私の場所
「フェリックス王太子殿下! この度はご婚約、まことにおめでとうございます」
「ああ、デイビス侯爵。ありがとう、こちらが婚約者のクロエ・フローレス公爵令嬢だ」
「クロエ・フローレスと申します。どうぞよしなに」
私が膝を折って挨拶をすると、向かいに立つデイビス侯爵は片眉を僅かに上げてからにこりと微笑んだ。
フェリックス様が私の腰に手を回し、軽く引き寄せてくる。彼は事前に聞かされていた要注意人物だから、心配してくれているのだろうか。
「……クロエ嬢も急に立場が変わったことでさぞ大変な思いをされているでしょう、我々貴族の社交界には暗黙のルールなんかも多いですからな。なに、難しくてついていくのが難しいと悟った際にはどうかお声掛け下さい。きっと我がデイビス侯爵家がお力になれるかと」
自分の後ろに立つ年頃の娘にちらりと視線をやりながら言うのはつまり、『いつでも婚約者を交代出来るぞ』と、そういうことだろう。フェリックス様とそう年が離れておらず、侯爵家という身分的にも不足はない。王太子の交代という降って湧いたようなチャンスに期待を持ってしまうのも無理はないけれど。
当のご息女はと言えば、胸元が大きく開いた扇情的なドレスでしなを作りフェリックス様を熱い眼差しで見つめている。尊大な態度で顎を上げる侯爵は、そんな彼女を諫める気はなさそうだ。じりじりと距離を詰める令嬢を警戒し、周囲に控える近衛騎士たちの警戒も増していることには気付かないのだろうか?
「まあ……ふふっ、随分ご親切ですこと。身をもって私に社交界の勉強をする機会をいただけているのかしら? では、遠慮なく指摘させていただくわね。──デイビス侯爵、私貴方に名を呼ぶ許可は出していなくてよ」
優雅に扇子を広げ、口元は隠しておく。視線は鋭く、小首を傾げる仕草はほんのり蠱惑的に。
そんな私の様子に、侯爵はひくりと口端を引きつらせた。所詮、幼い頃に家を追われたハズレの娘だと侮っていたのだろう。
私とフェリックス殿下の婚約が広く発表されたのは、もう三カ月は前のことだ。ある程度の伝手がある貴族家であれば、私の出自など簡単に調べられるはず。今からでもなんとかすれば自分の家の娘をねじ込めるのではないかと、親切な助言をいただくのもこれが初めてではなかった。
「ああ、実践訓練ということか? だが、デイビス侯爵。さすがにそれはわざとらしすぎるだろう。クロエはフローレス公爵家の令嬢だ。ましてや私と正式に婚約を交わし、既に準王族の身。そんな彼女に許しも得ず名を呼ぶなんて無礼をする馬鹿者はいないと思うがな」
「ええ、そうですわよね。自ら進んで茨の道を歩きたい方でなければ……」
顔を見合わせておかしそうに笑い合う私たちの様子を見て、デイビス侯爵とその娘はさぁっと顔を青くした。ようやく自分たちの立場が不味いと気付いたようだ。
過去がどうであろうと、今の私は国王陛下の承認を得てフローレス公爵家の養子となっている。もはやいち侯爵家の当主がつついてどうにかなる段階ではないのだ。
「……は、ははっ、流石は才女と噂のフローレス公爵令嬢様だ。こんな簡単な引っかけでは準備運動にもなりませんでしたね。いやいや、その聡明さ、甘やかして育てた我が娘にも見習わせたいものです。さぁ、キャロライン! 他の客人たちも寿ぎの機会を待っているようだ。我々はこの辺でお暇するとしよう」
「……はい、お父様」
彼女は名残惜しそうにちらりとフェリックス様へ視線をやったけれど、それでもきちんと膝を折って挨拶をして去って行った。
「……ふぅ」
「流石クロエは上手に対応してくれたね。デイビス侯爵はあの娘をなんとか僕に近付けようとしつこかったんだ。もうこれで、いい加減に諦めてくれるだろうな」
「ええ、そうだと良いのですけれど」
親の指示に従って行動していた令嬢たちならまだいい。けれど、中にはきっと心からフェリックス様に恋をしていた者もいると思うのだ。そんな彼女たちを出し抜くような形で、私が婚約者に収まったのは事実である。
いつか信頼をいただけるよう、行動で示していくしかないと思う。そのためには、まだまだ足りない知識を身に着けなければ……。どれほど妬まれようと恨まれようと、もうこの場所を譲る気はないのだから。
その後も挨拶に訪れる方々と会話をし、時にはチクリと──もしくはグサリと刺さる言葉を投げかけられつつ、なんとかやり過ごしていく。全く傷付かないとは言わないが、ずっと横に寄り添ってくれるフェリックス様が気遣ってくれるから辛くはなかった。




