消えた人
その翌日。
昼下がり。
星空の城の庭。
千乃は一人で立っていた。
白い髪が風に揺れる。
真紅の瞳は、何も映していないように見える。
「……。」
手のひらを開く。
黒い魔力が集まる。
いつものことだった。
最近は、魔力が勝手に動くことも増えている。
千乃は気にしていなかった。
けれど。
その日だけは。
違った。
---
「千乃ー!」
ララの声。
振り返る。
ララが庭を走ってくる。
「見て見て!」
「昨日見つけた――」
その瞬間。
千乃の手が。
勝手に動いた。
黒い魔力が。
一気に膨れ上がる。
「……。」
ララに向かって。
鋭い魔力の刃が形成される。
千乃の瞳が。
見開かれた。
「……え?」
自分の手が。
ララへ向いている。
「……。」
ララは。
まだ気付いていない。
「千乃?」
魔力が。
放たれる。
寸前。
「っ!」
千乃が。
自分の腕をもう片方の手で掴んだ。
「止まって!」
魔力が。
ぶれる。
「私……!」
腕が震える。
黒い魔力が。
なおもララへ向かおうとする。
「違う。」
「違う違う。」
「ララは敵じゃない。」
千乃は。
必死に腕を押さえる。
「やめて。」
「やめろ!」
自分自身に。
言い聞かせる。
そして。
魔力が。
霧散した。
---
「……。」
ララが。
ぽかんとしている。
「千乃?」
千乃は。
その場に立ち尽くす。
「……。」
自分の手を見る。
震えている。
「今。」
「私。」
「ララを。」
声が。
僅かに震えた。
「攻撃しようとした。」
ララは。
ゆっくり近付く。
「でも。」
「止めたよ。」
千乃は答えない。
「千乃が止めた。」
「うん。」
「ララ、怪我してないよ。」
「……うん。」
---
その瞬間。
庭へ真銀たちが駆け込んできた。
「千乃!」
ライが千乃を見る。
アイシィも。
真銀も。
状況を理解する。
「何があった?」
真銀が聞く。
千乃は。
自分の腕を握ったまま。
「……分からない。」
「魔力が。」
「勝手に。」
「ララに向いた。」
ライの目が鋭くなる。
「主。」
千乃は顔を上げる。
「でも。」
「私が止めた。」
「……。」
「ちゃんと。」
「止められた。」
ライは。
静かに頷く。
「そうだ。」
「主自身が止めた。」
---
千乃は。
自分の手を見る。
「……怖い。」
その言葉に。
全員が黙る。
久しぶりに聞いた。
千乃自身の。
はっきりした感情だった。
恐怖。
「私。」
「みんなを傷つけたくない。」
「でも。」
「いつか。」
「止められなくなったら?」
真銀が。
千乃の前に立つ。
「その時は。」
「俺たちが止める。」
「……。」
「一人で抱えるな。」
千乃の瞳が揺れる。
---
ライも。
一歩前へ出る。
「主。」
「前にも言ったが、鬼になろうと、俺達にとっては千乃だ。」
千乃は。
目を伏せる。
「……。」
そして。
小さく。
「ありがとう。」
そう呟いた。
けれど。
千乃の手のひらには。
まだ。
消え切っていない黒い魔力が。
僅かに残っていた。
それは。
千乃自身が抑え込んでいる間だけ。
静かだった。
夜。
星空の城は、静まり返っていた。
千乃の部屋には、誰もいない。
窓が少しだけ開いている。
カーテンが揺れる。
机の上には、一枚の紙。
けれど、文字はない。
ただ。
千乃の姿も。
もうなかった。
---
城門の外。
千乃は一人で歩いていた。
白い髪。
真紅の瞳。
黒い和服。
角。
そして。
無表情。
「……。」
足を止める。
背後を見る。
星空の城が。
遠くに見える。
「……。」
仲間たちがいる。
真銀がいる。
ララがいる。
ライがいる。
アイシィがいる。
ラブリーがいる。
みんな。
大切だった。
だから。
「……。」
千乃は。
自分の手を見る。
黒い魔力が。
指先から滲む。
「私。」
「また。」
「誰かを傷つけるかもしれない。」
その声には。
感情がなかった。
けれど。
頬を。
一筋の涙が伝った。
千乃自身は。
それに気付いていない。
---
その頃。
城内。
真銀が。
千乃の部屋へ入る。
「千乃?」
返事がない。
「……?」
ベッド。
机。
窓。
誰もいない。
「千乃!」
真銀が駆け寄る。
窓の外を見る。
「……いない。」
ライが部屋へ入ってくる。
「主は?」
「いない。」
アイシィも。
ララも。
そしてラブリーも。
集まる。
「探しましょう!」
ララが走り出そうとする。
その時。
真銀の腕輪が。
淡く光った。
「……?」
青い光。
次の瞬間。
空中に。
小さな映像が浮かび上がった。
千乃。
---
『真銀。』
映像の千乃は。
いつもの白い髪。
赤い瞳。
黒い和服。
無表情。
ただ。
泣いていた。
「……。」
真銀は。
息を止める。
映像の千乃が。
静かに口を開く。
『探さないで。』
『私。』
『みんなを傷つけたくないから。』
『だから。』
『少しだけ。』
『一人にして。』
淡々と。
まるで。
誰か別の人が話しているように。
けれど。
頬には。
次々と涙が流れている。
『……ごめんね。』
一瞬。
千乃の瞳が。
真紅から。
いつもの色へ戻った。
ほんの一瞬。
「……!」
真銀が。
息を呑む。
けれど。
すぐに。
赤へ戻る。
映像の千乃は。
それに気付かない。
『さよなら。』
映像が。
そこで途切れた。
---
「千乃……。」
真銀の手が。
震える。
ララが。
小さな声で。
「……泣いてた。」
アイシィも。
映像が消えた場所を見る。
「感情が消えたわけではありません。」
「……え?」
真銀が顔を上げる。
「なら。」
アイシィは静かに答える。
「まだ。」
「千乃さんは。」
「そこにいます。」
ライが。
静かに目を閉じる。
そして。
はっきりと言う。
「なら。」
「見つける。」
真銀が頷く。
「……ああ。」
「でも。」
「探さないでって言ってたよ?」
ララが不安そうに言う。
真銀は。
腕輪を見る。
「それでも。」
「一人にするわけにはいかない。」
ライが続ける。
「主が自分を傷つける前に。」
「俺たちが迎えに行く。」
アイシィが頷く。
「帰る場所は。」
「誰か一人が決めるものではありません。」
ラブリーは。
拳を握る。
「……。」
いつもの大声ではない。
静かな声で。
「迎えに行きましょう。」
---
城の外。
千乃は。
一人で歩いていた。
涙は。
まだ止まらない。
なのに。
表情は。
無表情。
「……。」
千乃は。
空を見上げる。
「なんで。」
「泣いてるんだろ。」
答えは。
返ってこない。
ただ。
胸の奥。
ほんの僅かな場所に。
まだ。
「帰りたい」という感情だけが。
消えずに残っていた。
千乃は、しばらく歩き続けた。
どれくらい歩いたのか。
もう分からない。
街の明かりも消え。
森を抜け。
人の気配もなくなった場所。
ただ、月明かりだけが道を照らしていた。
「……。」
千乃は立ち止まる。
涙は、まだ頬に残っている。
けれど。
表情は変わらない。
「……。」
その時。
足元が。
淡く光った。
「……?」
千乃が視線を落とす。
地面に。
巨大な魔法陣。
黒と赤の光が絡み合いながら、ゆっくりと回転している。
「……これ。」
見覚えがある。
「魔王の……。」
千乃が一歩後ろへ下がろうとした。
しかし。
遅かった。
魔法陣が一気に輝く。
「……っ!」
身体が浮く。
「待って。」
千乃の手が伸びる。
けれど。
何かに引っ張られるように。
その姿が光の中へ沈んでいく。
次の瞬間。
視界が真っ黒になった。
---
ドンッ。
足が床に着く。
千乃は。
ゆっくり顔を上げた。
「……。」
そこは。
巨大な城だった。
黒い石造りの壁。
高い天井。
赤黒い光を放つ魔法灯。
そして。
正面には。
巨大な玉座。
その上に。
一人。
魔王が座っている。
「……。」
千乃は。
何も言わない。
魔王も。
すぐには話さなかった。
ただ。
千乃を見つめている。
やがて。
「……来たか。」
千乃は。
淡々と答える。
「……連れてきたのは。」
「お前でしょ。」
「そうだ。」
魔王は立ち上がる。
「自らここへ来るとは思わなかった。」
「私は。」
千乃は。
自分の手を見る。
「逃げてきただけ。」
「仲間を傷つけたくなかったから。」
魔王は。
千乃をじっと見る。
「……なるほど。」
「その姿。」
千乃の角。
白い髪。
真紅の瞳。
黒い和服。
「以前より。」
「こちら側へ近づいている。」
「……。」
千乃は。
否定しない。
「分かってる。」
「少しずつ。」
「私じゃなくなってる。」
魔王が目を細める。
「怖くないのか?」
「……。」
千乃は。
しばらく黙る。
「怖い。」
その言葉だけ。
ほんの少し。
声が震えた。
「でも。」
「もっと怖いのは。」
「私が。」
「みんなを傷つけること。」
魔王は。
何も言わない。
千乃の頬を。
また涙が伝う。
「……。」
「なんで。」
「感情がなくなってるのに。」
「泣くんだろ。」
魔王は。
静かに答えた。
「完全には。」
「失っていないからだ。」
千乃が顔を上げる。
「……。」
「お前の中には。」
「まだ人の心が残っている。」
「なら。」
千乃の声が。
小さくなる。
「どうしたら。」
「戻れるの?」
魔王は。
少しだけ視線を逸らす。
「それを。」
「俺は知らない。」
「……。」
「だが。」
魔王は玉座から降りる。
「ここにいれば。」
「少なくとも。」
「お前が誰かを傷つけることはない。」
千乃は。
何も答えない。
ただ。
静かな魔王城の中で。
一人。
立ち尽くしていた。
魔王は、しばらく千乃を見つめていた。
やがて。
「……だが。」
静かな声。
「お前を追って、仲間が来るだろう。」
千乃の瞳が。
ほんの僅かに揺れる。
「……来る。」
「間違いなくな。」
魔王は玉座へ戻る。
「お前を連れ戻すために。」
「ララも。」
「ライも。」
「アイシィも。」
「そして、真銀も。」
その名前を聞いた瞬間。
千乃の胸の奥で。
何かが小さく揺れた。
「……。」
魔王は、それを見逃さなかった。
「だから。」
「戦ってもらう。」
千乃が顔を上げる。
「……私が?」
「ああ。」
「みんなと?」
「そうだ。」
「……。」
千乃は俯く。
「嫌だ。」
その言葉は。
今までで一番はっきりしていた。
「私は。」
「みんなを傷つけたくない。」
魔王は静かに答える。
「だからこそ。」
「感情が邪魔になる。」
「……。」
「仲間だと思うから躊躇する。」
「大切だと思うから、攻撃できない。」
「なら。」
魔王の赤い瞳が光る。
「その感情を。」
「消せばいい。」
千乃の目が見開かれる。
「……消す?」
「そうだ。」
「悲しみも。」
「恐怖も。」
「迷いも。」
「仲間を大切に思う気持ちも。」
「全部。」
千乃は。
自分の胸に手を当てる。
「……。」
そこには。
まだ僅かに。
温かいものが残っている。
真銀。
ララ。
ライ。
アイシィ。
ラブリー。
そして。
帰る場所。
「……それを。」
「消したら。」
千乃の声が震える。
「私は。」
「何になるの?」
魔王は答えない。
ただ。
手を差し出した。
黒い魔力が。
ゆっくりと千乃を包んでいく。
「……。」
千乃は。
逃げなかった。
「……ごめん。」
誰に向けた言葉なのか。
自分でも分からない。
一筋。
涙が落ちる。
「みんな……。」
その瞬間。
魔力が。
千乃の胸へ入り込む。
「……っ。」
千乃が目を閉じる。
---
真銀。
笑顔。
ララの声。
ライの言葉。
アイシィの静かな声。
ラブリーの騒がしい笑い声。
桜。
星空の城。
帰る場所。
一つずつ。
遠ざかっていく。
「……。」
千乃の涙が。
最後の一滴となって落ちる。
そして。
静かに。
消えた。
---
しばらくして。
千乃が目を開く。
真紅の瞳。
白い髪。
黒い和服。
角。
けれど。
そこにあった表情は。
以前よりも。
ずっと無機質だった。
「……。」
魔王が問う。
「千乃。」
「……。」
返事はない。
「何を感じる?」
千乃は。
ゆっくり顔を上げる。
「……何も。」
「仲間は?」
「敵。」
「真銀は?」
「敵。」
「帰る場所は?」
「……。」
ほんの一瞬。
千乃の瞳が揺れた。
けれど。
すぐに戻る。
「必要ない。」
魔王は。
静かに笑った。
「そうか。」
千乃は。
玉座の前に立つ。
感情の消えた顔で。
ただ。
前を見ている。
けれど。
誰も気付いていなかった。
千乃の手のひらに。
小さな桜の花びらが。
一枚だけ。
残っていた。
それから。
千乃は、魔王城にいる間。
ほとんど言葉を発さなくなった。
そして。
魔王が何かを命じれば。
必ず従った。
「千乃。」
「はい。」
「こちらへ来い。」
「はい。」
「そこで止まれ。」
「はい。」
迷いも。
反発も。
質問もない。
ただ。
命令されたことを実行する。
---
魔王が玉座から立ち上がる。
「庭へ。」
「はい。」
千乃は歩き出す。
白い髪が揺れる。
黒い和服の裾が。
静かに揺れる。
以前なら。
歩きながら何かを考えていた。
誰かに話しかけていた。
ララを見つければ笑っていた。
今は。
ただ。
命令された場所へ向かう。
---
魔王が庭で振り返る。
「魔力を出せ。」
「はい。」
千乃の手が上がる。
黒い魔力が。
一瞬で空間を埋め尽くす。
「止めろ。」
「はい。」
消える。
「飛べ。」
「はい。」
千乃の身体が。
空へ浮かぶ。
「降りろ。」
「はい。」
地面へ降りる。
あまりにも素直だった。
魔王は。
その様子を見つめる。
「……。」
「お前は。」
「本当に変わったな。」
千乃は。
無表情のまま。
「そうですか。」
「以前なら。」
「私に逆らっていた。」
「今は?」
「逆らう理由がありません。」
魔王は。
少しだけ笑う。
---
その頃。
星空の城。
真銀たちは。
千乃の行方を追っていた。
魔王の気配を辿り。
ついに。
遠くに黒い城を見つける。
「……あそこだ。」
ライが低く唸る。
ララの耳が立つ。
「千乃。」
アイシィも。
城を見つめる。
「間違いありません。」
真銀は。
腕輪を握る。
「待ってろ。」
「必ず。」
「連れ戻す。」
---
魔王城。
玉座の間。
魔王の前に。
千乃が立っている。
「そろそろ。」
魔王が言う。
「お前の仲間が来る。」
千乃は。
ただ頷く。
「はい。」
「怖くないのか?」
「怖くありません。」
「悲しくない?」
「分かりません。」
「では。」
魔王は。
千乃を見る。
「お前は。」
「俺の命令に従えるな?」
千乃は。
一切の迷いなく答えた。
「はい。」
「何を命じられても?」
「はい。」
「……。」
魔王は。
しばらく黙る。
そして。
「なら。」
「俺の前に立て。」
千乃は。
魔王の前へ。
一歩。
進む。
「命令を。」
「はい。」
「……。」
魔王は。
その目を見る。
真紅の瞳。
そこには。
以前の千乃のような感情は。
ほとんど残っていない。
けれど。
完全な無ではなかった。
その奥底。
誰にも届かないほど深い場所で。
小さな何かが。
まだ。
消えずに残っていた。
魔王城。
玉座の間。
重い扉が。
ゆっくりと開いた。
「……見つけた。」
真銀の声。
その後ろには。
ライ。
ララ。
アイシィ。
そして、ラブリー。
全員が揃っていた。
「千乃!」
ララが叫ぶ。
けれど。
千乃は振り返らない。
ただ。
魔王の隣に立っている。
「……。」
真銀が息を呑む。
「千乃。」
「帰ろう。」
千乃は。
無表情のまま答えた。
「……嫌です。」
「俺たちが分からないのか?」
「分かります。」
「なら!」
真銀が一歩進む。
その瞬間。
魔王が手を上げた。
「来るな。」
ズンッ!
凄まじい魔力が。
玉座の間を震わせる。
ライが前へ出る。
「主から離れろ!」
「断る。」
魔王の魔力が。
一気に膨れ上がった。
「俺の城へ乗り込んできたのはお前たちだ。」
「ならば。」
「相応の歓迎をしよう。」
---
次の瞬間。
黒い衝撃が走った。
「ぐっ!」
真銀たちが。
一斉に吹き飛ばされる。
「真銀!」
ララが駆け寄ろうとする。
だが。
魔王の魔法が次々と降り注ぐ。
ライが防ぐ。
アイシィが氷壁を展開する。
ラブリーが魔法を撃ち返す。
それでも。
圧倒的な力の差。
一人。
また一人。
床へ倒れていく。
「くっ……!」
真銀が立ち上がる。
「千乃……!」
千乃は。
動かない。
「……。」
ただ。
真銀たちを見ている。
その顔には。
何の感情もない。
---
そして。
誰も気付かなかった。
千乃の身体に。
黒い亀裂のような魔力が。
一瞬。
走った。
「……。」
千乃は。
ほんの僅かに身体を揺らす。
けれど。
すぐに元へ戻る。
魔王は。
それを見ていなかった。
「どうした?」
「……何でもありません。」
「そうか。」
---
真銀が。
再び立ち上がる。
「千乃!」
「……。」
「俺を見ろ!」
千乃が。
ゆっくり顔を向ける。
その瞬間。
真銀へ魔法が飛ぶ。
「危ない!」
ララが叫ぶ。
真銀が防御する。
だが。
その衝撃と同時に。
千乃の肩が。
大きく揺れた。
「……っ。」
誰にも聞こえないほど。
小さな息。
そして。
千乃の口元から。
ほんの少しだけ。
血が滲む。
---
「千乃?」
真銀が気付く。
千乃は。
口元を拭う。
「……問題ありません。」
「何があった?」
「何も。」
魔王が。
不思議そうに千乃を見る。
「……?」
けれど。
それ以上は気にしなかった。
---
再び。
魔法が飛ぶ。
ライが防ぐ。
アイシィが受け止める。
ラブリーが反撃する。
ララが走る。
しかし。
魔王は強かった。
そして。
そのたびに。
千乃の身体へ。
見えない傷が蓄積していく。
千乃自身も。
それを理解していなかった。
ただ。
苦しい。
身体が重い。
けれど。
それでも。
立っている。
「千乃!」
真銀が叫ぶ。
千乃は。
真銀を見る。
「……。」
ほんの一瞬。
赤い瞳が。
揺れた。
---
魔王が。
最後の魔法を放つ。
大きな衝撃が。
真銀たちを襲う。
全員が。
床へ倒れた。
「……終わりだ。」
魔王が言う。
静寂。
千乃は。
その場に立っていた。
けれど。
その身体は。
小さく震えていた。
「……。」
魔王は。
ようやく千乃を見る。
「どうした?」
千乃は。
答えない。
膝から。
ゆっくり力が抜ける。
「……。」
倒れかけた身体を。
真銀が受け止めた。
「千乃!」
そこで。
真銀は気付いた。
千乃の身体に。
自分たちが受けたはずの攻撃と同じ魔力の痕跡が。
残っている。
「……まさか。」
千乃は。
目を閉じたまま。
小さく呟く。
「……みんな。」
「傷ついて……。」
そして。
一滴。
涙が落ちた。
魔王は。
まだ。
気付いていない。
自分が仲間たちへ放った攻撃のすべてが。
千乃へ流れていたことに。
真銀の腕の中で、千乃の身体から力が抜けていく。
「千乃!」
真銀が抱き起こす。
けれど。
その瞬間。
黒い魔力が玉座の間を走った。
「……離せ。」
魔王だった。
「断る。」
真銀は千乃を抱えたまま睨み返す。
魔王が手を伸ばす。
すると。
千乃の身体を包むように黒い魔力が渦巻いた。
「……っ!」
真銀の腕から。
千乃がゆっくり浮かび上がる。
「千乃!」
真銀が手を伸ばす。
しかし。
黒い魔力が二人の間を遮った。
「返せ!」
「それはできない。」
魔王の声は冷静だった。
「この者は俺の命令を受けている。」
「だから何だ!」
真銀が叫ぶ。
「千乃は物じゃない!」
魔王は答えない。
ただ。
千乃を自分の元へ引き寄せる。
白い髪が宙を舞う。
千乃の身体が。
魔王の腕の中へ収まった。
「……。」
千乃は目を閉じたまま。
ほとんど動かない。
魔王が顔を覗き込む。
「千乃。」
「……はい。」
かすかな声。
「立てるか。」
「……はい。」
魔王が千乃を床へ下ろす。
千乃はふらつきながら立つ。
けれど。
その身体には。
自分が受けたはずのない傷が蓄積していた。
それでも。
千乃は無表情のまま。
「命令を。」
魔王は少し眉をひそめる。
「……戻るぞ。」
「はい。」
千乃が歩き出す。
---
「待て!」
真銀が立ち上がる。
「千乃!」
その声に。
千乃の足が。
ほんの一瞬だけ止まった。
「……。」
振り返らない。
真銀は。
必死に呼びかける。
「俺はここにいる!」
「ララも!」
「ライも!」
「アイシィも!」
「ラブリーも!」
「みんな、お前を待ってる!」
千乃の手が。
ほんの少しだけ震えた。
けれど。
「……。」
魔王が先へ進む。
「来い。」
「はい。」
千乃も歩く。
---
黒い魔法陣が展開される。
その中心へ。
魔王と千乃が入っていく。
「千乃!」
真銀が走る。
けれど。
魔法陣が閉じる。
最後に見えた千乃の顔。
無表情。
真紅の瞳。
白い髪。
そして。
一筋だけ。
涙が残っていた。
「……。」
魔法陣が消える。
静寂。
真銀は。
拳を握り締めた。
「……絶対に。」
「取り戻す。」
その隣で。
ララが涙を拭う。
ライは静かに立ち上がる。
アイシィも。
ラブリーも。
全員が。
魔王城の奥を見つめていた。
そして。
誰も知らない。
魔王が連れて行った千乃の身体には。
すでに。
仲間たちが受けた傷が。
すべて刻まれていた。




