逃亡2
「……流石に少し、疲れたわね」
己の影が長く伸び、太陽が間もなく地平線に沈もうという頃。私はようやく、今日の目標としていた地点まで辿り着くことが出来た。
まだ王都からひとつ目のこの野営地はそれほど人気がないらしい。きっと旅慣れた者なら、ここまでくれば少し無理をしてでも王都に入ってしまうからだろう。逆に王都から出た旅人だって、私より足の遅い者は少ないのだと思う。もう少し鍛えておけばよかったと今更後悔しても遅いのだけれど。
整備された水場で顔を洗い、さっぱりしてから手早く夕食の準備を始める。一応周囲に明かりはあるけれど、それでも完全に日が暮れてしまうと手元が危うくなってしまうだろうから。小さな鍋に干し肉と乾燥野菜を加え、簡単なスープを作った。あとは今朝買って来たパンを付ければ十分だろう。明日からは柔らかい白パンではなく、携帯用の硬い乾燥パンになる。本邸を追い出された直後は私もフロラもそれほど料理が上手くなく、今考えれば結構酷い食卓だったと思う。それでも二人であれこれと試し、レシピ本を拝借しては段々と上達していく過程も楽しかった。あの経験があったからこそ、今の私がひとりで生きていけるのだ。質素な食事もなんだかそんな幼い日々に戻ったようで、懐かしさが良いスパイスに感じられる気がした。
ざわざわと木々の葉を揺らす風はじとりと湿度を含み、ほんの少しだけ不快感を覚える。それでも私はあの場所を離れると決めたのだから、これからの旅の間はそういう環境にも慣れていかなければいけないだろう。出来れば小さなテントを手に入れられたら随分楽だったのだけれど、あまり準備の時間がなかったため十分な用意が出来なかった。何とか買えたのは大判の防水布くらいで、今日はとりあえずこれを体に巻き付けるようにして寝ることにする。と言っても完全に横になることは出来ないので、程よい木の幹に身体を預けるようにして目を瞑るだけだ。
途中の街で、もう少しまともな野営道具を揃えた方がいいだろうか。けれど今以上に荷物が増えたら、それを背負って運ぶ労力も発生してしまう。ひとまず今晩眠ってからまた考えよう……。一日歩き通しで疲れた身体はずっしりと重く、意識は沼に沈むように落ちていった。
王都を出てから四日。毎日ただひたすらに足を前に出して進み、隣町への街道を進んでいる。野営地で軽く身体を拭いたりはしているけれど、そろそろお風呂に入りたいなと思う。今日中にはなんとか目的地に着けるだろうから、二日くらいは宿を取ってゆっくりしたい。その後は予定通り乗合馬車に乗って旅を進めていこう。
そんなことを考えつつ歩いていると、不意に強い風が吹きつけてきた。バサバサとマントの裾が翻り、被っていたフードが外れてしまう。
「──あっ!」
髪紐が切れてしまったようで、解けた金髪がはらりと舞った。思えば随分長く使っていたし、寿命だったのだろう。ちょうど太陽も中天に差し掛かっているし、どうせなら一旦休憩にしてしまおうかと街道沿いの木陰に腰掛ける。休んでいる間に風が止むと良いなと願いつつ、水筒の水で喉を潤した。
膝を曲げ伸ばししたり足を揉んで身体をほぐしていると、王都の方面から土埃を上げ近付いてくる馬車がいることに気付く。これまでも数台の馬車に追い越されているし、あれもまたそういうものだろうと特に気にせずやり過ごした。
尻に付いた砂を軽く払い落とし、水筒を鞄の中に片付ける。新しい紐で髪をきっちり結ってからフードを被り直した。そうしてもうひと頑張りだと気合を入れ直し、街道に戻って歩き始めた直後──。
前方でギギィと車体を軋ませ停まった馬車から、数人の男が降りて来た。彼らが揃って見ているのは、車体の後方……つまり、通り過ぎたはずの私の方向だ。
落とし物……をした様子はなかったし、車体のトラブルなどでもない、と思う。何よりこちらへ向かって来る人たちの顔が、とても怖かったから。無意識に身体が後ろへ逃げようとする。背筋に走る冷たい恐怖感にぞわりと鳥肌がたった。
「──見付けたぞ、間違いねぇ!」
「おお、こんな近くにいてくれて助かったぜ」
「護衛もなしにこんなところをほっつき歩いてるたぁ俺たちもついてるな!」
「違いねぇ。今まで散々な目に遭わされてきたんだ、これからたっぷり返してやんなきゃ気が済まねぇよ!」
沢山のぎらつく瞳がまっすぐに私を見据えており、どこか楽しそうにさえ見える歪んだ口元の笑みが一層悍ましい。その手には小ぶりな刃物や金属とおぼしき棒などが握られており、それでなくとも複数人の成人男性に追われて無事に逃げ切れるとは思えなかった。
それでも私は諦めるわけにはいかない……!




