終わりと始まり2
「どうぞ、狭い所ですが」
「ありがとう。お邪魔するわね」
貴族街を出て、王都の端に近い場所。小さな民家がひしめく住宅地の中に、フロラの母が住む家はあった。
「……あ、いらっしゃい、ませ……」
「こんにちは、貴女がフロラのお母様ね。急に来てしまってご迷惑をおかけするけれど、どうか数日だけ滞在をお許しいただけるかしら」
「ど……ぞ、いくらでも……」
顔色があまりよくないフロラのお母様は、それでも精一杯の笑顔で歓迎の意を示してくれた。その儚げな容貌は年を重ねてもどこか可憐さを残しており、真っ白な髪と華奢な身体付きからなんだか物語に出てくる妖精のようにも思えた。足早に歩み寄ったフロラが背中を支え、体調を尋ねている。
彼女の病に治療法はなく、全身を襲う痛みを誤魔化しやり過ごすくらいしか出来ることはないそうだ。スキルを持つ人間による治療の魔法などがあれば、違ったのかもしれないけれど……。残念ながら私にそのような力はないから。
出来る限り早く自分の生活の目途を立て、フロラにも安心してもらえるよう自立したいと思う。ずっと一緒に生活してきたフロラと離れるのは正直寂しいけれど、だからといって彼女に依存して暮らすのは嫌だから。
フロラとお母様は様々な困難を経験してもなお、互いに支え合って仲の良い母子関係を構築している。距離や時間では測れない絆もあるのだと知り、これからフロラと住む場所が離れてもきっとこれまでに築いた関係は崩れないのだと自信が持てた。
長年にわたり彼女を独占してしまった分、これからはゆっくりと母子の時間を過ごしてもらいたい。
「じゃあとりあえず私は、エドモンが刺繍の作品を売ってくれていた雑貨屋に行ってくるわね。雇ってもらえるかは分からないけれど、これまでのお礼も伝えたいし」
「そんな、今着いたばかりですのに。今日は少しゆっくりして、明日にしてはどうですか?」
「ちょうどこの時間なら客足も落ち着く頃合いだろうし、こういうのはできるだけ早い方がいいと思うのよ。フロラはせっかくだからお母様についていてあげて」
重い荷物だけ置かせてもらい、身軽な装いで家を出る。平民では私の年齢でも、もう見習いとして働き始めている子もいるはずだ。
大丈夫きっとなんとかなるわと小さく呟きながら、手にした地図を確かめつつ雑多な街を進んだ。
「あら、では貴女があの刺繍の製作者様なのですね!」
「ええ、そうなのです。これまで沢山の作品を買っていただいて、本当にありがとうございます」
「まあまあ、お礼を申し上げたいのはこちらの方ですよ。貴女の作品は本当に出来が良いものだから最近話題でね。毎回入荷した直後から全て飛ぶように売れていましたから。出来ればもっとたくさん仕入れたいとエドモン殿にお願いしたこともありましたが、今以上は少し難しいのだと断られてしまって。そりゃお嬢さんのような方が一針一針刺していたんじゃ、そりゃあ時間もかかりますよねぇ」
うんうんと訳知り顔で頷く雑貨屋の店主。幼い頃に栄養が足りなかったせいか、私の身体は年齢のわりに小柄なのだ。刺繍をするには細かい作業に向いているし、案外便利ではあるのだけれど。一体いくつに見られているかはわからないが、納得してもらえるなら良しとしておこう。成長期はまだこれからやって来ると信じたい。
「実は……これまでのお礼を言いたかったのとは別に、今日はもうひとつお願いがあって来たのですが」
「それはまたどういったことでしょう?」
「少し事情があって、急遽生家を出ることになったのです。だから、住み込みで働ける場所を探していて……もしこの店で雇ってもらえたら、刺繍の作品をもっとたくさん作って卸せると思うのです。長年お世話になってきた信頼もあるし、他に伝手もなくて……どうかお願いできないでしょうか?」
母屋の図書室に忍び込んで勉強していた時間や、畑を耕し野菜を作っていた時間を使えばこれまでよりずっと多く働けるだろう。その分、食費やなんかを沢山稼がなければいけなくはなるけれど。
「まあ……急にそんなことになったんじゃさぞ大変でしょう。貴女の作って下さる刺繍の作品はどれも高品質で売れ筋ですから、出来ればもっと仕入れたいと思う気持ちはあるのですが……。ご覧の通り、うちは小さな雑貨屋でして。置いている商品も自分たちで作るのではなく、どれも他所から仕入れた物なのです。専属の作家などという契約は行っていないですし、住む場所を用意するのもなかなか難しく……」
力になれなくてごめんなさいね、と店主に頭を下げられ恐縮してしまう。急に現れて、住み込みで雇って欲しいなど簡単なお願いではないのだから当然のことだ。
フロラには申し訳ないけれど、やっぱりもう少しだけあの家でお世話になろう。屋根さえあれば、板の間だってどこだって寝る覚悟だ。侯爵家の母屋と比べて随分酷い小屋で暮らしてきたと思っていたけれど、エドモンが何くれと無く差し入れをしてくれていた分恵まれていたのだ。温かな布団も、暖炉にくべる薪だって……彼が工面してくれていた様々な思い遣りに今更気付き、感謝の念が胸を満たした。いつかまた彼に会えたら、心からの感謝を伝えよう。
「どうか謝らないでください。急にこんなお願いをして、勝手を言っているのはこちらの方なのですから。申し訳ありませんでした。今後はただの客としてになりますけれど、またお邪魔させて下さいね。これまで本当に、どうもありがとうございました」
深く頭を下げて挨拶をし、店を後にする。さてこれからどうやって仕事を探そうかと思案しつつ歩き始めた私の背後から、大きな声が掛けられた。
「──お嬢さん! ちょっと待ってくれるかい? ひとつ、心当たりを思いついたんだよ」
「えっ?」
慌てた様子で駆け寄ってきた先ほどの雑貨屋の店主が、ふうと小さく息を整えながら話し始めた。
「昔はうちとも取引のあった仕立て屋で……お婆さんがひとりでやってるところなのよ。昔馴染みの常連客だけがぽつぽつ来るような店だけど、アガットさんも年が年だしお手伝いしてくれる人がいたら助かるんじゃないかと思ってね。あそこは昔、弟子が住み込みで勤めていた時期もあったからきっと今は部屋も空いてるはずだし……結果は保証できないけれど、お願いしたら話くらいは聞いてくれると思うんだよ」
仕立て屋……それならフロラから教わってきた私の技術も役立つかもしれないし、何の宛てもなく仕事を探すよりずっと心強い。
「ありがとうございます……! 是非、お願いいたします!」
「ええ、ええ、うまくいくといいですね」
そうして紹介状を書いてもらった私は、はやる気持ちを押さえつつその店へ向かったのだった。




