鬼神 千乃
魔王城。
玉座の間。
魔王と千乃が並んでいた。
千乃は。
相変わらず無表情だった。
「……。」
その時。
バンッ!
巨大な扉が開く。
「魔王ッ!」
現れたのは。
エリシアだった。
「……?」
魔王が振り返る。
「エリシア。」
「ようやく見つけましたわ!」
エリシアは千乃を見る。
そして。
真紅の瞳を細めた。
「真銀様のそばにいるのにふさわしいのは、この私ですわっ!」
「……。」
千乃は。
何も言わない。
「あなたさえいなければ!」
エリシアの魔力が。
一気に膨れ上がる。
「真銀様は私のものですわ!」
巨大な魔法陣が。
玉座の間いっぱいに広がった。
魔王が眉をひそめる。
「何をするつもりだ。」
「あなたも邪魔ですわ!」
エリシアは。
魔王ごと千乃を消し去ろうとする。
「まとめて消えてくださいませ!」
膨大な魔力が放たれる。
しかし。
千乃が。
一歩前へ出た。
「……。」
右手を。
ゆっくり上げる。
次の瞬間。
エリシアの魔法が。
跡形もなく消えた。
「……え?」
エリシアが固まる。
千乃は。
無表情のまま。
エリシアへ歩いていく。
「な、何を……!」
「……。」
千乃は。
目の前で立ち止まる。
そして。
感情のない声で。
たった一言。
「今までの恨み。」
エリシアの顔から。
血の気が引く。
「……え?」
千乃の瞳が。
真紅に輝く。
「――それだけ。」
黒い魔力が。
一瞬。
玉座の間を覆った。
そして。
光が消えた時。
そこに。
エリシアの姿はなかった。
静寂。
魔王でさえ。
しばらく言葉を失っていた。
千乃は。
何事もなかったかのように。
魔王へ向き直る。
「……他に命令は?」
「……。」
魔王は。
目の前の光景を見つめる。
感情は。
完全に消えたはずだった。
けれど。
今の千乃には。
かつての千乃とは違う。
冷たい何かが。
確かに存在していた。
その後。
魔王城へ。
また別の侵入者が現れた。
「魔王討伐隊だ!」
数人の冒険者が。
武器を構えながら玉座の間へ踏み込んでくる。
「魔王!」
「ここで終わりだ!」
魔王が立ち上がろうとした。
しかし。
千乃が。
すっと前へ出る。
「……。」
冒険者たちが戸惑う。
「なんだ、あの鬼は……?」
「魔王の配下か!」
「構うな! まとめて倒せ!」
一斉に攻撃が放たれる。
千乃は。
避けなかった。
ただ。
手を上げる。
黒い羽が。
空中に浮かぶ。
次の瞬間。
羽が一斉に飛んだ。
「なっ……!」
冒険者たちは。
次々と倒れていく。
千乃は。
表情を変えない。
「……。」
魔王が問う。
「殺したのか。」
「はい。」
「躊躇は?」
「ありません。」
「なぜだ。」
千乃は。
淡々と答える。
「命令だから。」
魔王は。
その答えを聞いて。
満足そうに頷いた。
けれど。
千乃の中には。
もう一つ。
別の理由があった。
彼らは。
真銀たちを傷つけるかもしれない。
だから。
排除した。
それだけ。
それ以上の意味は。
千乃自身にも。
もう分からなかった。
また、別の冒険者たちが魔王城へ踏み込んできた。
「いたぞ! 魔王だ!」
「討ち取れ!」
その声に。
千乃がゆっくり振り返る。
白い髪。
赤い瞳。
黒い和服。
鬼の角。
「……。」
冒険者たちが武器を構える。
「魔王の側にいる鬼か!」
「構うな! 先にこいつを――」
千乃の口元が。
ほんの少し。
上がった。
「……。」
笑っている。
けれど。
その笑みには。
以前の千乃らしい温かさはない。
ただ。
ぞっとするほど静かな笑みだった。
「な、なんだ……?」
一人が後ずさる。
千乃が手を掲げる。
空気が一瞬で凍る。
「――氷華。」
無数の氷の刃が。
空中に生まれる。
そして。
一斉に。
冒険者たちへ向かっていく。
「ぐっ!」
「うわっ!」
次々と倒れていく冒険者たち。
千乃は。
その場から一歩も動かない。
顔に赤い雫がかかっても。
拭おうともしない。
ただ。
薄く笑っている。
「……。」
魔王が。
千乃を見る。
「楽しんでいるのか?」
千乃は。
ゆっくり首を傾げた。
「……分かりません。」
そう言いながら。
また。
ほんの少しだけ笑う。
「でも。」
「邪魔だったので。」
氷の刃が。
最後の一撃を放つ。
静寂が戻る。
千乃は。
何事もなかったかのように。
魔王の隣へ戻っていく。
白い頬についた赤い雫も。
そのまま。
魔王は。
そんな千乃を見つめながら。
初めて。
ほんの僅かな違和感を覚えた。
以前の千乃は。
命令されれば戦った。
今の千乃は。
命令されていなくても。
自ら敵を排除している。
そして。
その顔に浮かんでいたのは。
笑顔ではなく。
鬼の笑みだった。
それから。
魔王城を訪れる者は。
誰も戻ってこなくなった。
千乃は。
もう命令を待たなかった。
敵を見つければ。
自ら前へ出る。
白い髪。
真紅の瞳。
黒い和服。
額から伸びる鬼の角。
そして。
その背中に広がる黒い羽。
以前の千乃を知る者が見れば。
きっと。
同じ人物だとは思えなかった。
「……。」
魔王が玉座から千乃を見る。
「千乃。」
「はい。」
「お前は。」
「もう完全に鬼だな。」
千乃は。
静かに笑った。
「……そうかもしれません。」
その瞬間。
魔王城全体を。
凄まじい魔力が包み込んだ。
黒い魔力。
赤い光。
そして。
千乃の足元に。
巨大な魔法陣が現れる。
「……これは。」
魔王でさえ。
一歩下がった。
千乃の魔力が。
これまでとは比較にならないほど膨れ上がっていく。
鬼の角が。
淡く赤く輝く。
瞳も。
深紅から。
まるで血のような赤へ。
そして。
千乃の周囲に。
無数の黒い羽が舞い上がった。
「……。」
千乃は。
その中心に立つ。
「鬼化。」
その言葉とともに。
魔力が弾けた。
ドンッ!!
魔王城の窓が。
一斉に震える。
魔王が。
呆然と呟く。
「……鬼神。」
千乃が。
ゆっくり顔を上げる。
「……。」
薄い笑み。
その姿は。
もはや。
ただの鬼ではない。
鬼の頂。
鬼神。
かつて千乃が持っていた力も。
感情も。
記憶も。
すべてが混ざり合い。
別の存在へと変わっていた。
「鬼神、千乃。」
魔王がそう呼ぶ。
千乃は。
否定しなかった。
ただ。
静かに笑う。
「……命令を。」
その声だけが。
以前の千乃と同じだった。
けれど。
もう。
誰も。
彼女を「普通の少女」と呼ぶことはできなかった。




