ハズレなんてない2
国王陛下の視線を追うと、バルコニーの入り口から長身の青年が姿を現した。黒を基調とした盛装に金糸で刺繍を施された豪奢なマントを羽織っている。相変わらず均整の取れた体格でとても姿勢が良い。継承に向けた打ち合わせや引継ぎなど日々忙しく公務をこなしつつ、それでもフェリックス殿下は時間を見付けてはこまめに会いに来てくれた。だから、ちょくちょく顔を合わせていたはずなのに……視線の先にいるフェリックス殿下がなんだかずっと遠い存在に思えてしまって、妙に胸が締め付けられる。今更だけれど、本当にあの方は次代の王になる方なのだと実感してしまったのだ。
艶やかな黒髪が風になびいて前髪が乱れた。少し眩しそうに細められた赤い瞳が、不意にこちらの方を向く。その瞬間──ふっと優し気に口角が上がり、確かに彼は微笑んだ。
わっと歓声が上がり、若い女性たちの黄色い声が響く。割れんばかりの拍手は、フェリックス殿下の登場にいっそう音を高くした。
頬が熱を持つ。今のは、きっと、ただの偶然のはずなのに。
「──皆、ありがとう」
興奮に騒めいていた会場の空気が一斉に静まっていく様子はやっぱり壮観だ。
「私はこれまで第二王子として様々な見聞を広めるべく、諸外国へ赴き沢山の文化に触れてきた。けれどこの国の民のほとんどが、自分の生まれた町を出ぬまま生涯を終えると聞く。例外があるとすれば、それは戦争が起きて兵士として徴用された時だろう」
殿下を見上げる騎士や貴族の一部が誇らし気に頷く姿が見える。きっと、彼らは強い攻撃スキルを授かった者たちなのだろう。そのことを心から自慢に思っているのだ。
「わが国では長年、貴族の持つ強い攻撃スキルこそ誉れ高いものであり、武力を第一義とした国家運営がなされてきた。洗礼式の際教会でも教わる話は、皆聞いたことがあるだろうと思う。建国の英雄オーギュスタンが女神様からスキルを与えられ、無辜の民を守るためその力を振るったというものだ。私は見ての通りオーギュスタンと同じ色味を持って生まれたが故に、幼い頃より繰り返し周囲から言い聞かされてきたことがある。英雄王のように、その力をもって国民を守るべし……と」
彼を見上げる国民たちは、揃って期待に輝く瞳をしている。オーギュスタンの英雄譚は赤子の寝物語にも選ばれるくらい有名なものだから、その彼と同じ髪色に瞳の色を持つフェリックス殿下は皆の憧れなのだ。
けれど、その時初めて私は気が付いた。彼の色味は誰もが知っているけれど、彼が持つスキルは一度も聞いたことがなかったなと。
ほんの僅かに視線を下げ、ひとつ息を吐いたフェリックス殿下は再び口を開いた。
「けれど、ひとたび国を出て外から我が国を見つめ直した時にようやく気が付いた。スキルによる武力のみを重視した国家のありようは、今や世界的にみると時代遅れのものになりつつあると。私には──この国が、少し歪な形に見えるのだ」
その言葉を聞いて戸惑う者や、中には眉を顰めて苛立ちを露わにする者の姿もあった。この国の貴族は、強い攻撃スキルを持つことが自慢かつ矜持でもあるから。殿下の言葉で、それを貶されたように感じたのだろう。
「私が留学していたシャルク王国では今、演劇というものが流行している。街の中心部に大きな劇場があり、そこで歴史的事実をオマージュした舞台や喜劇・悲劇・恋愛劇など様々な演目が上演されていた。主役を演じる役者の姿絵が大量に複写され、高値で売られていたりもする。彼らが身に着けた衣服は若者の間で人気となり、それらが元となった新たなファッションが市井から生み出され国中に広がっていくんだ。貴族だけでなく、平民の子供だって鮮やかな色のワンピースを身に纏い、劇中歌を口ずさみながらお使いへ行く。劇場の周囲には数多くの屋台や出店が並び、手軽に食べられる軽食や甘味が子供の小遣い程度の金額で売っている。簡単な読み書きと計算はほとんどのものが出来るし、仕事の選択肢も多い。誰もが安定した生活を送れる仕組みが出来ているから、犯罪率も驚くほどに少ないんだ。だから女性も子供もひとりで安心して街を歩けるし、笑顔で溢れている。私は、あの国に初めて留学で訪れた際──その色鮮やかさに驚き、正直戸惑いもした」
この国では、武力を持つ貴族が最も偉く力を持っている。そして、力を持たないただの平民は、狭く暗い街の一角で息を潜めるようにして生きているのだ。色変えのスキルしか授からなかった私が、侯爵家のハズレとして放逐されたように。
「今一度考えてみて欲しい。女神様は何のために、そのスキルをオーギュスタンに与えたのか? 戦争が激化していたその当時、戦う力を持たぬ民を守り大切な物を奪われぬために必要なのが、強い攻撃スキルだったのだろう。だというのに……今の我が国はどうだろうか。守る者と守られる者という関係性が、いつしか支配する者とされる者に置き換わってはいないか? それは、本当に女神様が望むありようなのだろうかと」
淡々と紡がれるフェリックス殿下の言葉に、集まった人々は戸惑いの表情を見せた。
貴族は強く、平民は弱い。強い攻撃スキルを持つ者は偉く、ハズレスキルしか持たない者は取るに足らない存在。そういう価値観を刷り込まれ、この国でずっと生きてきたのだ。それを突然考え直せと言われてもなかなか難しいだろう。
けれど、私は思うのだ。大きなファイヤーボールを投げられたからといって、それが一体何なのかと。火をつける道具など他にいくらでも存在している。一方ファイヤーボールは料理に使えるわけでもなく、明かりとして使うにはいささか勝手が悪いだろう。確かに戦場では活躍出来るのかもしれないが──強い火魔法使いであったかつての姉は、王都で夫の浮気相手を焼き殺すためにその力を使ったのだ。
ただひたすらに武力を求めた前王太子殿下と、彼の望み通り弱いものを甚振る力だけは誰より優れていた前王太子妃殿下。もしその彼らの姿を見たならば、英雄王は一体何と言っただろうか。
仕方がないと最初から全て諦めてしまって、声を上げずにいた私たちのことを──女神様は、どうお思いになるだろうか。
「無論、戦える力を持つことは素晴らしい。それも確かに、国の運営には必要な力だからだ。そしてその後ろで、傷を癒す力を持つ者には彼らを癒して欲しいと思う。疲れた心を休ませるため、歌を歌う者がいてもいい。美味しい料理で身体を温める者だって必要だ。後世に記録を残すため、絵を描くものがいる。大声で伝令を響かせ、俊足で荷を運び──誰もが自分に出来ることをして、他の誰かを癒し守っているのではないか? それらの働きのどこが劣っているというのか。私は、全ての民に誇って欲しいと思う。己が持つ力を使い、己の大事な物を守る。そのことに、本来優劣など存在しないのだから」
淡々と諭すようなその声が、じんと胸の奥に染み込んでくる。誇って欲しいと口にした瞬間、フェリックス殿下の視線は確かに私の方を向いていた。
時が止まったように身体が動かない。その深紅の瞳と見つめ合っていたのは一瞬だったのか数秒だったのか。ふっと空気が緩んで、離れていく視線を追いながら考えた。私も、これまで何かを守ってきたのだろうか……と。ハズレスキルしか持たない、この私が?
いいや、それこそが、間違っていたのだ。私には、沢山の愛を教えてくれたフロラがいる。陰ながら暮らしを助けてくれたエドモンや、必要な知識をこっそりと授けてくれた家庭教師の先生たちだっていた。仕立て屋の技術を仕込んでくれて、お店ごと譲ってくれたアガットさん。私の仕立てる洋服を気に入って、店に通ってくれる常連の令嬢たち……。
彼女たちは、私の刺繍を綺麗だと言ってくれた。限られた予算で少しでも綺麗に見せるドレスの仕立てを喜んでくれた。出来上がった品物を見せた時には素晴らしいと称賛してくれたし、これを着てお慕いする方に会いに行くわと笑ってくれた。
私は、彼女たちが一歩踏み出す勇気を守ったのではないだろうか。心臓がどきどきと大きく高鳴っているのを感じる。胸に手を当てると、あの日フェリックス殿下にいただいた金貨の入ったチャームが変わらずそこにあった。殿下の留学中、あの目立つ色を変えることで彼の身の安全を守ったのもきっと──色変えのスキルだ。
私も、私が持つ力を使って私の大事な物を守って来たのかもしれない……。そう思うと、手を当てた胸の奥底からなにか温かいものが湧いてくるような気がした。




