仕立て屋クルール
カララン、と軽いドアベルの音が鳴る。作業中の手を止め、急いで店先へ顔を出した。
「いらっしゃいませ!」
「こんにちは。あら、貴女は新しい従業員さんかしら? アガット夫人はいらっしゃる? 久々に領地から出てきたので、ドレスの調整をお願いしたかったのだけれど」
「ああ……アガットさんはお店をやめて息子さんと暮らすことになったんです。なので今は、私がこの店を受け継いでいます。ドレスの調整も承れますが、いかがいたしますか?」
「あら、そうだったのね……残念だわ。今日は、辞めておくわね」
「……はい、またのお越しをお待ちしております」
これで何人目だっただろうか。アガットさんがいないと知って、帰ってしまうお客様は思ったよりもずっと多かった。
それはそうだろう。長年王妃殿下に仕えてきた実績と積み重ねてきた信頼、そしてスキルによる素晴らしい仕上がりが保証されているのだ。常連客は皆アガットさんがいるからこそ来てくれていたのだし、私のような年若い店主に不安を覚える人も多いと思う。
多分……これまでと同じことをしていても駄目なのだ。アガットさんについていた常連客は、きっともう贔屓にしてはくれないだろう。ここはもう私の店になったのだから、私らしい努力と工夫をして新しいお客様を呼ばなければ早々に行き詰まってしまう。
ただ口を開けて待っていたって、もう誰も餌を運んではくれないのだ。お腹が減ったら自分で狩りに行かねばならないし、誰も来てくれないならば自分で取りに行くより他ないではないか。
よしとひとつ気合を入れて、私は小さな看板を作った。飴色の扉によく合う真鍮プレート製のそれには、『仕立て屋クルール』と彫り込んである。これから本当の意味でここが私の店になるのだと実感し、その興奮と緊張に背筋がぶるりと震えた。
アガットさんが残していってくれた生地や素材にはまだまだ余裕があるけれど、新たな固定客がつくまでどのくらい時間がかかるか分からない。なるべく節約しながらこの店らしさをアピールできる見本を作れないだろうか。
とても手触りはいいけれど、長いこと放置されていたため端が日焼けしてしまった真っ白の生地。このままでは随分切り捨てなければいけない部分が多く出てしまうが、そこは私のスキルの出番である。
これまでのお客様はアガットさんと同年代のご婦人方が多く、したがって選ばれる生地も落ち着いた色味の上品なものばかりに偏っていた。でもこれからは、私と同年代の若い令嬢たちにこそ来て欲しいと思う。だから、より鮮やかで綺麗な発色の布が良い。瑞々しくて、爽やかで、明るい気持ちになるような。ダンスを踊れば裾が広がり、軽やかに揺れるような。晴れた日の湖面のようなターコイズブルーに、春の若葉のように鮮やかなピスタチオグリーン。白い肌をより明るく見せてくれるローズピンクに、果汁滴るようなレモンイエロー。頭の中に浮かぶカラフルな色の洪水は、そのままの美しさで褪せた布を鮮やかに彩ってくれた。
「うん、すごく綺麗」
この布で仕立てたドレスはきっと、着る人を笑顔にするだろう。裁ちばさみを軽快に鳴らしながら、高鳴る胸を落ち着かせるのはなかなか難しかった。
◇
「あのっ、すみません……!」
食材の買い出しの為市場を歩いていたところ、後ろから声を掛けられ振り返る。そこには、ほんのり頬を赤く染めた若い女性が立っていた。
「はい、なんでしょう?」
「その、貴女のワンピースなんですけど……それ、どこで買いましたか? 凄く色が綺麗だったから目が離せなくなってしまって……私でも手の届く値段だったらいいのだけれど」
今日、私が着ているのは自分で仕立てた普段着用のワンピースだ。私の地味な茶髪にも合うよう、鮮やかなタンジェリンオレンジに色を変えてある。白い襟は付け外しの出来るタイプで、ウエスト部分にはスタイルが良く見えるよう太めの刺繍ベルトを巻いた。これなら気分によって襟を外したりウエストベルトを違うものにするだけでぐっと雰囲気も変わり、新鮮な気分で着回ししやすいのだ。
「ありがとうございます! 実は私、近くで『仕立て屋クルール』という店をやっていて……この服も自分で作ったものなのですよ。気に入っていただけたなら嬉しいです」
「まあ……! では、そのお店に行けば同じワンピースを買えるのかしら?」
「ええ、もちろんです。オーダーメイドでお客様に似合うようお仕立てすることも出来ますし、同じ生地でレディメイドのお品をお手軽にご用意することも出来ますわ」
付け替えできる襟やアレンジできる袖やベルトにも大変興味を持ってくれたから、きっと彼女は近いうちに店へ来てくれるだろうと思う。最初の仕立てに多少金額が掛かっても、その後何通りのパターンも着回しできると考えればオーダーもそれほど高い値段ではないはずだから。
その日にもうひとり、そしてまた別の日にも数人そうやって声を掛けられ、話をした女性たちはみな本当に店を訪れて来てくれた。
商家の令嬢や下位貴族の令嬢たちは、やはりアレンジ可能な後付けパーツの飾りが決め手となったようだ。夜会などに出る機会は多々あれど、毎回同じドレスを着ていくわけにはいかないのだそうだ。流行の形もあれば、他の参加者が着てくる衣装とのバランスも考慮する必要がある。けれど毎回新しいドレスを仕立てるには予算が掛かりすぎるし、こうしてポイントの飾りを変えるだけで雰囲気が変わるのが随分助かるのだと。優雅に見えて、貴族令嬢たちも苦労しているのだなと改めて知った事実だ。
また、以前着用した際に染みを付けてしまったりほつれてしまったりしたドレスのお直しも多かった。上質な絹地に付いた染みは上手に扱わないと生地を傷めてしまうし、時間が経ってどうしても落ちなくなってしまったものもある。でも私のスキルを使えば、どんな汚れも色変えをしてすっかり綺麗に出来るのだ。
「染みだけ抜いて元の状態に戻すことも出来ますし、思い切って全体を別の色に染め変えて印象をガラっと変えることも出来ますわ」
「まあ、そんなこともできるの? このピンクだと今の私には少し若すぎるかなと思うのだけど……当時婚約者だった夫から贈られた思い出のあるものだから、出来れば大事に取っておきたいと思っていたのよ。染め直せば、もしかして今でも着られるかしら……」
「ええ、もちろんです。お客様の肌のお色だと、ワインレッドなどがお似合いになるかと」
「では、それでお願いしようかしら」
一度店を訪れた令嬢たちが家族や知人に話をしてくれたらしく、段々とお客様が増えていく。鮮やかな布のドレスや既製品のお直し、そして着回し用の小物や似合うドレスの形のアドバイス。
満足気な笑顔で去っていく人々の顔を見ると胸が熱くなる。私は決して出来損ないなんかではない。だってあの笑顔は、紛れもなく私が生み出したものなのだから。
フロラが教えてくれた刺繍と、アガットさんから受け継いだ仕立て屋としての技術。なにより女神様から授かった色変えのスキルが、この「仕立て屋クルール」唯一無二の売りである。




