終わりと始まり
その後は予想通りの展開だ。父からの呼び出しを受け、母屋の執務室に向かう。すれ違う使用人たちが訝し気にこちらを見るのは、侯爵家に相応しくないこの姿のせいだろう。いや、もしかすると私という存在を知らない者も多いのかもしれない。図書室へ行く時はなるべく人のいないタイミングを狙っているし、学習室の先生たちに会いに行く時も姉や両親に見つからないよう細心の注意を払っている。必然的に、使用人たちだって私の姿を見かける機会は少ないだろう。まあ私だって、血を分けた弟の顔を知らないのだから同罪だ。何年か前まではハズレの娘と言ってこちらを指差す者もいたけれど、十年もあれば使用人だってある程度入れ替わっていてもおかしくはない。私への態度が問題視されて解雇された可能性はゼロに等しいが、軽率な行動をとる人間というのはあちこちでミスを犯すものだ。きっと他にも辞める理由があったのだろう。
扉を叩いて開いた執務室の中。久しぶりに対面する父は記憶の中よりも幾分歳を取っていて、時の流れを改めて実感させられた。
「お前──クロエ、なのか。ああ、ヴィクトリアが先ごろデビュタントだったから……お前も今年で十四歳になるのだな」
「ええ、もう既に誕生日は過ぎましたが」
「そっ……そうだったな」
その一言だけでも、いかに私に対しての興味がないかが透けて見える。優秀な火魔法スキルを持つ自慢の長女の二年後に生まれたハズレの娘だとしか覚えていなかったのだろう。むしろ年齢差だけでも覚えていたことが驚きだ。
この人たちに自分が生まれた日を祝って欲しいと願ったのは既に遠い昔のことだから、今更何とも思わない。
そういえば、今年の誕生日はちょっと奮発して買った塊肉をとろとろになるまで煮込んだシチューを作り、フロラと二人で食べた。とても楽しい時間だったし、食後のフルーツは甘くて最高に美味しかった。きっと血の繋がった家族と豪華なケーキを囲んで誕生日を祝っても、あれほど楽しい時間は過ごせなかっただろう。
「……ところでお前、もう少しまともな服装をして来られなかったのか? そこらの平民よりも酷い……仮にも侯爵令嬢として恥ずかしいとは思わんのか」
「お言葉ですが──侯爵令嬢として相応しいドレスなど一着も持っていませんから。最後に仕立ててもらったのは、あの五歳の洗礼式の日に着たものですよ? 流石にそれを今更着ろと言われても無理ですし……どちらにせよ当時の衣類はほとんど解いて生地に直し、小物を作って売り払いました。この服もそうして作ったお金で布を買い自分で仕立てたものですが、お見苦しかったのでしたら申し訳ありません」
「は……?」
所々に継当ての痕跡はあるがきちんと同じ色の生地を使っているし、小さな穴は刺繍の柄に合わせて塞いである。それなりに見られる出来栄えにはなっているはずなのだけれど……。
なにせこれらは全て、自慢のお嬢様が火魔法の練習と称して焦がしたせいなのだから、少々のことは許していただきたい。
父もまさか、敷地内の小屋に追いやったとはいえ実の娘に侯爵家からの生活費が銅貨一枚も出ていないとは考えもしなかったようだ。言っている意味が分からないといったような間抜けな表情を浮かべている。屋敷の管理は女主人の管轄だから、この様子からして本当に何も知らなかったのだろう。いや、もしかするとそれなりの生活費が書類上は支給されている可能性も一応あるけれど。結局私の元へそれが届いていないということは、途中のどこかで誰かに着服されていることになる。それを調べるのは私の仕事ではないし、仮にも侯爵家の人間がおざなりな書類仕事をしているという事実は変わらない。
うっかり鼻で笑いつつも懇切丁寧に教えて差し上げれば、ようやくぽかんと開かれたままだった男の口が堅く引き結ばれた。顔が赤らんでいくのは私への怒りか、それとも適当な仕事ぶりを指摘されたことに対する羞恥だろうか。今更言い訳をされてもどうしようもないし、万が一謝られたって鬱陶しいだけだ。それよりもさっさとこの場から解放してほしい。
「ところで今日は一体どのようなご用件でしょうか? まさか十年ぶりに侯爵令嬢として相応しいドレスを仕立てて下さるわけでもないでしょうし」
解決する気のない問題に口を出すのはやめて欲しいものだ。
「なっ……、随分と生意気な口を聞くようになったものだな。ああ、ではもう雑談は抜きにして本題に入る。この度我々の娘であるヴィクトリアが、誉高くもマルタン殿下の婚約者に選ばれたのだ。次代の王妃たる者の生家として、僅かな瑕疵もあってはならないだろう。故に──出来損ないのお前はデュラン侯爵家の籍から抜き、この家からも出て行ってもらうことにした」
我々の娘、と言いながら鋭く細めたその緑色の瞳は、私のそれとよく似ている。お前は私によく似ているなと笑って頭を撫でてくれた、あの日の父はもうどこにもいないのだ。
ハズレスキルしか授からなかった、親不孝で出来損ないの次女。それがいよいよ、書類上の娘でさえなくなる日がきたらしい。
「はい、かしこまりました」
何も変わらない。十年前に家から追い出され、家族として顔を合わせることもなくなった。悲しむ時間はもう終わったし、恨む気持ちが湧くほどに私はこの人のことを何も知らない。
「……荷を纏める時間くらいは与えよう。今後一切我が家との関係を口にせず、繋がりや援助を求めることのないように」
「ええ、侯爵様の仰せの通りに」
餞別だと言って、硬い金属音のする小袋を渡される。ちらりと中を覗くと……私が刺繍の内職で貯めた金額とさほど変わらないのではないだろうか。
──誉高き侯爵家って案外ケチなのね。
私とデュラン侯爵家の縁は、数枚の銀貨によって切れたのだ。
もとより持っていく荷物などそう多くはない。小さな鞄に着替えと細々した物を詰め、丁寧に小屋の掃除をする。なんだかんだで十年も暮らした場所だ。フロラとの思い出はそこかしこに残っている。破れたところを繕ったカーテンに身長の伸び具合を刻んだ柱、いつも刺繍をする時座っていた椅子。窓から見る両親と姉の様子は時折私の心を傷付けたけれど、この狭い家の中でフロラと二人暮らした日々はとても温かかった。彼女がいなければきっと、私はここまで生きてこられなかっただろう。
「──本当にフロラも一緒にここを出てしまっていいの? 私のことは気にせず、貴女は残ってもいいのよ」
「いいえ、問題ありません。今から本邸に戻っても、同僚だってもう私の知っている顔ぶれとは変わってしまっているでしょうし……ちょうど母から連絡があって、最近体調が悪いと書かれていたのです。これをきっかけに一度お暇を頂いて、少しくらい親孝行をしようかと」
フロラは元々男爵家の令嬢だ。しかし、身体が弱く二人目の子を望めなかったお母様は離縁され、今は平民となりひとりで暮らしていると聞いた。フロラがこの家で使用人として働いた給金はそのほとんどを仕送りに回していたようで、これからまた新しい仕事を探すのは大変なのではないだろうか。
「これまでは身体の弱い母の為に日常の家事を手伝ってくれる者を雇っていましたけれど、私が帰ればそれが不要になりますから。あとはまた細々とした内職をするくらいでも、女二人くらい十分食べていけるかと」
十年近く、二人で生活して来たのだ。幼い頃ならともかく、今の私には察するものがあった。おそらく、私付きの侍女に立候補した時点でフロラの待遇はかなり悪いものに変えられてしまったのだろうと思う。本来なら侯爵家の使用人など、平民と比べてはるかに高い給金を貰っているはずだ。それなのに、ハズレの担当になったフロラもハズレの扱いになってしまったから。
高位貴族の家の使用人として働いているにもかかわらず、こんなおんぼろの小屋に住み自分たちで料理をして、掃除をして、洗濯をして。それでも文句ひとつ言わず、その優しい笑顔で私を守り育ててきてくれたフロラ。改めて彼女の愛情を感じ、申し訳なさと大きな感謝の念が胸の中をいっぱいにした。
こっそりと見送りに出てきてくれたエドモンに手を振りつつ、私たちは侯爵家の裏門を出る。もう二度と、ここへ帰ってくることはないだろう。
さようなら、かつて私の家だった場所。そしてこれからは、この道の先に私の未来が広がっているのだ。




