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あなたの色に染まりたい~ハズレスキルでしたが王子様に見初められました  作者: 伊織ライ


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逃亡

 デュラン侯爵家の離れで暮らしていた頃から使っている裁縫セットに、アガットさんから譲り受けた裁ちばさみとメジャー。どうしても持っていきたい物だけと思うのに、どれもこれも思い出が詰まっていて取捨選択が難しい。

 五歳の洗礼式で両親の期待を裏切り、ハズレスキルの出来損ないは不要とばかりに母屋から追い出されてしまった。一時は何もかも失ったと思った私の人生だけれど、こうしてみればいつの間にかまた沢山のものを手にしていたのだなと実感が湧く。デュラン家の娘でなくなっても、変わらず私を大切にしてくれる人がいた。貴族でなくなっても、仕事を見付けて生きていくことが出来た。攻撃スキルを持っていなくても、色変えのスキルによって笑顔に出来た人がいる。それは決して誰にも取り上げられない事実だろう。

 首にかけた革のチャームをぎゅっと握る。私が歩んできた人生は決して間違いではなかったはずだ。そしてこれからもきっと──。

 

 この仕立て屋は、売らずに休業としておくことにした。いつ戻って来られるかはまだ分からないが、フェリックス殿下が結婚して王位を継ぐ頃には──きっと、心からのお祝いを言えるだろう。今はまだ、想像するだけで心が悲鳴を上げる。あの日庭園で会った美しい令嬢と、仲睦まじく寄り添い合うあの方の優しい笑顔を目にしたとしたら……やっぱり今すぐに祝福するのは難しいけれど。

 それでも決して彼が不幸になる姿を見たいわけではないのだ。私が家族に棄てられたのは確かに悲しい出来事だが、逆に言えば平民になることでハズレスキルという運命から逃げることが出来た。けれどフェリックス殿下は幼少期からその生まれ持った色故に沢山の試練を与えられ、傷付けられてもその立場から逃げることは許されなかった。マルタン殿下が退いたことにより、今後は更に重い責任を背負って生きていくことになる。

 そんな彼には、一点の曇りなくその立場に相応しいパートナーが必要なのだろう。周囲から決められた人生の中であっても、最大限の幸福を感じて欲しい。私がその障害になるとしたら、喜んで姿を消そうと思えるくらいには……。

 

『殿下の輝かしい未来に影を落とすような真似はしないで頂戴』


 金髪碧眼のお嬢様は、それこそ内側から光を発しているかのように美しかった。地味な栗色の髪にありふれた緑色の目をもつ私とは、それこそ住む世界が違うのだ。

 瞼の裏に浮かぶ温かな深紅の瞳の影を追い払い、荷造りを続ける。決心が鈍る前に、私はこの街を出て行かなければ。



 私はあの日、城の庭園から馬車で送ると言うフェリックス殿下の申し出を断った。途中で呼び出しがかかるほど喫緊の問題が発生しているようだったし、事実背後では彼の侍従が眉を顰めて首を振っていた。そのような状態で、私などの為に手を煩わせるわけにはいかないだろう。なにより、これ以上優しくされると決心が鈍ってしまいそうだったから。

 その後頂いた手紙には、どうしても自分が出向く必要のある仕事が発生したためしばらくの間王都を離れるという内容が記されていた。なるべく早く片付けて戻るから、その時に伝えたいことがあるとも。彼にしては珍しく文字が乱れていたし、本当に急いで出立されたのだろうけれど……彼が何を言おうとしたのか、もう聞く機会はこない。もしかすると、あの令嬢との縁談についてだったのだろうか? だとしたら、聞かずに済んで良かったと少しだけ安心してしまう。

 既に注文を受けていた仕事を全て終わらせ、店を綺麗に掃除したら準備は完了だ。簡素な旅装に丈夫なマントを羽織り、履き慣れた革のブーツを履いて荷物を背負う。飴色に磨かれた扉の内側で、カラランとベルが鳴る音が妙に物悲しく響いた。



「……まず辺境領へ向かいましょう!」


 未練を断ち切るように努めて明るい声を出し、ぱちんと顔を叩く。

 私はこれから、シャルク王国を目指して旅に出るのだ。デュラン侯爵領と王都でしか暮らしたことのない私にとって、何もかもが初めての経験である。こんな時でさえフェリックス殿下が雑談のひとつとして聞かせてくれた、留学の際の苦労話が役に立つのだからいっそ笑えてくるというものだ。今や私の中に詰まった記憶で、彼と結びついていないものなどひとつも存在しないのではないか。


 王都の城壁を出た私はふうと息を吐き、ざらついた地面を踏みしめ歩く。いつかのお土産で頂いた飴玉の、最後のひとつを口に放り込んだ。お茶を一杯飲む間だけの、二人きりの小さなお茶会。バターがたっぷり使われたパウンドケーキに、サクサクした食感が楽しいクッキー。甘くて、美味しくて、とても……幸せだった。これから目的地に着くまでどのくらいの時間がかかるか分からないから、なるべく節約しなければ。甘いものだって、もうあんな風には食べられないだろう。いざとなればあの金貨を崩せば問題なく食べていけるだろうけれど、出来れば使いたくはない。別に……思い出がどうこうというよりも、私のような者が金貨を持っていることによって生まれるリスクを回避したいだけだ。だから引き締められる部分は引き締めつつ、旅路を進めようと思う。昔から自分のことは自分でやってきたのだし、きっとなんとかなるはずだ。

 確かに不安がないとは言えないけれど、彼が話して聞かせてくれたシャルク王国をこの目で見られるのは素直に楽しみだ。あの美しいドレスに似た仕立ての服もあるだろう。見たことも触れたこともない異国の生地にだって出会えるかもしれない。

 

 この国の貴族は強い戦闘スキルを持つことが最優先で、学校へ行っても学ぶことと言えばその力でもって戦う方法なのだそうだ。政治上の発言力もその家が持つ武力と比例しており、領地ごとの戦力を誇示し合うため定期的に小競り合いが起きている。日々そんなことにかまけているから、武力以外の産業や農業などがなかなか発展しないのだ。

 フェリックス殿下が留学中に見てきた諸外国では、既にこの国とは比べ物にならないほどの美術や芸術などの文化が発展しているらしい。美味しい食べ物や個性的な服飾、美しい建造物や子供が楽しめる娯楽施設。神から与えられるスキルがなくとも、自らの手でひとつひとつ作り上げていくことは出来る。むしろ不自由の中で工夫を凝らすからこそ発展していく技術があるのだろう。

 スキルが絶対だとして凝り固まった思考しか持たぬこの国の民が世界に目を向けた時、きっと足元の危うさに恐れ戦くのではないだろうか。事実フェリックス殿下も最初はそうだったらしい。スキルも持たぬ他国民と無意識に下に見ていた相手の方が、実際はずっと理性的で論理的に考え物事を成し遂げていたのだから。

 私もこんなきっかけがなければ、国を出る決心など出来なかっただろう。狭い世界で暮らしていた私に、広い視野を授けてくれたフェリックス殿下に感謝しよう。胸元のチャームを握り、きゅっと力を込めた。彼と出会えたことには、きっと意味があるのだと思うから。


 隣の町までは、徒歩で三日ほどの距離だと聞いた。もっとも私は普段ほとんど運動らしい運動をしてこなかったのでさほど体力がないから、もう数日は多くかかるかもしれない。街道沿いに行けば迷うことはないし、途中に野営出来る場所が複数用意されているそうだからまあなんとかなるだろう。……なんとかするしかないのだから。

 当初は王都から出ている乗合馬車に乗ることも考えた。けれど、馬車に乗るには身分証を提示する必要がある。別にやましいことをして逃げ出すわけではないけれど……仕事から戻ってきたフェリックス殿下がもし万が一私を探すようなことがあれば、少しでも見つかるまでの時間を引き延ばせるかと思ったのだ。だから乗り物を使うとしても、王都を出てからにしようと決めた。節約にもなるし、無心に歩けばきっと自分の心の整理をする時間にもなるだろう。

 彼とは少なくとも友人として、良い関係を築いてきたと思う。そんな相手に相談もせず別れることは心苦しくもあるけれど、こんな薄情な私のことなど早々に忘れて彼には相応しい場所で生きていって欲しいから。邪魔にはなりたくない。彼の足枷になるような事態だけは絶対に避けたいのだ。


『初めて見た歌劇は本当に華やかで驚いたよ』

『夜市で食べた屋台の串肉には食べたこともないスパイスが使われていて──』

『歴史を感じさせる時計台から響く音が腹の底に響いて、妙に感動してしまったんだ』

 

 彼が楽しそうに話して聞かせてくれた、様々な場所を実際に見ることは出来るだろうか。美味しかったのだと言っていたおすすめの店は、まだ営業しているだろうか。

 ただひたすらに足を踏み出し前へ進みながらも、頭に浮かぶのはフェリックス殿下のことばかりで笑ってしまう。踵は痛むしふくらはぎは棒のようだし、全身に重怠い疲れが溜まっていくのに──それでも思考は止まらない。無心になるというのは思ったよりもずっと難しいみたいだ。


 乾いた喉を水筒の水で潤していると、その小さな水面に太陽の光がきらきらと反射した。眩い金色の光はまるであの日会った美しい令嬢の髪の色のようで、一時目を奪われてしまう。


「……もし、私があんな風に美しかったら……」


 そうしたら少しでも自信が持てたのだろうか。周囲を見渡すが、他に歩いている人の気配はない。深くかぶったフードの中、しまい込んだ栗色の髪に意識を向ける。輝く金髪は、彼に貰った金貨と同じ色。閉じた瞼に隠れた、ありふれた緑の瞳は……彼女と同じ碧眼に。

 たとえ色を変えたとして、顔かたちまで変わるわけでないのは分かっている。それでも今だけは、少しくらい夢を見ても許されるだろうか。

 結局未練がましい自分に苦笑を浮かべつつ、休憩を終えて重い腰を上げた。もう少し歩けば、今日の目標である野営地にたどり着けるだろう。せめてこの旅が終わるまでは、色味だけでも華やかで美しい姿でいさせてほしい。彼が本当の色を隠して旅立ったあの日と同じように、私も心の奥底にわだかまるこの思いを塗りつぶしてしまいたかった。



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