仕立て屋クルール3
あれから数日。あの青年が再び店を訪れることもなく、色を変えた髪や目の色に問題はないのだろう。スキルを使った布や糸なども時間経過で元の色に戻ったりはしないのだから、きっと大丈夫だと思うけれど。
「一体あれはなんだったのかしら……」
どこか切迫したような、真剣な眼差しだった。精悍で、逞しくて、つい視線が引き込まれるようなオーラを発していて──。
仕事中なのに、いつの間にか手が止まってぼんやりとあの日のことを思い返してしまう。我に返っては集中しなければと頭を振って、再び手元の刺繍に視線を落とした。
それにしても、私の色変えが人体そのものにも使えるだなんて驚いた。今までは、仕立てに関する物にしか使ってこなかった力だけれど……もしかすると、このスキルにはもっと色々な可能性があるのではないだろうか。いい加減全く進まない刺繍の針を置き、店内をぐるりと見回す。
例えば、アガットさんから受け継いだこの店のインテリア。
「カーテンは、布だから絶対に出来るわよね」
こっくりした深緑色の生地は上品で豪奢だけれど、若いお客様が増えた今の店には少しだけ重たい。例えば、アイボリーなんてどうだろう?随分店内が明るく見えるし、窓からの光を反射して少し空間が広く見えるのではないだろうか。
そっと窓辺のカーテンに手を伸ばし、頭の中に理想の色を思い浮かべてみる。閉じた目をゆっくり開いて見れば、そこには思い描いた通りの色に変化したカーテンがあった。わあと小さく歓声を上げつつ、あちこちの窓辺を歩き回って吊られたカーテンの色を変えていく。たったそれだけの変化でぐっと雰囲気が変わり、店内の雰囲気も随分若者向けになった。
こうなれば、もう少し模様替えを楽しんでみたくなる。
「壁紙も……出来そうよね」
素材としてそれほど大きな違いはないだろう。今しがた色変えしたカーテンの色に合わせて、淡いスプリンググリーンはどうだろうか? 上手くいくようなら、季節に合わせて違う色にしてみてもいいのだし。
壁に手を当て、爽やかな薄い緑色を頭に思い浮かべてみる。触れたところから、徐々にその色が面積を増していく。明るくて、とても綺麗だ。
「わぁ、凄く、すて……き…………」
不意に足元がぐにゃりと歪んだかと思えば、覚束なくなった膝が崩れ落ち──私はその場で意識を失ってしまったのだった。
「──ロエさん! ──クロエさん、起きてちょうだい! こんなところで寝ていたら風邪を引きますわよ!」
「……ん……っ」
「ああ、良かった! クロエさん、しっかりなさって!」
「え……と、あれっ私は一体……、っイリスお嬢様? まあっ、もうそんなお時間になっていましたか……!?」
肩を揺さぶられる感覚に瞼を上げると、私は店内の床に横たわり気を失っていたようだ。幸いにも倒れていたのは採寸やフィッティングをするために使っている部屋だったので、床は清潔だし厚めの絨毯も敷いている。身体に痛みなどは特になく、怪我などしなくて良かったと内心で安堵した。
確か私が模様替えを始めたのが午前中で……イリスお嬢様と約束していた時間から考えると、だいたい四時間くらいは経っているようだ。頭がぼうっとするのは、あの色変えのせいか妙に寝すぎてしまったせいか。
目の前で心配そうな表情をしているのは、手持ちのドレスの色変えとポイント刺繍の注文を受けた子爵家のお嬢様である。今日は出来上がった品物の引き渡し予定日だったため、店に足を運んだ際床に寝転がる私を見付けて下さったのだろう。
「本当に申し訳ございません! イリスお嬢様のご注文のドレスはもう出来上がっておりますので、すぐにお持ちしますね」
「ええ、分かったわ。でもこんなところで寝てしまうだなんて、クロエさんったらお疲れなのではなくて? 散々友人たちにこの店の宣伝をしてしまった私が言うことでもないけれど」
「いえいえ、その節はとても助かりました。少しでもうちのドレスを気に入ってくれる方が増えるのは嬉しいので、イリスお嬢様には感謝してもしきれません」
その中でどれだけの人が常連客になってくれるかは分からないのだ。出来る限り良い仕事をして、実績を積んでいけたらいいと思う。
あれこれ話をしながらイリスお嬢様の対応をしているうち、私はすっかりあの青年のことやスキルについて考えるのを忘れてしまったのだった。




