悪役令嬢は反省する。そして今後の方針を立てる
翌朝。
昨夜のことを考えていると、扉を叩く音がした。
「お嬢様、お目覚めでしょうか?」
聞き慣れた声だった。
「起きていますわ。入って」
「失礼いたします」
扉が開き、一人の少女が部屋へ入ってくる。
マリナ・セルジュ。
レティシアより十歳年上の専属メイドで、今年十七歳になる。没落気味とはいえ男爵家の令嬢だったが、家計が苦しく、十五歳の頃からローレン侯爵家でメイドとして働いていた。
つまり、自分が五歳の頃から二年間も世話をしてくれている。マリナがいつものようにカーテンを開けると、朝の光が部屋へ差し込んだ。
「本日はよく晴れておりますよ。朝食のお時間まで、まだ少しございますので、お着替えを――」
レティシアはベッドの上からマリナを見た。前世の記憶を取り戻す前の自分が、彼女に何をしていたのかも覚えている。
侯爵令嬢だからと周囲に甘やかされ、気に入らないことがあれば使用人へ当たっていた。何人ものメイドが辞めている。マリナにも酷い態度で接していた。
以前、朝の髪型が気に入らないと言って、何度も結い直させたことがある。少し形が崩れただけでやり直しを命じ、失敗するたびに謝らせた。
服を汚したときには、自分でこぼしたにもかかわらず、マリナの不注意だと言い張って責任を押しつけた。機嫌が悪いときには、わざと水を床にこぼし、それをマリナに拭かせたこともある。
思い出してみれば、よく二年間も辞めなかったものだ。それだけではない。人前で失敗したときには、
「没落貴族の娘だから仕方がない」
と、周囲に聞こえるように言ったことさえあった。
着替えを準備しているマリナの背中を見ながら、レティシアは少し迷ってから口を開いた。
「マリナ」
「はい」
「どうして、こんな私の世話をしてくれるの?」
振り返り、不思議そうな顔でレティシアを見る。
「どうされたのですか? 突然」
「昨日、少し考えていたの。私、あなたにずいぶんひどいことをしていたでしょう?」
「……」
否定しない。
「髪を何度も結び直させたり、酷いことを言ったり、水をこぼして拭かせたり。ほかのメイドたちはずいぶん辞めてしまったのに、あなたはまだここにいますわ」
「お嬢様がいつか変わってくださると信じております」
「なんでそう思うの?」
「間違っていることをきちんと伝え続ければ、いつか気づいてくださると思っておりました」
「マリナは、私がわがままを言うといつも注意してくれましたわね」
「はい。それが私の仕事ですから」
「辞めさせてやるって言ってたの覚えてる?」
「もちろんです。何度も辞めさせると言われましたから」
確かに言っていた。それでもマリナは辞めなかった。
「どうして辞めなかったの?」
玲奈の記憶から考えると、パワハラどころではない。マリナは少し考えてから答えた。
「お嬢様に注意する方が、ほとんどいらっしゃいませんでしたから」
「え?」
「旦那様も奥様もお嬢様を大切になさっています。もちろん奥様はお嬢様をお叱りになりますが、いつもおそばにいられるわけではありません。ほかの使用人も侯爵家のお嬢様には強く言えませんから、私まで何も言わなくなったらいけないと思いまして」
「なんでそこまでしてくれたの?」
普通そこまではしないだろうと思った。
「お嬢様を放っておくことができなかったのだと思います。あれだけ振り回されても、不思議と嫌いにはなれませんでした」
マリナは当たり前のように言った。
十七歳の少女が、侯爵令嬢に嫌がらせをされながら二年間もそれを続けていたことになる。前世の記憶があるからこそ、それが普通ではないと分かった。何も言わずに機嫌を取っていた方が、ずっと楽だったはずだ。
「ありがとう、マリナ」
言葉にしてみると、胸の奥が少し痛んだ。
「……はい?」
「今までありがとう」
マリナが目を丸くした。
「本当にどうされたのですか? 具合でも悪いのですか?」
「いたって元気よ」
「昨日までは、髪を引っ張って、私を辞めさせるとおっしゃっていた方が、朝起きたらお礼を言っているのですよ」
「昨日の私は、そんなことまでしていましたね」
「しておりました」
覚えている。確かに髪を引っ張っていた。レティシアは少しだけ視線を逸らした。
「色々ありましたの」
「昨夜のうちにですか?」
「ええ」
「何があったのです?」
「……」
前世の記憶が戻って、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だと気づいた。そんな説明をして信じてもらえるとは思えない。
「説明するのは難しいですわ」
マリナはしばらくレティシアを見ていたが、それ以上は聞かなかった。
「分かりました。お話ししたくなったときに聞かせてください」
「ええ」
マリナは再び着替えの準備へ戻った。
レティシアはその姿を見ながら、これからは大事にしようと思った。自分がどれだけ嫌な態度を取っても見捨てず、間違っていると注意してくれた人間がすぐ近くにいる。そのありがたさが今のレティシアには分かった。
着替えを終えると、朝食までは少し時間があった。レティシアは書斎へ向かい、昨夜思い出したゲームについて改めて整理してみることにした。
『聖女の恋と王国の運命』
通称『聖恋』
本当にこの世界はゲームの世界なのか。
まず隣国の名前と位置関係を調べてみる。どちらもゲームの記憶と同じだった。国の騎士団長の名前も一致しており、十五歳から通うはずの王立学園も、ゲームと同じ名前で存在している。
ここまで同じなら、ゲームの世界だと考えて動いた方がよさそうだ。確かゲームが始まるのは、自分が十五歳で学園へ入学してからだった。
今後のことを考える。
まずはアルベルト。
第一王子アルベルト・グラディス。ゲームではレティシアの婚約者になる人物だ。
主人公と関わるうちにレティシアを疎ましく思い、最後には卒業式で婚約破棄を告げる。今はまだ婚約していない。王子との婚約までゲームと同じように進めば、この世界が『聖恋』の世界だと考えてほぼ間違いないだろう。
七歳の自分が王家と侯爵家の婚約を簡単に断れるとも思えない。婚約することになったら、アルベルトとはできるだけ良好な関係を作っておいた方がよさそうだ。
追放になる原因はアルベルトだけではない。
攻略対象となる騎士団長の息子グレン・ヴァルド。
そして、宰相の息子ノア・ベルフォード。
この二人のルートでも修道院に入れられたり、追放されたりする。ゲームのレティシアは攻略対象たちからも嫌われていた。余計なことをせず、できるだけ揉めないようにしよう。
それだけでもゲームとは違う未来になる可能性はある。
もっとも注意すべき人物は、主人公のフィオナだ。平民でありながら非常に強い聖属性の魔力を持ち、その力を認められて貴族の通う学園へ特例で入学する少女。
ゲームのレティシアは、そんなフィオナを気に入らず、何度も嫌がらせをしていた。
まず、これをやめればいい。
フィオナに嫌がらせをしない。
それと一番大事なのがフィオナを階段から突き落とさない。
(確か処刑になるのは聖女を殺そうとしたときだったよね。そうだったはず。これは絶対しないようにしなくちゃ)
これで大体の破滅ルートは回避できるはずだ。基本的に関わらない方がいいのかもしれない。
そして、ヴィル。
レティシアはそこで手を止めた。
「ヴィルとは、どこで知り合うのかしら?」
ゲームでは、いつの間にかレティシアのそばにいた。
黒髪の執事。
レティシアが彼を連れていたことは覚えているが、いつ、どこで出会ったのかまでは思い出せない。ゲーム本編が始まる前の出来事だったのかもしれない。
「まあ、レティシアが連れていたのなら、そのうち会うのでしょう」
今のところ、それ以上は考えようがなかった。
『聖恋』には、もう一つ変わった特徴があった。オリジナルの攻略対象を作れることだ。
名前や容姿、性格まで決められる、男性のオリジナル攻略対象を作ることができた。専用イベントも用意されていたが、通常の攻略対象ほど数は多くなかった。
だから、この世界で誰がその攻略対象に当たるのかは分からない。
「私好みの男性がいるのかもしれないってことかな」
少し考える。
「でも私はヒロインじゃなくて悪役令嬢だし、やっぱりフィオナ好みなのかしら?」
誰なのかは分からない。存在するのかも分からない以上、今から考えても答えは出ない。
「存在したら、会えば分かるのかなぁ」
攻略対象のこと以外にも準備することがある。
「確か私は闇属性だったわよね」
ゲームの悪役令嬢レティシアは闇魔法を使っていた。しかし、プレイヤーが闇魔法を使う機会はなかった。
イベントの中で呪いや妨害に使われていた記憶はあるが、具体的に何ができるのかはよく分からなかった。今の自分にも、ゲームと同じなら闇属性の力があるはずだ。
「一度、きちんと調べた方がよさそうね」
ゲームと現実が完全に同じとも限らない。闇魔法については、この世界の本を読んで調べた方が確実だろう。
できれば剣も使えるようになりたい。十年後に婚約破棄を回避できる保証はない。物語の強制力のようなものがあるなら、何をしても国外追放になってしまうかもしれない。
そして、追放された先で何が起こるかも分からない以上、自分の身くらいは守れるようにしておいた方がいい。
レティシアは考えながら、紙へ簡単に書き出した。
アルベルトや攻略対象たちとは、できるだけ揉めない。
フィオナに嫌がらせをしない。
闇属性の魔法を調べる。
剣を覚える。
ほかにも必要なことはあるだろうが、今は思いつかない。
「思いついたら、そのとき始めればいいわね」
目標は処刑されない。
婚約破棄されない。
国外追放も避ける。
修道院送りも避ける。
それでも駄目だった場合に備えて、追放されても生きていけるようにしておく。
紙を見ているうちに、玲奈として生きていた世界のことが頭に浮かんだ。さやかの顔を思い出すと、胸が少し締めつけられる。
あのとき自分が前へ出たことを、さやかが今も悔やんでいるかもしれない。さやかが無事だったことには安心している。それでも今は、残してきた妹が自分を責めていないか、そのことの方が気になった。
「さやか、元気にしているかな。自分のせいだなんて思ってないといいんだけど」
「お嬢様」
マリナが書斎へ入ってきた。
「朝食の用意ができました」
「分かりましたわ」
レティシアは流れてきた涙を拭いた。そして、書いていた紙を折りたたみ、自分の部屋へ戻って机の引き出しにしまった。
食堂へ行くと、すでに両親が席についていた。
父、ヴィクトル・ローレン。
ローレン侯爵家の当主で、王宮では財務関係の仕事にも関わっている。領地経営や数字に強く、仕事ではかなり冷静な人物だ。
母、エレノア・ローレン。
侯爵夫人として社交にも慣れており、レティシアの礼儀や教育については厳しい。二人ともゲームではほとんど出番がなかった。
悪役令嬢の両親というだけで、物語の中心には関係しなかったからだ。
「おはようございます。お父様、お母様」
レティシアが挨拶すると、ヴィクトルがレティシアを見た。エレノアも視線を向ける。
「……おはよう、レティシア」
「おはようございます」
二人とも妙な顔をしている。ヴィクトルとエレノアが一度顔を見合わせた。
「どうされましたの?」
「いや、今日はずいぶん機嫌がいいと思ってな」
「だいたい、毎日何かが気に入らないと大騒ぎしていますからね」
母に言われて、レティシアは少し気まずくなった。これから過去の自分の行動を思い出すたびに、同じ思いをすることになるのかもしれない。
席につき、朝食を食べ始める。しばらくして、レティシアは父へ声をかけた。
「お父様。一つお願いがありますの」
「何が欲しいのだ?」
「剣を習いたいですわ」
ヴィクトルの手が止まった。エレノアも驚いた顔をする。
「聞き間違いか? 剣を習いたいと聞こえたが?」
「はい。そう言いました」
「どうして急に?」
「自分の身を守れるようになりたいと思いましたの」
追放されたら自分の身くらい自分で守る必要があるかもしれない。
ヴィクトルは少し考えたあと、頷いた。
「分かった。騎士団に話しておこう。護身は身につけておいた方がいい」
侯爵家の騎士団で稽古をつけてもらえそうだ。
「ありがとうございます、お父様」
思っていたよりあっさり許可が出て、レティシアは少し嬉しくなった。
「それと、勉強もしたいです」
「いつも嫌がっていたのに、何があった?」
「知識は力ですから。この国の仕組みをもっと知りたいですわ。できれば、ほかの国や歴史についても」
エレノアの表情が緩んだ。娘が自分から勉強したいと言い出したことが嬉しいらしい。
「それでしたら家庭教師をつけましょう。あなたもそろそろ、きちんと学び始めてよい年齢です」
「領地のことや商売についても教えてもらえますか?」
今度はヴィクトルが反応した。
「領地や商売のことを?」
「はい。領地でどんな物を作って、どこへ売っているのかとか、お金や税がどう動いているのかとか」
ヴィクトルはしばらく娘を見た。
「そんなことに興味があるのか?」
「ありますわ」
この世界で、人や物、お金がどう動いているのかも知っておきたい。
「歴史だけでなく、領地経営や商売にも詳しい者を探してみよう」
「ありがとうございます、お父様」
ヴィクトルは少し嬉しそうだった。自分の得意分野に娘が興味を持ったのだから当然かもしれない。
「まずは一年ほどしっかり勉強してみなさい。剣の稽古も、無理のない範囲で続けるといい」
「はい」
闇魔法についても、その間に自分で調べられる。
エレノアが紅茶のカップを置きながら、レティシアを見た。
「それにしても、本当にどうしたのです? 昨日までのあなたとはずいぶん違いますね」
「私もそう思っていたところだ」
ヴィクトルまで頷いた。
レティシアは少し考えてから、後ろに控えているマリナを見る。
「マリナのおかげかもしれませんわ」
「私ですか?」
突然名前を出され、マリナが驚いた。
「今まで私がどれだけわがままを言っても、きちんと注意してくれたでしょう? 今朝、それがありがたいことだったのだと気づきましたの」
ヴィクトルとエレノアがマリナを見る。
「そうだったのか」
ヴィクトルが笑った。
「マリナ、ありがとう。これからもレティシアのことを頼む」
「と、とんでもございません。私は自分の仕事をしていただけでございます」
「これからも遠慮なく注意してあげてください」
エレノアまで続ける。
「かしこまりました」
「私が間違ってたらまた教えてね」
マリナは笑顔で頷いた。
朝食を終えたあとから、レティシアは少しずつ準備を始めることにした。
領地の仕組みや商売、魔法について学びながら、歴史やほかの国のことも知っていく。騎士団から剣も教わる。
ゲームが始まる十五歳まで、まだ八年ある。未来がどうなるのかは分からない。それでも、何もせずにその日を待つつもりはなかった。
(せっかくもう一度生きられるんだもの。絶対に、あんな未来にならないようにしないと)




