私の場所2
「──ごきげんよう、クロエさん……いえ、もうそんな風に呼ぶのは失礼かしら?」
大分パーティーも終盤に差し掛かってきたころ。背後から声を掛けられて振り向けば、そこにはよく見知った令嬢の姿があった。
「イリスお嬢様……!」
私が驚きに声を上げれば、彼女は少し困ったように笑みを浮かべた。
「王太子殿下、それから……フローレス公爵令嬢様。このたびはご婚約、まことにおめでとうございます」
「ああ、ありがとう。君は確か……クロエの店を贔屓にしてくれていたのだったか」
「ええ、ええ、フェリックス様。イリスお嬢様は開店して間もない頃から、とてもよくして下さったのですよ。ご挨拶も出来ないままだったから、こうしてお会いできて本当に嬉しいですわ」
「もう、いけないわ。今の貴女は私よりもずっと高貴な存在なのだもの。そんな風に呼ばないで頂戴な」
イリス様のご実家である子爵家には、頻繁に新しいドレスを仕立てられるほどの余裕がなかった。けれども元来とてもお洒落で服装にこだわりを持っていた彼女は、流行遅れの古いドレスや、大きな夜会で身に着けて多くの人目に触れたドレスを別の夜会でも再利用しなければならないことが我慢ならなかったのだ。
そんな時街で買い物中に偶然出会った私が、自作したワンピースに付け襟をして雰囲気を変えていることに気が付き声を掛けて下さったのが付き合いの始まりだ。彼女の事情を聞いて、それであればと着脱可能なオーバースカートや腰のリボン、レースの飾りなどを適宜取り換えればがらりとイメージを変えて新鮮に着回しできるのではないかとお勧めしてみた。
シンプルな基本のドレスを一着仕立てておけば、あとは小物のパーツを追加するだけで幾通りも組みあわせることができるし、それにも飽きてきたら色変えをして全く別の印象を持たせることも出来るからと。なんならお友達も誘って付属品の飾りを融通し合えば、よりたくさんの組み合わせを作ることが出来るだろう。
そんな話をしたからではないだろうが、すっかり常連になって下さったイリス様は本当に沢山のお友達を連れてきて、まだ新米店主であった私を応援し続けてくれた。アガットさんに付いていた元の常連客を失い、これからは私らしい店づくりをしていかなければいけないのだと決意した時。その最初の一歩を踏み出す後押しになったのは、まず間違いなくイリス様の存在だ。
彼女自身も明るくサバサバとした性格で、採寸の最中などにもたくさんの話を聞かせてくれた。今から思えば、彼女から聞く社交界の噂話やなんかにも随分助けられたと思う。デビューする前に侯爵家から除籍された私にとって、貴族の間の噂話や細かなしきたりなどを教わることが出来る恰好の機会であったし──教科書には書かれない生の声から学ぶことは案外多かったのだ。
そういえば、留学先のシャルク王国からフェリックス様が帰国されたという話も初めはイリス様から聞いたのだったか。あの頃はまさか自分が彼の横に立つことになるなど、夢にも思わなかったけれど。
「イリスお嬢様は私にとって恩人のような方ですもの。店主とお客様の関係ではなくなってしまいましたけれど……もしよろしければ、これからはお友達になれたら嬉しく思います」
「フローレス公爵令嬢様……いえ、これからはクロエ様とお呼びしてもよろしいかしら。こちらこそ、喜んで。また素敵なドレスの話を一緒にしたいわ」
「是非、お願いしますわ! イリスお嬢──いえ、イリス様」
ふふふと笑い合う私たちを、フェリックス様も微笑んで見守ってくれていた。
「あら、イリス様。ずるいわ、私たちも仲間に入れて下さる?」
「まあ、もちろんよ。エヴァ様のそのドレス、もしかして……」
「分かりますか? 今日はクロエ様が主役のパーティーですから、是非これを着たいと思って選びましたのよ」
談笑する私たちの元へ、店のお得意様だった令嬢たちが集まってくる。中でも数人は私が仕立てたドレスや、色変えをしたドレスを身に着けてくれていた。
あの頃は店主と客、平民と貴族の関係だったけれど。今こうして立場が変わっても、あの小さな店の中で過ごしたのと同じような笑顔でドレスの話を出来るのがとても嬉しかった。
「──まあ、お聞きになって? フローレス公爵令嬢様のスキル……」
「ええ、ええ。まさか色変えだなんて、ねえ」
「攻撃スキルではないにしても……治癒や歌ならば、華やかさもありましたのに」
「王太子妃としては、さすがにどうなのかしら、ねぇ」
けれど──やはり、全員に受け入れられるというのは無理な話なのだろう。
基本的に、平民街にあった私の店に通って下さったのは下位貴族の令嬢たちが多かった。そしてそこに含まれない高位貴族の令嬢たちはといえば、我こそが新たな王太子殿下の婚約者に相応しいと確信していた者でもある。そうでなくとも、フェリックス様は見目が良く、剣術の腕も立ち、一目見れば誰もが見惚れてしまうほどの美丈夫だ。そんな彼の横に突然現れたにわか公爵令嬢など、目障りな存在だと思われて当然だ。
絶妙にこちらの耳へ届く程度の音量で囁かれる悪口に、イリス様たちの眉が寄る。声を出しかけた令嬢もいたけれど、小さく首を振って動きを止めさせた。彼女たちの立場で事を荒立てれば、もっと拗れた事態になりかねないからだ。
こうなることは分かっていた。けれど、それでもフェリックス様の横に立つと決めたのは他でもない私自身だから。顔には笑みを浮かべ、優雅にスカートの裾を捌き背筋を伸ばして歩く。逃げたりはしない。だって、今の私には誰よりも頼れる味方が付いていてくれるから。




