8.1クルースニク2イチロー3ケンタッキー4シロ5ポンチッチ……運命の選択です。
この話までがストック分です。思ったよりちょこまかと手直ししてしまいました。
次話からは、次は来週中くらいには仕上げたいな〜。っくらいのペースになると思われます。
「……さぁ、君が選ぶんですよ」
「ポポポポポ?」
艶々な大理石をラメラメにした風の無駄に豪華なテーブルの上に折り畳んで並べられた五枚の紙切れ。
「いいですか、皆さん。これで決定ですからね。たとえどんな結果になろうとも、後戻りはできませんよ?」
「……望むところだ」
「……えぇ。異論は無いわ」
真剣な目差しで目配せし合う僕と先輩と花子さん。
僕は粛々とした動作で掌に包んでいた鳩をテーブルの中央に降ろしました。
「クポ?」
鳩は興味津々に真ん丸い瞳をきょろきょろさせながら、紙と紙の間を行ったり来たりしています。
「うん、確かにこの子に選んで貰うのが一番だね」
穏やかな笑顔で鳩を見守りながら、千早さんが言います。
誰しもが緊張に固まるこの運命の瞬間にさえ、まるでその未来すらも見透かす時を統べし女神のような、流石は千早さん。
その可憐な中にも超然とした底知れぬ輝きを放つ微笑みに、僕は改めてこの娘の存在感を思い知ります。
「クルル?」
鳩は紙の端っこをちょっと嘴でつついてみたり、ちょんちょん足で踏みつけてみたり。
その一挙一動に僕らは何度も肩を飛び上がらせ、ごくり、と息を飲み込みます。
「……阿呆だろ。てめえら」
心底呆れ返ったという顔で、一人離れたところで傍観している、一條先生が溜め息を漏らしました。
僕らがこの部屋に集まってから既に体感ですが一時間以上は裕に経過しています。
鳩の名前を決める、花子さんの一言から始まった、この話し合いは一向に本題に進めないまま、思いの外難航を極めました。
終には各自紙に書いた候補を、この鳩自身に選ばせる、という無謀な試みをを始めるに至った訳です。
因みに紙とペンはそろそろ四次元の疑いも濃くなった先生の白衣のポケットから、実体のない花子さんの分は千早さんが代筆してあげていました。
何か、今更一人だけ常識人みたいなノリのおっさんもいますが、テーブルの上にしっかりと五枚並べられた紙切れが、誰よりも雄弁に物語っています。
お前も同じ穴の狢だと。
「……ちょっと、晴明、ズルは止めなさいよ」
「そうですよ、先生。念写で鳩が選んだ紙に自分の考えた名前を書き換えるとか、最低ですし。僕、見抜きますからね?」
「するかボケぇっ!!心の底からどうでもいいわっ!しかも、んな売れない霊能力者みてぇな特技は俺にはねぇよ!!」
僕と花子さんの警告に、一條先生はびっくりするくらい元気な突っ込みを入れてくれます。
一度生まれてしまった疑いの火種は、間髪いれず先輩にも飛び火してしまったようで、今度は僕が疑惑の視線を向けられてしまいます。
「待て……鈴木。お前もまさかこいつを遠隔操作して自分の書いた物を選ばせる、などと企んではいないだろうな……」
「クッポ?」
訝しげに先輩に覗き込まれた鳩は、きょとんと首を傾げました。
「お、そうだっそうだっ!この吸血鬼っ!てめぇが一番反則キャラじゃねぇっか!」
さっきのお返しとばかりに、びしりと一條先生が僕を指差します。
人聞き……否、魔物聞きすら悪いことを言われ、さすがに温厚な僕も頭に血が昇り、ちょっと低い声になってしまいます。
「戯れ言を……今、僕にどれだけ力が不足してると思ってるんですか。こんな下らないことに費やす魔力なんか蝙蝠の糞程だって残ってないですよ。馬鹿馬鹿しい」
「あっ、こいつ本音言いやがったっ!てめっ、ノリノリの振りしやがって、俺よりよっぽど冷めてんじゃねぇかっ!!」
「貴様ぁぁ!ちぃの前で糞なんて下品な言葉を使いおってぇぇぇっ!!!許さぁぁぁぁんっ!!!」
相変わらず良く分からない逆鱗を持っている先輩が、吸血寸前の吸血鬼の顔でくわっとなってしまい、いや兄的にそれもどうなのよと僕は呆れます。
しかも何故か、一條先生が何かを吹っ切ったかの様にはしゃぎ出します。
「おいっ鈴木!名付け甘く見るんじゃねぇぞっ!!真剣に命ある物に名を与える覚悟がねぇんなら、今すぐこの勝負を降りろってんだ!!この冷酷妖怪!!」
うん。ほんとはノリたかったけど、普段ツッコミ役の僕までノリノリだったので乗るに乗れなかったんですね。
見た目年長者な責任感と、長い公務員生活で養った無駄なバランス感覚が仇となったのでしょう。
もとの世界じゃ駄目なおっさん過ぎて気付けませんでしたが、なんだかんだ言って案外、場の空気を読める人みたいです。
しかし、僕もただ冷静に一般論ばかり諭してはいられない事情があるのです。
「いいえっ。僕は降りませんっ!吸血鬼の王の名に懸けて!!この鳩を拾ってきた僕には責任があります!……少しでも『ポンチッチ』の確率を下げなければっ!」
伏せてある五枚の紙に確実に一枚、紛れ込んであるはずの死のワードカードを僕は示唆します。
「くっ……それは、同感だ」
「あぁ。それだけは、そんな不憫な名前だけは、絶対、阻止しなきゃなんねぇ……!」
グッと言葉を熱くする僕と先輩と一條先生。
「……あなた達、喧嘩売ってるの?」
今にも人魂をぶつけて来そうな目付きで、花子さんが僕らを睨みます。
「……可愛らしい名前だと思うのに……ポンチッチ」
青く透ける花子さんの顔から放たれる呪いの言葉にも、鳩はきょとんと首を傾げるばかりです。
「クルルルル?」
ただならぬ僕らの念を感じ取っているのか、若干落ち着かなげに、テーブルの上をうろうろしています。
テーブルに顔をつき出すように、鳩を覗き込む僕達と不安げにその面々を仰ぎ見る鳩を見て、千早さんは困ったように柔らかく笑っています。
「ふふ、大丈夫だよ。皆が一生懸命考えた名前だもの。君が好きなのを選んでいいんだよ」
鳩を安心させるように、千早さんが優しくその白い翼を撫でました。
「クポ!」
まるで千早さんの言葉が伝わったかのように、鳩の頭上にきゅぴーん、と見えないビックリマークが現れた気がしました。
「クルルルルポポポ…………クルッ♪」
全てを理解したとばかりに、鳩は迷いなくテーブルの上の紙切れの一枚を嘴に挟みます。
「おぉっ」
鳩はぱたぱたとテーブルを飛び立ち、僕の掌へと帰ってきます。
嘴に加えた小さな紙切れをどうぞ、と僕へと差し出しました。
「……賢い鳥ね」
花子さんの独り言のような感嘆を聞きながら、僕は緊張に震える手でそれを受け取りました。
しん、と部屋が静まります。
ごほん、と僕は重々しく咳払いをし居住まいを正します。
几帳面に四つ折りにされた紙をゆっくりと開きます。
「それでは……発表します!この鳩の名前は……」
お馴染みの効果音が、皆の心の中で流れていることでしょう。
僕は、紙に書かれたカタカナを読み上げました。
「……イチロー……です」
「クルクッー♪」
しーん、と部屋が静まり返ります。
明白にがっくり肩を落とし、周りの闇を濃くする花子さん。
不可解そうに眉を寄せ、僕の掲げた紙を見詰める逢坂先輩と一條先生。
罰の悪そうな千早さん。
複雑な思いの僕とご機嫌な鳩。
「……いや、だがよ、おい、鈴木ぃ……自分大好きなのはもうしょうがねぇが、いくら偽名でもてめぇの名前をペットにゃつけねーだろ」
哀れむような口調で、一條先生が僕に諭すように言いました。
この微妙な沈黙を破ってくれたことは有難いですが、なんで僕が末期のナルシストみたいな勘違いをされてるんですか。
「待ちなさい先生、僕はジローですから。鈴木次郎。いい加減、自分が担任するクラスの生徒の名前くらい覚えなさいよ。このインチキ教師。だいたい、日本でひっそりくらすのに、わざわざそんなグローバルな名前を名乗るわけないでしょう」
実際は幕末当たりに日本へ旅行した時にも既に使ってた名前なので、後の大リーガーとは縁も所縁もありません。
庄屋の次男坊って設定で適当に付けただけの名前ですし。
「そもそも、これ、僕の書いたのじゃないですし……」
一條先生と花子さんはともかく、僕と先輩には一目瞭然です。
この、控え目にも紙の端ッこに綴られた、女性らしいたおやかな文字は、もちろん、
「変、かな……?」
千早さんが自信なさげに下を向いて呟きました。
「い、いや、変ではないけども!」
慌てて取り繕う僕を、ぎろりと睨みながら先輩も深く頷きます。
「……素晴らしいセンスだ」
えー、真顔じゃないですか。感情の欠片もない顔じゃないですか。なんか逆に嘘っぽいです、先輩。
そりゃ、いい名前ですよ。日本人らしくこう、世界相手に渡り合えそうな……異世界ですけどね。この子、鳩ですけどね。
「……そうね、正直、ポンチッチの方が可愛いとは思うけど……」
いやポンチッチはねーだろと口を滑らせた一條先生に青白い人魂をひとつ投げ付けながら、花子さんは続けます。
「……これはこれで素敵よ。オールマイティーに活躍しそうよね。でも、どうしてイチローなの?」
花子さんのごもっともな問い掛けに、おずおずと千早さんが僕の顔を覗き込みます。
「あの……鈴木くんと凄く仲良くて、兄弟みたいだな……って」
「クルクルルルル」
同意するように鳩が僕の掌上で丸まって落ち着いています。愛情を表すかのように、小さな嘴で僕の指を甘噛みしています。
……確かに、僕の正体を鑑みれば奇跡だと言っても過言はないくらい、こいつは僕に懐いています。もはや吸血対照にすら出来ない可愛らしさです。情も移ってますよ。
兄弟、大いに結構ですとも。寧ろ逢坂先輩より遥かに抵抗なく受け入れられます。
……ですが。
「え……と、うん。僕が弟なんだ?」
その理由で名付けたなら、サブローにならないかい、千早さん?
「……?」
え、違うの?という顔の千早さんが驚いた顔で僕を見返します。そんな純粋無垢にきょとんとされたら、僕はどうしたらいいんですか。
「見苦しいぜ、鈴木。文句は無しっつう約束じゃねぇか?」
青白い人魂に纏わりつかれながら、一條先生が隠しもせずに笑いを堪えています。
「いや、文句っていうか、だってなんで、こいつ長男で、僕が次男……」
「クッ??」
何故、鳩のが格上なんですか。
「えっと、鈴木くんは、その…なんて言うのかな………キャラ的に……」
「えっ?」
キャラ?キャラ的に次男って、なんなんですか。キャラ的に鳩の方が僕より年上って何事ですか。
思わず千早さんを問い詰めようとした僕を、逢坂先輩が厳しく制します。
「兄も居ないのに次郎なんて名乗っていたお前が悪い」
ぴしゃりと真実を言い放つ先輩に、僕は言葉を詰まらせてしまいました。
「いや、それは……だって……居るっていう設定だっだんですもん……」
もう今更、家族構成なんて嘘を吐く理由もない僕は、口ごもりながらも正直にいじけて見せます。
堪えきれず笑いを吹き出しながら、一條先生が頷きました。
「ま、長男つっと色々な。跡取りだぁ、親戚付き合いだぁ、日本人はいらんしがらみがあっからなー。因みに俺も設定上は次男だぞ」
珍しく先生が同意してくれます。そんなしがらみは高校生にはありませんけどね。
「設定、設定って……貴様ら、開き直るにも程があるぞ!」
先輩がふるふると怒りに戦慄いています。
「そりゃもう。だって、もぅ正体バレちゃってますしぃ〜」
「うわぁ、何こいつ、ふてぶてしい態度っ。ま、だが確かになー。今更、人間ぶれないわなぁ」
べーと舌を出して、僕は注文通りに開き直って先輩を馬鹿にし、それを面白がって更に一條先生が煽ります。
苛立たしげに先輩が僕と先生を睨みます。
ですが、先輩が僕らに苦言を呈する前に、クールな花子さんの声が響きました。やっぱり条件反射で気を付けっとなってしまう美声ですね。
「……貴方達、いい加減になさい」
いつの間にか、生徒会室で日毎繰り広げられる名物のトリオ漫才になっていた僕達。
鳩の命名なんて既にそっちのけになっていたことに漸く気が付きます。
「……とにかく、このこの子の名前はイチローで決まりよ。いいわね」
「「「はい」」」
「クポッ♪」
全てを纏める氷点下な声音に急かされて、僕たちは反射的に声を合わせました。
ついでに鳩……イチローもしっかり鳴き声を僕らに合わせます。
試しに恐る恐る、その名前を僕は口にしました。
「い……イチロー?」
「ポポッ!」
どうやら気に入ったようで、どこか誇らしげに胸を反らしています。
「本人も気に入ったみたいですね…………千早さ」
千早さんに笑いかけようとした僕は、彼女の顔を見るなり絶句してしまいました。
イチローと僕に視線を向けながらも、千早さんの頬からは一筋の涙が流れ落ちます。
え、なんで泣いてるんですか。
「ち、ちぃ?ちぃ!どうした!?」
千早さんの異変に気が付いた先輩が、まるでこの世の終わりのような顔をして、妹の肩に壊れ物のに触れるかのように震える手を翳しました。
「あ……」
漸く、我に返ったかのように、千早さんははっと兄に視線を移動します。恥ずかしそうに涙を自らの指で拭いました。
「お兄ちゃ……ごめっ……ごめんなさい」
慌てて取り繕うように微笑んでみせますが、涙は制御不能らしく、顔を覆う細い指に伝って溢れていきます。
「どうした?どこか、どこか辛いのか?…………鈴木ぃ!!!貴様ぁっ!!!」
「いや、言うと思ったけどっ!!やっぱり僕なんですかっ!?」
思わず先輩に怒鳴り返します。
彼女の涙の理由が僕だというのなら、それはそれで光栄ですが、今回こそ本気で何の心当たりもありません。
もしや本当に身体の具合が悪いのかと、僕はベッドに腰掛けている千早さんへと歩み寄ります。
「大丈夫ですか、千早さん、どこか痛いとか……」
「ポポポポポ……?」
心配そうにイチローも僕の掌から、千早さんを覗き込みます。
「ち、違うの。鈴木くん、お兄ちゃん……わたし、嬉しくて」
ふるふると首を振りながら、千早さんが掠れた声で言いました。
「嬉しい……?」
僕も先輩も怪訝そうな表情で首を傾げました。
イチローが採用されたのが、泣くほど嬉しいなんて、ことじゃないようですけど……。
「……鈴木くんも、お兄ちゃんも、先生も、いつもみたいに仲良しのままだったから」
涙に濡れた顔で千早さんが笑います。やばい。綺麗だ。僕の本能、今、久々にちょっと頑張りだしました。慌てて気合いで封じ込めます。
「……いや、待て。ちぃ、俺は今まで一度たりとも、鈴木と一條とは仲良くした覚えはないのだが」
酷く不可解そうに千早さんを見詰めながら、先輩が首を捻りました。
「……凄く仲良いじゃない……物凄く幼稚だけど」
冷静に花子さんにまでそう言われちゃうと、正直僕には、否定は出来ません。仲良しかは別として、やっぱり楽しいのは確かですし。
「もう、何もかも、もとには戻らないって思っていたんだ……」
千早さんはそう言って、自嘲的に頬を歪ませます。
確かに、僕の知る彼女は、こんな淋しい微笑みなんて知らない、純情で幸せな少女だった筈です。
何も知らずに僕に騙されて、愚かにもこの化け物に心を許す、そんな矮小な存在だとばかり思っていました。
だから、騙されたことすら気付かせないで、全て僕のものにするつもりだったのに。
「ポポポ……?」
イチローは言葉を失っている僕と千早さんを困惑ぎみに見比べています。
せめて彼氏らしく彼女の涙を拭ってあげたいのですが、嫌な記憶が甦り、僕はただ、千早さんを見詰めるしかできません。
眼鏡が無いと人の顔の判別も難しいと言っていた筈の少女は、瞳に溜まった涙が揺らめきながらも、しっかりと焦点のあった目差しで僕とイチローを見つめ返しています。
千早さんの眼鏡は、狼の襲撃の際に壊れてしまいましたが、あれから彼女に不便そうな様子は一切ありません。
千早さんのことならなんでも知っている、そう思い上がってたころのお目出度い僕には、確かにもう戻れないのでしょう。
「ま、なんだ、仕切り直し、てやつだな。何にしても、ずっと同じままなんてもんはねぇんだよ。なら、先に進んだほうが面白ぇだろ」
辺りに漂う重苦しい空気を断ち斬るように、いつもより声を響かせ、先生が言いました。
先輩もその声に力強く頷きます。
「たまには一條も真面なことを言う。だが、どんなに変わろうと、どこへ進もうと、千早は千早だし、どんな存在になろうと俺は俺だ。何も恐れることなどない」
「先生、お兄ちゃん……」
千早さんの視線が一條先生と先輩に移り、そしてまた吸い寄せられるように僕へと戻ってきます。
お前も何か言えという先生の目配せと、彼女を傷付けるような発言は承知しないぞという先輩の眼光が僕に突き刺ささっています。
僕は、何かに観念したような苦笑いを溢し、降参の吐息を漏らしました。
察したかのように、イチローは僕の掌から飛び立ちます。花子さんや照明器具や家具を器用に避けながら部屋中を旋回しています。
僕はベッド脇に跪き、自分の手を千早さんの前に翳しました。
「鈴木くん……?」
開いた掌をゆっくりと裏返し、握ったり開いたりしながら、己の手がちゃんと人間の形と感触を保っていることを確かめます。
少しだけ、不安そうに揺れた千早さんの瞳から目を逸らさずに、僕はやさしく囁きました。
「大丈夫、同じ失敗は繰り返さない」
そして、そっと、彼女の頬に触れました。
人間のように柔らかくした僕の肌に、ひたりと濡れた感触が伝わります。
それは、どんなに魔力を費やして人に化けたとしても、僕には決して再現できない温かさがありました。
この身体中を支配するのは紛れもなく血に欲した飢えの熱さなのに、僕の狂暴性をことごとく殺ぐ、矛盾した熱。
「……こんな化け物の言うこと、信じてくれなくて構わないけど……今まで君に明かした気持ちに、嘘なんか一つだってないから」
何を言ってるんだ僕は。
「……え?」
質の悪い魔法みたいに顔に火がつく錯覚に囚われた僕に、一瞬遅れて、ただでさえ泣き顔な千早さんの頬もみるみる更に赤くなります。
「…………まぁ♪」
ニヤリ、と花子さんが先生の背後で不気味に笑っています。
先輩の殺気と、先生の警戒、そして花子さんの幽霊とは思えない野次馬な視線に、僕はもうどうにでもなれと言葉を続けます。
「千早さんが僕に何を隠してたって、僕が君にどんなに酷いことをしたって、先輩に殺されたって撤回するつもりはないよ」
彼女の熱い頬から手を離し、僕は拭いとった彼女の涙をぎゅっと握り締めます。
僕は馬鹿じゃなかろうかと、我ながら呆れ返ります。今更、人間の真似して恋だの愛だの、そんなものなんの役にも立たないでしょうに。
だけど不意に、千早さんの指が僕の掌へと触れたのです。
思わず肩が震えて、驚きの顔を彼女に晒してしまいます。
「わ、わたしも」
指先まで赤く染めた千早さんの小さな手のひらが、優しく僕の手を包み込みました。
「わたしのことも、きっと信じてもらえないと思うけど……」
異世界の聖なる白衣を身に付け、涙に濡れた真っ赤な顔で、おずおずと僕の顔を伺う少女は、僕のような存在から一番離れた場所にいる生き物だと思いました。
「……鈴木くんのこと、まだ、こ、こ、恋人って、思っていても、いい、かな?」
返答の代わりに僕は、跪いたまま、この手に重なっている彼女の掌へと静かに唇付けを落としました。
先輩が勢いよく立ち上がります。手を伸ばされ引き剥がされるならそれはそれでいいと、僕は敢えて何も言わずに、千早さんの掌を堪能しています。
条件反射で伸びた牙が口内を切りますが、僕は構わず口を閉じたまま、唇だけで肌に触れます。
僕の首根っこへと伸ばされた先輩の腕は、唇の端から溢れた僕の血を見て、止まりました。
酷く複雑な表情で、千早さんと僕を見つめています。
邪魔者どもの前では言葉にしまいと、今まで努めて遠回しな言い方をしてきたというのに、いつの間にか、僕の口は自然に動いていました。
「……大好きだ。千早さん」
だから、何度でもやり直します。
本当の意味で、君の全てを僕のものにするまでは。
唇を離して、切れた口を自己再生細胞に、平謝りで治してもらいながら、居心地の悪い羞恥心に千早さんから顔を背けます。
ただ、重なった手はそのままなので、あまり効果はありませんが。
「……ふふ、あれのどこが食べ物に対する態度なのかしら」
花子さんが意地悪に呟きます。
「けっ、リア充吸血鬼め。成仏しちまえ」
さっきから、一條先生は宗教観も時代感覚も出鱈目な妬み言と舌打ちを繰り返しています。
「…………」
逢坂先輩はまだそんな力はない筈なのに、なんとも呪力すら滲み出るブラックな視線を無言で僕に向けています。
吸血鬼には視線で魂抜き取る技とかもあるんですが、正直、先輩には教えないでいようと心に決めました。だって僕の魂、幾つあっても足りなくなりそうです。
「クルッポッー!」
伸ばしたままで固まっていた先輩の腕に、何を勘違いしたのかイチローが降り立ちます。そのまま落ち着いて、まるで止まり木のように居心地よさげに羽を繕い始めます。
「……くっ」
どうすることも出来ずに、先輩は僕へと腕を伸ばす変な格好で停止しています。
その様子が滑稽だったからか、漸く千早さんがくすくすと笑いだします。
つられて僕も笑い、一條先生も豪快に笑います。花子さんは更に不気味な笑顔をつくり、先輩はやっぱり相変わらず憮然とした顔をしています。
「よし、それでは、作戦会議といきましょうか」
「クルックー!」
まぁ、なんとかなるだろう。
未知の世界を目の当たりにし、正体がばれ、未だ食事も儘ならない。なんだかんだで結局、鳩の名前しか決まっていないこの状況で、この時の僕は確かにそう思ったんです。
だって、そうでしょう?
千早さんが僕の手を握り、笑っていたのですから。
因みに、この話のサブタイトル、1〜5の発案者の並び順は、この物語のタイトルと同じです。




