13.龍と勇者と魔王とトイレの事情。
長いわっ!誰よりも先に突っ込んで置きます。動き出す為の前哨戦、その一。
ブルードラゴンこと青龍さんがこの世界に渡ってきたのは、現地時間でもう三、四千年は昔のことだそうです。
千の単位で年数をあやふやにするアバウトさには、流石は神龍と言うべきか、流石は先生の式神と言うべきか。
ですが、まぁ時間感覚のアバウトさにかけては、僕も人のことを非難できる立場にないので、千年あれば牛車もタクシーになるわっ!と龍に殴りかかった先生のことは、僕がなだめて止めてあげました。
こちらもアバウトに三日で十年計算するに、地球時間で約十年ちょっと前、つまりは、一條先生が平安から平成へタイムスリップしてきた頃だと推測しています。
実際、青龍さんの余りに主観的な話を要約、否、超訳すれば、忠犬宜しく橋の下で行方不明の主を待ち続けていた彼は、先生が時空移動で現代日本に辿り着こうとしていることをいち早く察したそうです。
で、他の式神達がまだ気付いていないことをこれ幸いと、こっそりまだ時空を抜けきっていない先生の元へとお出迎えにいったら、時空の狭間に過って落っこって異世界に転移してしまった、というのがどうやらことの真相みたいでした。
只でさえタイムトラベルなんていう馬鹿みたいな理の崩壊を経て、相当不安定になっていたであろう時空間に、四神なんて莫大な存在の干渉があったら、そりゃ世界がひとつ滅亡しようが、異世界と地球の何が繋がろうが文句は言えませんよ。龍神一匹で済んでラッキーだったなってのが僕の素直な感想でした。
その迂闊としか言い様のない青龍の行動を、一條先生もそれはもうおまえ普通の教師かって程、無茶苦茶に厳しく叱っていましたが、千年も行方不明の主を橋の下で待ち続けたなんて、見上げた下僕根性を鑑みれば、仕方がないことだったのかもしれません。
皮肉にもその忠誠心が裏目に出て、一番早く主のもとへと駆け付ける筈だった忠臣は、唯一、主を待たずにとんずらした裏切り式神の汚名を被ることになってしまいましたが。
先生が式神たちを迎えに行ったら、この青龍だけ、橋の下はおろか地球上の何処にも存在してなかったのですから。
まぁ、先生の方は、自分の言霊が千年も有効だとは端から思っていなかったみたいで、大してショックでもなかったそうですけどね。
事実、言い付け通り橋の下を拠点にして待ち続けていた式神は青龍ともう一柱だけで、残りの十神はグアムだハワイだベガスだと人化を駆使して豪遊していたり、株で失敗してネカフェ難民になっていたり(知り合いだったらどうしよう)していたそうです。
そこに来て一柱くらい影も形もなくなっていたところで、別段不思議でもなかったのでしょう。もともと龍神って干渉範囲が広く高位な神ですし、先生もてっきり、待ちくたびれて神界に帰ってしまったんだろうと思っていたそうで。まさか、異世界で冒険の日々を送っているとは、流石の安倍晴明にも予測できなかったようですね。
そして異世界にトリップしてしまった哀れな龍神様による数々の冒険譚は……と、うん、それはそれは長い話でした。今は取り合えず割愛しましょう。
ただ、ひとつ、絶望的な事実として、地球であれほどにポピュラーで、方向とか理の基盤を司る神の力を持ってしても、自力での地球帰還は終ぞ叶わなかったということです。
ここは、魔力だけは眩しいほど大っぴらな世界ではありますが、次元や時空という概念だけは、僕が感じている通りやはり例外のようです。青龍が言うには、それだけは例え魔王にすらも干渉を許さず、この世界の神々によって厳しく管理されているとのことでした。
入ってくるのは割りと楽ですが、出ていくのは容易ではない、そんな誰かさんの細道みたいな時空の扉。
そうなると百回以上この世界と地球を往き来している千早さんは何なんだよ、という疑問にぶち当たりますが、その辺が千早さん、というか僕も含めて勇者に選ばれた地球人を《女神の愛し子》と人々が呼ぶ由縁でもあるようです。
清々しい迄に神に依怙贔屓された異世界人、それがこのアルディスキア教国における《勇者》という存在の位置付けでした。
しかも、そんな特別扱いの勇者にしたって、決して自力で時空を抉じ開けられる訳ではなく、太陽神の巫女であるエミューウールさんの仲介があって初めて地球とイーサを往き来できるというのです。
青龍さんは完全アウェイであれ、あれでも一応は歴とした神様ですので、当然ですがこの世界の神の加護も受けられず、その癖正式な神とも認められず、というか竜なんか大して珍しくもない世界で、ぽっとでの謎の龍に信仰など集まるわけもなく、日に日に神力が弱っていくばかり。
しかも身を寄せた地球とは比べ物にならない数の同族達の群では異端視されて虐られ、人間には呪いの竜だの人食い竜だのと迫害され、しかも、時代は史上最凶大魔王オウルの全盛期ときたもんです。
気が付けば青龍さんは、すっかり魔王サイドに身をやつし、魔国を囲む巨大な城壁の東門を護る邪龍をやっていたそうです。先輩とは直接面識はなかったみたいですが。
そうして、魔王討伐に向かう千早さんと、本人(龍神)が言うところの、「運命の出会い」を果たすと言うわけです。
「そっからはもうお馴染みのテンプレですよ。千早さんに倒されて改心して忠誠を誓って、何それどこの一条戻橋……って聞いてます?先輩?」
便器に顔を突っ込んだまま、ピクリとも動かなくなった先輩の背中を擦りながら、僕はどうでもいい口調で、青龍さんの正体から、異世界に至る経緯を説明しています。
結局、誰一人としてお腹一杯にならないまま、ぐだくだの内に終了した晩餐会。僕は先ほどまでいた聖堂の有り様を思い出していました。
剥き出しの夜空を塞ぎ輝く魔法の明かりに、粉々になって辺りに散らばるステンドグラス、神官さんらや千早さんの咄嗟の魔法のお陰で怪我人こそいなかったものの、腰を抜かして泣き出す神官たち。
そして先生と千早さんによって明かされた、ブルードラゴン衝撃の過去。その後、青龍さんが流暢な日本語で徐に語ってくれた異世界トリップ談。
相づちすら打てず棒立ちで聞き腐るという醜態を晒してしまった僕と、吐き気に勝てず途中退席した逢坂先輩の無念そうな顔。普通に兄を案ずる千早さんと、今更ガラスまみれの龍肉ステーキをナイフで抉りながら、何やら呪いの呪文のような恨み言を呟き続ける一條先生。
そんな面々にしてただ一人、冷静に要所要所で的確に突っ込みを入れて青龍の話を引き出した、超人、もとい超幽霊な花子さん。
エミューウールさんや神官長さんからは敢えて先生とドラゴンの関係は追求されませんでしたが、一通り龍神の話が終わったと同時に、巫女のテキパキとした指示に従って程無く食事は正式に御開きになりました。
下位の者から席を去るというマナーを救いにして、可哀想な下っぱ達は我先にと聖堂から飛び出していきました。蜘蛛の子を散らすように逃げ去る様は中々に滑稽な風景でしたよ。
結局、魔王討伐の具体的な方法やら、伝説の武器の入手方法やら、肝心なことは明朝改めて神官長さんから説明を受けるということで、僕たちも解放され、そして改めて神殿内での自由が約束されたのです。
とはいえ自由なんて言葉のトリックであるのは明白で、そのまますぐにおかっぱさんに来た時と同じく淡々と先導され、かなり強制的なノリで各々の客室に送り届けられたんですけどね。見張りさん、人数増えてましたけどね。
それにしても、未だかつてない程、気不味い沈黙に満ち溢れた道中でしたけどね。
で、それでは皆様お休みなさい、なんて爆睡できる強者はイチローぐらいのもので、僕は鳩をベッドに乗せるなりそそくさと部屋を抜け出したのです。
不本意ながら、千早さんではなく、そのお兄さんの部屋で、なんとこうして介抱までしてあげている僕のこの素晴らしい責任感を誰か誉めてください。
「せんぱーい、大丈夫ですかぁ?別に息なんかしなくても、もう問題はないんですけどねぇ。でも、今まで通りに暮らしたいなら、生きてた時みたいに呼吸とか心拍とかは最低限やっとかないと。無意識の時、息しない癖付いちゃうとけっこう面倒なんすよー?うっかり火葬されちゃいますよっ……と」
「がっ、はっ」
話しかけながらも、勢いをつけて先輩の背中を蹴り押します。どうやら食道に突っかかっていたらしく、先輩は咳き込みながらぼろぼろに炭化した肉片を吐き出しました。
やっぱり、先輩には栄養にならない食べ物の処理方法が解らなかったようです。僕の真似して胃の中で焼き尽くすことを選んだみたいですが、炎系の魔法はちょっと苦手な僕の眷族ですからね。火力が足りなかったのでしょう。
「なにがっ……今まで通り、だっ、う……くそっ」
忌々しそうに一瞬だけ振り返り、悪態吐こうとした先輩ですが、すぐに口の中に灰が溢れそうになり、慌ててまたトイレと向き合いました。
日本と違い水の張っていない便器に、先輩の口から粉々と砂みたいな肉片の成の果てが降り積もります。なんか、吐く姿すら絵になるのが癪に触ります。マーライオンみたいで寧ろ格好いいんじゃないでしょうか。
それにしても、食べたステーキの量より、どうにも先輩の灰の方が明らかに多いので、たぶん誤って自分の内臓組織も焼いてしまったんだと思われます。魔力の使い方は充分に心得てるみたいなので、欠損した組織の再生はちゃんと出来てるみたいですけど。
食物と一緒に胃を灰にするとか、吸血鬼としては新人にありがちな凡ミスですね。でも、この人の過去、というか、前世を鑑みると少し意外とも思います。
「先輩……いや、魔王オウルって、もしかして、不死者系の魔物じゃなかったんですか」
「……貴様、俺の記憶を見たのだろう?」
どうやら、漸く吐くものも無くなってきたようで、不快そうに口許を拭いながらも、先輩ははっきりとした声で言葉を返しました。
いや、確かに見ましたけど、飽くまで大魔王ご自身の記憶ですからね。視点の姿や主観の性質なんて分かるわけないでしょう。
前世の先輩が四六時中自分の姿を鏡で確認したり、自分の生い立ちを思い出して悦ってたナルシストだったならともかく。
「もー、盗撮犯みたいな扱いはやめてくださいよ。僕が見たのなんて千早さんと関わりある記憶だけなんですから。あれじゃ、先輩と千早さんの身長差が当時1メートルはあったってことくらいしか判りませんて」
呆れた調子で答える僕に、先輩は明らかに安堵したような吐息を漏らして頷きます。
自分の吐き出した灰の山から目をそらすように、背中の僕へと振り返りました。
「…………魔獣系だ」
「え、マジですか」
結構、意外な答えに僕は素直に驚いて見せます。
何度も言いますが、魔物は魂の序列に従います。そして魂の強弱とはつまり、含まれるあらゆる情報量によって決まるものです。
可視できるモノじゃないので形容の域は出ませんが、要は、魂の大きさが単純に問われてくるのです。
魔力を始め、他者を支配する純粋な力の素質も、勿論重要ではありますが、魂の質量に最も影響を及ぼすのは「時間」によって育まれるものの量なんです。
それは記憶、経験、知識、思念、そして、何よりただそこに存在しているというだけで刻まれる「事実」の蓄積。それが魂を育む最たる要素です。
魔王とは存在する中で一番育った魂を持つ者、っていうのが地球での定義です。だから、肉体に囚われず長く存在できる吸血鬼などのアンデッド系が有利になる……というか、たぶん、他の系統の魔物では無理だと思うんですよ。
いや、確かに寿命に縛れた魔獣系の中にも、例えば件の龍とかね、寿命その物が最初から不死と言いたくなるくらい長いのもいますけどね。そういう長く「生きる」魔物にある落とし穴が俗に言う「神格化」っていうやつなんです。
あんまり長く生きて存在を晒し続けると、恐ろしい魔物もいつの間にか怖れではなく、畏れの対象、神様になっちゃうんですよね。言霊による弊害の一つです。
そうなればもう、存在する次元が単なる怪物とは違うので、どんなに膨大な魂を持とうと、魔物の長には成り得ません。
その点、アンデッド系は蘇った死者とか、そもそも端から生きてないとか、神に仇なす者の末路とか、そんな性質上、どんなに長く在ってもそれは忌むべきモノ。崇められにくい特性を持っています。
代わりに悪魔とかそっち方面に引き抜かれ安くはなりますが、神に召されるのと違って自由意思が尊重されるので、一応、拒否権がありますし。
この世界にも、宗教があって、魔力があって、魔物が存在するなら、魔王なるべきは当然、吸血鬼、とまでは自惚れていないものの、少なくとも穢れある不死の仲間だとてっきり思っていたのですが。
「……まさか龍じゃないですよね?」
「千早と身長差1メートルの龍か。龍体でも人化でも、どちらにしても有り得ないだろう」
今度は先輩が馬鹿にしたような呆れ声で僕に答えます。確かに龍にしては小っさ過ぎますし、人間の姿で250cmはデカすぎます。
「……たしか、狼のような姿だったと思う」
何やら自信なさげに先輩が言います。あまり自身の姿を意識したことはなかったのだが、と小さく呟きました。
「……間違いなく四足歩行で肉食だった」
取り合えず、狼っていう言葉で連想される今思えば哀れな321匹と、地球で馴染みの満月でフィーバーする数匹を意識から追いやりました。
「……冗談じゃない」
そして今更そんな連想ゲームごときじゃ絶対思い出さない筈だった、もう腐り落ちるだけの古い古い記憶を僕は全力でシカトします。
「……僕は犬は嫌いです」
この世界に来てから度々僕の記憶を逆撫でる、嫌な符合を振り払うように吐き捨てました。
先輩が不審げに眉を寄せます。
「いや、お前の犬嫌いは知っているし、好かれる必要もないし、犬ではなく俺は狼だったと言っている。何なんだ、いきなり」
藪から棒に口を突いた僕の言葉に困惑する先輩を、更に八つ当たりのように睨み付けました。
「……なんで犬ごときが魔王になれるんですか。なんで犬なのに僕より魂でかいんですか。……なんで将来犬を飼うのが夢な千早さんに殺されてんですか。ふざけるな、何なんですか、この世界は」
もう言霊の飛び具合で、僕が誰かに答えを求めて言っているのではないと先輩は察したらしく、何も言わず僕から顔を逸らして、トイレの後始末をしています。
トイレの密室に満ちた無言の居たたまれなさが、僕の冷静さを僅かに取り戻して、そんなことで理性の折り合いを付けているという、あまりの情けなさに目眩がします。
ああもう、大体、先輩自然に使ってますけど、このトイレおかいしいでしょ。こんな見事にどっからどう見てもちょっとお洒落な洋式便座、一泊幾らの高級ホテルですかここは。
大と漢字とアルディスキア語で併記されたクリスタルのボタンを先輩が触れると、灰の貯まった便器に濃い紫色の魔方陣が広がり、一瞬で洗浄浄化されました。千早さんのいつも使う聖魔法とは少し畑の違う術式なのでついつい解析してたりとか、何やってんですかね、僕も。
縁にはウォシュレットの操作パネルまであるのに、水流もボタンの操作性も全て持ち主の魔力で賄うつもりのようで、プラスチックではなく宝玉かなんかで出来たボタンと、水晶の液状パネルが先輩の魔力に反応して青白く光っています。
便器には人間の視力では可視不可能な繊細な魔法紋が千早さんの魔方陣と同じ理の法則で陶器を覆うように刻まれていました。
ボタンを押すと指先の魔力孔から持ち主の魔力を引き出して、便器に水流を発生させる魔方陣が展開され魔力が注がれる仕組みのようです。ボタンに対応して予め幾つか魔法のパターンが込められているようで、お馴染みのお尻マークが幾つか、ボタンの中で揺らめいています。
因みに隣のシャワー付きバスもそんな感じです。基本、電気やガスの役割を全て使用者の魔力で補う仕組みのようです。
これ、千早さんが考えたんでしょうか。たがだか16歳の小娘にこんなプロの業を見せつけられちゃ、何千年ものんべんだらりと何の発展もない古代魔法を使ってきた僕なんてただの阿呆みたいじゃないですか。
しかしそれにしても、、何故に個室のバス・トイレのみ異様に魔法の技術がハイレベルなんでしょう。一通り、この神殿内は見て回りましたが、こんなハイテクな魔法道具は一つもありませんでした。
というか、このトイレを使えるだけの魔力を持つ人も、エミューウールさんと神官長さん、あとは僧兵の中にちらほらいるくらいで、基本普通の神官さん達には魔力なんてほとんど感じられませんでしたから。
一応、上下水道はあるみたいですが、レベルが紀元前ですし、着替えのとき使った共同浴場みたいな場所ですら、天然の温泉を利用してかけ流してるだけでしたからね。
……いや、でも、まぁ、女の子ですもんね。文明退化な異世界生活で、何か深刻な、トイレに関するトラウマでも出来たのでしょうか。
「……青龍の話を続けろ。犬ではなく、龍の話をしにわざわざ俺のところに来たんだろう」
……トイレでもなく、ですね。
先輩の声で我に帰って、いつのに間にか彼女のトイレ事情にまで思いを馳せている自分にドン引いて、ちょっともう僕は泣きたくなりました。
「……それもそうですね。でも、さっきまでのはちゃんと聞いてくれてたんですか?何だか心肺停止してましたけど」
「あぁ、ヴゥルーグの魔境門に住み着いていた人喰い龍が、あのステーキ龍で、それが俺の討伐の過程で千早の配下に下ったという話だろう」
ちゃんと聞いていたのか、思い出したのかは知りませんけど、淀みなく言った先輩の答えは、まぁその通りなので頷きます。魔国の城壁の東門の正式名称なんて僕は初耳でしたけどね。
「えぇ。ま、実際には、人を喰らうではなく、逆に無理矢理人に食わせていたらしいですね、己の肉を。どうやら、先生との契約……というか葛……先生の御母堂の子育てで妙な性癖があの龍に生まれちゃったらしくて」
いかに神狐を母親に持つ者であろうと、人の身として人の世に生まれた人間が、神の格を持つ存在を十ニ柱も己の支配下に置くなんて普通に考えて有り得ないことです。
恐らく、母親の英才教育と大いなるコネは惜しみ無く一人息子へと注がれたことでしょう。けれど、それだけでは神と人っていう絶対的な存在の差は賄いきれません。
そう、例えば毎日神龍の生き肉を与えて幼少時より魂と肉体のドーピングしてたとか、ね。えぇ、彼女ならやりねません。あの、僕をも謀った強力な催眠術で、龍神に己の肉を分け与えることは快感だと思い込ませるとか……わーぉ、おそろしや。
だけど、そんな神の暗示も届かないこの世界で、誰が目の前で切り落とされた邪龍の肉を喜んで食べますかって話です。
青龍さんを斬った人間は皆、当たり前ですが、中々青龍さんの肉なんて食べようとしなかったそうです。
無理矢理脅して食べさせても、大概はそのまま泡吹いて失神してしまいましたとのこと。窒息した者すら出たとか。まぁ、人魚みたいに龍神の肉なんて前代未聞の肉に不老不死の伝説があるわけもないですしね。この世界じゃ邪龍扱いですしね。素直に猛毒だと思いますよね。
千早が初めてだったのだ。と思い出し感激に震えながら、青龍は宣っておりました。
もの凄くお腹が空いてたの、と恥じらいながら千早さんは僕に囁いてくれました。
千早さんの最初の冒険は、紆余曲折を経て最終的には一人旅だったんだそうです。その事実を知った時、エミューウールさんへ初めて殺意を持って睨みましたが、華麗に視線を逸らされました。
言葉やら魔法やら覚える為に、約十年もこの年月をこの世界で暮らしていたとはいえ、千早さんの身体の成長時間は時空を越えた日のまま止まっていたようです。
女神の力か、時空移動の影響かは微妙なところですが、歴代の無念な勇者達も全員そうだったらしいですから、今の先生と千早さんもそういう存在なんでしょう。
この世界の人々から見ても、不老不死は超人の証で、エミューウールさんもですが、神に愛されている故、下々の食べるような穢れた食物を食べるなど有り得ない、むしろ食物など食べなくても困らない、という認識をされているそうです。
実際、巫女であるエミューウールさんはその通りらしいのですが、彼女とはまったく違う理で不老になってしまった千早さんはそうはいきませんでした。
今まで意識も出来なかった魔力という魂の力によって、確かに地球にいる頃よりは飛躍的に体力も向上したのは明らかでしたが、所詮は地球とイーサの時間を合わせても高々25年しか生きていない人間です。身体維持の全てを魔力の循環だけで賄うなんて、吸血鬼だって僕レベルにならなきゃ無理なのに、人間の小娘が一朝一夕で習得できるものではありません。
体を動かせば疲れるし、魔法を使えば疲れるし、疲れればお腹も減ります。睡眠も必要ですし、このウォシュレットトイレもまさか飾りじゃないでしょうし。ただ何もせず時間が経っただけでも、地球より緩やかではあったようですが、飢えや睡魔を感じたそうですから。
仲間と旅をしている間は良かったでしょう。彼女一人になってからも、上手に身分を誤魔化していられたうちは食事も普通に出来たそうです。
ですが、魔の国も近付き、人間はほぼ絶え、一部の高位魔力を持つ種族や、亜人の奴隷なんかが魔王軍相手にゲリラ戦で抵抗を続ける地域に入ってしまえば、自分の存在や能力を隠す余裕などありませんでした。
絶望の縁で戦う人々にとって、突如、敗北色濃い戦場に颯爽と現れ、次々と凶悪な魔物達を屠っていった千早さんの姿は、最早、勇者云々、教国の威光云々抜きにしても、人々の目に完璧なる「女神」にしか映らなかったことは想像に難くありません。
彼等は千早さんの存在に歓喜の涙を流し、失いかけていた希望を取り戻しました。
千早さんは人々の敬愛を一身に受けましたが、誰一人として彼女の疲労や空腹に気付く者は居ませんでした。まだそいつらが生きてるなら迷わず今すぐ殲滅しに行くのですが、ニ百年前の話だよと、千早さんに話の途中でニ十回は釘を打たれまくりましたね。
千早さん自身も、極限状態で辛うじて生きている人々を前にして、その期待を裏切るようなことは出来なかったそうです。彼女は人々の崇め求めるままに、勝利の女神を演じてしまいました。
認めたくはありませんが、密かに飢餓に苛まれていた千早さんと、食べられることが存在理由だと思い込んでいる龍の出会いは、やはり、運命と呼ばれる部類の巡り合わせだったんでしょう。
「……命の恩があるのか、あの龍神に千早は」
僕の話を途中で遮り、頭を抱えてまた便器に向きなおる先輩。もう出るもんなんて精々溜め息くらいでしょうけど。
「残念ながらその通りです。だから、《花嫁》なんて戯れ言のをエミューウールさんが黙認してるんですよ。僕も黙るしかありませんでした。千早さんが認めてないのが救いですけどね……もうスッキリしたなら出ましょうよ。先輩とトイレで二人きりって、いい加減、僕も吐き気がしますし」
跡形もなく灰を取り込んだ魔方陣トイレの、ぴかぴかな陶器の白さにうんざりしながら、先輩を促して部屋へと戻ります。
「扉を壊してまでして勝手に入ってきたのによく言ったものだ」
蝶番の外れた扉を呆れた顔で眺め、先輩はさっきの復讐とばかりに僕の背中を蹴り押してトイレから追いやります。
「いだっ……だって、転移だと魔力かなり使うじゃないですか。今は少しでも節約しとかないと」
「問題はそこじゃない」
先輩用の客室は、僕の部屋の隣向かいで、造りはほぼ同じです。というか、この階の部屋は全部間取りは同じで、普段は季節の節に各国から訪れる王族とか、身分の高い巡礼者向けに、宿泊施設として使われているそうです。
やんごとなき方々を泊めるにしては、一部屋の規模がウィークリーマンション並みな気がするんですが、質素倹約を美徳とするアルディスキアの戒律では、巡礼中の贅沢は基より、従者を付けることすら身分を問わず禁止なんだそうです。
しかも、どんなに偉い人でも宿泊は有料らしいですから、なんだか本当にただハイテクなビジネスホテルの体ですね。取り合えず有り難いことに、勇者は例外らしいですけど。
「で、青龍さんの話ですけどね。先輩、魔国に神の干渉を拒絶する結界張ってたんでしょう?お陰で、龍神の青龍さんは門の中には入れず、先輩を倒す直接的な加勢はできなかったんですって」
「あぁ、龍どころか俺の城に辿り着いたのは千早だけだった」
先輩は気だるげにベッドに寝そべり、僕は豪華な安楽椅子に胡座で座ります。
「でも、ちゃんと門の前で千早さんが戻ってくるのを待って、この神殿までの帰り道を送ってあげたんですよ」
自身が地球出身の神龍だということは、何故か今日の晩餐会まで黙っていたらしいですし、どうして千早さんと一緒に地球に戻らなかったのかなど、引っ掛かることは多々ありますが、ただ、千早さんの乗り物と非常食としての役目は、その後の魔王退治でもしっかり果たしたのは事実のようです。
花嫁はないけど、この世界でブルーが家族みたいに大事な仲間なのは本当だよ、なんて千早さんが必死に僕を説得しようとする顔を思い出して、またも要らんダメージを受けてしまいます。
「……勇者が龍の背に乗って勝利の凱旋か。それでは乗っていた龍も当然伝説になるだろうな」
「そうですね。んで、その伝説の神龍は、自分をどうやって美味しく料理するかを追求することが生き甲斐の、猟奇的変態竜だったという訳です」
千早さんを助けた功が認められ、漸く神龍として人々の信仰を得られるようになった青龍は、まず、殺生禁止を戒律にしている栄養失調気味なメイアディーチ大神殿の神僕達を見過ごせなかったようです。
「ま、神様のお肉なら、殺生禁止でも殺さずに食べれる画期的なお肉でしょう?」
因みに角に刺さってた焼き魚は、青龍の胃袋で消化されていなかった魚だそうです。
千早さん曰く、西京焼きみたいな味がするそうで。基本、アジアの龍神って水棲多いですもんね。青龍さんも普段は神域の奥を流れる清流に住んでいるんですって。
幾ら竜肉は食べたくないからって、あれで妥協するなんて選択しないで良かったです。ほんとに。
「しかし、神の肉という味はしなかったが……」
先輩の、まるで神の肉の味を知っているような口振りにぞっとしながも僕は頷きます。
「僕は神様なんて生まれて初めて食べ……いや、口に入れて飲み込んだだけで、何も摂取吸収してないから食べるとは厳密には言えませんけど。確かに僕の魔力にも何の反応もありませんでしたね。うーん、一度は神威が地に堕ちてますからねぇ。地球で四神だった時ほどの力はまだ戻ってないんでしょう」
どちらにせよ、青龍の肉は、最高位の神官でも、そうそう滅多に口に出来るものではないみたいですし、いくら龍神の肉といっても、一口食べたらすぐに超人になれるってものでもないのですが。栄養価は完璧らしいです。
「それにしても相変わらず、アルディスキアの人間は節操がないな。人の身で神の肉など畏れ多いとは思わないのか」
ナチュラルに魔物視点な先輩に苦笑しながら、僕はこの部屋にも備え付けられてあった異世界マナーハンドブックを投げ渡しました。
「飽くまで絶対主神は太陽の女神アルガですから。その他の神々は神と名はあれ、同じ女神の恵みを享受する信仰の指導者っていうスタンスですよね。それに、伝説の勇者が召し上がったって実績がまずありきですから。畏れ多いというよりは、誉れ高く光栄なことだって定着していったんでしょう」
神官さん達が文句も言わず、青龍の肉を食べていたのは、そういう事情があったからのようです。貴重なタンパク源として重宝されているのだと龍神は誇らしげでしたし。
先輩が更に頭の痛そうな顔で僕を睨んできます。
「女神アルガ……か。おい鈴木、お前は神使を受け取るつもりか」
「前にも言いましたが、それは僕の意向がどうこうってより、そもそも僕と先輩と花子さんにそれを受け取ることが可能なのかって疑問の方が遥かに深刻です」
僕が神様なら、妖怪と幽霊に聖なる武器は託したくありません。
しかも特に僕なんか、その大事な武器を勢いで捻り折っちゃってますしね。
怖くてまだはっきりとは聞いてませんが、九割型、千早さんの持っていたあの金色の聖剣が、その《神使》と呼ばれる伝説の武器なんでしょう。
確かにあの時は僕の狂気のメーターも限界まで振り切ってましたし、ああいう状態の自分は諸々規格外だという自覚はあるんですけど、けっこう簡単に折れちゃったって印象が強いです。
確かにあの清浄な力は、僕の本能が怯える程度の弱点とはなり得ますが、それだけじゃ、亀の甲より年の功って諺だけで充分に対抗してやる自信があります。正直、あの聖なる剣はそこまで大きな驚異とも感じなかったんですよね。
「そもそも、魔王に対して、神使、でしたっけ?本当にそれしか対抗手段がないのかってのも、大いなる疑問なんですよねー。大体、魔法も物理攻撃も通用しないのにその武器だけ有効ってのが、眉唾じゃないですか?」
「…………」
わざとらしく伺い立てるように先輩に視線をやれば、元魔王様は知らばっくれて、体の向きごとごろりと視線を逸らされてしまいます。
「ま、今んとこ、僕の情報収集には自分の好奇心を満たすって目的しかないですから。話したくないなら無理強いはしませんけどね」
逆に言えば、「無理強い」さえすれば、いつでも真実をゲロさせられる立場にあるんですから。
不満げに無言を貫く先輩の背中。
僕はわざと聞こえるように苦笑いを溢し、椅子から立ち上がりました。
「さて、と。その様子じゃ渇きの方はまだ平気みたいですね?魔力の循環も滞りないですし、内臓も綺麗に復活してます。もう心配なさそうですね」
「……お前に心配される筋合いはない」
のろのろと再びこちらに向いた先輩の顔が、屈辱感を露に歪みました。
「仕方がないんですよ。もう、先輩は僕ら吸血鬼の《家族》なんですから」
僕は心の中で先輩とそっくりな表情をしながらも、にっこりと満面の笑みを顔に貼り付けて言いました。
地球ではきっとそろそろ異変に気が付いているであろう、僕の同胞たちに思いを馳せています。
人間社会も決して嫌いじゃないですし、自信を持って順応していますが、やっぱりどうあろうと結局、僕は化け物ですから。
化け物相応の価値観と自負ってものだってちゃんとあるんです。
先輩は魔王と称してくれましたが、僕が地球でモンスターの王だというのなら、
「僕には貴方を守る義務があります」
もしも本当に、その地位がこの僕に許されるというのならば、全力で。
「………………俺を守ってどうするんだ、愚か者」
舌打ち混じりに低く先輩が呟きます。
「えっ?なんです?もしかして僕に守って貰いたい人がいるんですか?先輩?」
耳に手を当てて、大袈裟な動作で尋ねて見せる僕に、先輩が慌てて否定の言葉を叫びます。
「いない!!千早を守るのは俺だ!」
誰も千早さんなんて言ってないのに。
くつくつと肩を揺らせて笑いを堪える僕を、先輩が恨めしそうに睨みました。
面白いから、噛んで含めるような柔和な態度を未だ保ちながら言います。
「……ふふ、でもその先輩の身体が、先輩の思うようにならないのは事実でしょう?あんまり意固地にならないで、精々魔王らしく、僕を利用すればいいんですよ」
「……黙れ」
凶暴な眼差しのまま、憮然としてそっぽを向いていた先輩は、僕の言葉を遮るような勢いで低く唸りました。千早さん関係以外で、ここまで苛立った先輩は初めて見るかもしれません。だけど、千早さんのこと以外で怒る先輩なんて別に怖くもなんともないです。
僕とは逆の理由で肩を震わせ、先輩が歯痒そうに声を軋ませて叫びます。
「いい加減にしろ!貴様の自己犠牲など不愉快を通り越して、ただただ純粋に不気味だ!!何故、貴様は未だ力を回復しない!?そもそも俺は一度の吸血でどれくらい保つのだ!?いつまで貴様の血を飲み続けなかければならない!?」
まるで子供の逆ギレみたいな調子で、僕を責めるように先輩が問います。そういうの、普通に心配されるより遥かに背中がむず痒いんですよって、この堅物にはきっと一生気付けないでしょう。
「あー、その辺の話しはしていなかったでしたっけ?」
ただ、吸血のペースとか成長速度の話は、普通に素でうっかり伝え忘れていました。ごめんなさい。
「うーん、ぶっちゃけ、どっちも分かりませんってのが答えなんですけどね」
「……なんだと?」
先輩が剣呑に瞳を細めます。
取り合えず苦笑くらいしか場に似合う表情を持たない僕に、先輩の顔も益々厳しくなる一方です。
ですが、声を無暗に荒げたことは少し恥じ入ったのか、先輩は憮然としながらも今までよりは僅かに冷静な態度で疑問を投じます。
「魔力の流失は飢えと無関係なのか」
「いや、勿論、密接に関係してますよ。だって魔力は吸血で回復させるんですから。魔力どころか、物理的な失血や、体力の消耗なんかも飢えを促進させる要因です。でもだからって、魔力を一切体外に漏らさず、肉体を完璧に保全していれば、永遠吸血しないでいいよってものでもないんでね」
折角、おいとましてあげようと立ち上がったのですが、まだ暫く無理そうですね。何となく決まりが悪いんですが、再び椅子に腰を落ち着かせます。
ばふっとクッションが凹む感覚を味わいながら、肘掛けに頬杖を付きました。
似合わないと知りつつも、足なんか組んでみたりして、不敵に微笑んでみます。
「本当に個人差、としかいいようがないんですけどね。飢えるまでのスピードと、吸血鬼自体の力量は関連性がないんですよ。毎日三食吸わないと消えちゃうって奴もいれば、十年に一回でも余裕って奴もいますし」
百年に一回でいいから、千人分くらい一気に飲むって迷惑な奴すら、昔はいましたからねぇ。流石に各方面から袋叩きにあって紀元を見る前に滅んじゃいましたけど。
「だからって吸血の頻度が多いから魔力が多いとか、魂が大きいとかってのもありません。眷族だから主に似るってもんでもないですし」
あれ?改めて考えるとけっこう不思議だな、と僕も今更に首を傾げながら説明を続けます。
「先輩も知っての通り、魔物には人間とは違って、断食の長さを自慢するような風潮がまずないですからね。僕、もう百年も血を吸ってないんだぁーとか、人間じゃなくて牛肉食べて魔力回復できるよ!とか、むしろ赤っ恥な告白でしょう?近頃の吸血鬼の眷族なんかゆとりですから、取り合えず主に甘やかされて提供されるがまま定期的に吸血行為はしてるけど、自分の飢えの限界なんて知らない……そんな子だって珍しくないですし。これぞ本物のモンスターペアレントなーんて」
上手いこと言ったな、なんて自画自賛を許して貰えるような空気じゃないので、咳払いで誤魔化しました。
「……お前はどうなんだ?」
先輩は場を和ませることを許さず、鋭い口調で質問を挟みます。
僕は飽くまで暢気な顔でにこやかに答えます。
「え、僕ですか?平均よりちょい低燃費な感じですよ。良質な吸血からベストコンディションを維持して……うん、無理ないのは半年位ですかねぇ。僕の場合、今は諸事情で使えませんが、反則な代替え手段もいろいろとあったんで、実際は半世紀連続無吸血の不名誉な記録保持者だったりするんですけど。高校入学してからはまだ一回も吸血鬼してなかったりするんですけど」
日本みたいな治安のいい国じゃ、血を飲むのだっていちいち面倒臭いんですよ。
一條先生が僕の正体に気が付かなかったのもこの辺が由来していると思われます。
もしも地球で今みたいに影のストライキが起こり、僕が女子高生に牙付けていたりしたら、今頃、僕か先生か少なくともどちらかは、この世にもう存在してなかったことでしょう。
先輩が真面目ながらもどこか乾いた目付きで僕を見上げています。
聞きたいのはそこじゃない、という無言の圧力に、やれやれと僕は軽く降参のポーズで腕をぶらぶらさせました。
「はいはい、今現在のことが知りたいんでしょう?そうですね……このまま極力、体力と魔力を温存して、二、三日っくらいは一廉の理性を保てるかなってところですね」
自分で言っといてなんですが、結構な大ピンチですね。先輩も眉間の皺を更に増やして渋面を深めます。
「……俺はまだ暫くは平気、か」
苦い表情のまま、瞼を伏せて自分の身体に問い掛けるように先輩が呟きました。
「えぇ。先輩がそう感じるなら、そうなんでしょうね。実際、飢えの兆候は見えませんし。でも、こればっかりは僕には予測できませんから。何回か飢えの極限を経験して、感覚で覚えていくしかないですね」
釈然としないみたいでしたが、先輩は渋々頷きます。そのまま視線を逸らした先輩は、ふと、この部屋のサイドテーブルにも備えられてる水差しとグラスへ視線を傾けました。
「……一度に飲む量も個々の差で決まるのか」
僕もつられてそちらへ視線をやりながら、首を横に振ります。
「まったく無関係じゃないですけどね。たぶんこれはどんな魔物もいっしょですよ」
「腹の減り具合と餌の質、か」
間髪入れず正解する元・魔王に頷きを返し、僕は椅子の背凭れに添って背中を反らします。夜も更け、背後の窓に漸くかかりはじめた月の光を浴びるように、伸びをしました。
「あとは魔力吸収の得手不得手、ですね。先輩の吸収効率の良さは、たぶん既に僕以上ですし、気付いているとは思いますが、敢えて僕も魂の濃度を高めた魔力の強い血を渡したんで、グラス半分で満腹になったんですよ」
魔力だけなら先輩を取り込む際に魂からかなり貰っておいたので、まだなんとか余裕があります。今、僕の危機を招いているのは、昼間の出血多量によって物理的に血が足りないことに基因しているのです。
薄い血を大量に飲まれて干物になるよりは、思いきって魔力を大盤振る舞いした血を少量与えたほうが、結果的に肉体を維持する魔力の節約になると判断しました。
「生き物のご飯といっしょで、だんだん自分の飢えの具合と飲む血の性質から必要な量が解るようになっていきますよ。ま、先輩は当分僕の血しか飲めないんですから、血の性質をあれで固定すれば、最高に飢えた吸血一回につきコップ半分、てことになりますけどね。で、当分、とは具体的にどれくらいの時間だって聞きたいんですよね?」
先回りして来るべき質問を取り上げ、勿体振った調子で先輩の顔を覗き込みました。
「……どうせ、解らないのだろ」
今までの僕の答えで、漸く先輩も吸血鬼の神秘性、というか、いい加減さに気付いてきたみたいです。
「そう言われると否定できませんが。一応、《暁》から《真夜中》への成長スピードには法則性があるんですよ」
「……暁?真夜中?なんだそれは?」
尊大な口調ながらも純粋に首を傾げる先輩。僕はまだこんなことも教えてなかったのかと、自分にうんざりしてしまいます。教師には向いてないなと、罰悪げに顎を指で欠きました。
「あー……吸血鬼の階級みたいなもので、仲間内で使う隠語です。暁、真夜中、宵闇、それから黄昏。ま、今は無理に覚えなくても、この世界じゃ通じる仲間もいませんし、詳しいことは無事に地球に帰えれたら教えますよ」
重要性の無さに納得したのか、先輩は鼻を鳴らして短く承諾し、そっけなく先を促します。
「それで、その法則は?」
「主である吸血鬼の力が強大であればあるほど成長は遅くなり、眷族自身の素質が高ければ高いほど早くなります」
多くの吸血鬼は、平均大体一、二年程度で主の血を卒業し、獲物の血を飲めるようになると聞いています。
そう、ごく一般的な力量の、普通の吸血鬼が主ならば。吸血鬼に一般的とか普通とかいうのも可笑しいですが。
「そうですね、参考までに僕の場合を教えてあげましょうか」
あまり昔のことは話したくないのですが、自分を引き合いに出すのが一番手っ取り早いのです。家族宣言をした先輩には、どうせその内、洗いざらい全て白状しなければならいとも思いますし。
「僕はね、その同時で一番強く強大な純血吸血鬼の眷族だったんですよ。で、僕が自分で人間を吸血して存在できるようになるまで……」
勿体ぶる訳でもないんですが、僕はそう言って一呼吸置きます。次に言わなきゃならない言葉は、軽い死刑宣告くらいの威力はあると自覚はしていますので。
「……二千年かかりました」
「は……?」
流石にこの桁数は予測してなかったのか、先輩が上擦った声を上げます。
苦笑に口を歪めながらも、僕は改めて言います。
「いや、まだ先史時代の話なんで、年数はかなり大雑把な計算なんですけどね。吸血鬼になってだいたい二千年間くらいはずっと、主の血に頼ってました」
「……紀元前……お前はいったい何歳なんだ」
「さぁー?流石に覚えてないですよ。でも確実に、救世主が生まれる前の経験の方が、ずっと長いですよ、僕は」
それでも敢えて先輩は具体的な年号は聞かず、固い眉間を指で揉み解しながら口を閉じます。まぁ、聞かれたところで、具体的な年号なんて答えられる訳もないですけどね。
たぶん、マンモスは絶滅していました、とかそのレベルです。
先輩だって、僕の年齢なんかより、自分の運命の方が今はよほど重要な筈なので、直ぐにこの実例が言わんとしていることを考えたようです。
「…………つまり、お前に吸血鬼の素質が類い稀なく無かったということか?」
予想通り、先輩は失礼極まりない答えを導きだします。
ですが、僕は非情な事実であっさりそれを覆しました。
「頷いてあげたいのは山々ですが、実は僕以外にも、その吸血鬼の眷族は既に何十人といましてね。だけど、僕が自立した吸血鬼になったその更に数千年後に主が亡ぶまで、結局、そこまで成長できた眷族は僕以外にいませんでした…………どうやら類い稀ない素質があったらしいですよ、僕は」
「…………」
流石の先輩もただ絶句するしかないようです。
静寂の中、唯一、背後の窓から漏れる月明かりだけが、徐々に僕の足許まで侵食していきます。
実は今更なんですが、入室からずっと真っ暗闇だったりするこの部屋。
勿論、灯りもちゃんと備わってはいるんですが。蝋燭or魔法でどうぞ御勝手にっていう感じで、燭台と、魔力の媒体に良さそうな水晶玉が部屋の四方とベッド脇に据え付けられています。
とはいえ、吸血鬼はどんなに暗くても別に普通に何でも見える目を持っていますので。暗闇でも全く不便ない僕と先輩にとって、照明なんてただの資源と魔力の無駄遣いにしかなりません。
あ、でも、もしこの闇の中に花子さんが現れたら、心臓ちょっと止まるかと思いますが。でもでも、今は花子さんでもいいからこの重い暗闇をなんとかして欲しい気分です。
「あー……ですけど、先輩はたぶん、眷族だった頃の僕より更に数倍は素質がありますよ。なんたって魂は既に魔王ですからねー」
努めて明るい声で気休めを言う僕に、先輩が虚ろな眼差しを向けます。
「……で?俺の主である吸血鬼は、その当時一番強くて強大な吸血鬼と比べて、どれほど力が劣っている?」
「いや……あの……えっと……寧ろ、今の僕はあの方の数倍は強力だったり……して」
気休めどころか追い討ちをかけてしまい項垂れる僕へ溜め息の返事を返し、先輩はぐったりと枕に顔を埋めます。
「……もういい、失せろ」
まぁ、それでも普通はね、眷族が自分の主に対してこんな風に命令口調とか、やりたくても本能が怖がって出来ないものです。
それ以外にも、今日吸血鬼になったばかりなのに、肉体強化を無意識レベルで使えたり、肉を焼いたり、魔法装置に魔力供給したり。それだけ活動しても全く飢えてない様子だったり。
先輩が、僕の知る「地球の吸血鬼の常識」に当てはまる吸血鬼なのかという点では、まだまだ検証の余地があるとは思っていますが。
根拠の薄い希望で、ぬか喜びさせてしまうのも可哀想なので黙っていますけど。
「……そうします。明日、朝早いらしいですし。それと、神使の件ですが、一応は千早さんに頑張る宣言した手前、僕も彼女が享受する勇者の作法には従うつもりですよ。どうしても聖なる武器が必要だというのなら、女神騙し討ちにしてでも手に入れて見せます」
僕に逆らえないのなら、先輩とは行動方針を共有する義務があるので、はっきりと宣言します。
そして今度こそ退去の意を固め、椅子から立ち上がりました。
「とにかく今は片っ端から虎穴に入って、僕らに何が出来るのか、何をやるべきなのか、見極めるしかないでしょう」
窓から真っ直ぐに照らす月の光が、先輩の着ている露出嫌いの神様みたいな白い長衣を青白く際立たせています。
無意識に視線をその光の源へと辿って、僕は硝子窓へと体を向けました。枠組みの端に金色の満月を見付けます。
目視での大きさは地球とあまり大差ありません。流石にクレーターの模様は違うのですが、この窓の外の景色に限っては今のところ、地球の夜空との違いはあまりありません。
照明器具が少なく、結界に閉ざされた場所であるせいか、夜空の色が濃いとか、やっぱり地球とは全く星座が違うとか、暗いから圧倒的に星が多いとか、精々東京と南アフリカくらいの差しか感じれませんでした。
否応なしに、太陽が一個余計に異世界を主張する昼間とは違い、安心感すら覚える夜空の、淑やかな月。
気が付けば、窓から見える神殿の別塔などの灯りはほぼ消えています。質素倹約が美徳なら、早寝早起きもまた美徳でしょうね。
こんなに暗ければ、窓から飛んでもばれないでしょうか。
ほんと、久し振りにゆっくり空でも飛びたい気分です。あー、魔力節約するんでしたっけ。
「はぁ……月は一個なんですね」
疲れた息に混じって、思わず僕の口から小さな呟きが漏れます。
「……なん、だと?」
あ、しまった。
直ぐに、失言の悪寒が身体を走り、うなじの毛が一瞬で総立ちになりました。
掌で口を覆ってみましたが、今時こんなの、時既に遅しのポーズにすらなりません。
急激に肝を冷やす予感を裏付けるように、息を忘れて落ち込んでた筈の先輩が、バネのように起き上がりました。
普通の人間なら失神しそうな視線を惜しげもなく僕に注いで、先輩が重く震えるような声で言いました。
「……鈴木、今、なんと言った……?」
吸血鬼の聴覚と言霊能力を持って聞き逃してしまような、複雑な言語も音響遮断結界も使っていませんでしたが、潔く僕は同じ台詞を棒読みで繰り返します。
「月は一個なんですね」
別に何を隠していた訳でもなし、事実を述べただけです。いや、確かに無理矢理に考えないようにはしてましたけど。
僕だって冗談みたいに長い年月の全てを、ただ無駄に過ごしていたわけじゃないんです。悪いことの兆候を嗅ぎ分ける能力なら、その辺の陰陽師よりよっぽど秀でています。
「月、《は》一個ならば……他に何が複数あるというのだ?」
「……知ってる癖に」
でなきゃ最初から、千早さんに聞いてますよ。
なんでこの世界には太陽が二個もあるんだい?って。
最近切実に思います…………パソコン買いたい。




