15.弱いものいじめなら十八番ですが、なにか。
今回は割と短めです。すみません。結局長くても短くても謝る運命のようです。
「………うん、最悪は全力で逃げよう」
やたら大掛かりな音を立てる無駄に豪奢な扉を後ろ手で閉めながら、僕は部屋の中では言い出せなかった結論を独り言ちました。
軋む扉の甲高い金具の叫びのお陰で、僕の情けない一言は部屋の中の先輩にも、すぐ横で夢見心地な二人の僧兵さんにも、ちょうど目の前をふらふらと横切った巡回の僧兵さんにも届くことはなく、この口の中だけで消滅します。
まぁ、先輩はともかく、既にこの界隈にいる神官さん方は、扉の音など無くても僕の言動など全く記憶に留めないってことになっているんですが。
強力な催眠魔法の副作用で夢と現実の区別が付かなくなって、ちょっとお仕事に支障をきたしている様子なのは申し訳ないのですが、自由っていうのは約束されるものではなく、自らの手で勝ち取るものですからね。
さて、堂々廻りにしかならない不毛な会話を野郎相手に夜明けまで続けても仕方がないと、窓から見えていた月が窓枠の外まで上がってしまったことを言い訳にして、僕は漸く先輩の部屋を後にしたところです。
自分が魔王だろうが勇者だろうが、千早さんを(いずれ美味しく頂くために)守るという目的を変えることなどありえない、と多少強引に、だけども本心からの一言で話を纏めた僕に、先輩は少しだけ不満げな顔をしましたが、言い返す言葉もなく黙って頷いてくれました。
明日強制執行させられる筈の神使との契約の儀式がまず目下、絶対絶命のピンチではあるんですが、それはもう今呟いたように最悪は何とかして逃げるしかないなって思っています。
相手が人間や魔物なら、たとえ謙虚が取り柄の僕といえども、己の敗北なんてVS千早さん以外には想像も出来ませんけれど。
だけど神ってのはちょっと反則です。存在する理念が全く別の次元にありますからね。しかもここ既に異世界ですからね。正直、お手上げです。
そうですね、小説の登場人物が作者にって喩えなら、まだ僕くらいの大物なれば勝機も幾らかある気がするんですが、今回は舞台自体が僕の存在べきところではないんですから、寧ろ別の小説の作者に喧嘩を売るようなものです。
勝つとか負けるとかそんな思考で相手をすれば、そりゃ端から勝負にもなりませんて。
逃げるが勝ち。地球で神やら悪魔やら次元違いの存在を相手にする時の僕のセオリーです。
ただ、この閉じた時空でいったい何処へ逃げるつもりなのかとか、この数時間で分銅の質がかなり乱れている僕の状況判断と取捨選択の天秤が、果して正常にその判断を下せるのだろうかとか、逃げるにせよ問題が山積み過ぎて少し精神的な吐き気がします。
そして、明日の朝までこの問題が解決する見込みも全くないんですけどね。
ぐるっとまた一周してしまった思考に、自分の独り言にすら裏切られた気分になって、僕は項垂れながら差ほど距離のない自分用の客室へと歩を進めました。
取り敢えず暫くは、暴れる気力もなさそうなくらいに萎れている本能だけが救いです。イチローに触ったら久し振りに朝まで少し眠ろうかなどと夜の吸血鬼らしからぬ思考で扉に手をかけました。
そしてふと、僅かな違和感が首筋を撫でます。
「……うん?」
一瞬だけ、その正体が分からずにひやりとしましたが、直ぐにこの扉の前にいた見張りさんが一名少なくなっているだけだと気が付きます。僕に神殿の見取り図をくれた親切な僧兵さんが見当たりません。
「……あらら、気付かれましたかね」
然程緊張感もなく僕は呟きます。
勇者を見張るというこのお仕事がシフト制かどうかは知りませんが、交代なら二人組ですので一緒に交代するのが普通ですし、人数が減ることもありません。
一応、彼らにかけた暗示魔法も、見張りの交代を切っ掛けにして相手に感染するようにはしてあるんですが、今のところ、暗示が広まった気配もなかったですし。
僕の左側には見知った顔のおじさん僧兵の片割れが直立不動で口を半開きにしています。また巡回の僧兵さんが蛇行しながら前を横切りました。
いや、このフロアにいる僧兵さん全員をこんな状態にして置いて、今更、というか始めから、実は僕、あんまり正体を隠すつもりがないんですよね。
先輩には厳しく自重を強制したものの、あれはあの天才児が勝手にじゃんじゃん魔力放出して暴走するのを防ぐ、という、どちらかと言えば僕自身の保身の為で、たぶん、少なくとも僕が人でないということは、エミューウールさん辺りにはとっくに気付かれているんでしょう。
こんな魔力超節約verの粗末な暗示魔法で、軽く二十人近くは操っているという、このレベルの戦力の品揃えを見れば分かります。
あの一條先生の結界をただの尊敬と幾ばくかの劣情で流し、僕の言霊にも顔色を変えなかったエミューウールさんは恐らく恋する乙女であると同時に相当な女狐です。
これは自衛と自由独立宣言を兼ねた僕なりの細やかなる挑発でもありました。
好き放題自分の手先たる僧兵さん方を操られているこの状況で、何のアクションもない今までの方が、反って不気味だったんですよ。
「さて、もう一人の護衛さんはどこへいかれました?」
とはいえ、エミューウールさんの謀略と、一人だけ見張りが消えたというこの事実は、冷静に考えてみれば関連性を容易く見破れる類いの出来事ではなく、僕は首を捻り残っている神官さんに強制力のある問いを投げ掛けました。
ぼんやりとした顔のまま、ゆっくりと僧兵さんがもごもごと話し出します。
「………………存じ上げません、勇者様」
溜めて溜めて結局は呆気なく首を振るおっさん相手に、疲れた精神を逆撫でながらも、確かに質問の質が悪かったなと自省して僕は再び言霊を紡ぎます。
「僕が部屋を出てから、ここに誰か訪ねてきませんでしたか?」
僕の支配の術下にある人間が自らの意思で、自発的に職場を放棄とか変な行動にでるなんてありえません。
居なくなった見張りさんは誰かに連れていかれた、と推測するのが自然です。
魔力の薄いせいで言霊の伝達速度が遅いのか、もともと頭の回転が遅めの方なのかは微妙なところですが、のろのろと思い返すように僧兵さんが唸ります。
「来たような……来ないような……来たような……来ないような」
どっちじゃいと突っ込みの腕を振り上げかけて、そもそも言霊で答えを強制させた質問に、こんな乙女の花占いか壊れたラジカセみたいな返答を返されたという異常性に漸く僕は気が付きます。
目前の男の頭に掛かる靄のような異質な魔力を認め、小さく舌打ちが漏れました。
「……妨害ですか。小賢しい」
思わず低く鋭くなった僕の声音と眼光に、本能的な恐怖に煽られて僧兵さんが後退ります。ひぃっと息を飲み踞る人間の頭を僕は鷲掴みにしました。
ふん、僕の暗示を上書きしたのは誉めて上げてもいいですが、それにしてもあまりに原始的でお粗末な術式です。千早さん作のウォシュレットの洗浄水を飲ませてやりたいくらいです。
だけど、こんなのに上塗りされるような薄い暗示を振り撒くしかやりようがない今の自分の有り様を嘲笑われたような気がして、必要以上に苛立ちが募ります。
この陳腐な上掛け魔法を解くことは簡単ですが、こんなことに貴重な魔力を費やすのも馬鹿らしく、何よりそれは恐ろしく不名誉な行いに思えて、僕は怒りに任せてただ静かに言霊の響きを強めました。
「……もう一度だけ聞く。お前の隣にいた人間を連れ去ったのは誰だ」
恐怖とは、軽く愛の三倍は人間へ力を与えるものだという、昔聞いた知り合いの悪魔の持論を証明するかのように、上掛けされた記憶封じの魔法が彼自身の力でぶちぶちと強引に捻り切られていくのを指先で読み取ります。ぶるぶると震えながら、僕の掌で白眼になったり、歯を鳴らしたり、忙しなく頭蓋骨が上下しています。
「がぁ……ぐうぅ……ぎっ…ぎゃぁ………あ…………あ。あ、そうだ、アローチェス神官とバツァン兄弟が、グレーズを連れていきました!」
術が千切れたのと同時に留まる魔力を軽く手で払ってやると、神官さんはけろっと誘拐犯と、ついでに件の僧兵さんの名前を白状しました。
「……あぁ」
僕も一気に頭が冷えます。
……僕、神官さんの名前なんて一人も知らないんだった。
というより、この神殿で名前を知っている人物なんて、エミューウールさんだけでした。たぶん、意図的に、そうなんでしょうけど。
なんというか、疲れ、という現象を少し甘く見ていたようです。肉体はともかく魂レベルにまで陥ったら、あまり疲労を軽視しないほうがいいなと、じくじくと痛みだす良心を宥めながら改めて痛感しました。
「そうですか、アローチェス神官とバツァン兄弟、ですね」
えーと、いったいどこの誰なんでしょうね、アローチェス神官とバツァン兄弟って。
「こ……殺さないで…………ひうぅ」
目の前で命乞いする人間なんてとても久し振りなので、一応は念の為に魔物としての礼儀に乗っ取って、自らの欲望を省みましたが、状況判断の天秤がありえない判決を導き続けている現実を再確認しただけでした。僕は短い溜め息で安堵と落胆を同時にやってのけます。
「……殺すんなら、もっと身になる殺し方しますよ、まったく」
再び口の中だけで小さく呟いて、力の抜けた掌から、気絶した僧兵さんを解放しました。あんまり意味のない情報の為に、というか半ば僕の詰まらない八つ当たりの為に、一歩進めば死ぬほどの精神苦痛を味会わせてしまったことに心中で手を合わせます。
自力で精神魔法を解くなんて魔物相手でも、ちょっとまじで狂うから勘弁して欲しいって泣きつかれるくらいの精神ダメージを伴います。
いくら命が掛かっていたとはいえ、その苦痛を越えてまでして生きたいと思える精神構造を組み立てる為には、人間の単なる生存本能だけは足りません。
こんな風に命にすがる人間には、経験上、そうまでしてでも生きて守りたい相手がいるって場合が殆どです。
確かに、恐怖は愛より強いかもしれんが、愛を知らぬ者に恐怖を与えることは難しい……今度は悪魔に反論したどこぞの神様の言葉を思い出して辟易します。
「……ここもちゃんと人の生きる世界なんですね」
涙を流しながら気絶する男を見下ろして、今更ながら、そんな実感をします。
後遺症で更に頭が悪くなったら流石に気の毒だな、もしこの世界で勇者……もしくは魔王として大成できたら、慰謝料でも払おうかな、などと考えながら、僕は扉から背を向けました。
未だ辺りを漂う誘拐犯の魔力を指先に誘い、結局は魔力の無駄遣いをするしかないと腹を括ります。
地球の摩訶不思議常識に準えるなら、術後に霧散するのではなく、こんな風にある程度纏まりのとれた漂い方をする魔力は、術の発生からあまり時間が経ってない魔法を解いた後の特長です。
しかも、僕は今まですぐ一つ隣の先輩の部屋に居たんです。自分の魔法が侵されるような干渉にあって気付かないくらいほど白熱した討論をしていたのはほんの数分前の僅かな間だけでした。
少なくとも「悪魔の星」が話に上る前にそんな不届きものが目と鼻の先で僕の魔法に触れたら、絶対に気が付いていたと断言できます。
まだ、グレーズと言いましたか、あの見張りさんがこの場を離れてからそう時間は経ってない筈です。
一瞬だけ、気付かない振りで放って置くという選択肢もありますわよと、慣れない聖女口調で理性が優しく諭してきましたが、嗜好は別として得意中の得意の精神魔法を上書きされた吸血鬼の矜持はそれを許すほど広くはありません。
「あーあ、魔力食うんですよねーこれ」
ぶつぶつ文句混じりに口内の言霊で自分の魔力を操り、指先に集まる他人の魔力に融合させます。
可視化すると、どこか瑞々しい黄緑色の魔力と、僕のどす黒い魔力が複雑に絡み合い、警告色の毒蛇みたいな模様をした疑似生命が僕の目の前で鎌首をもたげました。
その蛇の黒い部分で黄緑の模様を押さえつけ、強く思念を籠めて命令します。主の元へ帰れ、と。
付いてこい、と軽く首を振り魔力の蛇は、僕の蛇というイメージが宿ったのか、やたらと蛇らしい動きでするすると廊下を進み始めました。
僕はイチローが安らかに眠っているであろう部屋を名残惜しげに振り返り、扉にもたれて悪夢に魘されだした僧兵さんを見付けて見なかったことにして、もう癖になりつつある溜め息を吐き出しました。
まだ、というか今夜からは一睡もできないだろう先輩には決して悟られぬようにと、慎重に魔力を隠し気配と音を消します。
怪奇現象らしい不気味な足取りで、僕はゆっくりと蛇行する蛇の軌跡を追っていきました。
漸く諸々動き出す予感。飽くまでまだ予感。感想を……するほど話すすんでないやんけ、ごもっともですが、お待ちしております。




