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見えてはいけないものが見える日

 ペア任務が始まって数日。


 ギルドの空気は、少しだけ落ち着いていた。


 理由は単純だ。


 千羽千乃と夜坂真銀が動くと、依頼が「終わるから」だ。


 ただし、その終わり方は毎回おかしい。


「今日のは普通の護衛任務だよな」


 真銀が確認する。


「依頼書的には」


 千乃はあいまいに答える。


 嫌な予感は、もう慣れてしまった。


---


 護衛対象は商隊。


 森を抜けるだけの簡単な仕事。


 ……のはずだった。


 最初の異変は、音だった。


 鳥がいない。


 風も弱い。


 森が、呼吸を止めている。


「来るな」


 真銀が小さく言う。


「うん」


 千乃も気づいていた。


 これは“待ち伏せ”じゃない。


 もっと悪い。


 世界のほうが、こちらを拒んでいる。


---


 次の瞬間。


 空間がひび割れた。


 地面ではない。


 森でもない。


 認識そのものがずれる。


 そこから現れたのは、形のない影だった。


 見るたびに形が変わる。


 狼にも見えるし、人にも見える。


 だがどれでもない。


「……何だこれ」


 真銀が剣を抜く。


 だが一歩踏み出した瞬間だった。


 動きが止まる。


「っ……?」


 身体が重い。


 いや、重さではない。


 意味が抜け落ちている。


 踏み込む理由が消える感覚。


「真銀くん」


 千乃の声。


 いつも通りだ。


 だがその声が届いた瞬間、真銀の思考が少しだけ戻る。


「これ、やばいな」


「うん」


 千乃は短く答える。


 そして、ノートを開こうとして――止めた。


(これ、使わなくてもいける)


 そう判断した。


---


 影が動く。


 一瞬で距離を詰める。


 速すぎる。


 真銀の反応よりもさらに上。


 刃が振り下ろされる。


 避けられない。


 その瞬間だった。


 千乃が一歩だけ前に出た。


「やめて」


 それだけ。


 ただの一言。


 だが、影が止まる。


 空気が固まる。


 真銀は息を止めた。


「……今、何した」


「何も」


「いや、しただろ」


 千乃は首を傾げる。


「普通に止めただけ」


 真銀は影を見る。


 影はまだそこにいる。


 だが、動かない。


 いや、動けないのではない。


 攻撃という概念が、そこだけ成立していない。


「……意味がわからない」


 真銀の声が低くなる。


---


 影が再び揺れる。


 今度は複数。


 周囲の空間が歪む。


 真銀が構える。


「今度こそ行く」


「待って」


 千乃が言う。


「ちょっと下がって」


「は?」


「いいから」


 その瞬間。


 千乃の目が少しだけ変わった。


 ノートは開いていない。


 詠唱もない。


 ただ、そこにいるだけ。


「ここから先は、入れない」


 影が止まる。


 森が止まる。


 音が消える。


 真銀だけが、その異常をはっきり認識していた。


(これ、戦闘じゃない)


(ルールそのものが変わってる)


---


 千乃はゆっくり息を吐く。


「終わり」


 一言。


 影は崩れた。


 最初からそこに何もなかったみたいに。


---


 静寂。


 森は戻る。


 商隊は気づいていない。


 ただ護衛が終わっただけだと思っている。


---


 帰り道。


 真銀は一度も口を開かなかった。


 ギルドが見えてきたところで、ようやく言う。


「お前」


「なに」


「今の、何だ」


 千乃は少しだけ困った顔をする。


「説明すると長い」


「短く」


 間。


 千乃は視線を逸らす。


「……私がいると、そうなる」


「意味がわからない」


「私も」


 即答だった。


---


 ギルドに戻ると、受付はいつも通り書類を見た。


「護衛成功ですね」


「うん」


「被害は」


「なし」


「敵は」


「消えました」


「……またですか」


 受付はため息をついた。


 もう驚きすら薄れている。


---


 その夜。


 真銀は宿の窓の外を見ていた。


 隣では千乃が普通に座っている。


 いつも通り。


 ただ一つだけ違う。


 彼は確信してしまった。


(あれは戦いじゃない)


(あいつが“基準”になってる)


 千乃は何も言わない。


 ただノートを軽く閉じる。


 まだ、説明するつもりはない。


 だがもう一つだけ分かっている。


 彼は、気づいてしまった。


 「俺もできるんじゃね?」

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