逃亡4
「この期に及んで──どうして自分がこんな目に遭っているのか、心底分からねぇって顔してやがるな……? ハッ、下賤の民には学がないから分からないだろうと、そういうことか!? たとえこれまで領地から出たことのない俺たちだって、仕える主人家族の見た目くらい知ってるに決まっているだろう! その金髪に碧い目は紛れもなくレニエにしか出ない色だ。年の頃からしても、アンタがセレスティーヌ・レニエ侯爵令嬢だってことは分かりきってるんだよ!」
『あの方の横に立つのは私なのよ。だから、貴女のような者が側にいては邪魔なの。殿下の輝かしい未来に影を落とすような真似はしないで頂戴』
豪奢な金髪に碧い瞳。あの日、庭園で出会った令嬢の姿が思い出される。そうか、彼女が──。
倒れ込んだ私の金髪を鷲掴み、ひとりの男性の手によって乱暴に引き起こされる。彼が覗き込む視線の先にある目は確かに、碧色だろう。他でもない私が、そのように色を変えたから。フェリックス殿下を諦めるための旅路で、今だけは誰かに誇れる美しい自分でありたいと……そんな愚かな希望を抱いた、罰なのだろうか。
今更色変えのスキルを使って元の色に戻しても、もう私がレニエ侯爵令嬢ではない他人だとは信じて貰えないだろう。金髪が嘘なら、本来の栗色の髪だって本物だと証明することは出来ないのだから。何より私のこの力を他者に知られると、フェリックス殿下に迷惑が掛かる。私が色を変えられるのは布や糸だけであり、大した役にも立たないハズレスキルの持ち主でなければならない。人間の色まで変えられるなんて考えたこともなく、試したこともないのだと。そう思わせるためには、決して知られるわけにはいかないのだ。どんなに身体的な痛みを伴っても、彼の未来が守れるならば……きっと耐えられるから。
「アンタもお家の危機を知って逃げ出したんだろう!? でなきゃレニエのお嬢様がこんなところでひとり歩ている訳ねぇもんな。裏をかいて上手くやったつもりかもしれないが、残念だったなぁ! これまで散々甘い汁を吸って生きてきた分、しっかり罪を償って貰うぞ!」
「──っぐ……」
「妹を返せよっ、これから楽しい未来がいっぱい待ってるはずだったあの子を……!」
「あ゙ぁっ!」
「母さんと姉さんがどんな目に遭ったか……お前も同じ場所で思い知れ! いいや、そんなもんじゃ足りねぇ。血を吐きながら喉を掻き毟り死んでいった親父と兄さんの分があるからな!」
「──っ!!」
殴られ蹴られ、喉の奥から熱い塊が湧いて来る。思わず吐き出そうにも猿ぐつわが邪魔をして、ゲホゲホと咽ることしかできない。閉じ切らない口端からは無様に唾液と血液が流れ出ていた。痛みと苦しさで咄嗟に背中を丸めると、振り上げた拳の行き場を失ったらしい男は更なる激昂を見せた。
「お前ら貴族はその青い血を殊更誇ってたくせに、実際はどうだ? 俺たちと同じ色じゃねぇか! 強い戦闘スキルがなんだってんだ。ただ威張り散らしてるだけのお前らなんて、俺たちの拳ひとつありゃあっという間に殺せるんだよ!」
正気を失った男の目に、金髪碧眼の女の姿が映る。男の荒れた手のひらには、先ほどまでなかった大きな石が握りこまれている。流石にあんなもので殴られたら、ちょっとした怪我ではすまないだろう。当たり所が悪ければ、今度こそ死んでしまうかもしれない。
人違いで? ──それは私が安易に色変えをして姿を偽ったからだ。
暴漢に甚振られて? ──でもこの人たちだってそうせざるを得なかった理由がある。
もう二度とフェリックス殿下に会えないままで……?
──それは、やっぱり……嫌。
「……ゃぇ……っ!」
傷みに悲鳴を上げる身体をどうにか捩り、ギリギリで攻撃を避ける。
だって私は、どうしても生きたい。例え好きになった人の隣に立てなくとも、彼がこれから作っていく素晴らしい国の行く末を見守って生きていきたいから。そのためには、絶対にここで殺されるわけにはいかないのだ。無様でも、土にまみれていても。
それに彼らだって勘違いで無関係な人間を殺したとなれば、きっとそれなりの罪に問われると思う。大事な人の敵を討たんと悲壮な覚悟を決めてきただろう彼らにとって、目的も果たせずただ罪人となる事実だけが残るなんてやるせないではないか。暴力で解決するのは、褒められたことではないけれど。フェリックス殿下はきっとレニエ家を正しく裁いてくれるから。だからその日まで、どうか耐えて欲しいと思う。どうか……どうか、お願いだから……。
「くそっ、この女……!」
「おい、お前はちょっと興奮しすぎだ! ここで殺しちゃ流石にまずい。元々こいつは娼館に売り飛ばす算段だったろう!」
「──だがっ!」
「それに、ちょっと待て……色味は間違いないが、事前に確認していた姿絵となんだか少し雰囲気が──」
朦朧とする中、周囲で言い争う声が聞こえる。ここで気絶したら、もう抗えない。血の味のする唾液を改めて飲み下し、震える指をぎゅっと握った。手のひらに刺さる爪の痛みだけが、私の意識をかろうじて繋いでいた。
「お前たち、そこで何をしている!!」
「えっ、なんでこんなところに騎士が……!」
「──全員確保しろ!」
「ハッ!」
バタバタ響く足音と、呻く男たちの声。
もしかして、私は……助かったのだろうか? 気が抜けると同時に、意識がくらりと遠のいた。
「──君、大丈夫か……! はっ、クロエ?! おいクロエ、しっかりしろ……っ!」
必死で私の名前を呼ぶその声は、フェリックス殿下のものによく似ていた。




