私、またお姉ちゃんになるんだ。ゲームでは脇役でも、私には大切な弟です
王城を訪れてから、しばらく経ったある日の早朝。
レティシアは、母の部屋の前に置かれた椅子に座っていた。その前を、ヴィクトルが何度も行ったり来たりしている。
「お父様、少し座られたらいかがですか?」
「いや、大丈夫だ」
そう答えながらも、ヴィクトルは座ろうとはしなかった。少し歩いては扉を見て、また反対側へ歩いては同じように扉を見る。
普段は仕事でも滅多に慌てない父なのだが、今日はどうにも落ち着かないらしい。
レティシアも平静を装ってはいたものの、気持ちは似たようなものだった。昨夜遅くにエレノアの陣痛が始まり、それからずっと待っている。
ゲームの設定通りなら、生まれてくるのは弟だ。
「まだだろうか……」
「お父様、それ先ほどもおっしゃっていましたよ」
「そうだったか?」
「もう数えきれないくらいおっしゃっていますよ」
ヴィクトルが困ったように笑う。レティシアも少し笑ったが、すぐにまた扉へ目を向けた。
その時、扉の向こうから小さな声が聞こえた。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
レティシアは思わず立ち上がり、ヴィクトルも足を止めた。次の瞬間には、二人とも扉の方へ身体を向けていた。
「生まれたのか?」
胸が急に高鳴る。
二人で扉を見つめていると、少しして扉が開いた。中から出てきた産婆が、笑顔で頭を下げる。
「おめでとうございます。元気な男の子です」
「男の子か!」
ヴィクトルの顔が一気に明るくなった。それまでの落ち着かなさが嘘のように満面の笑みを浮かべている。
レティシアもほっと息を吐き、自然と笑顔になった。
「レティシア、お姉ちゃんになったぞ」
「はい!」
ゲームの設定で分かっていたはずなのに、実際に聞くと嬉しさが込み上げてくる。
「奥様もお元気です。中へどうぞ」
母も無事だったと聞き、レティシアはもう一度安心した。
産婆に促され、二人は部屋へ入った。
部屋の中には、生まれたばかりの赤ん坊の泣き声が響いている。ベッドには少し疲れた様子のエレノアが横になり、その腕の中で、小さな赤ん坊が顔を赤くしながら元気に泣いていた。
レティシアは思わず足を止めた。
思っていた以上に小さい。
その姿を見ていると、前世でさやかが生まれた時のことをふと思い出した。
あの時も、こんなに小さかっただろうか。
ずいぶん昔のことだから細かいところまでは覚えていない。それでも、妹ができたことが嬉しくて、何度も顔を覗き込んだ記憶は残っていた。
(私、またお姉ちゃんになるんだ)
「レティシア」
エレノアが柔らかく笑う。
「弟ですよ」
レティシアはゆっくりとベッドのそばまで近づいた。赤ん坊は小さな手を握りながら、まだ元気に泣いている。
「こんなに小さいんですね」
「生まれたばかりですからね」
エレノアが優しくあやすと、泣き声が少しずつ弱くなっていった。
ヴィクトルも隣から覗き込み、しばらく赤ん坊の顔を見ている。
「名前はどうしましょう?」
エレノアが尋ねると、ヴィクトルは迷うことなく答えた。
「もう決めてある。ユリウスだ」
「ユリウス……」
レティシアは小さくその名前を口にした。
やはりゲームと同じだった。
ユリウス・ローレン。ゲームの中ではほとんど出番のなかった、レティシアの弟だ。
けれど今、目の前にいるこの子を見ていると、ゲームの設定という感じはしなかった。
自分の弟であり、新しく増えた家族なのだ。
エレノアは腕の中の赤ん坊を見つめた。
「ユリウス、生まれてきてくれてありがとう」
その声はとても優しかった。
レティシアも赤ん坊を覗き込み、少し迷ってから尋ねる。
「触ってもいいですか?」
「もちろんですよ。優しくね」
「はい」
レティシアはそっと指を伸ばし、小さな頬に触れた。
「……柔らかい」
驚くほど柔らかかった。肌もすべすべしていて、指先で触れるだけでも壊してしまいそうに思える。
「赤ちゃんって、こんなに柔らかいんですね」
「ふふ。そうでしょう?」
レティシアはもう一度、今度はさらに優しく頬を撫でた。
昨日まで母のお腹の中にいた子が、今はこうして目の前にいる。それだけのことなのに、なんとも不思議な気持ちになる。
泣き止んだユリウスが、わずかに顔を動かした。
レティシアはその顔をじっと見る。
「お父様に目元が似ていますね」
「そうですか?」
エレノアもユリウスの顔を見たあと、ヴィクトルへ目を向けた。
「ええ。私もそう思います」
ヴィクトルは嬉しそうに赤ん坊を覗き込む。
「そうか?」
「はい。きっと大きくなったら、もっと似てきますよ」
「それは楽しみだな」
ヴィクトルが笑う。
レティシアがもう一度ユリウスの小さな手に指を近づけると、その指を小さな手がきゅっと握った。
「……握ってくれました」
思わず声が弾む。
ほんの小さな手なのに、指を握られただけで嬉しくなった。
エレノアがその様子を見て笑う。
「お姉様だと分かったのかもしれませんね」
「レティシアお姉様ですよ~」
レティシアは笑いながらそう話しかけ、小さな手に握られた指をしばらくそのままにしておいた。
「これからよろしくね、ユリウス」
当然、返事はない。
それでもレティシアは嬉しそうに笑いながら、ユリウスの小さな手と顔をいつまでも眺めていた。




