救出2
あの日、絶体絶命の状況を迎えていた私を助けてくれたのは、他でもないフェリックス殿下だったのだから。薄れゆく意識の中で響いたあの声がどれほど嬉しかったか、もしかするとあの瞬間に自分は死んでしまったかと勘違いしたくらいだ。神が最期の慈悲として、死ぬ前に思い人の声を聞かせてくれたのか……と。
これ以上彼の側に居続ければ、きっと私は邪魔になってしまう。そう思ったから、私はあの場所から逃げ出した。女ひとりの旅で油断をした私が悪いのだし、そんな中駆け付けて命を救ってくれた殿下には感謝しかない。
それなのに、誰より優しいこの方をこんな悲しい顔にさせてしまう……やっぱり私は何をやっても裏目に出る、出来損ないの娘のままなのかもしれない。
「どうして……どうしてあの時、君はあのような姿をしていた? レニエ侯爵令嬢にそっくりな、あの姿でなければきっとあんな酷いことにはならなかっただろう」
男たちに暴行をされ傷付いた身体は、あの後城勤めの治癒師による癒しのスキルであらかた治っている。普通なら平民である私が見てもらえる立場ではないのだが、それもフェリックス殿下が融通してくれたそうだ。失った血は戻らないし寝込んでいた分落ちた体力を取り戻すためのリハビリは必要だけれど、それも今のところ順調に進んでいるためこうやって殿下とお茶をする機会を持てたのだ。
どちらにしてもあの事件の後処理などで、殿下自身も今日まで忙しく動き回っていたそうだけれど。
「私、あれがレニエ家特有の色だとは知らなくて……」
「ああ、領民などでなければ貴族の容姿など平民の間にはそれほど広まらないか……。貴族名鑑に名前は載っても、その色味までは記されないしな」
「それから……以前セレスティーヌ様にお会いした時に……とても、綺麗だと思ったんです」
「彼女に会ったことが……? ──もしかして、あの城の庭園の時か……っ! チッ、あの時間は完全に人払いをしていたはずなのに、侯爵の手の者が娘を送り込んでいたらしいな」
美しい金髪に、鮮やかな碧眼。令嬢として申し分ない優雅な仕草に、余裕を感じさせる立ち居振る舞い。
彼女の言葉には確かに反論の余地があったにも関わらず、戦うことが怖かった。やっぱりハズレだからと、フェリックス殿下にだけは思われたくなかったから。
「私、あの方のように美しくなりたかったんだと思います。自信をもって、貴方の横に立てたらと。ずっと……そう、願っていたから。だから貴方を忘れるための旅路で、一時だけでもあんな風に美しい色になれたら少しでも自信が持てるかと、そんな……そんな、くだらない感傷のせいで、私は」
俯いた視界に栗色の髪が映る。何の変哲もない、つまらないハズレの色だ。組み合わせた手の甲に、ぽとりと涙が零れて落ちた。
「ごめんなさい……私、愚かなことをして、迷惑をかけて」
「クロエ……」
「愚かだと分かっていても、それでも……貴方を、好きになってしまったんです。将来国王になる貴方の為になるなら、貴方の前から消えようって。私は、貴方の為なら何でもできると思ったから。貴方を忘れることも、きっと出来ると、そう思って」
向かいの席で、フェリックス殿下がハッと息をのんだ気配がした。それから、小さな衣擦れの音。
「クロエ、顔を上げて」
酷いことになっているだろうこんな顔を見せたくはない。熱く腫れたように重い瞼を閉じたままふるふると顔を振ると、頬のあたりに大きな手のひらが添えられた。
「クロエ、どうかこちらを見て」
その懇願するかのような声の響きに、そっと瞼を上げる。ハッとするほど目前に、艶やかな黒髪と燃えるような赤い瞳のフェリックス殿下の姿があった。硬い指先がそっと目の下を撫でる。
「俺は、君のその栗色の髪がとても好きなんだ。大地のように温かく、全てを包み守ってくれるような穏やかな色だから。それから君の瞳だって、深緑の若芽のように瑞々しくて本当に綺麗だと思う。生命力や、力強さを感じさせてくれるからだ」
「……そんな、私なんてありふれたハズレなのに」
両親も姉も、それから幼い頃に一度だけ会った記憶のある祖父母だって私のことをハズレと呼んだ。デュラン侯爵家のスキルを持たず、地味な外見で生まれた使えない娘だったから。
「アタリかハズレか、それを決めるのは誰なんだ? 俺たちの持つスキルは女神様から与えられたものだろう。それに順番を付けるなんて不遜な事なのではないかと、前々から思っていたんだ。それに、髪の色や目の色なんて俺たちが生まれる時に選べるものではない。あえて言うなら、その色の要素を持っていた先祖たちのせいだろう、違うか?」
フェリックス殿下は黒髪に赤目という英雄王と同じ色を持って生まれたからこそ、本来負わなくてもよかったはずの困難を周囲から与えられてきた。生まれた瞬間からのしかかる重圧、正妃からの刺客。
国民からすればアタリの色であっても、本人にしたらハズレでもあったのではないだろうか。私たちは正反対でもあり、その一方でよく似た人生を歩んできたのかもしれない。
「他の誰が何と言おうとも関係ないし、構わない。ただ俺自身が、君のことをいっとう美しいと思っていて……他でもない君が、隣に立っていて欲しいと願っているんだ」
「フェリックス殿下……」
「そのままでいい。君が生きてきた人生の全てが、今の君を形作っている。だから、飾らぬ今のままの君が、俺は欲しい」
流れ落ちた涙は、フェリックス殿下の大きな手のひらが拭ってくれた。
「クロエ──俺は、君のことを愛している」
離れていた時間だけ、彼への想いは募るばかりで……結局忘れることなんて出来なかった。
「……私も、愛しています」
優しく包み込まれた広い胸の中で、私はそっと瞼を閉じた。




