仕立て屋クルール2
カラランと軽やかにドアベルが鳴る。
「はぁい、いらっしゃいませ!」
作業をしていた奥の部屋から顔を出すと、そこには見覚えのないひとりの青年が立っていた。興味深げにぐるりと店内を見渡すその瞳は鮮やかな赤色で、振り返り際にさらりと揺れる髪は艶やかな黒だ。身体にぴたりと合った細身のトラウザーズを履き、仕立ての良い白いシャツを着ている。シンプルだけれど、生地の良さからしてかなり高位の貴族だろうと思われた。
赤と、黒……。どこか既視感のある色味に思考が彷徨う。
けれど、不意に掛けられた声に私は現実へと引き戻された。
「──貴女がこの店の店主だろうか?」
「はい、さようでございます」
この店に初めて訪れる客で、貴族男性ひとりというのはとても珍しい。基本的に扱っているのは婦人服だから、来たとしても大抵連れの女性と一緒か、せいぜい出来上がった品を取りに来る使用人の男性くらいのものだろう。
「街の噂で聞いたのだが……この店では、ドレスの色を変えてくれるのだとか」
「ええ、そのようなご注文も承っております」
そうかと頷く青年の表情は、どこか愁いを帯びている。伏せられた赤い瞳にかかるまつ毛が濃い影を落としていた。
婚約者と大事な思い出のあるドレスを汚してしまったのだろうか。けれどそれにしては随分雰囲気が深刻に過ぎる気がした。例えば、今後の人生を左右する決断を迫られているみたいに……。
吐息の音が響くほど静まり返った店内に、唾を飲む音がごくりと響く。手のひらには、じんわりと汗が滲んでいた。
すっと顔を上げた男性が、真っすぐに私の目を見つめて口を開く。
「例えば、貴女は……この、髪や瞳の色も、変えることが出来るのだろうか」
「髪や瞳の色……ですか……?」
問われた内容を瞬時に理解することが出来ず、しばらくの間思考を巡らせた。仕立て屋として、布や糸の色を変えたり染み抜きをしたりはしてきたけれど……人間そのものの色を変えるなんて、考えたこともなかったからだ。
「それはやったことがないので、正直出来るかどうかは何とも言えず……申し訳ありません」
「では、試してみては貰えないだろうか。そうだな……この髪を、貴女に似た栗色に。瞳は……貴女と同じその緑色だと少し綺麗すぎるだろうか。やはり瞳も、髪と同じ栗色が良いかな。もちろん、相応の代金も払う」
カチャリと音を立てたカウンターに視線を落とせば、そこには眩く輝く金色の硬貨が置かれていた。
「そんな! 金貨だなんてあまりにも多すぎます……! 人体にどのような影響が出るか分かりませんし、その前に出来るかどうかも分からないのですから!」
「いいんだ。出来なくても責任を問うようなことはしないと約束しよう。駄目で元々なんだ、一度試してはもらえないか?」
小さく頭を下げた青年の表情は真剣そのもので、真っすぐこちらを見つめる瞳には吸い込まれてしまいそうなほど強い輝きが宿っていた。きっとこれは、彼にとってとても大事な話なのだと思う。私の自信のなさごときで、簡単に断って良いものではない気がした。
「わかり……ました。では、やってみましょう。少し手に触れますけれど、もし嫌な感じがあればすぐに仰ってください」
分かったと言って差し出された大きな手をそっと握る。手のひらは硬く、所々に肉刺が出来た痕があった。おそらく剣を握る人なのだろう。背は高く、がっしりとした肩回りや厚い胸板からしてかなり鍛えているように見えた。品のある佇まいといい、もしかすると騎士様なのだろうか?
間近から改めて見つめる黒髪はため息を吐いてしまうほどに美しく、これから色を変えてしまうのが少し勿体なく思えるほどだ。それはまるで、かつて神殿で聞いた英雄王オーギュスタンのようで──。
あの日、私の運命を変えた洗礼式。火魔法の名家であるデュラン侯爵家の娘にあるまじきハズレのスキル、司祭様が切々と語った建国の歴史。黒髪の英雄、彼が成し遂げた素晴らしい偉業。
パズルのピースがはまりかけたその瞬間、私のスキルが彼の身体を巡り、その黒髪と赤い目がぱっと色を変えた。自分自身の髪は面白みもないただただ地味な色だとしか思えなかったのに、この美麗な青年が同じ色を纏うと上品に感じるのは何故だろう?
「出来ました……!」
「本当か!」
まさか本当にこんなことが出来るなんて、スキルを使った私自身が今最も驚いていると思う。艶やかな黒髪は私と同じ見慣れた栗色に、そして驚きに見開かれた赤い瞳もまた、街中でよく見かけるありふれた栗色に変わっている。
見目の優れた人間というのは、特徴的な色味を持たずとも自然と溢れるオーラのようなもので他人を引き付けてしまうのかもしれないなと思う。それがこの人にとって、良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど。
「あちらに鏡がございますので、ご確認いただければと」
「ああ……本当だ。素晴らしいな、貴女に頼んで本当に良かった。ありがとう、この恩は生涯忘れないから」
一度離れた私の手を再び取ってきゅっと握った栗色の髪の青年は、ふわりと笑顔を浮かべると丁寧な礼を述べ足早に店を後にした。
なんだか短い時間で色々な経験をしてしまった気がする。しばらく茫然と立ち尽くしていた私だけれど……カウンターに残されたままの金貨を見て、小さく悲鳴を上げてしまったのだった。




