらな」
「……」
「言っただろ」
「ライ、ありがと!」
「まったく」
アイシィがその様子を見ながら笑う。
「いつも通りですね」
真銀も少しだけ笑った。
こうしていると。
まるで以前の旅と何も変わらない。
隣に仲間がいて。
くだらないことで笑って。
千乃がいて。
「……」
真銀の足が止まる。
千乃。
その名前が頭をよぎる。
昨日、森で見た鬼月姫。
自分の声に振り返らなかった。
けれど。
簪は捨てなかった。
「……真銀?」
カイルが振り返る。
「どうした?」
「いや……なんでもない」
真銀は再び歩き出す。
その腕には。
千乃が作ったブレスレット。
「主」
ユラが呼びかける。
「なんだ?」
「先ほどから、制作者について考えていますね」
「……分かるのか?」
「主の心拍数が僅かに上昇しています」
「そういうのまで分かるのかよ」
「はい」
ユラは少し間を置いて。
「制作者のことを考えると、主は少しだけ安心しているようにも見えます」
「……そうか?」
「はい」
真銀は空を見上げた。
「……昨日、千乃が簪を守った」
「はい」
「それに、腕輪も」
「はい」
「なら……まだ何か残ってる」
「私も、そう考えます」
ユラの声が静かに響く。
「制作者は、完全には消えていません」
「……ああ」
真銀は前を向く。
「絶対に連れ戻す」
その言葉に、ララが振り返った。
「千乃を?」
「ああ」
「じゃあララもがんばる!」
ライも頷く。
「当然だ」
「私もです」
アイシィが続く。
カイルは剣を肩に担いだ。
「勇者もな」
「おまけ勇者」
「だからおまけ言うな!!」
山道に、カイルの声が響く。
真銀は思わず笑った。
そして。
再び歩き始める。
魔王城は、まだ遠い。
けれど。
昨日よりは確実に近い。
その頃。
別の場所では。
鬼月姫もまた、森の中を歩いていた。
魔王から命じられたわけではない。
ただ、何となく。
足が向いた。
千乃は立ち止まる。
「……」
遠くに、山が見える。
なぜか。
あの山の向こうが気になった。
「……なんで」
自分でも分からない。
胸の奥が、少しだけざわつく。
千乃は腕輪に触れた。
そして。
懐の簪にも触れる。
「……」
どちらも。
まだ、ここにある。
千乃は何も言わず、再び歩き出した。
向かう先は。
真銀たちと、同じ方向だった。




