↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/14

妹が水族館に連れて行ってくれた思い出

レティシアが七歳のある夜。


いつものようにベッドで眠っていると、突然、頭の奥に鋭い痛みが走った。


「……っ!」


次々と、知らないはずの記憶が頭の中へ流れ込んでくる。


日本。


そこで生きていた自分の名前は、黒川玲奈。


高校生になるまでは、両親と七つ下の妹、四人で暮らす普通の家庭だった。特別裕福だったわけでもないし、大きな問題があったわけでもない。


学校へ行って、家へ帰れば家族がいる。それが当たり前だった。


その当たり前は、高校生のときに突然なくなった。


両親が事故で亡くなった。


葬儀が終わったあと、親戚のおばさんが言った。


「さやかちゃんは、うちで面倒を見るからね」


どうやら私抜きで親戚たちが話し合ったらしい。


まだ高校生だった。妹を育てられるような収入もなければ、親代わりになれる自信もない。一緒に暮らしたかったけれど、その方が妹のためなのだと思った。


「……お願いします」


そう答えると、おばさんは妹の手を取った。


声に出した瞬間、本当にこれで妹と離れるのだと実感した。妹はおばさんに手を引かれながら、ずっと私を見ていた。


「おねーちゃんと暮らす」


涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、手をこちらへ伸ばしてくる。


「おねーちゃん。なんで? 離れたくない」


その顔を見ているうちに、胸が苦しくなった。


妹のためなら、親戚の家で暮らした方がいい。きっと、その考えは間違っていなかったと思う。


それでも私は無理だった。


「……やっぱり、私が面倒見ます」


妹のためではない。


妹と離れたくないという、私自身のためだった。


親戚のおばさんには後見人になってもらい、生活の上では私と妹の二人で暮らすことになった。私は高校を辞めて働き始め、工場に勤めながら七つ下の妹を育てた。


慣れないことばかりで、うまくできないことも多かった。


それでも、ある母の日には小さなプレゼントをもらった。


「うちでは、お姉ちゃんの日だね」


妹は笑いながら、私の顔を描いた絵を渡してきた。


私は絵を受け取り、しばらく何も言えなかった。決して上手とは言えない絵だったけれど、私はずっと捨てなかった。


料理も家事も、それまでは母に頼っていた部分が多かった。仕事が忙しくなると、妹にお弁当が必要な日は似たようなおかずばかりになることもあり、そのことを指摘された。


「お姉ちゃんのお弁当って、同じものよく出てくるよね。私が好きなものだけにしてるから?」


「二人の好きなおかずにしてるの」


「好きなおかずも一緒なんだね」


妹はそう言って、空になった弁当箱を笑顔で返してきた。


妹と好きなものが同じ。そんな些細なことが、なんだか嬉しかった。


もちろん、いつも仲が良かったわけではない。


妹が中学生のとき、一度大きな喧嘩をした。


「私も中学卒業したら働く」


突然そう言い出した妹に、私はすぐ首を振った。


「お姉ちゃんのために、高校行って」


私が高校を辞めたことを、妹なりにずっと気にしていたのだと思う。何度か話して、どうにか高校へ進学させた。


似たようなことが、また起きた。


高校三年になった妹が、進路希望の紙を前にして言った。


「大学は行かないよ。お金ないでしょ。これ以上、お姉ちゃんに迷惑かけたくない」


「お金のことなら何とかするから。私は大学に行ってほしい」


今まで少しずつ貯めてきた。国公立なら、奨学金やアルバイトを組み合わせれば何とかなると思っていた。


私はそのつもりで話していたが、妹は急に声を荒らげた。


「その気持ちが重いのよ!」


何も言えなくなった。


私の気持ちが、妹の重荷になっている。


その言葉が思った以上に痛かった。


私は妹のためだと思って高校へ行かせ、大学にも行ってほしいと思っていた。でも、それは本当に妹のためなのだろうか。


自分が高校を卒業できなかった分まで、妹に何かを求めているだけなのかもしれない。


部屋に戻ってから、一人で泣いた。


翌日、妹の方から私のところへやって来た。


「お姉ちゃん、ごめん」


「昨日のこと?」


「ほんとは、そんなこと思ってないの。勉強しても受かるか自信なくて、それで当たっただけ」


妹は俯いたまま、しばらく顔を上げなかった。


私はそんな妹の頭に手を置いた。


「いいのよ。でも、本当に重荷に感じるようならやめていいからね。大学に行くかどうかは、最後は自分で決めて」


「……ありがとう」


妹が抱きついてきた。


腕の中に感じるぬくもりが嬉しくて、私も妹の背中に腕を回した。


その後、妹は寝る間も惜しんで勉強し、国立大学に合格した。


合格を祝って、二人で焼き肉を食べたことを覚えている。


大学へ入ってからはアルバイトも始め、少しずつ自分でできることが増えていった。卒業後には無事に就職も決まり、妹はようやく社会人になった。


長かったような気もするし、振り返ればあっという間だったような気もする。そんな時間だった。


妹が家を出て一人暮らしを始めると、急に自分の時間が増えた。最初は少し寂しく、二人分作る癖が抜けずに夕食を作りすぎることもあった。


昔から好きだった乙女ゲームで遊ぶ時間も、自然と長くなった。


仕事から帰り、食事と風呂を済ませてゲームをする。それがいつの間にか習慣になり、気になる作品が出ればかなりやり込むようになっていた。


そんな生活をしていたある日、妹から連絡が来た。


『今までのお礼、第一弾。一緒に旅行』


第一弾って何なのよ。


そう思いながらも、嬉しかった。


妹が行き先まで決めてくれて、久しぶりに二人で出かけることになった。


旅行先で訪れたのは、大きな水族館だった。


薄暗い館内を歩きながら魚を眺めているだけで、不思議と気持ちが落ち着く。


「お姉ちゃん、クラゲだよ」


水族館の中でも暗いクラゲの展示エリアには、円柱状の水槽が八つほど並んでいた。それほど広くはなく、少し歩けば全体を見渡せるくらいの空間だった。


水槽ごとに違う種類のクラゲが泳いでいて、照明の色がゆっくりと変わるたびに、透明な身体も青や紫、淡い桃色へと染まって見える。


壁際にはベンチが置かれていた。


私たちはそこに並んで座り、色を変えながらふわふわと漂うクラゲを、しばらく何も言わずに眺めていた。


「ずっと見てられるわね」


「ふわふわしてるのがいいのよね」


妹も同じことを考えていたらしい。


こういう好みまで昔から一緒だなと思った。


ぼんやりクラゲを眺めていると、妹が突然こちらを向いた。


「お姉ちゃんは結婚しないの?」


「え!?」


あまりにも唐突だった。


結婚については、ほとんど考えたことがなかった。妹が独立してから時間が空くようになり、その時間のかなりの部分を乙女ゲームに使っていた。


現実の恋愛より、二次元の男性を攻略してばかりいた。何度か誘われたことはあったけれど、それほど興味が持てず断ってきた。


でも、そろそろ現実のことも考えていい年なのかもしれない。


「あなたはどうなの?」


突然そんな話を振ってきたくらいだ。何かあるのだろうと思って聞いてみると、妹はあっさり答えた。


「今は地下アイドルのセブンハビットにはまってるから、まだいいかな」


予想外で笑ってしまった。


姉としては、どの程度はまっているのか少し気になる。


「お金、どれくらい使ってるの?」


「最近のお姉ちゃんの乙女ゲームくらいだよ」


「そうなのね……」


それを聞いて少し気にはなったが、私が言えることではないと思った。


その後は会話もせず、二人で一時間近くぼーっとクラゲを眺めていた。


妹が時計を確認して立ち上がる。


「お姉ちゃん、イルカのショーそろそろ始まるよ。見に行こう」


「もうそんな時間?」


私も席を立った。


イルカショーの会場へ向かう途中、館内でも特に大きな水槽の前を通った。何種類もの魚が泳ぐ巨大な水槽だった。


その前を歩いていたとき、微かな音が聞こえた。


ミシッ。


私は足を止めた。


「……何、この音」


妹も振り返る。


もう一度、今度は先ほどよりはっきりと音がした。


ミシッ、ミシッ。


巨大水槽の透明な壁に、白い筋が一本走った。


一瞬、それが何なのか分からなかった。


白い筋は止まらず、枝分かれしながら目の前で一気に広がっていく。


考えるより先に身体が動いた。


「危ない!」


私は妹の身体を思いきり押した。


「えっ――」


妹がすぐ横にあった太い柱の向こうへ倒れ込む。


その直後、腹の底まで響くような音がした。巨大水槽の透明な壁の一部が崩れ、大量の水が通路へ噴き出した。


逃げる間もなかった。


身体が持ち上げられ、どこかへ叩きつけられた。水の中で上下が分からなくなり、何か硬いものが身体にぶつかる。


しばらくして勢いが弱まり、床に身体が落ちた。


それでも水は通路を激しく流れ続けている。身体にも力が入らず、私は浅く息を吸いながら顔だけを上げた。


さやかは?


無事なの?


流れていく水と散らばった破片の向こうに、柱の陰へ倒れている妹が見えた。


妹がゆっくりと身体を起こし、こちらを見る。


よかった。


妹は大丈夫そうだ。


それを確認したところで、私の意識は途切れた。


「――っ!」


レティシアはベッドの上で飛び起きた。


息が荒く、額には汗をかいている。


「何、この痛み……」


頭を押さえたまま、しばらく動けなかった。


今見ていたものが夢なのだと思った。けれど、夢にしては細かいところまで覚えすぎている。


日本で暮らしていたこと。両親が死んだこと。工場で働いていたこと。


妹を育てたこと。妹が旅行に連れて行ってくれたこと。


それらが全部、自分の記憶として残っている。


今のレティシアとして過ごした七年間の記憶も消えてはいない。自分の中に、二人分の人生が入っているような奇妙な感覚だった。


前世では、人が死んだあと別の世界へ生まれ変わる小説を読んだこともある。


「私も……転生したってこと?」


口にしてみても、すぐには信じられなかった。


しばらく考えているうちに、今の自分が置かれている状況と、前世で遊んでいた乙女ゲームとの一致に気づいた。


『聖女の恋と王国の運命』。


通称『聖恋』。


通勤中によく遊んでいたゲームの一つで、何度も周回していた。


「レティシア……」


ゲームにも同じ名前の令嬢がいた。


悪役令嬢レティシア・ローレン。


今の自分と名前も家名も同じで、住んでいる国も、第一王子アルベルト・グラディスの名前もゲームと一致していた。


ここまで一致していれば、偶然ではない気がする。


「これが、よく聞く転生ってやつかしら」


まだ信じられない気持ちは残っていたが、他に説明も思いつかなかった。


「やっぱり転生するのは悪役令嬢なのね。ヒロインなら楽だったのに」


ゲームの主人公なら、強い聖属性の力を持って学園へ入学し、攻略対象たちと関係を深めていく。


レティシアは、その邪魔をする側だった。


しかも、悪役令嬢の最後がよくない。


卒業式の日、大勢の生徒がいる前で第一王子から婚約破棄を告げられる。その後の結末はルートによって異なり、国外追放、処刑、修道院送りなど、ろくなものがなかった。


「未来がない未来しかないわ」


現在は七歳。


卒業式は十七歳だから、あと十年。ゲームが始まる十五歳までは、あと八年ある。


レティシアはベッドの上で考えた。


まず、この世界が本当にゲームと同じなのかを調べる必要がある。ゲームで悪役令嬢レティシアが何をして、どうして破滅したのかも思い出さなければならない。


同じことをしなければ未来が変わるのか。それとも、何をしても最後は同じところへ行くのか。


今の段階では分からない。


「何とかして回避しなきゃ」


レティシアは布団をぎゅっと握った。


十年後にどんな未来が待っているのかは分からない。でも、何もしないまま破滅するのだけは嫌だった。


(処刑も追放も修道院送りも嫌よ。せっかくもう一度生きられたんだもの)


そして、明日まず何をするかは決まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。