私の場所3
「愛しの婚約者殿。一曲お相手いただけるかな」
「ええ、もちろんですわ。喜んで」
気障な仕草で差し出された手に、己の指先を乗せる。ふっと悪戯っぽく笑う彼の表情に一瞬気を取られていれば、強く握りこまれた手がぐいっと引き寄せられた。
ダンスフロアの中央で、ぽすんと広い胸の中に抱き込まれる。私を憎々し気に睨みつけていた令嬢たちが、悔しそうに唇を噛む姿が視界の端に映った。最近こうした親密な触れ合いをするようになって知ったけれど、いつだって彼は優しい大地のように爽やかな緑の香りを纏っている。華やかなパーティーの会場で、甘く濃厚な香水をつけた女性たちの間……むせ返りそうな香りの本流の中、彼の近くでだけは深く息を吸えるのだ。
しっかりと腰を抱かれ、リードされるままに身体を預ける。案外嫉妬深いらしい婚約者様は、自分以外の異性とダンスの練習をすることを許してくれなかった。公務が忙しいだろうに、そんな中でも必ず時間を取って私に付き合ってくれたのだ。だからもう、数えきれないくらい幾度も踏んだステップに不安はない。
右に、左に、それからターン。ふわりと広がるスカートの色を、スキルを使って一気に変えた。
「──まぁ……っ!」
「美しい」
「なんて素敵なのかしら!」
驚きの声が上がり、あちらこちらでほうと感嘆のため息が漏れた。
「クロエの美しさが知れ渡るのは誇らしいけれど……あまり皆を魅了しすぎないで欲しいな」
「──っ、何をおっしゃいますやら。貴方の隣に立つため、私はいつも必死ですのに」
耳元で甘やかに囁かれる言葉に心臓が跳ね、足元が乱れそうになる。腰に回した腕でしっかりと身体を支え、危なげないステップでリードしてくれるフェリックス様はほんの少しだけ意地悪だ。けれど、その嫉妬めいた言葉ひとつにもときめいてしまうのだから私も大概だろう。
「──君がこうして努力してくれる分、俺からも返さねばならないね」
「……? フェリックス様は既に十分すぎるほど務めていらっしゃると思いますけれど──っ、きゃっ!」
楽団の演奏がクライマックスを迎えると同時、フェリックス様は私の腰をひょいと持ち上げ高い位置でくるりと回転した。まるで幼子をあやすように、けれどその視線にはしっかりと大人の色気が含まれているのだからずるいと思う。
「こんなステップ、練習しませんでしたわ!」
「ははっ、あまりに婚約者殿が可憐だからつい身体が勝手に動いてしまったんだ」
首元に腕を回してしがみつくと、楽しそうに笑いながらゆっくりと床へ降ろしてくれた。ほんの少しの恐怖と、皆に注目される恥ずかしさ。それから彼の笑顔の眩さに、高鳴る胸の温かな気持ち……。
きっと今の私の頬は、彼の赤い瞳と同じ色に染まってしまっていることだろう。
形式通りに一旦距離を取り、指先に口付けを受ける。私もゆっくりと膝を折って挨拶をした。あんなにくるくると空中で回されておいて、今更形式もなにもないのだけれど。
「王太子殿下と婚約者殿は仲がよいのだな」
「想い想われる関係など羨ましいですわ」
「政治的な繋がりではなかったのか」
「公爵令嬢様のあのスキル、とても美しくて素敵だったわね」
ダンスフロアから下がる私たちに向けて、大きな歓声と拍手が送られた。付け入られる隙のないよう、私たちの仲を周知させるのは大切だ。きっとその意図の為に、今日のフェリックス様は特別甘い態度を取っていらっしゃるのだと思うし──いえ、最近は二人きりの場面でもこうだったような気がしないでもないけれど。
まあでも概ね良いように見て貰えたようで良かったと胸を撫でおろしていたのに──やはり、どうしても納得いかなかったのだろう。ぴたりと寄り添い歩く私たちに向けて、先ほどの高位貴族令嬢たちが立ちはだかってきたのだ。
「私たちは騙されませんわよっ」
「そうですわ、あんな子供騙しで調子に乗らないで頂戴」
「王太子妃にはもっと相応しいスキルを持つ者がなるべきですわ!」
「貴女のようなハズレでは荷が重いのではなくて?」
先ほどよりもずっと直接的に投げかけられる言葉の棘がぐさぐさと刺さる。こうして糾弾してくる以上、きっと彼女たちは素晴らしいスキルを授かっているのだろう。そうして幼い頃から貴族令嬢として十分な教育を受け、家族からも大事にされて育ってきたに違いない。
何もかも、私とは違う。けれど──違う生き方をしてきた私だからこそ出来ることも確かにあるのだと、もう知っているから。
もう一度拳を握って力を込める。何度だって私は戦おうと決めたのだ。この方の隣に立つためならば、いくらでも──。




