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2.ひとおもいにお願いします。

もしも奇跡の人がいらしたら、サブタイトルは変えてましたとお伝えください。


「鈴木くん、大丈夫だよ、もう少し頑張ってっ」


痛みのあまり真面な声すら発せられないまま、藻掻き苦しむ僕に、涙をぽろぽろ溢す愛しい彼女が、必死で語りかけてくれています。


「今すぐ、回復魔法で治してあげるからっ」


その非情な死刑宣告を、僕は為す術もなく聞いているところです。


皆さんこんにちは。日本の高校から異世界の荒野に飛ばされて、狼に食べられかけたら、何故だか凄腕の聖剣士に変貌した恋人に殺されかかっている哀れな吸血鬼、鈴木次郎です。


御存じですか、千早さん、アンデッド系モンスターって回復魔法でも倒せるんですよ。


自分の詳しい分類は知りませんが、骸骨とかゾンビ系のモンスターは僕の子分みたいなものですし、親玉の僕だけ例外ってこともない筈ですよね。


死の呪い的な魔法だったら、もしかしたら僕の邪悪なHPも回復するかもしれませんが、案の定、千早さんはキラキラ光るピンクの魔方陣を展開して、吐き気がする程の聖なる力を集めています。


それにしても、彼女、もの凄い魔力の持ち主です。消耗しているとはいえ、今の僕と同じか、それ以上か……現代の地球人ではそうそうこんなミラクルパワーはあり得ません。あれ……?人間、ですよね、千早さん?


僕はもしかしたら、とんでもない者の血を飲むつもりだったのかもしれません。


「ち……は、や、さん」


漸く少し引いてきた痛みを押し退け、僕は彼女の名前をなんとか発音します。


千早さんは、僕を安心させようとするかのように、涙の溜まった瞳を細めました。


「ごめんね、わたし、鈴木くんに話してないことがいっぱいあるんだ……あとでちゃんと説明するから……今は、治療するね?」


右手に聖剣、左手に頭上に聖なる魔法の紋章を光らせながら、聖女のような千早さんの優しい微笑みが降りかかります。


僕は自嘲の笑みが口許に漏れるのを隠しきれません。


おかしいなぁ。話してないことがいっぱいあるのは、僕だけだと思っていたんだけれど。


まぁ、こうなってしまったら、今更何を考えても後の祭ってやつですが。


僕の心は思いの外、穏やかなものです。

まるで聖画の前で天に召される犬と飼い主の心地です。


うん、そりゃもううんざりするほど長い時間を過ごしましたからね。


今更、消滅を怖れるような可愛いげは僕にはありません。


むしろ、彼女の正体とか、これからこの異世界で巻き込まれるであろう騒動の予感に、早くギブアップしたい気持ちで一杯です。

……千早さんなら、僕が守らなくても何の問題もなさそうですし。


出血多量と影の損傷で弱りきった今なら、いかに不死者の僕だって、聖なる魔法で一思いに消滅できると思うんです。


僕は力の入らない手で、彼女の頬に筋ついたままの涙を拭おうと伸ばしました。


「ありがとう。千早さん……大好きだよ」


ハッピーエンドは無理なんですから、ちょっとクサいラストシーンくらいは許して頂きたいものです。


「……っ!」


息を飲んで頬を真っ赤に染める千早さんの、僕がよく知る初々しい所作に満足して、瞼を下ろしました。


僕の死はイコール魂ごときれいさっぱり消滅することを意味するので、来世なんてありえません。

だけど、それを残念に思ってしまうような最期が、まさかこの僕に訪れようとは。


まったくいつから、こんなロマンチストになっちゃってたんでしょう。日本のサブカルチャーって偉大です。


って……あれ?


千早さーん、頼むから焦らさないで、いっきに殺っちゃて欲しいんですけど……。


なかなかこない回復魔法の衝撃に、僕はうっすら瞳を開け、恐る恐る様子を伺います。


そうして、僕は今まで目を閉じていたことを激しく後悔したのです。

あ、なんかこの言い回しは概出な気がしますね。すみません、芸がなくて。


千早さんは、驚いた顔で僕を見ています。魔方陣を展開していた筈の掌は自らの頬を覆っていました。


女の子らしい小さな手の指の隙間から、溢れ零れている新鮮な赤が視界に飛び込んできます。


「…………あ、やべ」


狼さんを葬った爪を丸くするのを忘れ、千早さんの肌に傷をつけてしまったことに気が付いた時には、時既に遅し。


羞恥やときめきとは程遠い赤に染まった彼女の頬から、涙混じりの一筋の血が、僕の口許へと届いてしまった後でした。


抗えない本能に、僕はその血を何の思考もしないまま、舐めとってしまいます。


「……っ!!!」


その瞬間、自分の中の何かが覚醒するのを感じました。


影の痛みは嘘のように消え、肩の傷も心臓の欠損も、吸血鬼視点で見てもあり得ない速さで回復していきます。


そして、改めて僕を苛むのは、いまだかつて感じたことのなかった欲望の嵐。


背筋が凍りつく恐怖にも似た、激しい飢え。


ヤバい、ヤバい、ヤバい。


……これは、非情にまずい。


「え……?す、鈴木、く、ん……?」


僕が客観的にどんな有り様なのかは、思わず逃げるように後ずさる千早さんの表情を見れば容易に想像が付くことです。


目は白眼まで真っ赤に爛れて光ってるでしょうし、犬歯は鋭く伸びていることでしょう。


えぇ、それはもう、ホラー映画でお馴染みの嘘臭いほどのヴァンパイアです。


吸血鬼映画を見るたび、人間の想像力だけは甘く見れないよなっていつも感心してましたもの。


実際は鏡にも写るし、直射日光も、日焼けしないだけある意味人間よりも強い、ニンニクも十字架もへっちゃらな、映画や小説よりもずっと都合のいい存在ですが。


ですがね、人間にとっても、それが一番いい状態なんですよ。


もし、吸血鬼に弱点なんてものがあって、人間達が僕らの脅威となっていたら、きっと臆病な僕は人類を絶対的な支配下に置こうとした筈です。


そう、今みたいに。


僕の本能は、僕の存在を脅かす者を完全に支配することを望んでいます。


「血、血、血、ヲ……ヨコセ」


……勘弁してくれ。こんなのただの化け物じゃないか。


勝手に頭の悪そうな言葉を喋りだした口を閉じることすら出来ない僕は、狼さんも引きそうな涎を滴しながら、千早さんへと迫ります。


「……っ!鈴木くんっ!どうしたのっ!?しっかりしてっ!」


がたがたと震えていた千早さんは、僕の腕が届く寸前で狼さんを全滅させた剣士の動きを思いだし、後ろへと飛び退ります。


僕の理性は、色めき立つ細胞どもに羽交い締めにされている状況で、暴走する自分をどうすることもできません。


ああ、今まで僕があんなにも千早さんに惹かれていた理由がはっきりと判明してしまいました。


たった一滴の血で、いかに手負いで餓えていたといえども、この僕がこんなにあっさりと狂ってしまうなんて。


ただの獣と化した僕は無駄のない動きと、吸血鬼本来の力を惜しみ無く発揮し、容易に千早さんの背後を奪いました。


「くっ」


戸惑いながらも、千早さんは護身の為に剣を振るいます。


そんな消極的な攻撃じゃ駄目だ。せめて戸惑いは捨ててくれないと、僕は止められません。


僕は易々と彼女の振るう黄金の剣を片手で受け止め、捻り折ってしまいました。


「……う、嘘……」


成る程、確かに並の魔物では触れただけで消滅するくらいの清浄な刃です。僕の影を斬ったのも頷けます。


だけど、今の僕はそれを相殺して余りあるほどの、邪な力の塊。僕は手に残った刃の残骸を詰まらそうに放り捨てました。


なにやってんの!?異世界の貴重な戦力かもしれない聖剣をなにポッキリ折っちゃってんの!?こら!ちょっとポイ捨て禁止っ!!!


必死で主導権を取り戻そうとする理性が叫んでいますが、不快な存在を排除する、彼女の血を飲み干す、今の僕にはそれ以外の行動指針が持てません。


「捧ゲヨ……血ヲ……血、血、スベテ……ワレニ……」


「だめ……目を覚まして、鈴木くんっ……」


たぶん拘束系統の魔法でしょう、彼女の足元にまたピンクの魔方陣が浮かび、銀色の鎖が僕の身体に向かいます。その鎖を引き千切りながら、僕の腕は千早さんの首筋を捉えます。


「ぐっ……」


死んでしまうと直ぐに血は飲めない状態になってしまうので、力加減に気を付けながら、僕は彼女の細い首を締め上げました。


くそ、そんな絶妙な手加減が出来るなら、理性を戻せ!理性を!


だけど僕はいよいよ理性の声をも遮断し、吸血鬼としての矜持すら捨てる行動を選びます。


苦しげにもがく千早さんの首を締め上げたまま、己の歪んだ眼差しの正面に据えました。


「サァ、我ヲ見ヨ……我ニソノ魂ヲ曝セ」


「や……あ……鈴木く、んっ……」


僕の眼に溜まる淀んだ赤く渦を巻く闇が、容赦なく千早さんの澄んだ眼差しを蹂躙していきます。


「ナニモ、考エルナ……ワレニササゲヨ……ウケイレヨ」


毒を撒き散らすみたいな僕の声と禍々しい光を帯びた視線が、千早さんを捕らえます。


日本人らしい深い川面のような澄んだ影色の瞳が、徐々に僕の、化け物の血の色に汚されていく。


「あ……す、ず、き、くん……好き…ダイスキ………」


……止めろ。違う。僕が欲しいものはこれじゃない。これは、絶対に違う。


千早さんじゃない。


漸く僕の心がほんの僅か、意識の表面に鎌首をもたげます。


「ヤメ…ろ…」


魅了の力。獲物の血を己が吸収できる状態へと、つまり僕に血を捧げることを渇望するような思考状態へと変換する強力な暗示です。


意思ある者を強制的に隷属させる能力。


僕は自分の立場を卑下するような弱虫ではないし、人間の持つ倫理や正義に必ずしもこの存在が同調できる訳ではないとも知っています。


人間と同じ視点に立てるなんて思わないし、立ったところで僕に理解できるとも思わない。

綺麗事を言えるような存在じゃないってことなど重々承知している。


だけど、それでも、たとえこれこそが吸血鬼の王である証の力だとしても、どうしても気に入らないことだってあるんです。


「止めろっ……そ、れ、は、ちは…や……さん…………僕、の……」


僕のものだ。


この忌まわしい力で捩じ伏せて飲み干すような、彼女の身体にはそんな安い血は一滴だって流れちゃいないんです。


力の抜けた眼で、恍惚と僕を見詰める生気の抜けた少女。


こんな死んだような魂を掴んで、支配した気になる訳にはいかない。


まだ、付き合って一週間なんですよ。

手すらまともに握ってないんですよ。


「…ガッ!?……クソ、邪魔ヲスルナ……」


僕は彼女の首筋にに牙を立てる寸前で、妨害する自身の理性に頭を抱えながら呻きます。


まさしく、RPGお決まり、自分が吸収した当て馬中ボスに裏切られ抵抗され絶体絶命なラスボスの図です。


今だっ!勇者……俺が魔王の意識を押さえてるうちに……とどめをっ……!


そんな、そんなことしたら、お前まで巻き添えに……


構わん……こいつの罪は俺の罪……俺が終わらせなければならないんだ……!


だがっ……


頼む……勇者っ……!今まで犠牲にした命を無駄にしないでくれ…………ぐあっ……もう……もたんぞ………さぁ、やるんだっ!


くっ……くそっー!!!


どっかーんっばりばりー!!


そして勇者の剣は魔王を貫き、世界に平和が訪れました。めでたしめでたし。



……失敬、精神的負荷が大きすぎて一瞬、更なる別世界に行きかけたようです。


現実はまだなんといっても異世界に飛ばされほやほやのオープニングです。


そんな都合のいいラスボスが僕なわけもなく、勇者の立ち位置だった筈の千早さんはこの手に囚われたままだし、聖なる剣は既に真っ二つです。


この努力に報いる結果を得るのは難しそうです。


それに、彼女の、いや例えばこれが千早さんじゃなくたって、僕はもう血を飲みたくて飲みたくて仕方ないんですから。


「く……そ……」


僕の本能は責め手を変えて、意識ではなく身体の動きにその重きを置くようにしたみたいです。


流石は僕の本能というべきか。野生の癖にやることが陰険です。


望む、望まないに関わらず、僕の口からはみ出した牙は、千早さんの顕になった白い首筋へ、そこに浮かぶ青い血管へ吸い寄せられていきます。


「いや……だ……」


言葉とは裏腹に、僕の牙の切っ先は柔らかい人肌に触れました。


「スズキクン……」


魂レベルで不本意だろう甘い声が、千早さんの唇から漏れてきます。

僕は、抵抗を忘れてしまうほどの愉悦で喉を鳴らしました。


「ごめん……千早さんっ……」


その絶望に僕は瞼を閉じ、来るべき血流に備えます。こうなれば、一滴も溢さず、最小限の血量で自制し、彼女の命を長らえさせなければ。……それは今僕を蝕む飢餓を感じれば、とても現実的とは思えない希望ですが。


だが、僕の牙は彼女の血管へは届きませんでした。


「縛、索、趾」


突然、背後で静かに響いた低い声に、僕の頭が後ろへと引き吊られるように、弾け上がります。


千早さんの肌が耐えきれず破られる一瞬前に、僕は見えない鎖に絡みつかれるようにして仰向けに倒されたのです。


「一條、先生……」


僕を見下ろすのは、錆びたような無精髭、だらしないよれたシャツに黄ばんだ白衣、履き古したトイレの健康サンダルという出で立ちの中年男です。


自分で呼んでおいてなんですが、確実に年下という理由以外で、僕がこの敬称にここまで違和感を覚えるのはこの男、一條信太先生だけです。


「……ったっく、鈴木ぃ、てっめぇ遂に本性現しやがったなぁ?大人しくいい子にしてたら見逃してやったてぇのに」


印を組んだ両手を隙なく僕へと翳し、僕の知るその人とは別人のような鋭い眼光を放ちながらも、緊張感のないだらけた言葉で先生が言いました。


一條先生の操る見えない楔で、僕の身体は地面に縫い付けられるように固定されています。


先程、千早さんが出した魔法の鎖とは異質の、もっと無機質な、実質的な力。


これは、僕も古くから良く知るところの術技です。


今、この小汚ないおっさんがそれを僕へと放ったのは記憶にある限り初めてですが、こういうことが出来る人間が地球にもいるってことを、僕は知っています。


「ちぃっ……!?しっかりしろ!!ちぃっ!!!」


そして、僕の呪縛が解けて倒れ込む千早さんを受け止め、狼さん千匹分の殺意を僕へと向けるもう一人の男も、やっぱり僕がよく知る人物。


「鈴木ぃぃ!!!貴っ様ぁっ!!!」


「……逢坂先輩」


今は、怒りに顔を歪めているものの、たとえこの形相でないとしても、女性なら正視すら憚れるほどの美青年。


男で、尚且つ憤怒の表情をもって、この僕が美しいと評価するんだから大したものです。


彼は星柳の王子と名高き生徒会長であり、そして、


「かはっ……ぅん……、お兄、ちゃん……」


「ちぃ……!!!」


そして真性のシスコン、僕の天敵、千早さんの実兄、逢坂久遠先輩です。


目が覚めるのが遅すぎるんだよ。この無能な牡猿どもめ。


「いぎっ……」


たぶん、攻撃性に反応するようになっているんでしょう。

僕のブラックな無言の独白へ呼応するように戒めが強まります。


その瞬間を見計らったように先生はまた呪言を吟じ、見てるだけで吐き気がする絡まり方に結んだ手をほどきます。ですが気を抜く暇もなく、今度はカンチョーの形で手刀を打ち込む動作です。


七回、確実に僕の急所、つまり身体と魂の繋ぎ目に見えない釘が打ち込まれました。


「……うしっ、これで暫く動けんだろ」


藁人形か、どこぞのマッチョさんに死亡宣告を請けた可哀想なモブキャラの心地です。


「鈴木くん……」


堪らず息を飲み顔をしかめる僕を、なんとも形容しがたい眼差しで、千早さんが見詰めています。


当たり前ですが、それは少なくとも、もう、彼氏に向ける視線ではありませんでした。


「貴様、よくも、ちぃに傷を付けたな……八つ裂きにしてくれる」


怒ると周りが見えなくなるのは血筋なのか、聞いたことのないような低い声を震わせ、先輩は成り振り構わず僕に飛びかかろうと迫ります。


「お兄ちゃんっ!!」


千早さんの頬にべったりこびり付いた血に汚れた傷と、首に残る僕の手形、うなじに赤く腫れた牙の痕。


八つ裂きとこの五寸釘の、どっちがしんどいかは分かりませんが、出来るものならしてくれと是非ともお願いしたいです。


でも、流石に一條先生に止められます。


「落ち着け、逢坂。ありゃ、てめぇみてぇな普通の人間にどうこうできるもんじゃねぇから」


確かに、先輩からは妹のような魔力は全く感じられません。


むちゃくちゃに怒ってるのはさっきの千早さんと変わりませんが、先輩からは聖なる剣が出てくる気配もないですし、空も飛べそうにない感じです。


「だがっ……!!」


宥めるように先生は逢坂先輩の肩を叩きます。


「俺に任せろって。ま、この通り、俺ァ普通の人間じゃねぇ訳よ。ちゃんとこの吸血鬼は殺してやっから。……あぁ、まずぁ妹に付いた傷を消してやらんとな」


言いながら先輩を強引に押し退けて、先生は言葉通りに、千早さんの前に向います。


まだ立ち上がれない様子の彼女の正面にしゃがんで、頬の傷にどこからか取り出した白い紙形を押し当てました。


「せ……先生?」


驚く千早さんに、先生はにかりと笑いながら、空いてる手で髪を撫でます。


「心配すんな、ちょっとしたマジナイよ。……ったく娘子の顔に傷を付けるたぁ、妖怪でなくても万死に値するってもんだぜぇ、鈴木?」


その通りだと思うから、僕は何も言わず、千早さんの血に汚れた顔を見詰めています。


「違うの、先生、この傷は……たぶん、事故だったと……」


この状況で、清廉な理屈を翳そうとする彼女に、僕は思わず口許に酷薄な笑いを浮かべてしまいます。


「……へぇ、本当にそう信じてくれるんだ、千早さん?」


僕の言葉に千早さんはびくりと肩を震わせます。無意識に首筋を手で覆います。


もう声を漏らすような恥は晒しませんが、楔は更に捩り込む力を強めました。


「化け物は黙ってろ、糞が。逢坂妹、ちょっとだけ目を瞑ってな」


千早さんが言われた通りに瞼を下ろすのを見計らって、先生は呪言を唱えます。すると頬を覆った紙形が白い炎を伴って燃え尽きました。


過保護なお兄さんが叫ぶ暇もなく、一瞬で消えた炎の痕には、傷はおろか血の汚れひとつない千早さんの美しい肌が現れます。


「……お見事」


思わず口から漏れてしまった本音に、一條先生は不可解そうな顔をして睨みを利かせましたが、結局無視して彼女の身体の他の傷に取り掛かりました。


同じ方法で首の痣は消えましたが、だがやはり、首筋の歯形は消えませんでした。


「ちっ、こいつぁ無理か」


「僕が消滅すれば消えますよ」


二度無駄な試みをしてしまった先生は、親切な僕の助言を聞いて諦めたように立ち上がりました。

千早さんが控えめにその袖を引きます。


「あの、一條先生……」


「だ、そうだ。悪りぃがもうちょっと我慢しな、すぐ済ませてくるわ」


一條先生は千早さんに背を向け、僕を見下ろし仁王立ちです。寝転がる僕を、呆れ顔で覗き込みます。


「ったーく、人間じゃねぇとは疑ってたが、まさか吸血鬼だったとはなァ。純血種みてぇだし、よく平成の世まで生きてこられたもんだ」


「……心配されなくても、もう僕で終わりですよ、先生」


自分の信念を曲げずに済んだことに安堵し、僕としては最初から抵抗する気など更々ないにしても、まだ餓えた本能が潰えた訳ではありません。


それでもこの身体が、彼の放つ呪縛の術にびくとも動かないことは、捨て置くことが出来ない事実でした。


万が一この人が地球に戻ることが出来たとして、僕の抹殺に味をしめ、吸血鬼狩りなど始めだしたりしたら、一族は窮地に立たされるでしょう。


僕の言霊は強いので、嘘とさえ見破られなければ、無意識のうちに人間の深層に根付きます。


たとえ気休めだとしても、一族の、いや、全ての命なき者の長として、最期まで最善を尽くすのが僕の義務であり、誇りです。


僕は切り札を見せ付ける時の、最高のどや顔で言いました。


「吸血鬼、最期の真祖たる我を滅する誉れ、その卑しい血に刻むがいい。狐の子、安倍晴明よ」


別にこんな技とらしい魔王チックな、恥ずかしい言い回しを選ぶ必要はないんですがね。


だけど、僕が人間とは全く別の存在であることを、そんなふうに悲しい目で同情されるような死生感は、端から持ち合わせていないことを、一條先生の後ろから僕を覗く千早さんに少しでも分かって貰う為です。


つい十分前までは完璧な鈴木くんだった僕が、目の前で化物と変貌し、挙げ句になんだか陰陽師な担任の先生に消されるんです。

少しでも更に嘘に臭く、馬鹿らしく。この身の終幕を出来るだけ下らない茶番に仕立てることくらいでしか、もう僕には彼女の眼差しに答える術がありませんから。


「ふははは……なーんて、僕のキャラじゃないですけどね」


身体を拘束されているからか、血の乾きは諦めの境地で、もはや僕の意思を乗っ取る元気もありません。


一條先生は、ふざけた様子の僕に、ケッと鼻筋に皺を寄せました。


「……てめぇは、俺様の正体に気付いてたってぇわけか」


狙い通りに嘘の方をスルーして、食い付いてくれたことに内心ほくそ笑みます。


そもそも地球上の吸血鬼の数なんて今の先生にとって重要な問題ではないのでしょうし。だけど、僕の呪を交えた言葉は、今この場で疑えないのなら、生涯疑うことは叶いません。


取り合えず仲間に迷惑を掛ける死に方だけは免れた僕は、上機嫌で喋ります。


「いや、まさか御本人とは。てっきり熱烈な陰陽師マニアか、悪くて御子孫かと思ってました。だって安直すぎですよ、一條信太先生。それ自宅前の橋と、母親の実家の森の名前を合併せただけじゃないですか」


これは事実です。なんか得体の知れないやつだなーとは薄々感じてはいましたが、今思えば素晴らしく平穏無事だったあの学園生活で、どうして担任教師が平安時代の陰陽師かも、なんて疑えましょうか。


ただ、実は貴方の御母堂とは昔ちょっと深い仲にあったから、彼女の十八番だったこの拘束の術を浴びて、ピンときちゃったのよって真実は、胸に秘めたまま逝こうと思います。


殺すか殺されるかのこんな場面でなんか、ビミョーな空気が流れるのも気不味いし。

昔の愛人の息子が見た目僕の親くらいのオッサンて、軽くカオスだし。


息子は父親似とは聞いていたけど、ねぇ葛葉ちゃん、母に似てないにも程があるよ、この子供。


いや何より、まず、千早さんにとって鈴木次郎は永遠のチェリボーイであるべきです。

元カノがどうとか、そんな段階まで辿り着けませんでしたから僕たち。


いつもと変わらない生徒然とした口調に戻してのうのうとお喋りに興じる僕と、先生は調子を合わせ愉快そうに笑いながらも、どうやらトドメの術へと準備を初めてます。


この辺で迷いを見せないところは流石にプロだなと感心します。


足を一定の法則で僕の周りに輪を描くように進ませるのは、なんと言いましたか、アジアで良く見る人間の呪法だったはずです。


「あー…別に隠す必要もねぇし、はじめは本名使おうと思ってたんだがな〜。……正直、ビビったわー。こんな胡散臭いオヤジが、まさか千年後の歴史に残るたァ思わんだろ」


そんな風に自分で言っちゃうあたり、清々しいまでの胡散臭さです。

たとえ教室で堂々と安倍晴明を名乗っていたとしても、僕は彼の正体に気が付けたか自信が持てません。


だけど、まぁ、近年この人の知名度も鰻昇りですからね。小説に漫画にアニメに映画、特に最近は陰陽道もブームですしねぇ。種族単位の僕と違って名指しで個人名ってのは痛いよね。


「……まさか、一條も人間じゃないのか……」


頭の痛そうな顔をして、無言で僕達の会話を聞いていた先輩が初めて口を挟みます。そして、いつの間にか、千早さんを膝の上に抱えています。


紀元前の神様クラスの美貌を持ってる癖に、ほんと残念なシスコンぶりですよねー。お兄ちゃんの膝に収まってる千早さんは可愛しですが。


ちなみに一條先生に敬称付きの敬語で話す生徒は、星柳高校広しといえど、世代を越えて敬語キャラを演じ続ける僕と、天性の眼鏡っ娘、千早さんくらいだったと思います。


それ程に、一條先生は教師としての自覚も威厳もない人でした。実際、教員免許なんて持ってないんだろうな。僕も戸籍なかったし。きっと先生も如何わしい術でいろいろ裏工作したんだろうな。


「お、幽霊だ妖怪だぁに縁がねぇ奴はやっぱり知らねーか。安倍晴明ってな、まぁなんだ、平安京じゃちぃったァ名の知れた……」


「いや、俺も安倍晴明くらいは知っている。だが、一條がその平安時代の陰陽師だというのなら、お前は千年以上も生きているということになるだろう」


いつものやる気のない授業みたいな語り口で自己紹介を始めた先生を、逢坂先輩の不機嫌な声が遮ります。


「おいこら、逢坂、せんせーに向かって「お前」は流石にねぇだろうよ」


「……たとえ本当に千年以上生きているとしても、一條のことは教師だとも年長者だとも思えないのだから仕方がないだろう」


生徒会の顧問でもある一條先生とは先輩もかなり関わりが深いのですが、基本、倫理的で融通の効かない先輩は、この適当を擬人化したような不良教師とは、もともとあまり反りが合わないのです。


「いや、先輩ー、その人、結構な魔力は持ってますが、所詮は半分の血ですからね。千年とか、そんなに長くは生きれないですよ」


放っておくと生殺しの僕を無視して延々噛み合わない会話を続けそうな二人に、親切な補足を加えてやります。逢坂先輩は彫刻のように美しい顔を更に歪めました。


「何が先輩だ……お前は自分がやったことと、置かれてる状況がわからないのか」


「何を言ってるんですかぁ、久遠義兄さん。たぶん、今の状況も、自分がやらかした失敗も、誰よりも僕が一番良く理解してますってー」


僕はにっこりと、鈴木くんスマイルで応じます。犬歯は引っ込んでくれませんが。


「つまり、夏休みなのに鬼会長に虐められて書類の山と格闘してる最中に女神のような千早さんが差し入れてくれたアイスクリームを一條先生に横取りされたと思ったら、突然異世界に飛ばされて、びっくりする間もなく狼さんに約300匹に襲われて、うっかり千早さんを襲い損ねて、正体バレて、一條先生に捕まって、はい、もうすぐ消滅させられてゲームオーバー〜ってことでしょ?で、ちなみに一條先生は、実は平安時代からタイムトリップしてきちゃった半人半妖……あー、半神かな?の陰陽師安倍晴明さんなのでーす。あー、最期にアイスが食べたかった」


「ふざけるな!誰がっ、義兄だっ!?」


「そんな、鈴木くん、消滅……だなんて」


「けっ、俺が過去から来たのもお見通しか。てかあのアイスは俺のだろ……って、おい、異世界ってどういうこった?」


僕の簡潔明快なこれまでの粗筋説明に、ほぼ同時にてんでバラバラのリアクションを返す三人。


取り合えず、一人前の聖徳太子スキルを持つ吸血鬼は、一番話が進みそうな一條先生の言葉へと返事を返しました。


「いや、どう考えても僕のですよ。あんた既にガリゴリくん片手に持ってたじゃないですか……じゃなくて。まぁ、空間移動の負荷に気絶しちゃったのはその生身じゃあ、しょうがないとしても、まさか安倍晴明ともあろうお方が、ここが地球と同じ時空にないことも解んなかったんですか?」


僕の言葉に、先生は困ったように辺りを見回します。


「いやぁ、てっきり、てめぇの幻術かなんかだと思ってた」


それにしても、平安時代の人がこういう乱れた日本語を何処で覚えたんでしょう。……あぁ、お母さん、かな。


ちなみに僕は2ちゃんとかで覚えました。人間の世界に馴染めない吸血鬼ですってスレたてて、最終的に大炎上させたのは伝説です。


「ちょっと、こんなんが僕の幻術って誰得ー。僕、狼男にどんだけ怨み持ってるんですか」


見渡す周囲には千早さんが華麗に切り刻んだ狼さん320匹の哀れな残骸が折り重なっています。先生の足元には、僕の心臓を齧った狼頭の氷漬けと千早さんの折れた聖剣が、ころりと転がっていました。


それから今ちょうど、一條先生は、術用の足踏みを終えたようです。

ずしりと、僕を穿つ楔が一際重くなり、動かない身体を包むように、赤い五芒星が浮かび上がります。


「鈴木くん……先生っ!やめてくださいっ!」


「ちぃっ!?」


千早さんが、止めるお兄さんを押しどけて立ち上がりました。


「す、鈴木くんは、確かに魔物かもしれないけど……、ちゃんと、心があって、わたしを守ろうとしてくれました。だから、だから、殺さなくてもいい方法がきっとあるはず……」


心がある、なんて、狂った僕を見といてよくそんなことが言えると思う。

彼女を守ろうとしたんじゃない。僕が守りたかったのは、偉大なる吸血鬼としての己の矜持ですよ。


一條先生は哀れむような眼差しで、千早さんと僕とを交互に見比べます。


「……だってよ、鈴木。おめぇ、今俺がこの縛を解いたら、愛の力で踏ん張れるか?」


愛の力なんて認めないっと叫ぶ逢坂先輩の声を聞きながら、僕も力なく否定の返事をします。


僕だってそんな力、存在すら認めておりませんから。


「無理ですよ……千早さんの身体が木乃伊になるまで血を吸い尽くしたら、先生も先輩も、野郎共は八つ裂きにしちゃうと思います」


影の欠損とか存在を揺るがすほどの大ケガも、こんなに餓えてるのも、生まれて初めてなんでどうしようも出来ないんですよ。


そもそも、地球じゃ僕を襲う身の程知らずなんて、千年に一度くらいの頻度で喧嘩を売ってくる、悪魔やら神様くらいです。そんなんは大抵、飽きてくれるまで逃げてやれば済むので、怪我をするようなへまは踏みません。


人間の血は確かに手に入りにくい時代になってきましたが、影を使って妖怪や幽霊の精気を食べたりすれば食べ物に不自由することだってなかったんです。


毎満月の度に本能と死闘を繰り広げる狼人間なら兎も角、こんな平和ボケ吸血鬼に、本能に抗うガッツなんて備わっちゃいませんって。


「だよなぁ。俺もそう長くはてめぇをふん縛っとく自信ねぇし。まぁ、恨むなよっ……てか、やりずれぇ〜。おい、鈴木ぃ、空気読めやー。女をだしに俺を騙して術を解かせてやろうってくらいの悪役っぷりを見てくれりゃ、俺様も気持ち良く、てめぇを葬れたっていうのによぅー」


くだを巻く酔っ払い並に理不尽な文句を垂れる先生に、僕は思わず苦笑します。


どっちにしても、僕を見逃すって選択肢は初めからなかったわけですね。流石は歴史に名高い日本一の陰陽師です。


「勘弁してくださいよ。なんで僕が死に際にそんな汚れ役まで買い込まなきゃなんないですかー」


「穢れってのは、化け物が背負って滅ぶもんって千年の昔から決まってんだよ。ど阿呆め」


軽くブー垂れて口を尖らす僕に、一條先生は漸くまともな陰陽師の片鱗を覗かせます


「おい、逢坂、一応ちゃんと妹を押さえとけよ。……えげつない絵にはならねぇように努力するが、嫌なら目ぇ瞑ってな。一瞬で終わらせてやらぁ」


先生が指示するまでもなく、既に逢坂先輩は後ろから抱き締めるようにして、千早さんをしっかりと拘束しています。


「先生……鈴木くん……」


あれだけの剣術や魔法を使いこなして、事情は知りませんが、この異世界トリップにも全く動じた様子のない千早さんなら、僕の取り返しの付かなさなんて、きっと初めから理解してたんでしょう。


千早さんは今にも泣きそうな顔で、唇をぎゅっと結びました。


うっわー。襲いかかりたい。


僕の本能がいっきに元気付きました。一瞬、拘束の力が押し返されそうになって一條先生が慌てます。


「ちっ、怖じ気づきやがったか。おい、こら、大人しくしやがれ」


「なっ……人聞きの悪いこと言わんでください。生理現象です!そっちこそ、同情して手加減とか今更やめてくださいよー?」


ほざけ、と呟いた先生は同一人物と思えない朗々とした声で、だん、と足を踏み締め、指で何やら字を切りながら呪文を諳じます。


万が一にも術返しなどされないように、それは僕ら人でない存在には認識できないような発音と言葉巡りになっていて、そのなんとも不安を煽る気持ちの悪い音と、じわじわとですが、はっきりと感じる魂の危機に、身体中の血が騒ぎ出します。


軽口を叩く余裕はなくなり、僕は諦めてただ静かに、眼前に広がる赤い星形とその向こうの空を見詰めています。

あの、ひとつ余計な太陽がめらめらと淀んだ赤に燃えています。


千早さんの為に、安らかな感じで目を閉じてもよかったんですが、なんとなく、それは敗北者の行いのように感じました。


同じ理由ではないでしょうが、千早さんも先輩もしっかり両目を開いて僕を見ていましたから。


初っぱなから一人脱落というネガティブな流れですが、まぁ精々頑張ってくださいね。


……どうか僕の亡き後、血で血を洗うバトルロワイヤル的な展開にならないことを願っています。


なんか、やな予感がするんですよねー。この世界自体に。


特にあの赤い太陽。空の色が地球と全く変わらないこと、色も存在も感じるのに、この世界何の影響も与えていないであろう事実に、違和感を感じます。

大体、爛れた赤なんて色合い的に、絶対、録なもんじゃ無いでしょ。


とはいえ、僕には未来を憂う必要なんてないのですが。


一條先生、否、安倍晴明が行っているのは、強制的な魂の浄化です。


赤い五芒星は回転しながら僕を包み込み、さっき千早さんが未遂した聖なる魔法にも似た、清廉な気が拡がっていきます。


僕のように長い年月によって穢れを積み重ね肥大した存在を、その膨大な魂ごと消滅させるには一番有効な術です。


この方法だと先に魂が殺られるので、肉体の有り様が希薄な僕なら最期はとてもアニメちっくに、肉は灰になって消ちゃう筈です。なので確かに、絵的にも安心ですね。


ただ、そう簡単には参りません。僕の身体は危険を察して、魂を護るため清い気を相殺する禍々しい魔の力を放ちます。


勿論、これくらいは先生にとっても予測済みの抵抗なのでしょう。慌てることもなく、更に冷やかな声で術を紡ぎ、確実に僕の力を削いでいきます。


しかも恐らくは、この五芒星は抵抗すればしただけ力を増す術印みたいです。僕の魔力を吸いとるようにひっきりなしに回転しながら星が徐々に膨らんでいきます。


「……っ!鈴木くんっ!」


もう今の僕は、エクソシストも吃驚な吸血鬼状態で、鈴木くんの見る影もないはずなんですが、律儀に千早さんはその名前を叫んでいます。


彼女の悪夢にはなりたくないから、頑張って無表情を貫いてきたのに、つい、頬が緩んでしまいました。

あー、この笑顔は見た人のトラウマになる自信があります。


もともとまっぷたつになった影の応急措置やら肉体の修復やらで、餓えるほどに力が不足している僕ですが、やっぱり地球で一番を自負するだけはあって、なかなかしぶといものです。


僕の力を削いでいく赤い星は、もう既に逢坂兄妹に届くほど大きくなっています。


ま、こういう陰陽術は穢れた魂だけに反応するってのが御約束なんで、人間に害はないんですけどね。


「がっ……っぁ……!?ぐはっ」


……え?


え、僕じゃないですよ。まだもう少し耐えそうですよ、この身体は。


……人間には害はない、ですよね?一條先生?


「え……なに、お兄ちゃん……?」


髪と顔を兄の吐き出した血で汚した千早さんが呆然と、彼女にすがるように崩れ落ちた逢坂先輩を見下ろしています。何が起こったか解らないようです。


僕だって訳が分かりません。


ペンタゴンの先っちょに触れた逢坂先輩が、急に苦しみだしたと思ったら、血を吐いて倒れたのですから。



もう一話、日が昇る前に載せるつもりです。

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